Quantcast
Channel: Nature –ライフサイエンス 新着論文レビュー
Viewing all 125 articles
Browse latest View live

神経幹細胞はトポロジカル欠陥に集積する

$
0
0

川口喬吾1・影山龍一郎2・佐野雅己3
1米国Harvard Medical School,Department of Systems Biology,2京都大学ウイルス・再生医科学研究所 増殖制御システム分野,3東京大学理学系研究科物理学専攻)
email:川口喬吾
DOI: 10.7875/first.author.2017.040

Topological defects control collective dynamics in neural progenitor cell cultures.
Kyogo Kawaguchi, Ryoichiro Kageyama, Masaki Sano
Nature, 545, 327-331 (2017)

要 約

 培養皿において増殖する神経幹細胞は生体と同様に棒状のかたちをしており,高密度になると,となりどうしの細胞が向きをそろえる.この研究においては,神経幹細胞が向きをそろえあうことにより生じるパターンがネマチック液晶などにみられるパターンと同じであることに着目し,数万のスケールの神経幹細胞を長時間にわたり観察した.その結果,神経幹細胞は既存の液晶とは違いパターンのなかで激しく自発運動しており,局所的に細胞の集団の流れが生じるばかりでなく,細胞が集積しやすい場所や離散しやすい場所が現われることがわかった.これらの現象は,トポロジカル欠陥とよばれる細胞の配列の特異点の位置により予測でき,液晶におけるアクティブマターの理論の枠組みにより自然な説明することができた.このように,細胞の集団がそれ自体でつくる配列のパターンに誘起されて細胞流が生じる現象ははじめてみつかったもので,成体の脳における新生したニューロンの移動をはじめとして,生体における細胞の移動の機構にかかわる可能性がある.

はじめに

 ヒトを含む多細胞生物においては,発生の過程だけでなく成体においても細胞は新生し移動しつづけている.にもかかわらず,個体のあいだで器官の形状や機能に大きな差はなく,一生のうちほとんどは恒常性が維持されている.このような多細胞のレベルでの動的な組織の形成および恒常性の維持の機構を理解するにあたり,多体系の物理学の手法は有効であると思われる.多体系の物理学(あるいは,統計物理学)とは,複雑すぎてそのままでは手におえない多体問題から本質的な部分をぬきだし,要素の詳細によらない一般的な枠組みをつくることをめざす試みである.多体系の物理学は,半導体や超伝導体を含む固体や対流現象や乱流現象を生む流体だけでなく,液晶やゲルなどのソフトな物質の理解および制御にも役だってきた.しかし,生体の組織においては,細胞が運動や増殖をしていたり,いっけん静止している場合にも細胞骨格に依存した内在的な力がはたらいていたりするため,典型的な多体系の物理学の適用の範囲を逸脱してしまう場合が多く,昔から,単純な応用問題ではないことが知られていた.そこで近年では,既存の多体系の物理学の理論をどのように拡張すれば細胞の集団の運動や生物の群れの運動が説明できるか,また,拡張によりこれまでにない新しい現象の予測ができるか,といった方向でさかんに研究が進められており1),広く“アクティブマター”とよばれる学際的な研究領域が形成されている.
 アクティブ(能動的,つまり,構成要素が自発運動する)であることにより,既存のパッシブ(受動的)な系とどのように違った現象が現われるのか.1990年代の理論研究により明らかにされたのは2),パッシブな系では不可能な2次元の長距離秩序(マクロな距離スケールにわたり粒子が同じ向きにそろった状態)がアクティブな系では自発的に達成されうることや,アクティブな系では秩序構造のなかでの粒子数のゆらぎが異常に大きくなることである.これらの予測は,棒状の物質をしきつめた系に振動をあたえる実験や細菌の集団運動において検証されてきた(理論からの予測に忠実な実験系における検証は,じつは,ごく最近の研究3) までなかった).1990年代の後半から2000年代にかけて,細胞骨格の示す自己組織的な性質が実験的および理論的に解明されはじめたほか4),培養皿において線維芽細胞の形成するパターンを調べた研究なども現われ5),いよいよ,アクティブマターの理論の生命の理解への本格的な応用が進むかにみえた.
 ところが,2010年代に入ると,アクティブマターの枠組みにおける新現象の発見および実験系の精緻化の方向への発展がめだった.とくに,細胞から取り出した微小管やアクチンの高濃度での2次元パターンを観察した研究は6-8),息をのむほど美しい集団の運動の動画を提供したが,実際の細胞において起こっていることからはかけ離れた現象であることは明らかだった.細胞分裂などの実際の生命現象にアクティブマターの理論を適用する意欲的な研究も現われはじめたが9,10),多細胞生物の現象にアクティブマターの理論を拡張する研究は,最近になりようやく再始動した感がある.

1.神経幹細胞は高密度になると向きをそろえあいネマチック液晶と同じパターンを形成する

 神経幹細胞はニューロン,オリゴデンドロサイト,アストロサイトへの分化能をもつ幹細胞であり,おもにマウスの胎仔や成体から取り出し2次元の培養皿において長期間の培養が可能な簡便な培養細胞系である.細胞の形態は生体と同様に細長く,増殖して培養皿の2次元平面を埋めつくすほど高密度になると,細胞どうしが向きをそろえあう状況がみられる.
 神経幹細胞の向きのそろう現象がどのように生じるのかをみるため,顕微鏡により長時間にわたり撮影した.その結果,神経幹細胞は低密度においては方向性のないランダムな運動を示すものの,高密度になるにしたがい細胞どうしがぶつかりあい,形状だけでなく運動の方向もしだいにそろっていくことがわかった.ここで配列の方向とは,頭と尻尾とを区別しない方向のことである.ヒストンH2Bと蛍光タンパク質mCherryとの融合タンパク質を発現する神経幹細胞株を作製し核の運動を追跡した結果,細胞の運動は高密度になってもまったく減速しない代わりに,パターンを形成したのちには配列の方向に沿うようになり,進行の方向を反転しうる双極的なものに変化することもわかった.
 高密度において発生したパターンを数mmにわたる大きな領域において観察したところ,ネマチック液晶とよばれる物質が2次元において形成するパターンとよく似たものがみられた(図1a).ネマチック液晶を薄いセルのなかに閉じ込め偏光フィルターを用いて観察すると,シュリーレン模様とよばれる光学的なパターンがみられる(図1b).このパターンは棒状の粒子である液晶分子が場所により違った向きに配列することに起因しており,分子のそろう向きに依存して光のとおしやすさが違うことから明暗の模様が生じる.画像解析により神経幹細胞の配列の方向を色分けして可視化するとシュリーレン模様と同様なパターンがみられ,局所的にはある色が選ばれ,少し離れた箇所では違う色に変化しており,それが連続的に移り変わっているようすがみられた(図1a).

figure1

2.細長い環境に閉じ込められた神経幹細胞は長距離にわたり配列する

 培養皿を神経幹細胞が自由に埋めつくす場合には,場所によりランダムに定まった配列の方向が生じるため,細胞は空間的に離れた点では違う向きにそろっている.液晶ディスプレイに使われる素子などでは,液晶を閉じ込めるセルの表面に適切な処理を施すことにより液晶分子が自発的に特定の向きにそろうようあらかじめ制御する.神経幹細胞の場合にも同様に,細胞の集団に対し境界条件を設置することにより配列の方向をそろえられないだろうか.
 神経幹細胞が培養皿の表面につけた傷のなかに侵入できないことを利用して,2つの直線状の傷を短い間隔でつけ,そのあいだに閉じ込められた細胞の運動を観察した.傷が境界となり神経幹細胞はこの境界に沿って配列したが,その配列の方向は傷から離れた細胞にも伝達していき,結果的に,細長い環境において細胞をすべて同じ向きに自発的に配列させることができた.このようなパターンは数mmの長さにわたり継続することが示され,境界を用意するかぎりいくらでも長いパターンを形成できると考えられた.
 細長い環境に閉じ込められた神経幹細胞は,さきと同様に,細胞の伸長方向への速い運動や双極的な進行方向の切り替えを示した.このようすは,成体の脳において新生したニューロンが嗅球に移動する際にみられる細長い流路(rostral migratory stream)における運動とよく似ていた11).この細長い流路において重要な細胞接着因子であるNCAMを神経幹細胞においてノックダウンしたところ,細胞間の相互作用が影響をうけ,高密度において神経幹細胞が向きをそろえあう現象そのものが破壊された.成体の脳における移動流にかかわる神経芽細胞は神経幹細胞よりも分化の進んだ細胞であるが,形状や移動にかかわる細胞間の相互作用は似ていると推測される.一般的なアクティブマターの理論から,自発的な細胞の運動がランダムあるいは頭と尻尾の方向に対称であっても,配列のパターンや境界条件の設定により集団的な流れを一方向に整流させられることがわかるが,生体における細胞の移動においても,このように誘引物質にたよらない集団の運動の機構がはたらく可能性がある.

3.神経幹細胞の集団はトポロジカル欠陥のうち+1/2欠陥に集積し-1/2欠陥から離散する

 神経幹細胞の集団の配列の方向を可視化すると,色が滑らかに変化していない特異点がいくつも存在するのがみえる.これは一般にトポロジカル欠陥とよばれる構造で,細胞がうまく向きをそろえられていない箇所でありながら,周囲を配列のそろった状態にかこまれて“保護”されるため容易に解消されない安定な構造である.観察されたトポロジカル欠陥は+1/2欠陥と-1/2欠陥の2種類で,特異点のまわりを左回りに1周したとき,細胞の向きが左回りに1/2回転するものが+1/2欠陥,右回りに1/2回転するものが-1/2欠陥である(図2).このように,半整数のトポロジカル欠陥が現われるのはネマチック液晶と同様であり,細胞間の相互作用が頭と尻尾を区別しないもの(これを,ネマチックとよぶ)であることに起因する.

figure2

 さらに,トポロジカル欠陥の付近における神経幹細胞の集団の挙動を長時間にわたり観察したところ,+1/2欠陥には細胞が集積することがわかった.細胞が+1/2欠陥に流れ込むことにより細胞の局所的な密度が上昇し,最終的には3次元的に盛りあがったマウンドが形成された.より詳細な画像解析により,神経幹細胞は+1/2欠陥に集積するだけでなく,-1/2欠陥から平均として離散することも確認された.
 最近の微小管を用いた実験により6),アクティブな系においてトポロジカル欠陥そのものが遊走する現象がみつかったことにより,トポロジカル欠陥のふるまいがアクティブな系とパッシブな系とで明確に違うことが認識され注目をあつめていた.ところが,半整数のトポロジカル欠陥において要素が集積するような現象は,これまで,理論や数値シミュレーションにおいても知られていなかった.
 トポロジカル欠陥は細胞の集団それ自体が形成するパターンの帰結であるが,集団のパターンが細胞の挙動を決めるのはどのような機構によるのか.トポロジカル欠陥のようにパターンのなかに非対称性がある場所では,個々の細胞の運動が積み重なってマクロな集団の運動が生じうる.これが微小管を用いた実験などでみられたトポロジカル欠陥の遊走の原因であるが,この集団の運動が細胞の配列の方向と垂直な場合には運動を押しとどめようとする“摩擦”の効果がはたらき,せき止められた細胞は集積するはずである.実際に,この直観的な描像から得られるもっとも単純な式を解くことにより,トポロジカル欠陥の付近において要素が集積あるいは離散する現象を説明できることが示された.この理論のカギは,アクティブな要素と配列に依存した摩擦の効果の組合せを考えることにあるが,同じ条件さえそろえば,神経幹細胞のほかでも同様に集積および離散の現象が現われうることが示唆された.

おわりに

 この研究は,筆者のひとり(川口)が神経幹細胞を用いた実験を習っていたところ思いがけずおもしろい現象をみつけたため,それを解析しまとめたものである.神経幹細胞の培養はほかの細胞に比べ少しだけ厄介な点や,トポロジカル欠陥の自動検出や細胞の追跡など画像解析の手法の開発がやや面倒であった点を除けば,標準的な実験設備で可能な素朴な研究であるといえる.たとえば,細胞を細長い環境に閉じ込める実験は,培養皿を文房具のカッターを用いて手書きで傷をつけて観察しただけのもので,正攻法であるマイクロパターニングなどと比べかなり初等的な方法である.近年,生体試料の観察の技術はめまぐるしく発展しているが,最先端の技術によりはじめてとらえられる観察の困難な現象だけでなく,いまどきの実験室では日常化してしまった技術により観察できる現象のなかにも,非自明なものが多く存在しているように思う.
 この論文と同時に同じNature誌に出版された論文12) において,MDCK細胞の表皮シートにおけるトポロジカル欠陥が調べられ,トポロジカル欠陥の付近では細胞が押し出されやすいという現象が報告された.MDCK細胞と神経幹細胞とでは運動の様式などが大きく異なるものの,アクティブな系ゆえにトポロジカル欠陥に細胞が集積するという広い意味では同様の現象であるといえる.表皮細胞の押し出しにせよ神経幹細胞の移動流にせよ,生体において実際に起こっていることとどの程度の関連があるのかは未知数であるが,多体系の物理学を拡張して多細胞生物の現象の研究にもちこみ生体組織のダイナミクスの理解に役だてようという機運は高まっており,これらの研究がその第一歩となるものと期待される.

文 献

  1. Marchetti, M. C., Joanny, J. -F., Ramaswamy, S. et al.: Hydrodynamics of soft active matter. Rev. Mod. Phys., 85, 1143 (2013)
  2. Vicsek, T. & Zafeiris, A.: Collective motion. Phys. Rep., 517, 71-140 (2012)
  3. Nishiguchi, D., Nagai, K. H., Chate, H. et al.: Long-range nematic order and anomalous fluctuations in suspensions of swimming filamentous bacteria. Phys. Rev. E, 95, 020601 (2017)[PubMed]
  4. Nedelec, F. J., Surrey, T., Maggs, A. C. et al.: Self-organization of microtubules and motors. Nature, 389, 305-308 (1997)[PubMed]
  5. Kemkemer, R., Teichgraber, V., Schrank-Kaufmann, S. et al.: Nematic order-disorder state transition in a liquid crystal analogue formed by oriented and migrating amoeboid cells. Eur. Phys. J. E, 3, 101 (2000)
  6. Sanchez, T., Chen, D. T., DeCamp, S. J. et al.: Spontaneous motion in hierarchically assembled active matter. Nature, 491, 431-434 (2012)[PubMed]
  7. Schaller, V., Weber, C., Semmrich, C. et al.: Polar patterns of driven filaments. Nature, 467, 73-77 (2010)[PubMed]
  8. Sumino, Y., Nagai, K., Shitaka, Y. et al.: Large-scale vortex lattice emerging from collectively moving microtubules. Nature, 483, 448-452 (2012)[PubMed]
  9. Brugues, J. & Needleman, D.: Physical basis of spindle self-organization. Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 111, 18496-18500 (2014)[PubMed]
  10. Prost, J., Julicher, F. & Joanny, J. -F.: Active gel physics. Nat. Phys., 11, 111 (2015)
  11. Lois, C., Garcia-Verdugo, J. -M., Alvarez-Buylla, A. et al.: Chain migration of neuronal precursors. Science, 271, 978-981 (1996)[PubMed]
  12. Saw, T. B., Doostmohammadi, A., Nier, V. et al.: Topological defects in epithelia govern cell death and extrusion. Nature, 544, 212-216 (2017)[PubMed]

活用したデータベースにかかわるキーワードと統合TVへのリンク

著者プロフィール

川口 喬吾(Kyogo Kawaguchi)
略歴:2015年 東京大学大学院理学系研究科物理学専攻博士課程 修了,同年より米国Harvard Medical School博士研究員.
研究テーマ:生物物理の理論と実験.

影山 龍一郎(Ryoichiro Kageyama)
京都大学ウイルス研究所 教授.

佐野 雅己(Masaki Sano)
東京大学理学系研究科物理学専攻 教授.

© 2017 川口喬吾・影山龍一郎・佐野雅己 Licensed under CC 表示 2.1 日本


ヒトの多能性幹細胞からの造血幹細胞および造血前駆細胞の分化

$
0
0

杉村 竜一
(米国Harvard Medical School,Department of Biological Chemistry and Molecular Pharmacology)
email:杉村竜一
DOI: 10.7875/first.author.2017.042

Haematopoietic stem and progenitor cells from human pluripotent stem cells.
Ryohichi Sugimura, Deepak Kumar Jha, Areum Han, Clara Soria-Valles, Edroaldo Lummertz da Rocha, Yi-Fen Lu, Jeremy A. Goettel, Erik Serrao, R. Grant Rowe, Mohan Malleshaiah, Irene Wong, Patricia Sousa, Ted N. Zhu, Andrea Ditadi, Gordon Keller, Alan N. Engelman, Scott B. Snapper, Sergei Doulatov, George Q. Daley
Nature, 545, 432-438 (2017)

要 約

 多能性幹細胞からさまざまな種の細胞を分化させるには,モルフォゲンへの段階的な曝露により胚の発生を模倣する,あるいは,マスター転写因子を強制的に発現させるといったアプローチがとられてきた.この研究においては,ヒトの機能的な造血幹細胞を得るため,ヒトの多能性幹細胞を造血性内皮細胞へと分化させ,さらに,造血を促進する能力をもつ26の候補となる転写因子をスクリーニングしこれを発現させた.その結果,造血性内皮細胞をマウスにおいて骨髄球,B細胞,T細胞に分化の可能な造血幹細胞および造血前駆細胞へと分化させるのに十分な7つの転写因子,ERG,HOXA5,HOXA9,HOXA10,LCOR,RUNX1,SPI1が同定された.モルフォゲンによる分化の駆動およびマスター転写因子による細胞運命の変換を組み合わせたこのアプローチは,ヒトの多能性幹細胞から造血幹細胞および造血前駆細胞を分化させ,ヒト化マウスにおける造血性の疾患のモデル化,および,遺伝的な血液疾患における治療の戦略を促進すると考えられる.

はじめに

 細胞のアイデンティティは転写因子により制御される遺伝子発現制御ネットワークにより定義される.造血遺伝子の発現制御ネットワークを駆動するマスター転写因子を導入することにより,線維芽細胞,内皮細胞,分化した血液細胞など,多様な細胞から造血幹細胞が分化されてきた1-3).しかし,ヒトの多能性幹細胞からのマウスに生着する能力のある造血幹細胞の分化はこれまで報告されていない.以前に,筆者らは,ヒトの多能性幹細胞から造血性内皮細胞を分化させたが4),そこに造血幹細胞に特異的な転写因子を導入することにより,マウスに生着する能力のある造血幹細胞を分化させることができると考えた.

1.造血性内皮細胞を造血幹細胞および造血前駆細胞へと分化させる転写因子の同定

 胎児の肝臓のもつ造血幹細胞と造血性の内皮細胞とのあいだで遺伝子の発現を比較することにより得られた転写因子にくわえ,内皮細胞,骨髄細胞,リンパ球から造血前駆細胞を分化させるために使用された26の転写因子を組み合わせたライブラリーを作製した.このライブラリーを発現させた造血性の内皮細胞を免疫不全マウスに移植したところ,移植ののち最長で12週間にわたり,ヒトの血球がマウスの血中にて観察された.さらに,移植マウスの骨髄および胸腺を解析したところ,ヒトの赤血球系細胞,骨髄系細胞,B細胞,T細胞が検出された.とくに,形質導入された造血性の内皮細胞を片側の大腿骨に注射したところ,両側の大腿骨において同等のヒトの造血生着が観察されたことから,造血幹細胞の移動およびホーミングによる対側の大腿骨の再形成が示された.分化したヒトの骨髄球細胞,B細胞,T細胞においてライブラリーを構成する26の転写因子のうちどの転写因子が発現しているかをPCR法により解析した.その結果,ERG,HOXA5,HOXA9,HOXA10,LCOR,RUNX1,SPI1の7つの転写因子が一貫して検出された.この7つの転写因子を造血性の内皮細胞に発現させマウスに移植したところ,造血幹細胞が分化した(図1).

figure1

2.7つの転写因子は多系統の生着をあたえる

 同定された7つの転写因子を発現させた造血性の内皮細胞をマウスに移植し,8週目および12週目に多系統の生着を示したマウスから2次宿主となるマウスに骨髄を移植したところ,複数のマウスにおいて8週目,14週目,16週目に多系列の生着が確認された.初代マウスの骨髄から単離された3000個のCD34陽性細胞を注射した2次宿主マウス10匹のうち,独立した実験において3匹が多系統の再構成を示した.造血幹細胞の分化の頻度を計算したところ,10,093細胞のうち1細胞であった.同定された転写因子の2次移植マウスにおけるうちわけを決定するため,2匹の2次宿主マウスの骨髄球,B細胞,T細胞をPCR法により解析したところ,共通してLCOR,HOXA5,HOXA9,RUNX1が検出され,ERGは骨髄球およびB細胞のみに認められたが,SPI1およびHOXA10は検出されなかった.LCOR,HOXA5,HOXA9,RUNX1,ERGの5つの転写因子が多系統の生着を付与するのに十分であるかどうかを調べるため,2種のポリシストロニックなレンチウイルスベクターを作製して5つの転写因子を発現させたところ,複数の宿主マウスにおいて赤血球,好中球,B細胞,T細胞が検出された.
 7つの転写因子を発現させた造血性の内皮細胞が造血幹細胞に固有の遺伝子発現プログラムを再現する程度を調べるため,移植ののち12週目に骨髄から採取した造血幹細胞の集団においてRNA配列を決定し,造血幹細胞および造血前駆細胞の利用可能なデータセットと比較したところ,造血幹細胞と強く相関した.遺伝子の発現パターンは,ケモカイン受容体シグナル伝達およびインテグリンシグナル伝達,造血幹細胞のホーミングおよび生着に影響することが知られている経路の活性化と相関した.さらに,7つの転写因子を発現させた造血性の内皮細胞におけるHOXA5,HOXA9,HOXA10,SPI1の導入遺伝子の発現レベルは,造血幹細胞における発現レベルと同等であった.臍帯血を移植したマウスから得られた造血幹細胞と7つの転写因子を発現させた造血性の内皮細胞との異種性について調べるため,それぞれの単一の細胞においてRNA配列を決定した.もっとも可変性の500の遺伝子を比較したところ明確な差があったが,62個の標準的な造血遺伝子に限定した場合には相同性のあることがわかった.これらの結果から全体として,7つの転写因子を発現させた造血性の内皮細胞は多系列の造血生着をサポートする遺伝子発現パターンをもつが,臍帯血を移植したマウスから得られた造血幹細胞とは分子的な相違点も大きいことが示された.

3.移植マウスにおいて分化した細胞の特徴

 7つの転写因子を発現させた造血性の内皮細胞を移植したマウスから回収された赤血球系細胞,骨髄系細胞,リンパ系細胞の表現型および機能的な特性を,臍帯血を移植したマウスから得られた造血幹細胞に由来する細胞と比較した.その結果,赤血球の形成に重要なグロビン遺伝子の発現パターンの切り替えおよび脱核が認められる発達の成熟を示した.移植マウスの骨髄からヒトの好中球を単離しホルボールミリステートアセテートにより刺激したところ,ミエロペルオキシダーゼの産生を示した.移植マウスの血清において免疫グロブリンクラススイッチおよび抗体の分泌を媒介するT細胞およびB細胞の協同的な活性を示すヒトの免疫グロブリンMおよび免疫グロブリンGが検出された.さらに,外来のアルブミンタンパク質を接種したところ特異的な免疫グロブリンMおよび免疫グロブリンGのレベルが上昇し,タンパク質抗原に対する機能的な免疫応答が示された.移植マウスの骨髄から成熟したCD3陽性T細胞を単離し,ホルボールミリステートアセテートにより再刺激したところインターフェロンγの産生がみられた.
 抗原に特異的な多様なT細胞はおもにTCRA遺伝子およびTCRB遺伝子のもつ可変遺伝子セグメントCDR3の組換えにより起こるTCR遺伝子の再編成により形成される.T細胞の多様性を決定するため,移植マウスから単離されたT細胞においてTCRB遺伝子のCDR3の配列をプロファイリングしたところ,臍帯血を移植したマウスあるいは7つの転写因子を発現させた造血性の内皮細胞を移植したマウスから単離されたT細胞の可変遺伝子セグメントにおいて組合せの高度の多様性がみられた.さらに,7つの転写因子を発現させた造血性の内皮細胞を移植した脾細胞は,ヒトのB細胞,ナイーブT細胞,メモリーT細胞を保持していた.レンチウイルスの組み込み部位の配列を比較することにより,7つの転写因子を発現させた造血性の内皮細胞の骨髄系の子孫細胞およびリンパ系の子孫細胞がクローン起源であるかどうかを決定した.骨髄に由来する骨髄球,B細胞,T細胞においてゲノムDNAの配列を決定したところ,同定されたすべての組み込み部位において骨髄球,B細胞,T細胞に共通する配列は合計の10%をしめ,個々の宿主において見い出された.このことから,少なくとも部分的に多系統の可能性をもつ単一クローン性の造血幹細胞が得られたことが示された.組み込み部位の近傍の遺伝子はいずれも,以前のHIVの研究においてがん化とは関連していなかった.

おわりに

 マウスのES細胞が世界ではじめて作製されたときから,造血幹細胞の分化は血液学の研究において長年の目標であった.ヒトの多能性幹細胞の造血性の内皮細胞への段階的な分化につづく,造血遺伝子の発現制御ネットワークを駆動するマスター転写因子のスクリーニングにより7つの転写因子が同定された.今回の研究において見い出された方法により分化させた細胞と造血幹細胞とのあいだにはまだ分子的および機能的なギャップがあり,その改善が今後の課題である.同定された転写因子おのおのは造血幹細胞の発生,長期にわたる維持,分化の系譜の決定において役割をはたし,それぞれがある程度の重複性をもつ共通の遺伝子制御ネットワークに寄与することが示唆された.
 今回の研究により,ヒトの多能性幹細胞からの造血幹細胞の分化の実現が実際に近いことが示唆された.そのような細胞は,遺伝性の血液疾患の患者に由来した場合にはヒトの血液疾患をモデル化するため,および,ドラッグスクリーンや遺伝子治療のためのマイルストーンとなるだろう.筆者らの最終的な目標は,研究と治療における応用のために,ウイルスベクターを用いない手法により造血幹細胞を分化させることである.

文 献

  1. Pereira, C. F., Chang, B., Qiu, J. et al.: Induction of a hemogenic program in mouse fibroblasts. Cell Stem Cell, 13, 205-218 (2013)[PubMed]
  2. Sandler, V. M., Lis, R., Liu, Y. et al.: Reprogramming human endothelial cells to haematopoietic cells requires vascular induction. Nature, 511, 312-318 (2014)[PubMed]
  3. Riddell, J., Gazit, R., Garrison, B. S. et al.: Reprogramming committed murine blood cells to induced hematopoietic stem cells with defined factors. Cell, 157, 549-564 (2014)[PubMed]
  4. Kennedy, M., Awong, G., Sturgeon, C. M. et al.: T lymphocyte potential marks the emergence of definitive hematopoietic progenitors in human pluripotent stem cell differentiation cultures. Cell Rep., 2, 1722-1735 (2012)[PubMed]

活用したデータベースにかかわるキーワードと統合TVへのリンク

生命科学の教科書における関連するセクションへのリンク

東京大学 大学院総合文化研究科・教養学部附属教養教育高度化機構自然科学教育高度化部門から公開されている生命科学の教科書 “A Comprehensive Approach To LIFE SCIENCE”(羊土社『理系総合のための生命科学 第2版』の英語版)における関連するセクションへのリンクです.

著者プロフィール

杉村 竜一(Ryohichi Sugimura)
略歴:2012年 米国Stowers Institute for Medical ResearchにてPh.D取得,2014年より米国Harvard Medical School博士研究員.
関心事:基礎科学の発見を臨床につなげたいと思い大学院に留学し,その接点として,臨床的に重要かつ基礎研究のモデルとして確立された造血幹細胞および造血前駆細胞を研究の対象として選択しました.大学院では造血幹細胞および造血前駆細胞を維持する骨髄の微小環境因子について研究し,ポスドクでは発生の過程を参考にすることにより多能性幹細胞から造血幹細胞および造血前駆細胞を分化させる方法を開発しました.つぎのステップは,これらの経験を組み合わせて人工骨髄を作製することです.

© 2017 杉村 竜一 Licensed under CC 表示 2.1 日本

Mediatorの結晶構造から明らかにされた転写開始機構

$
0
0

野澤 佳世
(ドイツMax Planck Institute for Biophysical Chemistry,Department of Molecular Biology)
email:野澤佳世
DOI: 10.7875/first.author.2017.046

Core Mediator structure at 3.4Å extends model of transcription initiation complex.
Kayo Nozawa, Thomas R. Schneider, Patrick Cramer
Nature, 545, 248-251 (2017)

要 約

 Mediatorは転写開始領域から遠く離れたアクチベーターと転写マシーナリーとを直接につなぐことによりほとんどすべての遺伝子プロモーターに活性化シグナルを伝達する.この研究においては,X線結晶構造解析法により,生存に必要不可欠なサブユニットすべてを含む分裂酵母のコアMediatorの立体構造を原子分解能レベルで解明した.コアMediatorは,13のサブモジュールから構成され,なかでも,Med14はユビキチン結合酵素に似たユニークなコンフォメーションをとっていた.分裂酵母のコアMediatorの結晶構造を出芽酵母の転写開始前複合体のクライオ電子顕微鏡像にあてはめることにより,MediatorとRNAポリメラーゼIIおよび基本転写因子TFIIHとのあいだに新たな結合面が可視化され,転写制御機構の一端が明らかにされた.

はじめに

 生物の部品であるタンパク質の情報はDNAに書き込まれた遺伝子に保存され,RNAポリメラーゼIIのはたらきによりその設計図となるmRNAへと書き出される.mRNAや遺伝子発現のオンオフを切り替える小分子RNAの合成は,RNAポリメラーゼIIが基本転写因子であるTFIIA,TFIIB,TFIID,TFIIE,TFIIF,TFIIHのセットと協同しながら,開始,伸長,終結の転写サイクルを制御することにより可能となる.しかし,RNAポリメラーゼIIや基本転写因子だけでは細胞の分化や分裂,生育状態に応じた転写制御はできない.Mediatorは転写開始領域から数kbpも離れたアクチベーター(高等生物におけるエンハンサー)と転写マシーナリーとを直接につなぐことにより,真核生物のほとんどすべての遺伝子プロモーターに対し活性化シグナルを伝達する1).出芽酵母において,Mediatorは分子量が約1,400,000,25のサブユニットから構成される超分子複合体であり,ヘッドモジュール,ミドルモジュール,テイルモジュール,キナーゼモジュールからなるその構造のほとんどは,菌類,植物,動物において高度に保存されている.テイルモジュールおよびキナーゼモジュールはアクチベーターとの相互作用や転写の抑制と関係して高度な発現制御を担うにもかかわらず,その構成サブユニットは出芽酵母の生存には必須でない.一方,ヘッドモジュールあるいはミドルモジュールの変異はmRNAの合成不全をひき起こすことから,ヘッドモジュールおよびミドルモジュールのセットはコアMediatorとよばれている2)
 近年の生化学的および構造生物学的なアプローチにより,コアMediatorがRNAポリメラーゼIIおよび基本転写因子と直接に作用し,転写開始前複合体(pre-initiation complex)を遺伝子プロモーターへとリクルートする機構が明らかにされてきた3).さらに,転写開始前複合体のアセンブリーが完了すると,コアMediatorはTFIIHによるRNAポリメラーゼIIのC末端ドメインのリン酸化を促進し,RNAポリメラーゼIIの遺伝子プロモーターからの遊離および伸長状態への変換をもたらす4).RNAポリメラーゼIIのC末端ドメインはTrp-Ser-Pro-Thr-Ser-Pro-Serというアミノ酸残基のくり返し構造(出芽酵母では26回,ヒトでは52回のくり返し)から構成され,リン酸化されたC末端ドメインは転写サイクルのあいだ種々の転写因子の足場として機能する.
 これまで,多くの研究室がMediatorの構造解析および機能解析に取り組んできたが,その巨大さ複雑さゆえに研究は難航しており,Mediatorがどのようにして綿密に転写を制御するかは長いあいだ不明であった.

1.コアMediatorの発現系の構築および結晶構造の決定

 転写開始前複合体の解析が困難だった背景には試料の調製法があった.ほとんどの場合は,ゲノムに存在する目的とするタンパク質をコードする遺伝子に直接にタグを導入し数百リットルというスケールで培養した出芽酵母から内因性のタンパク質を精製していたため,試料に多量のコンタミネーションやプロテアーゼが含まれてしまうのであった.この問題を克服するため,Mediatorを構成するサブユニットそれぞれの長さが出芽酵母より短い分裂酵母に由来するMediatorを選択し,大腸菌においてコアMediatorの組換え発現系を確立した.具体的には,ヘッドモジュールおよびミドルモジュールを構成する14のサブユニット,Med19,Med14を3つの大腸菌ベクターにポリシストロニックに組み込んだ共発現系を構築し,150種類以上のコンストラクトを作製した.条件を検討した結果,Med1の存在下において複合体の収量が増大することを見い出し,4リットルの培養液からmg単位の高純度のタンパク質の獲得に成功した.この発現トライアルをつうじ,単体では非常に不安定なMed14は,N末端側でミドルモジュール,C末端側でヘッドモジュールと結合してコアMediatorの全体をつなぎとめる,要のような役割をはたすことが明らかにされた.
 しかし,精製タンパク質のスクリーニングにより得られた結晶は初期の段階では8Åまでの分解能の回折像しか得られず,構造がまったく未知の6つのサブユニットも含まれていたため,構造の位相をはじめから決定する必要があった.分解能の改善をはかるため,結晶を段階的に高分子ポリマー溶液に浸し結晶の水分含有量を制御するデハイドレーション処理を試みたところ結晶のパッキングが強固になり分解能は4Åまで向上した.くわえて,シンクロトロンの高輝度ビームを多段屈折レンズにより集光させることにより,X線による損傷を最小限にして並進性の高いビームを発生させ,分解能はさらに0.6Åほど改善した.高分解能のデータセットが得られたのちにも,すべてのサブユニットを帰属させるためには結晶への重原子マーカーの導入,ネイティブな結晶に含まれるMetやCysの硫黄の位置情報を異常散乱により測定するS-SAD法のデータが必要であり,構造のモデリングの完了には1年以上かかった.
 構造解析の結果,Med1は結晶のパッキングの際に欠損してしまったが,最終的には,分裂酵母の生存に必要不可欠な11のサブユニットすべてを含む分子量約400,000のコアMediatorの結晶構造を3.4Åの分解能で決定した(PDB ID:5N9J図1).

figure1

2.コアMediatorの全体構造およびヘッドモジュールとミドルモジュールの結合様式

 結晶構造から分裂酵母のコアMediatorは13のサブモジュールから構成されることが可視化され,ヘッドモジュールとミドルモジュールの相互作用は,保存された4つの結合面と2つのタンパク質連結領域からなることが明らかにされた.なかでも,Med14はユビキチン結合酵素を構成するUBCフォールドが2つ連なったようなユニークなコンフォメーションにより,ヘッドモジュールのMed17に対し結合面を提示していた.また,近年の低分解能のクライオ電子顕微鏡解析により5),Med19が欠損するとヘッドモジュールとミドルモジュールとのあいだの相互作用が消失することが知られていたが,これを裏づけるように,結晶構造においてMed19はなわのような構造でMed14のN末端側とMed10のへリックスをぐるりと一周してフックサブモジュール全体を安定化していた.

3.出芽酵母のコアMediatorのホモロジーモデルの作製および出芽酵母における変異体の解析

 これまでの出芽酵母における遺伝学的な研究結果を説明するため,出芽酵母,分裂酵母,それらに近縁の5つの生物種についてMediatorのアミノ酸配列のアライメントを比較し,2次構造予測のデータと分裂酵母における結晶構造とを照らし合わせることにより出芽酵母のコアMediatorのホモロジーモデルを作製した.得られたモデルは,これまで報告された架橋-質量分析実験にもとづく相互作用マップとよく一致する信頼性の高いもので,先行研究において出芽酵母に生育異常をもたらした10個の変異はヘッドモジュールとミドルモジュールとの結合面に配置されることが明らかにされた.また,ミドルモジュールの構造のみを破壊する変異を導入した3種類の出芽酵母株を作製し細胞におけるmRNAの合成量を測定したところ,変異株においては有意に減少していた.このことから,ヘッドモジュールとミドルモジュールとがそろってはじめてコアMediatorとして機能し転写開始前複合体の形成を促進することが裏づけられた.

4.転写開始前複合体の全体像

 出芽酵母のコアMediatorのホモロジーモデルを転写開始前複合体の部分構造6,7) およびクライオ電子顕微鏡像8) にあてはめることにより,35のポリペプチドからなるRNAポリメラーゼII,TBP,TFIIA,TFIIB,TFIIE,TFIIF,コアMediatorの詳細な相互作用を可視化した.また,構造の決定されていないTFIIHおよびテイルモジュールについてはおおまかな位置関係が明らかにされた(図2).このフィッティングモデルにより,結晶化に用いなかったMed14のC末端側はテイルモジュールにむかって伸びており,Med14が3つのモジュールを橋渡ししていることがわかった.また,Med14のユビキチン結合酵素様のフォールドが可動性のジョウサブモジュールを安定化し,ヘッドモジュールとRNAポリメラーゼIIおよびTFIIBとの結合を可能にすることが示唆された.さらに,このモデルから,プランクサブモジュールのMed4-Med9二量体とRNAポリメラーゼIIとのあいだに新たな結合面がみつかり,コアMediatorのフックサブモジュールがTFIIHのキナーゼモジュールおよびヘリカーゼ活性をもつRad3と近接することがはじめて明らかにされた.

figure2

 今回の結晶構造と比べると,クライオ電子顕微鏡像においてフックサブモジュールはTFIIHと接するため30度ほど傾いた構造をとっており8),その構造変化の起点となるヒンジは,欠損するとMediatorとRNAポリメラーゼIIとの相互作用がさまたげられることが示されている9).また,フックサブモジュールにはRNAポリメラーゼIIのC末端ドメインと架橋する残基が存在することから,RNAポリメラーゼIIはC末端ドメインを介してフックサブモジュールと相互作用する可能性が示唆された.くわえて,ヘッドモジュールとRNAポリメラーゼIIのC末端ドメインのペプチドとの複合体の結晶構造10) を今回のコアMediatorの結晶構造と重ね合わせると,C末端ドメインがミドルモジュールのMed4とぶつかることがわかった.このことから,MediatorはRNAポリメラーゼIIと結合する際には構造変化を起こし,フックサブモジュールを介してTFIIHにC末端ドメインを提示することによりそのリン酸化を促進するという機構が推測された.

おわりに

 近年,RNAポリメラーゼIIによるRNA合成反応が原子分解能のレベルで明らかにされつつある一方で,Mediatorに依存的な転写制御機構の多くはよくわかっていない.1990年代にMediatorの概念が提唱されて以来,Mediatorのテイルモジュールがエンハンサーをひき寄せるDNAループ機構は注目の的であるが,現在では,Mediatorの全体が開始,伸長,終結からなる転写サイクルのすべてにおいてより積極的な役割をはたすことがわかっている.最近では,Mediatorとヒトの疾患との関係性についても報告され,疾患マーカーや薬剤の分子標的としての利用にも期待が高まっている.Mediatorはじつに10種類以上の異なる組織のがんに関係しており,なかでも,多数のMediatorがクラスターを形成して異常ながん原遺伝子の活性化を誘発するスーパーエンハンサー構造が注目されている11).Mediatorの構成タンパク質のインタラクトーム解析からも,ヒストンタンパク質,ヒストンシャペロン,クロマチンリモデリングタンパク質との相互作用が明らかにされ,Mediatorのかかわるエピジェネティックな遺伝子制御は複雑さをきわめている.転写反応と数々の疾患との関連性を解明するにはまだまだ地道な基礎研究が必要であるが,この研究がその基盤を構築する助けになれば幸いである.

文 献

  1. Asturias, F. J., Jiang, Y. W., Myers, L. C. et al.: Conserved structures of mediator and RNA polymerase II holoenzyme. Science, 283, 985-987 (1999)[PubMed]
  2. Liu, Y., Ranish, J. A., Aebersold, R. et al.: Yeast nuclear extract contains two major forms of RNA polymerase II mediator complexes. J. Biol. Chem., 276, 7169-7175 (2001)[PubMed]
  3. Imasaki, T., Calero, G., Cai, G. et al.: Architecture of the Mediator head module. Nature, 475, 240-243 (2011)[PubMed] [新着論文レビュー]
  4. Wong, K. H., Jin, Y. & Struhl, K.: TFIIH phosphorylation of the Pol II CTD stimulates mediator dissociation from the preinitiation complex and promoter escape. Mol. Cell, 54, 601-612 (2014)[PubMed]
  5. Tsai, K. L., Tomomori-Sato, C., Sato, S. et al.: Subunit architecture and functional modular rearrangements of the transcriptional mediator complex. Cell, 157, 1430-1444 (2014)[PubMed]
  6. Plaschka, C., Lariviere, L., Wenzeck, L. et al.: Architecture of the RNA polymerase II-Mediator core initiation complex. Nature, 518, 376-380 (2015)[PubMed]
  7. Plaschka, C., Hantsche, M., Dienemann, C. et al.: Transcription initiation complex structures elucidate DNA opening. Nature, 533, 353-358 (2016)[PubMed]
  8. Robinson, P. J., Trnka, M. J., Bushnell, D. A. et al.: Structure of a complete Mediator-RNA polymerase II pre-initiation complex. Cell, 166, 1411-1422 (2016)[PubMed]
  9. Sato, S., Tomomori-Sato, C., Tsai, K. L. et al.: Role for the MED21-MED7 hinge in assembly of the Mediator-RNA polymerase II holoenzyme. J. Biol. Chem., 291, 26886-26898 (2016)[PubMed]
  10. Robinson, P. J., Bushnell, D. A., Trnka, M. J. et al.: Structure of the Mediator head module bound to the carboxy-terminal domain of RNA polymerase II. Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 109, 17931-17935 (2012)[PubMed]
  11. Schiano, C., Casamassimi, A., Rienzo, M. et al.: Involvement of Mediator complex in malignancy. Biochim. Biophys. Acta, 1845, 66-83 (2014)[PubMed]

活用したデータベースにかかわるキーワードと統合TVへのリンク

生命科学の教科書における関連するセクションへのリンク

東京大学 大学院総合文化研究科・教養学部附属教養教育高度化機構自然科学教育高度化部門から公開されている生命科学の教科書 “A Comprehensive Approach To LIFE SCIENCE”(羊土社『理系総合のための生命科学 第2版』の英語版)における関連するセクションへのリンクです.

著者プロフィール

野澤 佳世(Nozawa Kayo)
略歴:2012年 東京大学大学院理学系研究科博士課程 修了,同年 ドイツMunich大学 博士研究員を経て,2014年よりドイツMax Planck Institute for Biophysical Chemistry博士研究員.
研究テーマ:真核生物における転写制御機構の構造生物学.
関心事:X線結晶構造解析とクライオ電子顕微鏡解析とを用いたハイブリットなアプローチ.ドイツの化石.

© 2017 野澤 佳世 Licensed under CC 表示 2.1 日本

アミノ酸代謝のリプログラミングによるがんの進行の制御

$
0
0

服部鮎奈・伊藤貴浩
(米国Georgia大学Department of Biochemistry and Molecular Biology)
email:伊藤貴浩
DOI: 10.7875/first.author.2017.054

Cancer progression by reprogrammed BCAA metabolism in myeloid leukaemia.
Ayuna Hattori, Makoto Tsunoda, Takaaki Konuma, Masayuki Kobayashi, Tamas Nagy, John Glushka, Fariba Tayyari, Daniel McSkimming, Natarajan Kannan, Arinobu Tojo, Arthur S. Edison, Takahiro Ito
Nature, 545, 500-504 (2017)

要 約

 Warburg効果をはじめ,がん細胞は正常な細胞とは異なる代謝を示すことが知られている.近年,がん化にともなう遺伝子の変異が細胞の代謝を変えることが示されてきたが,がんの進行における代謝の変化の役割については不明である.筆者らは,分枝鎖アミノ酸を基質とするアミノ基転移酵素BCAT1が,分枝鎖アミノ酸の産生の亢進を介し慢性骨髄性白血病の悪性化に必須であることを見い出した.マウスモデルを用いた解析により,慢性骨髄性白血病の病期の進行にともないBCAT1の発現が上昇すること,BCAT1の機能の阻害により白血病細胞が分化すること,マウスの生存率が改善すること,が明らかにされた.ヒトの慢性骨髄性白血病においても,病期の進行にともないBCAT1の発現は上昇し,また,BCAT1のノックダウンあるいは阻害薬により患者に由来する白血病細胞の増殖は抑制された.さらに,BCAT1の発現を制御するタンパク質としてRNA結合タンパク質MSI2が同定された.MSI2はBCAT1 mRNAと結合してその発現の促進に寄与すると考えられた.以上の結果から,慢性骨髄性白血病の病期の進行がRNA結合タンパク質による転写後の発現制御および分枝鎖アミノ酸の代謝の活性化により制御されることが示された.

はじめに

 われわれのからだを構成するすべての細胞は,栄養飢餓状態やストレスなどの外的および内的な変動に応じて細胞の代謝系を制御することにより細胞の増殖や生存を適切に制御する.同様に,がん細胞も自らに有利になるよう代謝系をリプログラミングすると考えられている1).ATPの産生の効率の低い解糖系を積極的に利用する“Warburg効果”も,がん細胞においてみられる代謝系のリプログラミングのひとつである.このように,がん細胞は代謝系を積極的に変化させることにより,活発な細胞分裂に必要なタンパク質や核酸の産生の材料を大量に供給したり,低酸素状態など周囲の特殊な周囲に適応したりすることが明らかにされた.これらのことから,正常な細胞とがん細胞とで異なる代謝系を見い出すことにより,この違いを標的とする新たながんの治療戦略の開発が期待されている2).一方で,良性腫瘍や前がん状態から,未分化ながん細胞の増加する悪性度の高いがんへと進展するときにも,このような代謝系の変化が起こっているかについては明らかではない.
 筆者らは,慢性骨髄性白血病の病期の進行に着目した.慢性骨髄性白血病は造血幹細胞において染色体の転座によりBCR-ABL1キメラ遺伝子が生じることにより発症する白血病である(図1).病期の初期にあたる慢性期においてはBCR-ABL1により増殖が促進され成熟型の造血細胞が増加するが,未成熟な血液細胞である芽球の割合は低い状態に維持される.イマチニブなどのチロシンキナーゼ阻害薬はBCR-ABL1の分子標的薬であり,慢性骨髄性白血病の治療の成績を大きく改善した.一方,後期にあたる急性転化期においては分化の停止した異常な細胞が増加し,正常な造血がいちじるしく阻害される.イマチニブや移植療法などに対する応答もかんばしくなく難治性である.急性転化期への進行にはp53遺伝子などのがん抑制遺伝子の変異あるいは新たな染色体転座など第2の変異が関与すると考えられるが,それらの変異がどのように慢性期の細胞をリプログラミングし分化の障害をひき起こすのかについては不明な点が多い.

figure1

1.慢性骨髄性白血病の病期の進行にともなう分枝鎖アミノ酸の増加

 代謝系のリプログラミングの慢性骨髄性白血病の病期の進行への寄与について明らかにするため,アミノ酸代謝に注目した.解析にはヒトの慢性骨髄性白血病の病期を再現するマウスモデルを用いた.慢性期のマウスモデル,あるいは,急性転化期のマウスモデルは,単離した正常な造血幹細胞および前駆細胞の画分に,BCR-ABL1を単独にて強制発現,あるいは,BCR-ABL1およびNUP98-HOXA9を強制発現し,その細胞をレシピエントマウスに移植することにより作製した.
 慢性期のマウスモデルおよび急性転化期のマウスモデルにおいて血中のアミノ酸の濃度の変化を調べた.アミノ基に特異的に反応する蛍光試薬を用いてアミノ酸を標識し,高速液体クロマトグラフィにより分離および定量する高感度な分析法によりアミノ酸の濃度を定量した.その結果,病期の初期にあたる慢性期に比べ,急性転化期においてはアラニン,グルタミン酸,および,3種の分枝鎖アミノ酸であるバリン,ロイシン,イソロイシンの濃度が上昇していた.これらのマウスから蛍光セルソーターを用いて白血病細胞を分取し,同様の方法により細胞におけるアミノ酸を定量したところ,3種の分枝鎖アミノ酸すべてとプロリンが有意に高値を示し,アラニンあるいはグルタミン酸の増加はみられなかった.これらの結果から,分枝鎖アミノ酸の細胞への取り込みの亢進あるいは代謝の変化が慢性骨髄性白血病の病期の進行に関与すると考えられた.
 放射性同位体により標識したロイシンを用いて細胞への取り込みについて検討したところ,慢性期のマウスモデルと比べ,急性転化期のマウスモデルには取り込みの亢進はみられなかった.そこで,細胞における濃度の増加は代謝酵素の発現の変動によると考え,アミノ酸代謝に関連する遺伝子の発現について精査したところ,細胞質型の分枝鎖アミノ酸アミノ基転移酵素をコードするBCAT1遺伝子の発現が,mRNAおよびタンパク質のレベルにおいて急性転化期のマウスモデルにて顕著に増加していた.マウスの正常な組織においてBCAT1遺伝子は組織に特異的な発現パターンを示し,とくに正常な造血細胞においてほとんど発現は検出されなかった.また,ミトコンドリア型の分枝鎖アミノ酸アミノ基転移酵素をコードするBCAT2遺伝子や,アラニンアミノ基転移酵素をコードするGPT1遺伝子およびGPT2遺伝子などは病期に特異的な発現を示さなかった.

2.BCAT1は急性転化期の慢性骨髄性白血病において分枝鎖アミノ酸の産生を促進する

 BCAT1は分枝鎖ケト酸とグルタミン酸から分枝鎖アミノ酸とα-ケトグルタル酸を産生あるいは分解する反応を両方向に触媒する酵素で,多くの先行研究において,分枝鎖アミノ酸の分解にはたらくとされている.一方,白血病細胞においてはBCAT1の発現の上昇および分枝鎖アミノ酸の増加がみられた.そこで,分枝鎖アミノ酸の産生のためにBCAT1の基質となる分枝鎖ケト酸が細胞に存在するかどうか調べたところ,血中および白血病細胞において存在が確認された.安定同位体により標識した分枝鎖アミノ酸および分枝鎖ケト酸の代謝における運命をMNR法により追跡した結果,急性転化期の白血病細胞においては分枝鎖アミノ酸の分解はほとんど観察されず,むしろ,BCAT1により分枝鎖アミノ酸の産生が亢進していた.これらの結果から,白血病細胞においてはBCAT1の酵素反応を正常な細胞とは異なる用途に転用する代謝系のリプログラミングが起こることが示された.

3.BCAT1は分化の阻害を介して急性転化期の白血病細胞の維持に寄与する

 BCAT1が白血病細胞の増殖および維持に必要かどうかを調べる目的で,shRNAを用いてBCAT1のノックダウン,および,低分子化合物を用いてBCAT1の酵素活性を阻害した.その結果,BCAT1の機能の阻害により腫瘍形成能の指標のひとつである白血病細胞のコロニー数が有意に減少した.コロニー形成能は細胞の分化により失われるため,この結果から,BCATの機能の阻害により細胞の分化が誘導されることが示唆された.in vivoにおいても,BCAT1をノックダウンした細胞を移植したマウスにおいては,対照と比べ分化型のがん細胞が増加し白血病の発症率が低下した.1次移植により白血病を発症したマウスから細胞を回収して2次移植したところ,対照においてはすべてのマウスが白血病により死亡したのに対し,BCAT1の機能を阻害したマウスは白血病を発症しなかった.これは,対照のマウスにおいては白血病のがん幹細胞が保持されているが,BCAT1の機能を阻害したマウスにおいては未分化性が失われて細胞が分化した結果,がん幹細胞による白血病の発症の活性が消失したためと考えられた.また,BCR-ABL1とともにBCAT1を強制発現すると,未分化型の細胞が増加し急性転化に類似した病態を示した.一方で,正常な造血細胞においてはBCAT1の機能を阻害しても細胞の増殖に大きな影響はみられなかった.以上のことから,BCAT1はがん細胞の分化を阻害し白血病幹細胞の維持に寄与することが明らかにされた.

4.ヒトの骨髄性白血病におけるBCAT1の重要性

 ヒトの白血病においてもBCAT1が病期の進行に重要なのか検討した.日本および米国の慢性骨髄性白血病の患者から得た検体について遺伝子の発現を解析したところ,マウスモデルと同様に,病期の進行にともないほぼすべての症例においてBCAT1遺伝子の発現が上昇していた.また,BCAT1のノックダウンおよび阻害薬により,ヒトの急性転化期の慢性骨髄性白血病に由来する細胞株K562細胞および急性転化期の慢性骨髄性白血病の患者から得た検体においてコロニー形成能が低下した.さらに,急性骨髄性白血病においてもBCAT1遺伝子の発現の上昇が観察された.ヒトの急性骨髄性白血病に由来する3種の細胞株,および,急性骨髄性白血病の患者から得た2つの検体において,BCAT1の阻害薬によりコロニー形成能が低下した.さらに,BCAT1の発現量と予後との相関について解析したところ,急性骨髄性白血病についてBCAT1を高発現する症例は低発現する症例と比べて有意に予後が不良であった.この結果から,BCAT1は2次変異の種類や人種によらず,骨髄性白血病において広範に機能することが示唆された.

5.BCAT1による分枝鎖アミノ酸の産生はmTOR複合体1経路を活性化する

 BCAT1のノックダウンおよび阻害薬により急性転化期の慢性骨髄性白血病に由来するK562細胞のコロニー形成能は低下したが,このとき細胞におけるアミノ酸の濃度を測定したところ分枝鎖アミノ酸が有意に減少しており,さらに,コロニー形成能の低下は培地への分枝鎖アミノ酸の添加により抑圧された.アミノ酸,とくにロイシンは細胞の増殖を促進するmTOR複合体1経路を活性化することが知られている3).そこで,mTOR複合体1の活性化の指標であるS6Kのリン酸化について調べたところ,BCAT1のノックダウンによりリン酸化型のS6Kが減少した.この減少は分枝鎖アミノ酸の添加により回復し,mTORC複合体1の阻害薬であるラパマイシンの添加によりふたたび消失した.以上の結果から,BCAT1による分枝鎖アミノ酸の産生の亢進はmTORC複合体1経路の活性化を介して白血病細胞の増殖に機能することが示唆された.

6.RNA結合タンパク質MSI2は急性転化期の慢性骨髄性白血病においてBCAT1の発現を促進する

 BCAT1の発現の制御機構について明らかにするため,複数種の腫瘍について患者における遺伝子の発現データからBCAT1遺伝子と共発現する遺伝子を解析したところ,候補としてRNA結合タンパク質MSI2をコードする遺伝子が同定された.MSI2はがん細胞における幹細胞シグナルの活性化を介して慢性骨髄性白血病の維持に必要であることが報告されている4)BCAT1 mRNAの3’非翻訳領域には40コピーのMSI2結合コンセンサス配列が存在し,MSI2はそのRNA結合能に依存してBCAT1 mRNAと結合した.MSI2をノックダウンするとBCAT1が減少したことから,MSI2はBCAT1 mRNAと結合しその量を正に制御することが示唆された.さらに,急性転化期の慢性骨髄性白血病に由来するK562細胞のコロニー形成能はMSI2のノックダウンにより低下したが,これはBCAT1遺伝子の過剰発現あるいは分枝鎖アミノ酸の添加により抑圧されたことから,MSI2-BCAT1経路は分枝鎖アミノ酸の産生の亢進およびmTOR複合体1経路の活性化を介し,急性転化期の慢性骨髄性白血病において細胞の増殖を促進することがわかった.

おわりに

 筆者らは,この研究において,分枝鎖アミノ酸アミノ基転移酵素BCAT1が慢性骨髄性白血病において分枝鎖アミノ酸を産生することにより病期の進行に関与することを見い出した(図2).一方で,筋肉組織やグリオーマにおいてBCAT1は分枝鎖アミノ酸の分解を促進することが知られていることから,代謝におけるBCAT1の機能は組織や細胞腫に特異的であることが示された5).この研究は,がんの悪性化に分枝鎖アミノ酸の代謝の変化が直接的に寄与することを明らかにしただけでなく,MSI2-BCAT1経路の活性化による代謝系のリプログラミングを介し白血病の病期の進展を遅延あるいは阻止する新たな治療戦略の開発につながる可能性をも示した.BCAT1の発現の上昇はグリオーマ,大腸がん,乳がんにおいても観察されること,それらのがんにおいてMSI2も高発現することがわかっている.このことから,MSI2-BCAT1経路を標的とした治療は,白血病のみならず広範ながんにおいて有効であることが期待される.

figure2

文 献

  1. Hanahan, D. & Weinberg, R. A.: Hallmarks of cancer: the next generation. Cell, 144, 646-674 (2011)[PubMed]
  2. Vander Heiden, M. G.: Targeting cancer metabolism: a therapeutic window opens. Nat. Rev. Drug. Discov., 10, 671-684 (2011)[PubMed]
  3. Efeyan, A., Comb, W. C. & Sabatini, D. M.: Nutrient-sensing mechanisms and pathways. Nature, 517, 302-310 (2015)[PubMed]
  4. Ito, T., Kwon, H. Y., Zimdahl, B. et al.: Regulation of myeloid leukaemia by the cell-fate determinant Musashi. Nature, 466, 765-768 (2010)[PubMed]
  5. Tonjes, M., Barbus, S., Park, Y. J. et al.: BCAT1 promotes cell proliferation through amino acid catabolism in gliomas carrying wild-type IDH1. Nat. Med., 19, 901-908 (2013)[PubMed]

著者プロフィール

服部 鮎奈(Ayuna Hattori)
略歴:米国Georgia大学Postdoctoral Research Associate.
研究テーマ:造血幹細胞およびがん幹細胞における細胞運命の決定の機構.

伊藤 貴浩(Takahiro Ito)
米国Georgia大学Assistant Professor.
研究室URL:http://www.bmb.uga.edu/labs/ito

© 2017 服部鮎奈・伊藤貴浩 Licensed under CC 表示 2.1 日本

ジストロフィン-糖タンパク複合体は転写共役因子Yapを細胞膜にとどめることにより心筋細胞の増殖を阻害する

$
0
0

森川雪香・James F. Martin
(米国Texas Heart Institute,Cardiomyocyte Renewal Laboratory)
email:森川雪香
DOI: 10.7875/first.author.2017.062

Dystrophin-glycoprotein complex sequesters Yap to inhibit cardiomyocyte proliferation.
Yuka Morikawa, Todd Heallen, John Leach, Yang Xiao, James F. Martin
Nature, DOI: 10.1038/nature22979

要 約

 哺乳類の成体の心臓においては心筋細胞がほとんど増殖しないため,心臓の再生はほとんどみられない.心筋細胞は胎仔および新生仔期においては活発に増殖するが,出生ののちただちに細胞周期をはずれ,それ以降の心臓の増大は心筋細胞の肥大による.Hippo経路は進化的に保存されたシグナル伝達系であり,心筋細胞の増殖を抑制することにより,胎仔期においては心臓の大きさを制御し,成体においては心筋細胞の再生を抑制する.筆者らは,この研究において,成体のマウスにおいて心筋細胞の増殖が抑制される機構のひとつとして,ジストロフィン-糖タンパク質複合体の構成成分であるジストログリカンとHippo経路の転写共役因子Yapとが結合することを明らかにした.ジストロフィン-糖タンパク質複合体は細胞骨格と細胞外マトリックスとをつなぐ巨大な複合体であり,心筋細胞のホメオスタシスに必須である.また,ジストロフィンの欠損はヒトにおける筋ジストロフィーの原因として知られている.ジストログリカンとYapの結合はHippo経路によるYapのリン酸化により強化されたことから,Hippo経路とジストロフィン-糖タンパク質複合体とは密接な関係のあることが明らかにされた.Hippo経路を阻害しジストロフィン-糖タンパク質複合体を欠失させたマウスにおいては,心臓に傷害をうけたのちに心筋細胞の過剰な増殖がひき起こされた.これは,Hippo経路のみ阻害されたマウスの心臓において,傷害ののち心臓のもとの大きさへの再生が促進されたこととは対照的であった.また,Hippo経路の阻害は筋ジストロフィーのモデル動物であるmdxマウスにおいて心不全を保護する作用のあることがわかった.

はじめに

 哺乳類の心臓は,胎仔および新生仔期には再生するが,成体になるとほとんど再生しない.その一因として,哺乳類の成体において心筋細胞はほとんど増殖しないことがあげられる.ヒトの成体における心筋細胞の増殖速度は年間1%未満であり,50歳のヒトにおいておよそ半分の心筋細胞は出生のときのものと試算されている1,2).一方,新生仔期においては心臓の再生は既存の心筋細胞が増殖することにより促進される3).また,ヒトの新生児の心臓においても同様の再生能が示唆されている4)
 筆者らの研究グループにおいては,成体のマウスにおいて心筋細胞の増殖および心臓の再生が抑制される機構を解明し,新生仔期の心臓のもつ再生能をふたたび活性化するというアプローチにより,ヒトを含む哺乳類における心臓の再生の促進をめざしている.以前の研究において,成体のマウスの心筋細胞において組織に特異的にHippo経路を阻害すると,心筋梗塞ののち心臓の再生が促進されることが示された5)図1).このとき,新たな心筋細胞は,新生仔期と同様に,すでに分化した既存の心筋細胞が増殖することにより生じていた.

figure1

 進化的に保存されたシグナル伝達系であるHippo経路は,胎仔期の心筋細胞においてはその増殖を抑制することにより心臓の大きさを制御する6).Hippo経路が活性化されると転写共役因子Yapがリン酸化され細胞質に局在することにより活性が抑制される.一方,Hippo経路が不活性化されるとYapは核へと移行し,TEADなどの転写因子とともに標的となる遺伝子の発現を促進する.Yapの強制発現は,Hippo経路の阻害と同様に,非再生期における心筋梗塞ののちの心臓の再生を促進する7).これまでの研究により,Yapが心筋細胞において細胞周期の進行を制御する遺伝子,アクチンの重合を促進する遺伝子,細胞骨格と細胞外マトリックスとの連結に関与する遺伝子などを制御することが明らかにされた8).また,筋細胞に特異的なジストロフィン-糖タンパク質複合体の構成成分をコードする遺伝子はYapの標的であり,また,ジストロフィン-糖タンパク質複合体は新生仔期における心臓の再生に必須であることが示された8).これらの研究から,Hippo経路とジストロフィン-糖タンパク質複合体とは密接な関係があると考えた.

1.Hippo経路を阻害しジストロフィン-糖タンパク質複合体を欠失したマウスは心筋細胞の過剰な増殖をひき起こす

 ジストロフィン-糖タンパク質複合体とHippo経路との関係について調べるため,2つの遺伝子をダブルノックアウトしたマウスを作製した.Hippo経路の阻害されたマウスとしてはHippoキナーゼのアダプタータンパク質であるSalvのコンディショナルノックアウトマウスを用いた.ジストロフィン-糖タンパク質複合体を欠失したマウスとしては筋ジストロフィーのモデル動物であるmdxマウスを用いた.mdxマウスはジストロフィンを欠損するためジストロフィン-糖タンパク質複合体の集合が起こらない.これらのマウスにおける心筋細胞の再生能について調べるため,非再生期である生後8日目において心臓を損傷したところ,このダブルノックアウトマウスにおいては心筋細胞の過剰な増殖がみられ,心臓の先端にコブのような心筋細胞のかたまりが生じた.これは,Hippo経路のみ阻害されたマウスの心臓において,傷害ののちに心臓のもとの大きさへの再生が促進されたこととは対照的であった.このダブルノックアウトマウスにおいては損傷の付近の心筋細胞においてYapの核への移行が観察され,Yapの標的となるタンパク質の発現が上昇していた.よって,ジストロフィン-糖タンパク質複合体がなんらかのかたちでYapの核への移行を抑制することが明らかにされた.

2.ジストロフィン-糖タンパク複合体はYapと結合する

 ジストロフィン-糖タンパク質複合体とYapはタンパク質のレベルで直接に相互作用していると考えた.共免疫沈降法によりYapおよびジストロフィン-糖タンパク質複合体の構成成分のひとつであるジストログリカンと結合するタンパク質について解析したところ,野生型のマウスの心臓から抽出した試料においてYapとジストログリカンは共沈したため,両者は結合することが明らかにされた.mdxマウスにおいてはYapとジストログリカンとの相互作用はみられなかった.Yapとジストロフィン-糖タンパク質複合体とが相互作用したことからYapは細胞膜に局在すると示唆されたが,実際に,生化学的な手法および顕微鏡による観察によりYapの細胞膜への局在が確認された.
 Yapとジストロフィン-糖タンパク質複合体との結合にはHippoキナーゼによるYapのリン酸化が必須であり,Hippo経路とジストロフィン-糖タンパク質複合体との密接な関係が明らかにされた.さらに,以前の研究において,Yapはαカテニンとの結合を介して心筋細胞どうしを連結させる介在板に局在することが明らかにされていたが9),Yapとαカテニンとの結合はYapのリン酸化およびジストロフィンの欠損には影響されなかった.

3.筋ジストロフィーのモデル動物においてHippo経路の阻害は心不全を軽減する

 筋ジストロフィーは骨格筋の疾患として知られているが,進行とともに心機能の障害もひき起こされ,心不全が死因となることも少なくない.Hippo経路の阻害が筋ジストロフィーのモデル動物において心不全を軽減するかどうか検討した.mdxマウスにおいて心不全の症状が現われるのに生後15カ月もしくはそれ以上の期間が必要であるため,生後9週のマウスにおいて横行大動脈の縮窄による心臓圧負荷モデルを適用した.
 mdxマウスにおいて横行大動脈の縮窄ののち2週間で心筋細胞の壊死,線維化,心機能の低下が起こったが,それにくわえてHippo経路が阻害されたダブルノックアウトマウスにおいては線維化が減少しており,心機能の低下もみられなかった.このとき,このダブルノックアウトマウスの心筋細胞において細胞の増殖およびアポトーシスの減少の両方がみられた.さらに,Hippo経路の阻害を用いた遺伝子治療の可能性について検討するため,アデノ随伴ウイルスベクターを用いてHippo経路の構成タンパク質をノックダウンしたところ,ノックアウトと同様に,mdxマウスにおいて心臓の線維化および心機能の低下が軽減された.

おわりに

 心臓の再生医療といえば,心筋梗塞などにより壊死した心筋細胞を新たな細胞に置き換えるためのアプローチとして,ES細胞やiPS細胞から分化させた心筋細胞を移植する細胞治療や,線維芽細胞を直接的に心筋細胞へと転換させるダイレクトリプログラミング法などがある.筆者らは,それらとは異なるアプローチとして,心筋細胞においてYapを活性化することにより心臓の再生を促進する方法をとっている.しかし,Yapはほかの臓器においてはがん遺伝子産物として知られており,その活性化はがんをひき起こす可能性が高いため,医療への応用のためには心筋細胞に特異的な経路の発見が必須であった.今回,筋細胞に特異的に発現するジストロフィン-糖タンパク質複合体がYapと結合し,Yapを細胞膜にとどめることにより核への移行が抑制されることが明らかにされた.よって,このジストロフィン-糖タンパク質複合体とYapとの結合を制御することにより心筋細胞のみでYapを活性化できることが期待され,将来的に医療への応用が可能であると考えている.
 この論文と同時に同じNature誌に発表されたイスラエルの研究グループによる論文においては10),マウスの新生仔の細胞外マトリックスに注目し,新生仔期における心臓の再生に必須の物質としてアグリンが同定された.また,成体にアグリンを投与することにより心筋梗塞ののち心臓の再生が促進された.アグリンが心臓の再生を促進する機構のひとつとして,ジストロフィン-糖タンパク質複合体の構成成分にアグリンが作用してその集合を不完全にし,Yapの核への移行を促進することが見い出された.筆者らの研究グループは,Hippo経路およびジストロフィン-糖タンパク質複合体に注目することによりYapがジストロフィン-糖タンパク質複合体と作用することを示したが,細胞外マトリックスに注目することによりYapとジストロフィン-糖タンパク質複合体との相互作用が示されたことは10),結果的に相互の研究を補い合うことになった(図2).このように,心筋細胞にいくつものYapの抑制機構のあることが心筋細胞の増殖が強く抑制される一因と考えている.

figure2

文 献

  1. Bergmann, O., Bhardwaj, R. D., Bernard, S. et al.: Evidence for cardiomyocyte renewal in humans. Science, 324, 98-102 (2009)[PubMed]
  2. Bergmann, O., Zdunek, S., Felker, A. et al.: Dynamics of cell generation and turnover in the human heart. Cell, 161, 1566-1575 (2015)[PubMed]
  3. Porrello, E. R., Mahmoud, A. I., Simpson, E. et al.: Transient regenerative potential of the neonatal mouse heart. Science, 331, 1078-1080 (2011)[PubMed]
  4. Haubner, B. J., Schneider, J., Schweigmann, U. et al.: Functional recovery of a human neonatal heart after severe myocardial infarction. Circ. Res., 118, 216-221 (2016)[PubMed]
  5. Heallen, T., Morikawa, Y., Leach, J. et al.: Hippo signaling impedes adult heart regeneration. Development, 23, 4683-4690 (2013)[PubMed]
  6. Heallen, T,, Zhang, M., Wang, J. et al.: Hippo pathway inhibits Wnt signaling to restrain cardiomyocyte proliferation and heart size. Science, 332, 458-461 (2011)[PubMed]
  7. Xin, M., Kim, Y., Sutherland, L. B. et al.: Hippo pathway effector Yap promotes cardiac regeneration. Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 110, 13839-13844 (2013)[PubMed]
  8. Morikawa, Y., Zhang, M., Heallen, T. et al.: Actin cytoskeletal remodeling with protrusion formation is essential for heart regeneration in Hippo-deficient mice. Sci. Signal., 8, ra41 (2015)[PubMed]
  9. Li, J., Gao, E., Vite, A. et al.: Alpha-catenins control cardiomyocyte proliferation by regulating Yap activity. Circ. Res., 116, 70-79 (2015)[PubMed]
  10. Bassat, E., Mutlak, Y. E., Genzelinakh, A. et al.: The extracellular matrix protein Agrin promotes heart regeneration in mice. Nature, DOI: 10.1038/nature22978[PubMed]

活用したデータベースにかかわるキーワードと統合TVへのリンク

生命科学の教科書における関連するセクションへのリンク

東京大学 大学院総合文化研究科・教養学部附属教養教育高度化機構自然科学教育高度化部門から公開されている生命科学の教科書 “A Comprehensive Approach To LIFE SCIENCE”(羊土社『理系総合のための生命科学 第2版』の英語版)における関連するセクションへのリンクです.

著者プロフィール

森川 雪香(Yuka Morikawa)
略歴:2001年 奈良先端科学技術大学院大学バイオサイエンス研究科 修了,同年 米国Louisiana州立大学 博士研究員,2004年 米国Tulane大学 博士研究員,2008年 同 リサーチアシスタントプロフェッサーを経て,2011年より米国Texas Heart Instituteリサーチ・サイエンティスト.

James F. Martin
米国Baylor College of MedicineにてProfessor.

© 2017 森川雪香・James F. Martin Licensed under CC 表示 2.1 日本

ヒストンのメチル化により制御されるゲノムインプリンティングの発見

$
0
0

井上 梓・Yi Zhang
(米国Boston Children’s Hospital,Program in Cellular and Molecular Medicine)
email:井上 梓
DOI: 10.7875/first.author.2017.076

Maternal H3K27me3 controls DNA methylation-independent imprinting.
Azusa Inoue, Lan Jiang, Falong Lu, Tsukasa Suzuki, Yi Zhang
Nature, 547, 419-424 (2017)

要 約

 精子と卵のエピゲノムは大きく異なるが,受精ののちの初期発生をつうじてゲノムワイドにリプログラミングされ,父性アレルと母性アレルのエピゲノムはほぼ同一になる.しかし,ゲノムインプリンティングをうけるインプリント遺伝子はリプログラミングをまぬがれ,配偶子に由来するエピゲノムの情報を次世代まで維持する.しかし,特定の領域が受精ののちのリプログラミングをどのようにまぬがれるかについてはよくわかっていない.今回,筆者らは,マウスの受精卵および桑実胚において父性アレルおよび母性アレルに特異的なDNase I高感受性部位を同定し,アレルに対する特異性がどのように制御されるのかを調べた.アレルに特異的なDNase I高感受性部位におけるDNAのメチル化およびヒストンのメチル化について調べたところ,父性アレルに特異的なDNase I高感受性部位,すなわち,母性アレルにて閉じたクロマチン構造をとる領域の多くにおいて,母性アレルに特異的にヒストンH3のLys27のメチル化が認められた.さらに,母性アレルにヒストンH3のLys27のメチル化をもつ遺伝子は,着床のまえの胚において父性アレルに特異的な片アレル性の発現を示した.受精の直後に母性アレルのヒストンH3のLys27のメチル化を一過的に消去したところ,それらの遺伝子の母性アレルはDNase I高感受性となり両アレル性の発現を示した.ヒストンH3のLys27のメチル化に依存して片アレル性の発現を示す遺伝子は,DNAのメチル化に非依存的と報告されていた常染色体のすべてのインプリント遺伝子を含んでいた.それらを含む少なくとも5つの遺伝子は,着床ののちの胚体外の組織においても父性アレルに特異的な発現を維持していた.この研究により,母性アレルに特異的なヒストンH3のLys27のメチル化は,DNAのメチル化を必要としないゲノムインプリンティングを制御することが明らかにされた.

はじめに

 哺乳類の精子と卵は互いに大きく異なるエピゲノムをもつため,受精の直後の胚においてもアレルのあいだにエピゲノムの非対称性が存在する1).このエピゲノムの非対称性は着床のまえの発生をつうじ徐々に失われるが,ゲノムインプリンティングをうけるインプリント遺伝子は配偶子のエピゲノムの情報を次世代にひき継ぎ,胚においても父性アレルと母性アレルとのあいだで異なるエピゲノムを維持する2).しかし,これらの領域がリプログラミングをまぬがれる機構に関しては不明な点が多い.また,このようなエピゲノムの非対称性が着床の前後の胚における遺伝子の発現の制御にどのように寄与するのかも不明である.
 最近,筆者らは,100個程度の少ない細胞に対し用いることのできる微量DNase Iシークエンス法を確立し,マウスの着床のまえの胚において開いたクロマチン構造をとるDNase I高感受性部位を同定した3)新着論文レビュー でも掲載).亜系統のあいだに存在する1塩基多型を解析して父性アレルと母性アレルとのあいだで異なるDNase I高感受性部位を探索したところ,いくつかのインプリント遺伝子について,その発現が開始するまえからアレルに特異的なDNase I高感受性をもつことがわかった3).このことから,アレルに特異的なDNase I高感受性部位を網羅的に同定することにより未知のインプリント遺伝子を同定できる可能性が考えられた.しかし,そのためにはアレルに特異的なDNase I高感受性部位を高い解像度をもって同定する必要があり,父性アレルと母性アレルとの識別を1塩基多型に依存するかぎりはほとんど不可能であった.この研究においては,父性ゲノムのみをもつ雄性の単為発生胚と母性ゲノムのみをもつ雌性の単為発生胚を作出し,これらを微量DNase Iシークエンス法により解析した.

1.受精卵におけるアレルに特異的なDNase I高感受性部位の同定

 リプログラミングの初期にあたる1細胞期の受精卵におけるアレルに特異的なDNase I高感受性部位を同定するため,約200個の受精卵から雄性前核と雌性前核を単離し微量DNase Iシークエンス法を実施した結果,3462箇所の両アレル性のDNase I高感受性部位,687箇所の父性アレルに特異的なDNase I高感受性部位,169箇所の母性アレルに特異的なDNase I高感受性部位が同定された.受精卵におけるアレルに特異的なDNase I高感受性が,2細胞期における片アレル性の胚性遺伝子の発現と相関するかどうか調べるため,2細胞期の雄性および雌性の単為発生胚を作出しRNAシークエンス解析を実施した結果,アレルのあいだの発現量の差が10倍以上あるものとして,107個の父性発現遺伝子および14個の母性発現遺伝子が同定された.それらの遺伝子のプロモーターにおけるDNase I高感受性のアレルに対する特異性について調べたところ,父性発現遺伝子については59%,母性発現遺伝子については79%が発現するアレルにかたよったDNase I高感受性を示した.このことから,2細胞期において片アレル性の発現を示す遺伝子には,それらの遺伝子が発現していない受精卵において,すでにアレルに特異的なDNase I高感受性が存在する,すなわち,プライム状態にあることが示唆された.

2.受精卵におけるアレルに特異的なDNase I高感受性の制御の機構

 受精卵においては2つの前核が同一の細胞質に存在するため,クロマチンに対しトランスにはたらく転写因子などは両方の前核に共通して存在すると推察される.にもかかわらず,DNase I高感受性部位には違いがあったことから,DNase Iに対し感受性の低いアレルにおいてはエピジェネティックな機構によりクロマチンが積極的に閉じた構造をとることが示唆された.そこで,父性アレルに特異的なDNase I高感受性部位に着目し,それらの部位の母性アレルをヘテロクロマチン化させる機構について探った.
 ヘテロクロマチンの主要なマーカーであるDNAのメチル化が卵子に特異的に存在し,母性アレルのクロマチンが閉じた構造をとっている可能性について検証した.しかし,精子および卵におけるDNAのメチロームの情報4) を解析したところ,卵に特異的なDNAのメチル化は,父性アレルに特異的なDNase I高感受性部位の全体のわずか17%にしか認められなかった.このことから,DNAのメチル化に非依存的に母性アレルだけをヘテロクロマチン化させる機構のあることが示唆された.
 DNAのメチル化の低い領域をヘテロクロマチン化する機構としてヒストンH3のLys27のメチル化がある5).このヒストン修飾の関与について検証するために,配偶子および受精卵における既存のクロマチン免疫沈降シークエンス法のデータを解析した6).その結果,DNAのメチル化の低い領域にある父性アレルに特異的なDNase I高感受性部位には,卵に特異的なヒストンH3のLys27のメチル化が豊富に認められ,受精ののちにも母性アレルに特異的に維持されていた.
 このヒストン修飾が母性アレルに特異的なヘテロクロマチン化に寄与するかどうかを検証するため,ヒストンH3のLys27のメチル化に特異的な脱メチル化酵素であるKdm6bをコードするmRNAを受精の直後の卵にマイクロインジェクションすることにより,このヒストン修飾を一過的に消去した.さらに,ヘテロクロマチンの形成にかかわるもうひとつの主要なヒストン修飾であるヒストンH3のLys9のメチル化に特異的な脱メチル化酵素であるKdm4dを発現させた受精卵も作製した.これらの受精卵から雄性前核および雌性前核を単離して微量DNase Iシークエンス法を実施した結果,Kdm6bの酵素活性に依存して18%,また,Kdm4dの酵素活性に依存して35%の父性アレルに特異的なDNase I高感受性部位が両アレル性のDNase I高感受性部位に変化した(図1).Kdm6bにより両アレル性に変化した領域は卵においてDNAのメチル化の低い領域と重なっていた一方,Kdm4dにより両アレル性に変化したDNase I高感受性部位は卵においてDNAのメチル化の高い領域と重なっていた(図1).これらのことから,受精卵において,母性アレルに特異的なヒストンH3のLys9のメチル化がDNAのメチル化の高い領域を,ヒストンH3のLys27のメチル化がDNAのメチル化の低い領域を,それぞれヘテロクロマチン化することが示唆された.

figure1

3.桑実胚におけるアレルに特異的なDNase I高感受性部位の同定

 受精ののちのリプログラミングの後期にあたる桑実胚においてアレルに特異的なDNase I高感受性部位がどのくらい残存しているのかを調べるため,雄性および雌性の単為発生胚を作出し微量DNase Iシークエンス法を実施した結果,36,569箇所の両アレル性のDNase I高感受性部位,247箇所の父性アレルに特異的なDNase I高感受性部位,176箇所の母性アレルに特異的なDNase I高感受性部位が同定された.雌雄のエピゲノムは発生の過程において均質化されるという考えと一致して,アレルに特異的なDNase I高感受性部位の割合は受精卵と比較して非常に低かった.しかしながら,リプログラミングをまぬがれる既知のインプリント遺伝子の制御領域のほぼすべてがアレルに特異的なDNase I高感受性を示したことから,桑実胚におけるアレルに特異的なDNase I高感受性部位には未知のインプリント遺伝子の含まれる可能性が考えられた.
 桑実胚における父性アレルに特異的なDNase I高感受性が,DNAのメチル化あるいはヒストンH3のLys27のメチル化とどのくらい相関するのか調べるため,DNAのメチロームの情報4) および既存のクロマチン免疫沈降シークエンス法のデータ6) を解析した.その結果,父性アレルに特異的なDNase I高感受性部位の74%はDNAのメチル化の低い領域に存在し,その多くが着床のまえの発生をつうじ母性アレルに特異的なヒストンH3のLys27のメチル化をもっていた.このように,父性アレルはDNase I高感受性を示す一方,母性アレルはヒストンH3のLys27のメチル化により閉じたクロマチン構造をとる76個の遺伝子が同定され,インプリント遺伝子の候補とした.
 これらのインプリント遺伝子の候補が片アレル性の発現を示すか検証するため,雄性および雌性の単為発生胚の桑実胚を用いてRNAシークエンス解析を実施した結果,76個の遺伝子のうち28個が桑実胚において発現しており,そのうち27個は雄性の単為発生胚に特異的に発現することがわかった.つづいて,正常な受精胚においても片アレル性の発現を示すかどうか検証するため,亜系統のあいだの配偶子を受精させて作出した桑実胚の既存のRNAシークエンス法のデータ7) を解析した結果,さきの28個の遺伝子のうち,1塩基多型をもつ13個の遺伝子すべてが父性アレルに特異的な発現を示した.これら28個の遺伝子は,DNAのメチル化に非依存的として報告されていた4個のインプリント遺伝子すべてを含んでいた8-10).この4個を含むインプリント遺伝子の候補は,卵においてその遺伝子領域の全体がドメイン状のヒストンH3のLys27のメチル化におおわれており,これは着床のまえの発生をつうじ維持されていた.このような特徴はDNAのメチル化により制御されるインプリント遺伝子にはみられなかった.

4.ヒストンH3のLys27のメチル化によるゲノムインプリンティング

 ヒストンH3のLys27のメチル化がインプリント遺伝子の候補における母性アレルの抑制に必要かどうかを調べるため,Kdm6bを1細胞期の雌性の単為発生胚に発現させてヒストンH3のLys27のメチル化を一過的に消去したのち,桑実胚まで発生させてRNAシークエンス解析を実施した結果,桑実胚において発現する28個の遺伝子のうち,さきに述べた4個のインプリント遺伝子を含む16個の遺伝子においてKdm6bの活性に依存した母性アレルからの有意な発現が認められた.亜系統のあいだの配偶子を用いて作出した受精卵にKdm6bを発現させて桑実胚においてRNAシークエンス解析を実施したところ,1塩基多型をもつ17個のインプリント遺伝子の候補のうち16個がKdm6bの活性に依存して父性アレル性の発現から両アレル性の発現へと変化した(図2).

figure2

 母性アレルの脱抑制がDNase I高感受性の獲得をともなうかどうか検証するため,Kdm6bを一過的に発現させた桑実胚期の雌性の単為発生胚において微量DNase Iシークエンス法を実施した結果,さきに述べた4個のインプリント遺伝子を含む多くのインプリント遺伝子の候補がKdm6bの活性に依存してDNase I高感受性を獲得することがわかった(図2).その一方で,DNAのメチル化により制御されるインプリント遺伝子は,Kdm6bの発現により遺伝子の発現およびDNase I高感受性ともに変化は認められなかった(図2).これらのことから,卵から伝達されるヒストンH3のLys27のメチル化は,さきのインプリント遺伝子の候補において母性アレルをヘテロクロマチン化することにより父性アレル性の発現を可能にすることが示された.これまでにも,DNAのメチル化により制御される通常のインプリント遺伝子にヒストンH3のLys27のメチル化の存在することは報告されていたが10),これは,アレルに特異的なDNAのメチル化が引き金になる下流のイベントとして発生の過程において獲得されるものであった.今回の結果から,これまでひとくくりにされていたインプリント遺伝子が,DNAのメチル化,および,ヒストンH3のLys27のメチル化という2つの異なる機構により制御されることが示唆された.

5.胚盤胞期における細胞系列に依存的な片アレル性の遺伝子発現のダイナミクス

 DNAのメチル化に非依存的なインプリント遺伝子であるGab1遺伝子,Sfmbt2遺伝子Phf17遺伝子は,胎盤においてのみ父性アレルに特異的な発現を示すことが示唆されていた11).そこで,ヒストンH3のLys27のメチル化に依存的なインプリント遺伝子の候補について,胚盤胞期の内部細胞塊および栄養外胚葉において片アレル性の発現に違いがみられるかどうか検証した.雄性および雌性の単為発生胚から内部細胞塊および栄養外胚葉を単離してRNAシークエンス解析を実施したところ,内部細胞塊において発現していた24個のインプリント遺伝子の候補のうち16個,栄養外胚葉において発現していた23個のインプリント遺伝子の候補のうちのうち18個が父性アレル性の発現を示した.この18個の遺伝子のうち半数は,内部細胞塊において母性アレルからの発現も上昇しており,父性アレル性の発現へのかたよりが低下していた.このことから,ヒストンH3のLys27のメチル化によるゲノムインプリンティングの制御は,栄養外胚葉においては維持される一方,内部細胞塊においては失われはじめることが示唆された.

6.着床ののちの細胞系列に依存的な片アレル性の遺伝子発現のダイナミクス

 ヒストンH3のLys27のメチル化に依存的なインプリント遺伝子の候補が着床ののちに片アレル性の発現を維持するかどうか調べるため,亜系統のあいだの配偶子を受精させて作出した6.5日胚から,エピブラスト,臓側内胚葉,胚体外外胚葉を単離してRNAシークエンス解析を実施した結果,76個の遺伝子のうち,エピブラストにおいて25個,臓側内胚葉において23個,胚体外外胚葉において18個の遺伝子について1塩基多型の解析が可能であり,そのうち,エピブラストにおいてSlc38a4遺伝子,臓側内胚葉においてGab1遺伝子,Phf17遺伝子,Sfmbt2遺伝子,胚体外外胚葉においてGab1遺伝子,Phf17遺伝子,Sfmbt2遺伝子,Slc38a4遺伝子,Smoc1遺伝子が父性アレル性の発現を示した.9.5日胚の胎盤の細胞を用いてRNAシークエンス解析を実施したところ,76個の遺伝子のうち27個について1塩基多型の解析が可能であり,Gab1遺伝子,Sfmbt2遺伝子,Slc38a4遺伝子,Smoc1遺伝子が父性アレル性の発現を示した.これらのことから,着床のまえの胚においてヒストンH3のLys27のメチル化に依存して片アレル性の発現を示すインプリント遺伝子の候補は,将来的に胚になる細胞系列においては両アレル性の発現を示す一方,いくつかは将来的に胚体外の組織になる細胞系列においては片アレル性の発現を維持することが明らかにされた(図3).

figure3

おわりに

 哺乳類におけるゲノムインプリンティングの研究は,1984年,マウスの単為発生胚が発生を停止するという報告からはじまった12).それ以降,この分野は,エピジェネティックな修飾,非コードRNA,クロマチン構造の変化による転写の制御など,生命科学における数多の重要な発見に貢献してきた2).しかし,2000年代初頭までにはゲノムインプリンティングの概要は理解され,この分野の先導者たちは幹細胞やリプログラミングといった広義の意味でのエピジェネティクスの分野に展開していった.その結果,ゲノムインプリンティングそれ自体の研究者は顕著に減少するというドーナツ化現象が起こった.残るは各論的な疑問のみと考えられていたゲノムインプリンティングの分野であるが,じつは,知る人ぞ知るビッグクエスチョンがかくされていた.それこそが,DNAのメチル化に非依存的なインプリント遺伝子である.数こそ少ないものの,生殖細胞においてDNAのメチル化を消去しても片アレル性に発現する遺伝子が存在したのである8-10).はたして,そのゲノムインプリンティングの機構は何であろうか.かくして,この研究ははじまったのである.
 といえば聞こえはいいのだが,この発見,研究の開始の時点ではまったくねらっていなかった.この研究の発端は,なぜ受精卵の雌雄の前核においてDNase I高感受性部位が異なるのか,という好奇心であった.われながら少々マニアックな疑問だとは思っていたが,ほかの研究材料にはない利点があるときは大なり小なり何かしらの発見があると信じていた.すなわち,ひとつの細胞にエピジェネティックな修飾の異なる2つの核をもち,その修飾を実験的に消去することのできる系は受精卵に特異であるのだ.発見の大小はあとから付随してくるものであるが,今回はたまたま幸運であった.
 この研究は新しいゲノムインプリンティングの機構の大枠を明らかにしたにすぎず,多くの重要な疑問が残っている.アレルに特異的なヒストンH3のLys27のメチル化を維持する遺伝子と維持しない遺伝子との違いはなにか.どのように細胞系列に依存的にかつ一部の遺伝子のみが片アレル性の発現を維持するのか.そして,このゲノムインプリンティングの機構は進化的にどこまで保存されているのか.とくに,DNAのメチル化をもたないショウジョウバエや線虫などにおいてもヒストンH3のLys27のメチル化は配偶子から次世代へと伝達されることが知られており13,14),同様のゲノムインプリンティングの機構が存在するのかもしれない.また,配偶子からひき継がれて次世代において転写の制御にはたらく第2の修飾として,哺乳類におけるエピジェネティクス遺伝学の分野にブレークスルーをもたらす可能性がある.DNAからヒストンへとモデルチェンジしてふたたび檜舞台にたったゲノムインプリンティングの分野が,今後,どう展開していくのか,目が離せない.

文 献

  1. Burton, A. & Torres-Padilla, M.: Chromatin dynamics in the regulation of cell fate allocation during early embryogenesis. Nat. Rev. Mol. Cell Biol., 15, 723-735 (2014)[PubMed]
  2. Ferguson-Smith, A. C.: Genomic imprinting: the emergence of an epigenetic paradigm. Nat. Rev. Genet., 12, 565-575 (2011)[PubMed]
  3. Lu, F., Liu, Y., Inou,e A. et al.: Establishing chromatin regulatory landscape during mouse preimplantation development. Cell, 165, 1375-1388 (2016)[PubMed] [新着論文レビュー]
  4. Kobayashi, H., Sakurai, T., Imai, M. et al.: Contribution of intragenic DNA methylation in mouse gametic DNA methylomes to establish oocyte-specific heritable marks. PLoS Genet., 8, e1002440 (2012)[PubMed]
  5. Deaton, A. M. & Bird, A.: CpG islands and the regulation of transcription. Genes Dev., 25, 1010-1022 (2011)[PubMed]
  6. Zheng, H., Huang, B., Zhang, B. et al.: Resetting epigenetic memory by reprogramming of histone modifications in mammals. Mol. Cell, 63, 1066-1079 (2016)[PubMed]
  7. Borensztein, M., Syx, L., Ancelin, K. et al.: Xist-dependent imprinted X inactivation and the early developmental consequences of its failure. Nat. Struct. Mol. Biol., 24, 226-233 (2017)[PubMed]
  8. Okae, H., Hiura, H., Nishida, Y. et al.: Re-investigation and RNA sequencing-based identification of genes with placenta-specific imprinted expression. Hum. Mol. Genet., 21, 548-558 (2012)[PubMed]
  9. Okae, H., Matoba, S., Nagashima, T. et al.: RNA sequencing-based identification of aberrant imprinting in cloned mice. Hum. Mol. Genet., 23, 992-1001 (2014)[PubMed]
  10. Varmuza, S. & Miri, K.: What does genetics tell us about imprinting and the placenta connection? Cell. Mol. Life Sci., 72, 51-72 (2015)[PubMed]
  11. Babak, T., DeVeale, B., Tsang, E. K. et al.: Genetic conflict reflected in tissue-specific maps of genomic imprinting in human and mouse. Nat. Genet., 47, 544-549 (2015)[PubMed]
  12. Surani, M. A., Barton, S. C. & Norris, M. L.: Development of reconstituted mouse eggs suggests imprinting of the genome during gametogenesis. Nature, 308, 548-550 (1984)[PubMed]
  13. Gaydos, L. J., Wang, W. & Strome, S.: H3K27me and PRC2 transmit a memory of repression across generations and during development. Science, 345, 1515-1518 (2014)[PubMed]
  14. Zenk, F., Loeser, E., Schiavo, R. et al.: Germ line-inherited H3K27me3 restricts enhancer function during maternal-to-zygotic transition. Science, 357, 212-216 (2017)[PubMed]

著者プロフィール

井上 梓(Inoue Azusa)
略歴:2011年 東京大学大学院新領域創成科学研究科 修了.同年 米国North Carolina大学Chapel Hill校 研究員,2012年 米国Harvard Medical School研究員を経て,2015年よりHoward Hughes Medical Instituteリサーチスペシャリスト.
研究テーマ:ヒストンのメチル化によるゲノムインプリンティング.
好物:ラボと子供と受精卵.

Yi Zhang
米国Harvard Medical School教授.
研究室URL:http://zhanglab.tch.harvard.edu/

© 2017 井上 梓・Yi Zhang Licensed under CC 表示 2.1 日本

配偶子に由来するDNAメチル化を維持した高品質なES細胞の樹立

$
0
0

八木正樹・山本拓也・山田泰広
(京都大学iPS細胞研究所 未来生命科学開拓部門)
email:八木正樹
DOI: 10.7875/first.author.2017.079

Derivation of ground-state female ES cells maintaining gamete-derived DNA methylation.
Masaki Yagi, Satoshi Kishigami, Akito Tanaka, Katsunori Semi, Eiji Mizutani, Sayaka Wakayama, Teruhiko Wakayama, Takuya Yamamoto, Yasuhiro Yamada
Nature, 548, 224-227 (2017)

要 約

 着床前胚の内部細胞塊から樹立されるES細胞は無限の増殖能および多分化能をもつことから,基礎医学の研究だけでなく再生医療への応用も期待されている.従来,マウスのES細胞の樹立および維持には血清およびLIFを含むS/L培地が用いられてきたが,近年,2種類の阻害化合物およびLIFを含む2i/L培地を用いることにより,血清なしでES細胞を効率よく樹立および維持することが可能になった.また,2i/L培地にて培養するとES細胞における遺伝子の発現パターンやDNAメチル化のレベルが内部細胞塊により類似することから,現在,汎用的に用いられている.しかしながら,今回,筆者らは,2i/L培地にて樹立したES細胞においてはゲノムインプリンティングとよばれる発生に重要なDNAメチル化が消失し,個体発生能が低下することを明らかにした.また,2i/L培地に含まれるMEK1/2阻害剤の濃度を低くする,あるいは,Src阻害剤にて代替することにより,ゲノムインプリンティングを維持したES細胞を効率よく樹立することに成功し,さらに,それらのES細胞は高い個体発生能をもつことが実証された.これらの発見はマウスおよびヒトの高品質な多能性幹細胞の樹立および維持に応用される可能性があり,再生医療および哺乳類の初期発生に関する研究への貢献につながることが期待される.

はじめに

 着床前胚の内部細胞塊より樹立されるES細胞は代表的な多能性幹細胞のひとつである.ES細胞は無限に増殖させることでき,また,さまざまな細胞へと分化させることが可能であることから,発生生物学を含む基礎医学の研究において有用であるのみならず,iPS細胞と同様に,再生医療への応用も期待されている.従来,ES細胞は血清およびLIF(leukemia inhibitory factor,白血病阻止因子)を含むS/L培地を用いて樹立および維持されてきた.しかしながら,これまでの研究により,S/L培地にて樹立したES細胞は多能性に関連する遺伝子として知られるNanog遺伝子やRex1遺伝子の発現パターンが不均一であることや,DNAメチル化のレベルが内部細胞塊と比べ高いことが明らかにされた.近年,MEK1/2阻害剤およびGSK3β阻害剤を添加することによりES細胞を血清なしで培養することが可能となり,現在,この2種類の阻害剤およびLIFを含む2i/L培地はES細胞の樹立および維持に汎用されている1).実際に,2i/L培地はS/L培地に比べ,ES細胞の樹立効率が高く,多能性に関連する遺伝子の発現パターンがより均一で,さらには,ゲノムの全体にわたるDNAメチル化のレベルが内部細胞塊と同じ程度になることが知られている2-4)図1).しかしながら,2i/L培地にて樹立および維持したES細胞のエピゲノム状態の安定性や個体発生能などその品質について詳細には解析されていない.雌雄に特異的な配偶子に由来するDNAメチル化をひきつぐインプリント遺伝子は,父方アレルあるいは母方アレルの一方からのみ発現し,哺乳類の発生に重要であることが知られている5).しかしながら,アレルに特異的に制御されることから,多能性幹細胞において詳細に解析することは困難であった.そこで,筆者らは,父方アレルと母方アレルの区別が可能な胚を用いて,S/L培地および2/L培地にて樹立したES細胞を解析した.

figure1

1.父方アレルと母方アレルの区別が可能なマウスのES細胞の樹立

 父方のゲノムと母方のゲノムの区別が可能なマウスのかけ合わせによりF1世代の胚盤胞を得て,2i/L培地あるいはS/L培地を用いて雌雄につき複数の株のES細胞を樹立した.ここで用いたMSM/Msマウスは日本原産のマウスであり,一般に使用されるマウスと比べ1塩基多型(SNP)を数多くもつため6),樹立されたマウスのES細胞はアレルの区別が可能で,インプリント遺伝子に関連する解析をより高い精度で行うことができる.

2.2i/L培地にて樹立したES細胞におけるゲノムインプリンティングの消失

 これらのマウスのES細胞のDNAメチル化の状態を全ゲノムバイサルファイトシークエンス法およびメチルseq法にて解析したところ,これまでの報告と同様に,2i/L培地にて樹立したES細胞はゲノムの全体にわたりDNAメチル化に低い状態にあることがわかった.また,詳細な解析から,2i/L培地にて樹立したES細胞では一般にDNAメチル化の高い状態にあるトランスポゾンにおいてもDNAメチル化は低くなっており,さらに,受精ののちもDNAメチル化の維持されるインプリント制御領域におけるDNAメチル化も低下していた.S/L培地にて樹立したES細胞においてDNAメチル化は安定に維持されていたことから,2i/L培地にて特異的にインプリント制御領域におけるDNA脱メチル化の起こることが示唆された(図1).さらに,ゲノムインプリンティング以外の配偶子に特異的なDNAメチル化の情報も2i/L培地にて消失していた.DNA脱メチル化の程度は雌雄に差があり,メスのES細胞においてその程度は顕著であった.インプリント制御領域におけるDNAメチル化はインプリント遺伝子の片アレル性の発現制御に深くかかわることから,2i/L培地にて樹立したES細胞におけるインプリント遺伝子の発現パターンに着目した.RNA-seq解析から,2i/L培地にて樹立したES細胞においてインプリント遺伝子はインプリント制御領域におけるDNAメチル化の消失にともない両方のアレルから発現することがわかった.以上のことから,2i/L培地にて樹立したマウスのES細胞は発生に重要であるゲノムインプリンティングに異常が起こることが示された.

3.消失したゲノムインプリンティングの不可逆性

 2i/Lにて樹立したマウスのES細胞において消失したゲノムインプリンティングが分化ののちどのように制御されるかを検証した.2i/L培地にて樹立したES細胞はゲノムインプリンティングを消失しているにもかかわらず3胚葉すべての系譜へ分化し効率的にキメラマウスに寄与した.しかし,2i/L培地にて樹立したES細胞をS/L培地にて培養した細胞,あるいは,2i/L培地にて樹立したES細胞から作製した胎仔線維芽細胞は,ゲノムの全体にわたりDNAメチル化されていたが,インプリント制御領域におけるDNAメチル化は依然として消失したままであった.このことから,2i/L培地にて樹立したマウスのES細胞において,インプリント制御領域以外のDNAメチル化の情報は可逆的である一方,インプリント制御領域は分化ののちにもDNAメチル化されないことが示された.

4.2i/L培地にて樹立したES細胞における個体発生能の低下

 ゲノムインプリンティングは哺乳類における個体の発生に重要であることから,2i/L培地にて樹立したマウスのES細胞の個体発生能について核移植により検討した7).除核した卵にES細胞の核を移植し発生させた胚からクローンマウスが得られるかどうか検証したところ,S/L培地にて樹立したES細胞の核からはクローンマウスが得られたものの,2i/L培地にて樹立したES細胞の核からはクローンマウスは得られなかった.産仔が得られなかった原因をさぐるため,発生10.5日目のクローン胚の胎仔および胎盤を詳細に解析した結果,2i/L培地にて樹立したES細胞の核に由来するクローン胎盤において細胞接着の異常および壊死が高頻度に観察された.これまでの研究から,卵子に由来するDNAメチル化の情報により発現が抑制されるScml2遺伝子は,その抑制が胎盤の発育に重要であることが知られている8).実際に,2i/L培地にて樹立したES細胞は卵子に由来するDNAメチル化の情報を消失し,S/L培地にて樹立したES細胞と比べScml2遺伝子の発現が亢進していた.2i/L培地にて樹立したES細胞においてScml2遺伝子をノックアウトしたところ,Cdx2遺伝子の強制発現による栄養膜幹細胞様コロニー9) の形成率が上昇したことから,配偶子に特異的なDNAメチル化の情報の消失が胎盤の発育の異常の原因のひとつであると考えられた.
 胚体組織の側への発生能について詳細に解析するため,4倍体補完法により個体発生能を評価した10).4倍体補完法とは,2細胞期胚を電気融合することにより4倍体胚を作製し,胚盤胞まで発生させES細胞を導入して個体を発生させるものである.4倍体胚は胎盤には寄与できるが胚体には寄与できない.したがって,産仔が得られた場合,その産仔は全身がES細胞に由来する細胞から構成される.4倍体補完法による産仔は,S/L培地にて樹立したES細胞からは得られたものの,2i/L培地にて樹立したES細胞からは得られなかった.また,発生14.5日目の胚において遺伝子の発現を解析したところ,2i/L培地にて樹立したES細胞に由来する胚においてインプリント遺伝子を含む多くの遺伝子の発現が異常を示した.
 以上のことから,配偶子からひき継がれるDNAメチル化の情報はマウスにおける正常な胚体および胎盤の発生に重要であることが示唆された.

5.ゲノムインプリンティングおよび個体発生能を維持したES細胞の樹立法の探索

 ここまでの結果から,2i/L培地にて樹立したマウスのES細胞は遺伝子の発現パターンなど内部細胞塊と類似した性質をもつ一方,配偶子に由来するひき継がれるべきDNAメチル化の情報が消失し,それにより個体発生能が低下することが明らかにされた.これらの課題を解決するため,ゲノムインプリンティングおよび個体発生能を維持したES細胞の樹立の条件を探索した.過去の報告により,MAPキナーゼ経路の抑制とDNAメチル化の低い状態とが関連づけられている11).そこで,MEK1/2阻害剤の濃度を通常の1/5にした培地,あるいは,MEK1/2阻害剤をSrc阻害剤により代替した培地12) によりES細胞を樹立した.この2つの培地は2i/L培地と同じ程度のES細胞の樹立の効率を示し,一般的にES細胞の樹立が困難とされるマウスの系統13) からも樹立することができた.さらに,RNA-seq解析から,この2つの培地にて樹立したES細胞における遺伝子の発現パターンは,S/L培地にて樹立したES細胞より2i/L培地にて樹立したES細胞に近いことが示された.MEK1/2阻害剤の濃度を通常の1/5にした培地あるいはMEK1/2阻害剤をSrc阻害剤により代替した培地にて樹立したES細胞のDNAメチル化の状態を解析したところ,インプリント制御領域におけるDNAメチル化はS/L培地にて樹立したES細胞と同じ程度に維持されていた.また,4倍体補完法により,この2つの培地にて樹立したES細胞から全身がES細胞に由来するマウスを高効率で作製することにも成功した.以上より,MEK1/2阻害剤の濃度を通常の1/5にした2i/L培地およびMEK1/2阻害剤をSrc阻害剤により代替した2i/L培地により樹立されたマウスのES細胞は,インプリント制御領域におけるDNAメチル化の状態を維持し,さらに,高い個体発生能をもつことがわかった(図2).

figure2

6.マウスのES細胞の雌雄におけるエピゲノム状態の違い

 マウスのES細胞におけるゲノムの全体およびインプリント制御領域におけるDNAメチル化の状態は,メスにおいてより低下する傾向にあった.その原因をさぐるため,ウェスタンブロット法によりDNAメチル化に関与する遺伝子の発現を比較した.その結果,すべての培養条件にて,メスのES細胞において,新規DNAメチル化酵素であるDnmt3aおよびDnmt3bにくわえ,維持DNAメチル化酵素の補因子であるUhrf1の発現量が低下していた.また,Uhrf1の低下は2本のX染色体の活性化の状態と相関していた.実際に,MEK1/2阻害剤の濃度を通常の1/5にした2i/L培地およびMEK1/2阻害剤をSrc阻害剤により代替した2i/L培地により樹立されたメスのES細胞においても,長期にわたる培養ののちにインプリント制御領域におけるDNA脱メチル化が観察され,DNAメチル化は維持されないことが示唆された.つまり,2本の活性化したX染色体をもつメスのマウスのES細胞は,培養の過程において不安定なエピゲノム状態をとることが予想された.

おわりに

 2i/L培地は内部細胞塊の性質を模倣するかたちでマウスのES細胞を樹立および維持することができるとされ,多くの幹細胞研究者のあいだで汎用されてきた.しかしながら,受精ののちもDNAメチル化の維持されるインプリント制御領域を含む配偶子に由来するDNAメチル化の情報は,2i/L培地により樹立されたES細胞において消失することが明らかにされた.実際に,ゲノムインプリンティングの消失したES細胞は個体発生能が低下し,哺乳類の発生における配偶子に由来するゲノムインプリンティングの重要性が示された.MEK1/2阻害剤の濃度を通常の1/5にした2i/L培地およびMEK1/2阻害剤をSrc阻害剤により代替した2i/L培地によるES細胞の樹立は,それらの問題点を解決する新たな手法になりうることが期待される一方,in vivoにおける多能性の状態がin vitroにおいていかに正確に模倣されるかについてはさらなる検証が必要である.今後,真なる多能性幹細胞の培養技術の開発により,多能性幹細胞を用いた再生医療,創薬の開発,基礎医学の研究など,種々の応用への道がさらに加速することが期待される.

文 献

  1. Ying, Q. L., Wray, J., Nichols, J. et al.: The ground state of embryonic stem cell self-renewal. Nature, 453, 519-523 (2008)[PubMed]
  2. Ficz, G., Hore, T. A., Santos, F. et al.: FGF signaling inhibition in ESCs drives rapid genome-wide demethylation to the epigenetic ground state of pluripotency. Cell Stem Cell, 13, 351-359 (2013)[PubMed]
  3. Habibi, E., Brinkman, A. B., Arand, J. et al.: Whole-genome bisulfite sequencing of two distinct interconvertible DNA methylomes of mouse embryonic stem cells. Cell Stem Cell, 13, 360-369 (2013)[PubMed]
  4. Marks, H., Kalkan, T., Menafra, R. et al.: The transcriptional and epigenomic foundations of ground state pluripotency. Cell, 149, 590-604 (2012)[PubMed]
  5. Surani, M. A., Barton, S. C. & Norris, M. L.: Development of reconstituted mouse eggs suggests imprinting of the genome during gametogenesis. Nature, 308, 548-550 (1984)[PubMed]
  6. Takada, T., Ebata, T., Noguchi, H. et al.: The ancestor of extant Japanese fancy mice contributed to the mosaic genomes of classical inbred strains. Genome Res., 23, 1329-1338 (2013)[PubMed]
  7. Wakayama, T., Perry, A. C., Zuccotti, M. et al.: Full-term development of mice from enucleated oocytes injected with cumulus cell nuclei. Nature, 394, 369-374 (1998)[PubMed]
  8. Branco, M. R., King, M., Perez-Garcia, V. et al.: Maternal DNA methylation regulates early trophoblast development. Dev. Cell, 36, 152-163 (2016)[PubMed]
  9. Niwa, H., Toyooka, Y., Shimosato, D. et al.: Interaction between Oct3/4 and Cdx2 determines trophectoderm differentiation. Cell, 123, 917-929 (2005)[PubMed]
  10. Nagy, A., Rossant, J., Nagy, R. et al.: Derivation of completely cell culture-derived mice from early-passage embryonic stem cells. Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 90, 8424-8428 (1993)[PubMed]
  11. Choi, J., Clement, K., Huebner, A. J. et al.: DUSP9 modulates DNA hypomethylation in female mouse pluripotent stem cells. Cell Stem Cell, 20, 706-719.e7 (2017)[PubMed]
  12. Shimizu, T., Ueda, J., Ho, J. C. et al.: Dual inhibition of Src and GSK3 maintains mouse embryonic stem cells, whose differentiation is mechanically regulated by Src signaling. Stem Cells, 30, 1394-1404 (2012)[PubMed]
  13. Czechanski, A., Byers, C., Greenstein, I. et al.: Derivation and characterization of mouse embryonic stem cells from permissive and nonpermissive strains. Nat. Protoc., 9, 559-574 (2014)[PubMed]

活用したデータベースにかかわるキーワードと統合TVへのリンク

著者プロフィール

八木 正樹(Masaki Yagi)
略歴:京都大学大学院医学研究科博士後期課程 在学中.
研究テーマ:多能性幹細胞および発生におけるエピジェネティクス.
抱負:生物の発生や幹細胞の能力に魅力を感じ日々研究に励んでいます.好奇心を大切にしながら今後も研究生活を満喫したい.

山本 拓也(Takuya Yamamoto)
京都大学iPS細胞研究所 講師.

山田 泰広(Yasuhiro Yamada)
京都大学iPS細胞研究所 教授.
研究室URL:http://www.cira.kyoto-u.ac.jp/ydy/

© 2017 八木正樹・山本拓也・山田泰広 Licensed under CC 表示 2.1 日本

リゾホスファチジン酸受容体LPA6によるリガンドの認識の構造基盤

$
0
0

谷口怜哉・濡木 理
(東京大学大学院理学系研究科 生物科学専攻生物化学講座構造生命科学研究室)
email:谷口怜哉濡木 理
DOI: 10.7875/first.author.2017.088

Structural insights into ligand recognition by the lysophosphatidic acid receptor LPA6.
Reiya Taniguchi, Asuka Inoue, Misa Sayama, Akiharu Uwamizu, Keitaro Yamashita, Kunio Hirata, Masahito Yoshida, Yoshiki Tanaka, Hideaki E. Kato, Yoshiko Nakada-Nakura, Yuko Otani, Tomohiro Nishizawa, Takayuki Doi, Tomohiko Ohwada, Ryuichiro Ishitani, Junken Aoki, Osamu Nureki
Nature, 548, 356-360 (2017)

要 約

 リゾホスファチジン酸はシグナル伝達にかかわる脂質メディエーターのひとつであり,6種類のGタンパク質共役型受容体LPA1~LPA6により受容される.今回,筆者らは,ゼブラフィッシュに由来するリゾホスファチジン酸受容体LPA6の結晶構造を3.2Å分解能で決定した.LPA6のリガンド結合ポケットは脂質二重膜にむかって大きく開いており,脂質環境に面した領域にリゾホスファチジン酸の炭化水素鎖が結合すると推定された.この特徴的な構造と,ドッキングシミュレーション,変異体の解析にもとづき,リガンドの認識に重要なアミノ酸残基が特定され,LPA6によるリゾホスファチジン酸の認識機構のモデルが提唱された.

はじめに

 リゾホスファチジン酸はリン酸基とグリセロール骨格からなる親水性の頭部および1本の炭化水素鎖により構成される,シンプルな分子構造をもつ脂質メディエーターである.6種類のGタンパク質共役型受容体LPA1~LPA6がリゾホスファチジン酸受容体として同定されており1),これらの受容体がリゾホスファチジン酸と結合して活性化されることにより細胞の外から細胞の内へとシグナルが伝達される.リゾホスファチジン酸を介するシグナル伝達は細胞の増殖や遊走などさまざまな応答をひき起こし,肺線維症やがんなどの疾患とのかかわりも深い2).そのため,リゾホスファチジン酸受容体は創薬の標的となるタンパク質としても注目されてきた.
 6種類のリゾホスファチジン酸受容体はアミノ酸配列の違いから,LPA1,LPA2,LPA3からなるEDGファミリーと,LPA4,LPA5,LPA6からなる非EDGファミリーに分けられる3).2つのファミリーのあいだのアミノ酸配列の保存性は約20%であり,立体構造およびリゾホスファチジン酸の認識機構は2つのファミリーのあいだで大きく異なるものと予想された.また,実際に,生理的な機能や阻害剤に対する応答性もEDGファミリーと非EDGファミリーとでは異なる3).ゆえに,リゾホスファチジン酸によるシグナル伝達を理解するうえで,それぞれのファミリーに属するリゾホスファチジン酸受容体について立体構造やリガンドの認識機構を理解することが不可欠であった.しかし,2015年にLPA1の立体構造が報告された一方4),現在まで非EDGファミリーに属するリゾホスファチジン酸受容体の立体構造は明らかにされておらず,リガンドの認識機構は未解明であった.そこで,筆者らは,非EDGファミリーに属するリゾホスファチジン酸受容体のなかでもとくにLPA6に着目し,その立体構造を決定することによりリガンドの認識機構を解明することをめざした.

1.ゼブラフィッシュに由来するLPA6の結晶構造の決定

 異なる生物種に由来する非EDGファミリーに属するリゾホスファチジン酸受容体のうち,ゼブラフィッシュに由来するLPA6が高い発現量と安定性を示したことから,これを構造解析の標的とした.結晶化に際しては,モノオレインとよばれる脂質のなかにタンパク質を再構成し,脂質にうまった状態で結晶を得る脂質キュービック相法5) を適用した.リゾホスファチジン酸あるいはそのアナログをくわえない条件において結晶が得られ,最終的に3.2Åの分解能でゼブラフィッシュLPA6の結晶構造が決定された(PDB ID:5XSZ ).

2.ゼブラフィッシュLPA6の全体の構造とリガンド結合ポケットの形状

 ゼブラフィッシュLPA6は一般的なGタンパク質共役型受容体と同様に7本の膜貫通ヘリックスが束になった形状をとり,それらの膜貫通ヘリックスのとりかこむ中央の部分に,細胞の外側にむかって開いたリガンド結合ポケットが形成されていた(図1a).ポケットの内部はTyrやPheといった芳香族アミノ酸残基により構成され,脂質であるリゾホスファチジン酸を収容するのに適した疎水的な環境が形成されていた.一方で,ポケットの周縁の部分にはArgやLysといった正電荷をもつアミノ酸残基が存在し,これらのアミノ酸残基がリゾホスファチジン酸のもつ負電荷をもつリン酸基の認識にかかわることが予想された.

figure1

 このリガンド結合ポケットは側面,すなわち,脂質二重膜の側にむいても大きく開いていた(図1a).これまでに立体構造の報告されているGタンパク質共役型受容体の大半において,中央に形成されるリガンド結合ポケットは膜貫通ヘリックスにより脂質二重膜から完全に隔絶されていた.一方で,ゼブラフィッシュLPA6の場合は膜貫通ヘリックス4と膜貫通ヘリックス5とのあいだに隙間があり,脂質二重膜の中央の付近から細胞の外側へとつづく縦に長い溝が形成されていた(図1a).中央のリガンド結合ポケットはこの溝とつながっており,リガンド結合ポケットは溝の部分を開口部として脂質二重膜の側にむかって開いていた.この溝にそった位置にはValやIleといった疎水的なアミノ酸残基がならび,疎水的な環境が形成されていた.さらに,この溝のなかにはまり込むかたちで,結晶化に用いたモノオレインの炭化水素鎖に由来する細長い電子密度も観測された.以上の構造的な特徴から,この縦に細長い溝の内部にリゾホスファチジン酸の炭化水素鎖が収容されると予想された.
 得られた立体構造を用いたリガンドドッキングシミュレーションにおいても,この予想と合致するリゾホスファチジン酸の結合モデルが得られた(図1b).このモデルより,リゾホスファチジン酸の認識に関与すると予想されるアミノ酸残基がしぼりこまれた.

3.変異体の解析による機能的に重要なアミノ酸残基の特定

 リガンドの結合様式について実験的に検証するため,リゾホスファチジン酸の認識に関与すると予想されたアミノ酸残基の変異体を作製し,それらの受容体活性およびリゾホスファチジン酸に対する結合能を測定した.リゾホスファチジン酸のリン酸基を認識すると予想されたArgやLysについて,これらをAlaあるいはGluに置換して正電荷を失わせた変異体を作製したところ,膜貫通ヘリックス1,膜貫通ヘリックス2,膜貫通ヘリックス6,膜貫通ヘリックス7に存在するLys26,Arg83,Arg267,Arg281の変異体において受容体活性が大幅に低下した.一方で,これらのアミノ酸残基を同様に正電荷をもつアミノ酸残基と置換した場合(LysをArgに,あるいは,ArgをLysに),受容体活性の低下は比較的軽度であった.これら4つのアミノ酸残基のAla置換体においては,リゾホスファチジン酸に対する結合能も低下していた.以上より,Lys26,Arg83,Arg267,Arg281の4つのアミノ酸残基のもつ正電荷が,リゾホスファチジン酸の負電荷をもつリン酸基の部分の認識に関与することが裏づけられた.
 リゾホスファチジン酸の炭化水素鎖を収容すると予想された細長い溝について,溝にそった領域に位置するVal195およびIle198の変異体を作製した.その結果,これらの残基をAlaと置換することにより溝を広げた場合,および,Pheと置換することにより溝を狭めた場合の両方において,受容体活性の低下およびリゾホスファチジン酸の結合能の低下がみられた.溝を広げる方向に変異を導入した場合にもリゾホスファチジン酸が結合しにくくなったことから,溝の形状に対しリゾホスファチジン酸の炭化水素鎖が適切な配向ではまり込み十分に疎水性の相互作用が形成されることがリゾホスファチジン酸の認識において重要であると考えられた.

4.リゾホスファチジン酸の認識機構のモデル

 以上の実験の結果にもとづき,ゼブラフィッシュLPA6はリゾホスファチジン酸のリン酸基の部分を膜貫通ヘリックス1,膜貫通ヘリックス2,膜貫通ヘリックス6,膜貫通ヘリックス7に存在するLys26,Arg83,Arg267,Arg281により認識し,炭化水素鎖の部分を膜貫通ヘリックス4と膜貫通ヘリックス5のあいだに形成された細長い溝の形状により認識すると考えられた(図2).非EDGファミリーに属するリゾホスファチジン酸受容体に近縁なGタンパク質共役型受容体であるP2Yファミリー受容体の場合,リガンドの結合により誘起される膜貫通ヘリックス6と膜貫通ヘリックス7の動きが受容体の活性化に重要であることが,過去に報告された立体構造にもとづき明らかにされている6).構造の類似性,および,リン酸基を認識するArgの位置にもとづき,ゼブラフィッシュLPA6の場合も膜貫通ヘリックス6と膜貫通ヘリックス7がリゾホスファチジン酸との結合にともない動くことにより受容体の活性化がもたらされると予想された(図2).想定されるリゾホスファチジン酸の結合様式や受容体の活性化の機構はLPA1について明らかにされていたものとは大きく異なり4),EDGファミリーと非EDGファミリーのリゾホスファチジン酸受容体のあいだの性質や機能の違いの構造基盤が明らかにされた.

figure2

5.リガンドのアクセスの機構についての示唆

 脂質性のリガンドは疎水性が高いため脂質二重膜にささった状態で多く存在すると考えられる.そのため,これらのリガンドが受容体の側方から脂質二重膜をとおってリガンド結合ポケットに入り込むのではないかという仮説が,脂質受容体の立体構造についての先行研究より提唱されていた7).ゼブラフィッシュLPA6が脂質二重膜にむかって大きく開いたリガンド結合ポケットをもつことから,この側方からのリガンドのアクセスの仮説が強く支持された(図2).くわえて,今回の実験において,リゾホスファチジン酸産生酵素とヒトLPA6の共発現下においては産生されたリゾホスファチジン酸が脂質二重膜に蓄積し,これにともない,リガンドを添加していない状態においてもLPA6の活性化が起こることが明らかにされた.これは,ヒトLPA6は脂質二重膜のなかに存在するリゾホスファチジン酸をリガンドとして受容することを示唆しており,実験的にも側方からのリガンドのアクセスの仮説が支持された.

おわりに

 この研究において,ゼブラフィッシュに由来するLPA6の特徴的な立体構造を足がかりとしてリゾホスファチジン酸の認識機構が推定された.このモデルにもとづくと,リゾホスファチジン酸の炭化水素鎖はLPA6の側面に形成された溝にはまり込み,その一部が脂質二重膜に露出した状態で認識されると考えられた.このような生理的なリガンドの認識機構は先行研究においてはまったく予想されておらず,Gタンパク質共役型受容体の立体構造の多様性やリガンドの認識機構の理解にとり有用な新規なアイディアを提示することができた点で,この研究は大きな意義をもつ.くわえて,ゼブラフィッシュLPA6の立体構造の情報は将来的なLPA6を標的とする創薬の基盤となると期待される.LPA6は毛髪の形成にかかわり8),LPA6にリガンドを供給するリゾホスファチジン酸産生酵素の先天的な欠損はヒトにおいて先天性乏毛症とよばれる遺伝性の疾患をひき起こす9).LPA6を活性化する薬剤はこの先天性乏毛症の治療薬となる可能性があり,今後,薬剤の候補となる化合物の探索が大きく進展することが期待される.
 筆者らの当初の理想として,リゾホスファチジン酸の結合した状態でLPA6の立体構造を決定したいところであった.しかし,いろいろと手をつくしたものの共結晶構造は得られず,リガンドの認識機構の理解には苦慮した.さいわい,ゼブラフィッシュLPA6は解釈の比較的容易な構造的な特徴をもっていたため,そこを足がかりに網羅的な変異体の解析を展開することができた.その意味で,ゼブラフィッシュLPA6がユニークな構造をもっていたことは筆者らにとり非常に幸運であった.そもそも,今回の立体構造の決定は,大型放射光施設SPring-8におけるX線回折データの測定および解析の技術革新の賜物であった.また,手元にある立体構造の情報を最大限に活かして議論を構築できたのは,ドッキングシミュレーションや変異体の受容体活性の評価など,多角的なアプローチを用いて解析を進めたからにほかならない.このように,複数の研究グループそれぞれがもつ技術を活かし協調しながら研究に取り組むことの有用性を,この研究をとおし強く実感した.
 現時点では,リゾホスファチジン酸の認識機構のモデルが提唱されたにすぎない.リガンドの認識機構の直接的な理解にむけて,リゾホスファチジン酸との共結晶構造の決定は依然として必要である.近年,充実しつつあるツールや実験手法を活用しながらひきつづきこの課題に取り組み,リガンドの認識機構の詳細な理解をめざしたい.

文 献

  1. Kihara, Y., Maceyka, M., Spiegel, S. et al.: Lysophospholipid receptor nomenclature review: IUPHAR Review 8. Br. J. Pharmacol., 171, 3575-3594 (2014)[PubMed]
  2. Choi, J. W., Herr, D. R., Noguchi, K. et al.: LPA receptors: subtypes and biological actions. Annu. Rev. Pharmacol. Toxicol., 50, 157-186 (2010)[PubMed]
  3. Yanagida, K., Kurikawa, Y., Shimizu, T. et al.: Current progress in non-Edg family LPA receptor research. Biochim. Biophys. Acta, 1831, 33-41 (2013)[PubMed]
  4. Chrencik, J. E., Roth, C. B., Terakado, M. et al.: Crystal structure of antagonist bound human lysophosphatidic acid receptor 1. Cell, 161, 1633-1643 (2015)[PubMed]
  5. Caffrey, M. & Cherezov, V.: Crystallizing membrane proteins using lipidic mesophases. Nat. Protoc., 4, 706-731 (2009)[PubMed]
  6. Zhang, J., Zhang, K., Gao, Z. G. et al.: Agonist-bound structure of the human P2Y12 receptor. Nature, 509, 119-122 (2014)[PubMed]
  7. Hanson, M. A., Roth, C. B., Jo, E. et al.: Crystal structure of a lipid G protein-coupled receptor. Science, 335, 851-855 (2012)[PubMed]
  8. Inoue, A., Arima, N., Ishiguro, J. et al.: LPA-producing enzyme PA-PLA1α regulates hair follicle development by modulating EGFR signalling. EMBO J., 30, 4248-4260 (2011)[PubMed]
  9. Kazantseva, A., Goltsov, A., Zinchenko, R. et al.: Human hair growth deficiency is linked to a genetic defect in the phospholipase gene LIPH. Science, 314, 982-985 (2006)[PubMed]

活用したデータベースにかかわるキーワードと統合TVへのリンク

著者プロフィール

谷口 怜哉(Reiya Taniguchi)
略歴:東京大学大学院理学系研究科博士課程 在学中.
研究テーマ:膜受容体および膜酵素の構造解析.
関心事:in situ構造生物学.各地の日本酒.

濡木 理(Osamu Nureki)
東京大学大学院理学系研究科 教授.
研究室URL:http://www.nurekilab.net/

© 2017 谷口怜哉・濡木 理 Licensed under CC 表示 2.1 日本


霊長類モデルを用いたパーキンソン病に対するヒトのiPS細胞に由来するドーパミン神経前駆細胞の移植

$
0
0

菊地哲広・髙橋 淳
(京都大学iPS細胞研究所 臨床応用研究部門)
email:菊地哲広髙橋 淳
DOI: 10.7875/first.author.2017.095

Human iPS cell-derived dopaminergic neurons function in a primate Parkinson’s disease model.
Tetsuhiro Kikuchi, Asuka Morizane, Daisuke Doi, Hiroaki Magotani, Hirotaka Onoe, Takuya Hayashi, Hiroshi Mizuma, Sayuki Takara, Ryosuke Takahashi, Haruhisa Inoue, Satoshi Morita, Michio Yamamoto, Keisuke Okita, Masato Nakagawa, Malin Parmar, Jun Takahashi
Nature, 548, 592-596 (2017)

要 約

 パーキンソン病においてはおもに中脳のドーパミンニューロンが障害されさまざまな運動症状が生じる.iPS細胞はパーキンソン病に対する細胞移植治療の細胞源として期待されるが,iPS細胞に由来するドーパミン神経前駆細胞を霊長類のパーキンソン病モデルに移植し長期間にわたり観察した研究はいまだない.今回,筆者らは,カニクイザルに薬剤を投与してパーキンソン病モデルを作製し,その脳にヒトのiPS細胞に由来するドーパミン神経前駆細胞を移植して,移植された細胞が脳に生着し機能することを確認した.行動の解析においては,サルパーキンソン病スコアによる評価およびビデオ解析による自動運動の評価により,スコアの改善および運動時間の増加が認められた.組織学的な解析においては,成熟したドーパミンニューロンが宿主の線条体に密な神経線維を伸ばすのが確認された.これらの結果は,健常人に由来するiPS細胞あるいはパーキンソン病の患者に由来するiPS細胞にかかわらず同様であった.観察の期間において,MRI法およびPET法により移植片の生着,増大,機能,また,宿主における免疫反応をモニターすることができ,少なくとも2年間にわたり腫瘍の形成は認められなかった.これらの結果から,ヒトのiPS細胞に由来するドーパミン神経前駆細胞はパーキンソン病の患者の治療に対し臨床応用が可能であることが示唆された.

はじめに

 パーキンソン病においてはおもに中脳のドーパミンニューロンが障害されさまざまな運動症状が生じる.その比較的単純な病態から,細胞移植治療の標的として研究が進められてきたが,その細胞源として注目されるのがES細胞やiPS細胞である.現在までに,ES細胞やiPS細胞から分化させた中脳のドーパミンニューロンを移植することにより,ラット1) や非ヒト霊長類のパーキンソン病モデル2) において行動の改善が報告されている.近年では,臨床応用の可能なドーパミンニューロンの分化を誘導する手法も報告されているが1,3-5),霊長類を用いて長期にわたり観察した研究はいまだない.今回,筆者らは,ヒトのiPS細胞から分化させたドーパミン神経前駆細胞の移植の有効性および安全性について調べるため,パーキンソン病モデルのカニクイザルの脳に移植し最長で2年間にわたり観察した.また,パーキンソン病の患者の90%以上は家族歴のない孤発性で,遺伝性の要因と環境要因とが影響して発症するといわれているが,パーキンソン病の患者に由来するiPS細胞についても潜在的にドーパミンニューロンへの分化やニューロンの機能が障害されている可能性がある.そこで,パーキンソン病の患者に由来するiPS細胞から分化させたドーパミンニューロンが,健常人に由来するドーパミンニューロンと同様に機能するかどうか移植の効果を比較した.

1.健常人およびパーキンソン病の患者に由来するiPS細胞からのドーパミン神経前駆細胞の分化

 健常人4名より4株,パーキンソン病の患者3名より4株,計8株のiPS細胞を作製した.それらのiPS細胞よりドーパミンニューロンを分化させ,分化12日目に底板のマーカーであるCORINによりソーティングした.中脳のドーパミンニューロンは底板より発生するといわれており,この方法によりドーパミン神経前駆細胞を選別することが可能である.ソーティングした細胞は細胞塊の状態で浮遊培養し,分化28日目に評価したところ,およそ90%の細胞がTUJ-1およびFOXA2に共陽性の中脳のドーパミン神経前駆細胞であった(図1).ドーパミンニューロンへの分化の傾向において,健常人に由来するiPS細胞とパーキンソン病の患者に由来するiPS細胞とのあいだに有意な差は認められなかった.また,OCT4陽性の未分化なiPS細胞は認められなかった.

figure1

2.ドーパミン神経前駆細胞の移植によりパーキンソン病モデルのサルの行動は改善する

 霊長類のパーキンソン病モデルとしては,中脳のドーパミンニューロンを選択的に障害する神経毒MPTP(1-メチル-4-フェニル-1,2,3,6-テトラヒドロピリジン)を用いてパーキンソン病モデルのカニクイザルを作製した.このモデルサルは,振戦,固縮,寡動,姿勢反射障害など,ヒトのパーキンソン病の患者に似た運動症状を呈し,齧歯類と比べ行動の詳細な解析が可能である.作製したドーパミン神経前駆細胞をそれぞれ1匹のパーキンソン病のモデルサルの脳に1株ずつ,定位脳手術により両側の被殻に計4,800,000細胞を移植した(図1).免疫抑制のため,タクロリムスを移植の前日より安楽死まで筋肉注射した.
 サルの神経症状を評価するためには,サルパーキンソン病スコアおよびビデオ解析による自動運動の解析の2種類の手法を用いた.サルパーキンソン病スコアは,表情,周囲をみわたす動作,自発運動,刺激に対する反応,振戦,姿勢の不安定性,歩行の7項目をそれぞれ0~3の4段階で評価し,合計0~21の22段階で神経症状をスコア化したもので,スコアが高いほど重症になる.移植後12カ月までの評価において,健常人に由来する細胞を移植したサルおよびパーキンソン病の患者に由来する細胞を移植したサルにおいてはスコアの有意な改善が認められたが,移植していないサルにおいてスコアの改善は認められなかった.また,健常人に由来する細胞とパーキンソン病の患者に由来する細胞とのあいだに有意な差は認められなかった.ビデオ解析においては,90分間にわたり撮影し移動の時間を計測した.その結果,細胞を移植したサルにおいては時間の経過とともに移動の時間が有意に増加したが,移植していないサルにおいて増加は認められなかった.

3.MRI法およびPET法による生体における移植片のモニター

 移植した細胞の安全性を確認するため,観察の経過においてMRI(magnetic resonance imaging,核磁気共鳴画像)法およびPET(positron emission tomography,陽電子放出断層撮影)法によりモニターした.移植片はMRIのT2強調画像において高信号域として描出されたが,それらは移植片の周囲の浮腫,移植片の内部への宿主の細胞の移動,移植片からの神経突起の伸展を含む可能性も考えられた.MRIの画像から機械的に移植片の体積を計測し時間の経過をみたところ,移植後6~9カ月までは増大の傾向にあったが,そののちはプラトーに達した.この移植片の体積の95%信頼区間を推定したところ,信頼上限のピークは最大のものでも5 mm四方より小さかった.組織学的な解析において,ヒトの細胞のマーカーであるSTEM121による染色により算出した移植片の体積は約40 mm3であり,移植片による正常な脳の圧迫が問題になる可能性は低いことが示された.また,ヘマトキシリン-エオジン染色により,移植片のロゼッタの形成,分裂像,核異型などの悪性の所見は認められなかった.また,Ki-67に陽性の分裂細胞も認められなかった.放射性同位体により標識したフルオロチミジンを投与しPET法を用いて増殖している細胞を検出したところ,いずれのサルにおいても認められず,組織学的な解析と合致する結果であった.

4.組織学的な解析によるドーパミンニューロンの生着の確認

 ドーパミンニューロンのマーカーであるチロシン水酸化酵素による染色により,すべての移植片においてチロシン水酸化酵素に陽性の細胞が生着していることが確認された.8頭中4頭においては神経突起の著明な伸展が認められた.いずれの移植片においても,チロシン水酸化酵素に陽性の細胞は大型で多くの神経突起をもち,中脳黒質のドーパミンニューロンに類似していた.生着したチロシン水酸化酵素に陽性の細胞の数は平均して1頭あたり130,000細胞であり,健常人に由来する細胞を移植したサルとパーキンソン病の患者に由来する細胞を移植したサルとのあいだに有意な差は認められなかった.これらのチロシン水酸化酵素に陽性の細胞は中脳のドーパミンニューロンのマーカーであるDATやA9型ドーパミンニューロンのマーカーであるGIRK2に陽性であり,目的とする中脳黒質のドーパミンニューロンに近い性質をもつことが示唆された.セロトニンニューロンのマーカーであるセロトニンや,そのほかのニューロンのマーカーであるGABA,VGRUT1,CHATによる染色により,陽性の細胞は認められないか,あってもごくわずか(1%以下)であった.パーキンソン病の患者の脳に特異的な病理所見であるLewy小体などの異常な所見は,いずれの移植片においても認められなかった.

5.PET法による移植された細胞の機能のモニター

 移植された細胞がドーパミンニューロンとして機能しているかどうか確認するため,放射性同位体により標識したドーパを投与しPET法により測定する方法によりドーパミンの合成能について調べた.その結果,移植部位におけるドーパミンの合成能は,モデルサルにおいては正常なサルのおよそ10%に低下したが,移植ののち約48%にまで回復した.PETによるドーパの計測値と生着したチロシン水酸化酵素に陽性の細胞の数とのあいだには正の相関が認められ,ドーパミンニューロンの生着はPET法によりモニターできることが示唆された.また,移植する細胞の数の有効域を評価するため,生着したチロシン水酸化酵素に陽性の細胞の数とスコアの改善率および自動運動の増加量との相関について調べたが,チロシン水酸化酵素に陽性の細胞がもっとも少ない16,000細胞でも移植の効果としてはすでに飽和しており,チロシン水酸化酵素に陽性の細胞の増加にともない移植の効果がさらに増強されることはなかった.また,チロシン水酸化酵素に陽性の神経線維による線条体の被覆率とスコアの改善率および自動運動の増加量との相関についても検討したが,やはり,最低の被覆率である9.3%でも移植の効果としてはすでに飽和していた.
 これまでの報告において,4300~13,000細胞のチロシン水酸化酵素に陽性の細胞があればパーキンソン病モデルのサルに行動の改善が認められるとされており2,6,7),今回の結果と矛盾するものではなかった.また,パーキンソン病に対する細胞移植治療として,胎児の組織から採取した中脳の組織を移植する胎児中脳組織移植が欧米を中心に行われているが,それらの臨床例において,症状が改善した患者の剖検脳に43,000~240,000細胞のチロシン水酸化酵素に陽性の細胞が認められたとの報告がある8-11).カニクイザルとヒトとの線条体の体積比が1:6.55であること考慮すると,サルにおける16,000細胞はヒトにおいて約100,000細胞に匹敵すると考えられ,今回の結果も妥当であると考えられた.また,サルのパーキンソン病モデルへのヒトの胎児中脳組織移植の実験において,サルパーキンソン病スコアについて40~60%の改善が報告されており12),今回の研究におけるスコアの改善率が約40~55%であることを考えると,ヒトのiPS細胞に由来するドーパミン神経前駆細胞の移植は胎児中脳組織移植とほぼ同等の効果があるといえた.

6.宿主の免疫反応のPET法によるモニター

 臨床試験においては,免疫抑制剤による副作用を最小限に抑えるため免疫反応をモニターして投与量を調節する必要があり,これらのPET法による検査が有用である.宿主の脳における免疫反応を2種類のリガンドを用いたPET法によりモニターしたところ,上昇は認められなかった.組織学的な解析においては,MHCクラスII分子の免疫染色にて一部のサルで多くの陽性細胞が認められたが,それらのサルにおいてもリンパ球や免疫グロブリンの沈着はほとんど認められず,タクロリムスの投与により免疫反応は効果的に抑えられていたことが示唆された.

7.マイクロアレイ法による優良な移植細胞のマーカーとなる遺伝子の探索

 生着したチロシン水酸化酵素に陽性の細胞の数はサルのあいだでばらつきがあり,移植した細胞の未知の性質が生着に影響したことが考えられた.その性質について調べるため,移植に用いた細胞における遺伝子の発現をマイクロアレイ法により網羅的に測定した.遺伝子発現プロファイルを解析したところ,未分化なiPS細胞,胎児の中脳細胞,成人の中脳黒質細胞を含む主成分分析において,移植した細胞は胎児の中脳細胞の近傍に位置し,未分化なiPS細胞および成人の中脳黒質細胞とは離れていた.
 今回の研究においては,移植に用いた細胞株はおのおののドナーよりランダムに選択したが,臨床においては,最良の株を選択することにより生着した細胞のばらつきを抑制できる可能性がある.そのため,優良な移植細胞のマーカー遺伝子があれば有用である.この点について調べるため,移植した細胞を,生着したチロシン水酸化酵素に陽性の細胞の数,チロシン水酸化酵素に陽性の神経線維の伸展,PET法により測定したドーパミンの合成能,にもとづき優良な細胞と不良な細胞とに分け,遺伝子の発現をマイクロアレイ法により網羅的に測定し比較した.その結果,優良な移植細胞に多く発現する遺伝子の候補として11個の遺伝子が選出された.最近,ヒトのES細胞に由来するドーパミン神経前駆細胞をパーキンソン病モデルのラットに移植し良好な結果と相関するマーカー遺伝子を調べた研究が報告されたが13),選出された11個の遺伝子にはそのひとつであるDlk1遺伝子が含まれていた.Dlk1は上皮成長因子スーパーファミリーに属し,マウスの脳において胎生11.5日より中脳腹側において発現し,中脳のドーパミンニューロンの発生において重要な役割をはたす可能性が示唆されている.Dlk1遺伝子が優良な移植細胞のマーカーとして使えるのかどうか,さらなる研究が必要である.

おわりに

 この研究においては,パーキンソン病に対する細胞移植の非臨床試験のプロトコールを霊長類モデルに対して適用し,長期にわたり経過を観察することによりヒトのiPS細胞に由来するドーパミン神経前駆細胞の移植の安全性および有効性について確認した.また,健常人あるいはパーキンソン病の患者に由来するいずれのドーパミン神経前駆細胞を移植した場合も,脳において高い安全性をもって機能することが確認された.
 基礎研究の成果をどのような過程をへて臨床につなげ,さらに治療法として確立させるかは,医学の研究において大きな課題である.この研究は,この課題に対する筆者らなりの回答である.げっ歯類を用いた実験の結果は必ずしも臨床の成績に反映されない.筆者らは,霊長類モデルを用いて実際の臨床と同様に細胞移植治療を実施し,組織学的な解析も含めその有効性および安全性を検証した.これらの成果にもとづき,つぎは実際のパーキンソン病の患者に対する治験を予定している.

文 献

  1. Kriks, S., Shim, J. W., Piao, J. et al.: Dopamine neurons derived from human ES cells efficiently engraft in animal models of Parkinson’s disease. Nature, 480, 547-551 (2011)[PubMed]
  2. Doi, D., Morizane, A., Kikuchi, T. et al.: Prolonged maturation culture favors a reduction in the tumorigenicity and the dopaminergic function of human ESC-derived neural cells in a primate model of Parkinson’s disease. Stem Cells, 30, 935-945 (2012)[PubMed]
  3. Doi, D., Samata, B., Katsukawa, M. et al.: Isolation of human induced pluripotent stem cell-derived dopaminergic progenitors by cell sorting for successful transplantation. Stem Cell Reports, 2, 337-350 (2014)[PubMed]
  4. Chambers, S. M., Fasano, C. A., Papapetrou, E. P. et al.: Highly efficient neural conversion of human ES and iPS cells by dual inhibition of SMAD signaling. Nat. Biotechnol., 27, 275-280 (2009)[PubMed]
  5. Kirkeby, A., Grealish, S., Wolf, D. A. et al.: Generation of regionally specified neural progenitors and functional neurons from human embryonic stem cells under defined conditions. Cell Rep., 1, 703-714 (2012)[PubMed]
  6. Takagi, Y., Takahashi, J., Saiki, H. et al.: Dopaminergic neurons generated from monkey embryonic stem cells function in a Parkinson primate model. J. Clin. Invest., 115, 102-109 (2005)[PubMed]
  7. Hallett, P. J., Deleidi, M., Astradsson, A. et al.: Successful function of autologous iPSC-derived dopamine neurons following transplantation in a non-human primate model of Parkinson’s disease. Cell Stem Cell, 16, 269-274 (2015)[PubMed]
  8. Freed, C.R., Greene, P. E., Breeze, R. E. et al.: Transplantation of embryonic dopamine neurons for severe Parkinson’s disease. N. Engl. J. Med., 344, 710-719 (2001)[PubMed]
  9. Olanow, C. W., Goetz, C. G., Kordower, J. H. et al.: A double-blind controlled trial of bilateral fetal nigral transplantation in Parkinson’s disease. Ann. Neurol., 54, 403-414 (2003)[PubMed]
  10. Kurowska, Z., Englund, E., Widner, H. et al.: Signs of degeneration in 12-22-year old grafts of mesencephalic dopamine neurons in patients with Parkinson’s disease. J. Parkinsons Dis., 1, 83-92 (2011)[PubMed]
  11. Li, W., Englund, E., Widner, H. et al.: Extensive graft-derived dopaminergic innervation is maintained 24 years after transplantation in the degenerating parkinsonian brain. Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 113, 6544-6549 (2016)[PubMed]
  12. Redmond, D. E. Jr., Vinuela, A., Kordower, J. H. et al.: Influence of cell preparation and target location on the behavioral recovery after striatal transplantation of fetal dopaminergic neurons in a primate model of Parkinson’s disease. Neurobiol. Dis. 29, 103-116 (2008)[PubMed]
  13. Kirkeby, A., Nolbrant, S., Tiklova, K. et al.: Predictive markers guide differentiation to improve graft outcome in clinical translation of hESC-based therapy for Parkinson’s disease. Cell Stem Cell, 20, 135-148 (2017)[PubMed]

活用したデータベースにかかわるキーワードと統合TVへのリンク

著者プロフィール

菊地 哲広(Tetsuhiro Kikuchi)
略歴:2012年 京都大学大学院医学研究科後期博士課程 修了,同年より京都大学iPS細胞研究所 特定研究員.
研究テーマ:iPS細胞を用いた細胞移植治療.

髙橋 淳(Jun Takahashi)
京都大学iPS細胞研究所 教授.
研究室URL:http://www.cira.kyoto-u.ac.jp/jtakahashi/

© 2017 菊地哲広・髙橋 淳 Licensed under CC 表示 2.1 日本

天然物の生合成においてS-アデノシルメチオニンに依存性の酵素により触媒されるペリ環状反応

$
0
0

大橋雅生・渡辺賢二
(静岡県立大学大学院薬学研究院 生薬学講座)
email:渡辺賢二
DOI: 10.7875/first.author.2017.105

SAM-dependent enzyme-catalysed pericyclic reactions in natural product biosynthesis.
Masao Ohashi, Fang Liu, Yang Hai, Mengbin Chen, Man-cheng Tang, Zhongyue Yang, Michio Sato, Kenji Watanabe, K. N. Houk, Yi Tang
Nature, 549, 502-506 (2017)

要 約

 ペリ環状反応は位置選択的および立体選択的に炭素-炭素結合を形成するためもっとも強力な反応のひとつとして知られ,複雑な構造をもつ数多くの天然物の全合成において幅広く応用されてきた.しかしながら,ペリ環状反応を触媒する酵素は天然物の生合成においては非常にまれである.この研究において,筆者らは,糸状菌Aspergillus属の生産する天然物leporinの生合成遺伝子クラスターからペリ環状反応を触媒する新規の酵素LepIを同定した.LepIは,当初は典型的なS-アデノシルメチオニンに依存性のO-メチルトランスフェラーゼと推測されたが,実際にはメチル化反応は触媒せず,S-アデノシルメチオニンを補酵素として駆使し脱水反応および3種のペリ環状反応を触媒する先例のない多機能性の酵素であることが明らかにされた.この研究は,天然に存在する酵素にはいまだ同定されていない酵素的なペリ環状反応が存在することを想起させるとともに,万能な補酵素であるS-アデノシルメチオニンの新たな役割が酵素反応のほかにも見い出される可能性を期待させるものである.

はじめに

 天然に存在する酵素的なペリ環状反応は非常にまれな反応として知られてきた.実際に,ペリ環状反応は数多くの多環性天然物の生合成にかかわる重要な反応と示唆されてきたものの,これまで,ペリ環状反応を触媒する酵素はひとにぎりしか同定されていない1).筆者らは,天然物の生合成においていまだ同定されていない酵素的なペリ環状反応のうち,天然物のヘテロ芳香環を構築するために重要なヘテロDiels-Alder反応に着目して研究を展開してきた.ヘテロDiels-Alder反応はジヒドロピラン環を形成するための重要な生合成反応と示唆されており,ジヒドロピラン環は糸状菌Aspergillus属の生産するleporinをはじめとする数多くの天然物において頻繁にみられる構造のひとつである2).アルコール体の脱水反応により生じる不安定な中間体を用いたleporinのジヒドロピラン環の生合成を模倣した反応においては,ヘテロDiels-Alder反応の生成物である少量のleporinと,その位置異性体あるいは立体異性体である分子内Diels-Alder反応およびヘテロDiels-Alder反応の副生成物の混合物が得られる3).したがって,ジヒドロピラン環を構築するためには酵素による反応の制御が必要不可欠である4).すなわち,leporinの生合成遺伝子クラスターにはヘテロDiels-Alder反応を触媒する酵素がコードされることが強く示唆された.この研究においては,ヘテロDiels-Alder反応を触媒する酵素の同定およびその機能の解析をめざした.

1.S-アデノシルメチオニンに依存性の酵素LepIの同定

 leporinの生合成遺伝子クラスターはAspergillus flavusのゲノムにおいてすでに同定されていたが5),環化酵素や機能が未知の酵素といったヘテロDiels-Alder反応を触媒する酵素の候補をコードする遺伝子の存在は確認されていなかった.そこで,Aspergillus nidulansを異種発現用の宿主として用いてleporinの生合成経路を再構築した.その結果,ポリケチド合成酵素-非リボソームペプチド合成酵素であるLepA,そのパートナーとしてはたらくエノイルレダクターゼLepG,環拡大反応を触媒するP450 LepHの発現により6),ケトン体が生合成された(図1).さらに,ケトン体をアルコール体へと還元すると推測される短鎖型デヒドロゲナーゼ/レダクターゼLepFの発現により,leporinだけでなく,副生成物としてヘテロDiels-Alder反応ジアステレオマーおよび3つの分子内Diels-Alder反応生成物が得られた.これらの化合物のうち,leporinおよび分子内Diels-Alder反応生成物のひとつは (E)-キノンメチドをへて生成し,ほかの化合物は (Z)-キノンメチドを介して生成すると考えられた.これらの結果は,ジヒドロピラン環の生合成を模倣した合成から得られた知見と一致しており,ペリ環状反応の生成物としてleporinを生合成するためには,アルコール体から (E)-キノンメチドへの脱水だけでなく,つづくペリ環状反応も酵素による反応の制御が必要なことが示された.

figure1

 このleporinの生合成遺伝子クラスターには,leporinの生合成には不要であるのにもかかわらず強く保存されたS-アデノシルメチオニン結合モチーフをもつO-メチルトランスフェラーゼと推測されたLepIをコードする遺伝子が残った.また,アルコール体の還元に由来するさまざまなペリ環状反応の生成物を生産するA. nidulans株においてLepIを発現させたところ,副生成物を生成することなくleporinが支配的に生成された.以上のことから,O-メチルトランスフェラーゼ様の酵素LepIはアルコール体からleporinへの変換を触媒する重要な酵素であることが示唆された.

2.LepIの基質の同定

 LepIの基質はアルコール体であることを確認するため,in vitroにおいてアルコール体にLepIを反応させた.LepIの非存在下ではアルコール体の自発的な脱水反応により分子内Diels-Alder反応およびヘテロDiels-Alder反応の混合生成物が得られたのに対し,LepIの存在下ではS-アデノシルメチオニンなどの補酵素の添加なしにアルコール体からleporinへ完全に変換された.このことから,LepIは単独でアルコール体から (E)-キノンメチドへの脱水反応,および,つづくヘテロDiels-Alder反応を触媒する多機能性の酵素であることが示された.

3.LepIが触媒する反応

 さらに詳細な反応機構を理解するため,アルコール体を基質として用い,LepIの反応を時間に依存的に解析した.その結果,アルコール体からleporinへの変換の過程において分子内Diels-Alder反応生成物の生成および消失がみられた.この結果から,LepIの存在下にもかかわらず (E)-キノンメチドから分子内Diels-Alder反応生成物およびヘテロDiels-Alder反応生成物であるleporinが同時に生成する,すなわち,LepIによるヘテロDiels-Alder反応の制御は不完全であることが示唆された.さらに,LepIは副生成物として生じた分子内Diels-Alder反応生成物をleporinへと変換するため,これまで酵素反応として先例のないレトロClaisen転位を触媒することが示唆された.このことを確認するため,分子内Diels-Alder反応生成物にLepIを反応させたところ,分子内Diels-Alder反応生成物からleporinへの自発的な変換は非常に遅いが,LepIの存在下ではその反応は18万倍も加速された.以上のことから,LepIは脱水反応,分子内Diels-Alder反応およびヘテロDiels-Alder反応にくわえ,レトロClaisen転位を触媒する多機能性の酵素であることが明らかにされた.

4.LepIのS-アデノシルメチオニンへの依存性

 ほかの典型的なメチルトランスフェラーゼと同様に7),LepIにはS-アデノシルメチオニン結合モチーフが強く保存されていたことから,LepIが触媒する反応にS-アデノシルメチオニンが関与するかどうか検討した.これまでのin vitroにおけるLepIの反応においてS-アデノシルメチオニンの添加なしに反応は進行したことから,LepIがS-アデノシルメチオニンを保持した状態で精製されている可能性がうたがわれた.変性したLepIの上清からはS-アデノシルメチオニンが検出され,精製されたLepIのうち約8~9割はS-アデノシルメチオニンを保持することが示唆された.そこで,S-アデノシルメチオニンの競合的な阻害剤として知られるS-アデノシルホモシステインの存在下においてLepIを反応させたところ,アルコール体の脱水反応および分子内Diels-Alder反応生成物のレトロClaisen転位が強く阻害されたが,S-アデノシルメチオニンの添加によりS-アデノシルホモシステインによる阻害はほぼ完全に消失した.このことから,S-アデノシルメチオニンがLepIの触媒活性に必須の因子であることが示されたとともに,S-アデノシルホモシステインにはなくS-アデノシルメチオニンのみがもつ正電荷がこれらの反応に要求されると考えられた.そこで,S-アデノシルホモシステインの存在下においてS-アデノシルメチオニンの正電荷アナログを添加してLepIを反応させたところ,脱水反応およびレトロClaisen転位のS-アデノシルホモシステインによる阻害は消失した.

5.LepIが制御する“ambimodal”分子内Diels-Alder反応およびヘテロDiels-Alder反応

 なぜ酵素反応であるのにもかかわらず,(E)-キノンメチドから分子内Diels-Alder反応生成物およびヘテロDiels-Alder反応生成物であるleporinが同時に生成するのか,また,S-アデノシルメチオニンは反応にどのように関与するのかについて理解を深めるため,密度汎関数理論計算を行った.その結果,(E)-キノンメチドから分子内Diels-Alder反応生成物およびleporinへの遷移状態は同一で,いわゆる,“ambimodal”遷移状態にあることが明らかにされた.“ambimodal”遷移状態の場合,遷移状態から生成物へと進む過程において反応経路が枝分かれするため2つの異なる生成物が得られる8).非酵素反応の場合は (E)-キノンメチドからの分子内Diels-Alder反応生成物とleporinの生成比はおおよそ94対6であるが酵素反応の場合はおおよそ50対50であることから,LepIは遷移状態ののちのダイナミクスを制御すると考えられた.実際に,分子動力学計算により,非酵素反応の場合には分子内Diels-Alder反応への経路が支配的であるのに対し,S-アデノシルメチオニンのモデル分子を作用させた場合には約8割がヘテロDiels-Alder反応への経路を選択することが示された.さらに,分子内Diels-Alder反応生成物とS-アデノシルメチオニンあるいはその正電荷アナログとの相互作用により,分子内Diels-Alder反応生成物からleporinへのレトロClaisen転位の活性化エネルギーが大きく低下すると推測され,これらの計算により,正電荷をもつS-アデノシルメチオニンの触媒的な役割が強く支持された.

おわりに

 この研究において,S-アデノシルメチオニンに依存性の酵素であるLepIは,1)アルコール体から (E)-キノンメチドへの立体選択的な脱水反応,2)(E)-キノンメチドから分子内Diels-Alder反応生成物およびleporinへの“ambimodal”分子内Diels-Alder反応およびヘテロDiels-Alder反応,3)分子内Diels-Alder反応生成物からleporinへのレトロClaisen転位,を触媒する多機能性の酵素であることが明らかにされた(図2).LepIは遷移状態ののちの活性化エネルギーを変化させることにより,遷移状態ののち分岐する経路をヘテロDiels-Alder反応が有利になるよう制御する.しかし,“ambimodal”遷移状態の性質から分子内Diels-Alder反応生成物の生成を完全には抑制することができないため,LepIはレトロClaisen転位を触媒することにより分子内Diels-Alder反応生成物をleporinへと変換する.このように,LepIは生合成の最終生産物へと到達させるため副生成物の合理的なリサイクル経路を発展させていた.この研究における先例のないS-アデノシルメチオニンに依存性の多機能性の酵素の発見は,S-アデノシルメチオニンの万能性および重要性を示すのみならず,既存のS-アデノシルメチオニンに依存性の酵素をペリ環状反応を触媒する酵素へと進化させるための重要な知見をあたえるものである.

figure2

文 献

  1. Lin, C. I., McCarty, R. M. & Liu, H. W.: The enzymology of organic transformations: a survey of name reactions in biological systems. Angew. Chem. Intl. Ed. Engl., 44, 3446-3489 (2017)[PubMed]
  2. Stocking, E. M. & Williams, R. M.: Chemistry and biology of biosynthetic Diels-Alder reactions. Angew. Chem. Intl. Ed. Engl., 42, 3078-3115 (2003)[PubMed]
  3. Snider, B. B. & Lu, Q.: Total synthesis of (±)-leporin A. J. Org. Chem., 61, 2839-2844 (1996)[PubMed]
  4. Tang, M. C., Zou, Y., Watanabe, K. et al.: Oxidative cyclization in natural product biosynthesis. Chem. Rev., 117, 5226-5333 (2017)[PubMed]
  5. Cary, J. W., Uka, V., Han, Z. et al.: An Aspergillus flavus secondary metabolic gene cluster containing a hybrid PKS-NRPS is necessary for synthesis of the 2-pyridones, leporins. Fungal. Genet. Biol., 81, 88-97 (2015)[PubMed]
  6. Halo, L. M., Heneghan, M. N., Yakasai, A. A. et al.: Late stage oxidations during the biosynthesis of the 2-pyridone tenellin in the entomopathogenic fungus Beauveria bassiana. J. Am. Chem. Soc., 130, 17988-17996 (2008)[PubMed]
  7. Jansson, A., Koskiniemi, H., Erola, A. et al.: Aclacinomycin 10-hydroxylase is a novel substrate-assisted hydroxylase requiring S-adenosyl-L-methionine as cofactor. J. Biol. Chem., 280, 3636-3644 (2005)[PubMed]
  8. Patel, A., Chen, Z., Yang, Z. et al.: Dynamically complex [6+4] and [4+2] cycloadditions in the biosynthesis of spinosyn A. J. Am. Chem. Soc., 138, 3631-3634 (2016)[PubMed]

活用したデータベースにかかわるキーワードと統合TVへのリンク

生命科学の教科書における関連するセクションへのリンク

東京大学 大学院総合文化研究科・教養学部附属教養教育高度化機構自然科学教育高度化部門から公開されている生命科学の教科書 “A Comprehensive Approach To LIFE SCIENCE”(羊土社『理系総合のための生命科学 第2版』の英語版)における関連するセクションへのリンクです.

著者プロフィール

大橋 雅生(Masao Ohashi)
略歴:2015年 岡山大学大学院医歯薬学総合研究科 修了,同年 静岡県立大学薬学部 特任助教,2016年 米国California大学Los Angeles校 客員研究員を経て,2017年より静岡県立大学薬学部 博士研究員.
研究テーマ:ペリ環状反応を触媒する酵素の発見およびその精密な機能の解析.
関心事:天然物創薬の現状,Los Angeles市の家賃,円相場(ドル).

渡辺 賢二(Kenji Watanabe)
静岡県立大学薬学部 教授.
研究室URL:http://sweb.u-shizuoka-ken.ac.jp/~kenji55-lab/

© 2017 大橋雅生・渡辺賢二 Licensed under CC 表示 2.1 日本

39.5億年前の微生物による炭素固定の証拠

$
0
0

小宮 剛1・石田章純2
1東京大学大学院総合文化研究科 広域科学専攻広域システム科学系,2東北大学高度教養教育・学生支援機構 自然科学教育開発室)
email:小宮 剛
DOI: 10.7875/first.author.2017.122

Early trace of life from 3.95 Ga sedimentary rocks in Labrador, Canada.
Takayuki Tashiro, Akizumi Ishida, Masako Hori, Motoko Igisu, Mizuho Koike, Pauline Méjean, Naoto Takahata, Yuji Sano, Tsuyoshi Komiya
Nature, 549, 516-518 (2017)

要 約

 地球上に生命が存在した証拠をどこまで古い年代にさかのぼることができるかという試みは,生命の起源を推定するうえでもっとも直接的かつ重要な手法である.筆者らは,39.5億年前の年代をもつ堆積岩を調査し,微小な炭質物の粒子を発見した.これらの炭質物は堆積構造と整合的に産出しており,当時の海底面に降り積もったものと考えられた.そして,質量分析計を用いて炭質物と炭酸塩鉱物との炭素同位体比を測定し,発見された炭質物は生命により還元的アセチルCoA経路やカルビン回路といった炭素固定経路をへて形成されたことを明らかにした.さらに,堆積岩にともなう玄武岩質変成岩の鉱物組合せや炭質物を含む堆積岩中の変成鉱物の化学組成から変成温度を推定し,これがラマン分光分析法によりもとめられた炭質物の結晶化度と矛盾しないことを検証した.これら詳細な地質学的,変成岩岩石学的,鉱物学的な研究の結果と,炭質物や炭酸塩の同位体組成のデータを統合し,39.5億年前の海洋で生命活動が行われていたと結論づけた.この結果は,世界最古の生命の痕跡を従来の推定よりおよそ1億年もさかのぼらせるものである.

はじめに

 生命がいつどこで誕生したのかという疑問は,自然科学のみならず,人類がもつもっとも本質的な問いであり,多くの人を魅了する課題であろう.しかし,その解明はいまだ道なかばである.その理由として,岩石や地質体が残されていない冥王代(45.7~40.3億年前)のみならず,原太古代(40.3~36億年前)の岩石や地質体でさえ地球上ではきわめてまれであるため,過去の生命の痕跡を直接的に探索するのはきわめて困難なこと,さらに,一般に生命の証拠は形態をもとに探索されるが,初期の生命は球状などの単純な形状をとっていたと考えられ,形態だけでは無機物か生物由来かを判定するのが困難であること,原太古代の地質体はのちの時代に強い変成作用をうけており,形成されたときの性質が失われている場合が多いこと,があげられる.現在,知られている最古の生命の痕跡は,西グリーンランド南部のイスア地域の堆積岩から発見された炭質物で37~38億年前のものとされる1).それより古いものとして,カナダのヌブアギツック地域からは37.5億年前の炭質物が,グリーンランドのアキリア島からは38.3億年前の炭質物が報告されているが,生物起源であることが疑われており,地球初期の岩石から生命の痕跡を探ることのむずかしさを物語る2,3)
 最近,カナダのラブラドル地域に産出するヌリアック表成岩帯の詳細な地質調査およびジルコンのウラン鉛年代測定が行われ,この地域に少なくとも39.5億年前の堆積岩が存在することが報告された4,5).この研究においては,この堆積岩に残存する炭質物の炭素同位体の分析により地球最古の生命活動の痕跡を探索した.

1.サグレック岩体およびヌリアック表成岩類の地質の概説および年代

 サグレック岩体は西グリーンランドに面したラブラドル半島に存在し,初期~後期太古代の花崗岩質片麻岩や表成岩(溶岩や堆積岩など地球表層で形成した岩石),中期太古代の玄武岩質なサグレック岩脈と若い花崗岩質岩脈から構成される.中央にはハンディ断層が南北に走り,断層の西側ではグラニュライト相,東側では角閃岩相から下部グラニュライト相の変成作用をうけている.この地域の花崗岩質片麻岩と表成岩はサグレック岩脈との貫入関係により2つのグループに大別され,サグレック岩脈より古いグループはイカルック-ウィバック片麻岩およびヌリアック表成岩類とよばれる.イカルック-ウィバック片麻岩中のジルコンのレーザーICP-MSによるウラン鉛年代測定の結果,St. John’s Harbourの南側の花崗岩質片麻岩は約39.5億年前という火成年代をもつことがわかった5).ヌリアック表成岩はその花崗岩質片麻岩に貫入されていることから39.5億年前より古いと考えられ,現存する最古の表成岩となる.
 この研究においては,St. John’s Harbour南側,St. John’s Harbour東側,Big Island,Shuldham Islandの4つの地域のヌリアック表成岩類中の泥質片麻岩,礫岩,炭酸塩岩中の炭質物の全岩炭素同位体を分析した.この地域は高度の変成作用をうけているため産する岩石はすべて変成岩であるが,煩雑性をさけるため,以下では“変成”という接頭語をつけずに表記する.ヌリアック表成岩類は超苦鉄質岩,玄武岩質火山岩,化学沈殿岩(縞状鉄鉱層,炭酸塩岩,チャート)と砕屑性堆積岩(泥質岩,レキ岩)から構成される.表成岩はおおむね南北走向で,40~80度ほど西に傾斜している.表成岩帯の内部は層理面に対して比較的低角な断層により境界づけられたサブブロックから構成され,そのサブブロックの内部の構造はサブユニットのあいだで類似し,構造的下位(東側)から超苦鉄質岩,玄武岩,堆積岩の順で構成される.そして,全体としてサブユニットが累重した覆瓦状の構造をなす(短縮変形をしたことを示す).とくに,St. John’s Harbour南側地域ではそれらの断層が南側では下位の断層に,北では上位の断層に収斂するデュープレックス構造をなす.Shuldham島の西海岸沿いには下位から超苦鉄質岩,ハンレイ岩由来と考えられる斜長石に富む白色の粗粒角閃岩と単斜輝石由来の角閃石に富む濃緑色の粗粒角閃岩の互層,玄武岩,泥質岩からなる超苦鉄質岩体が存在する.

2.炭質物の産状

 さきにのべた4カ所にPangertok Inletをくわえた5カ所で採取した泥質岩,礫岩,炭酸塩岩と炭酸塩岩中のチャート塊とチャートの156試料を顕微鏡により観察し炭質物を探した.炭質物はチャート以外の54試料から発見された.また,変成度が高いサグレック岩体西部の岩石には,岩相によらずすべての試料において炭質物の存在を確認することができなかった.炭質物は数十~数百μmの大きさで,一部の泥質岩で残存する堆積構造に沿うように鉱物の粒界あるいは鉱物中に存在した.また,とくにチャート塊では球状炭質物も存在した.おのおのの岩石が経験した変成温度は,変成鉱物の鉱物組合せやザクロ石-黒雲母地質温度計により見積もった.その結果,変成温度は580~800℃,グラファイトの結晶化度から推定した温度は536℃以上となり,両者が調和的であったことから炭質物は変成作用のまえから存在しており,のちの時代の混入によるものではないと考えられた.

3.炭質物の炭素同位体値

 炭酸塩岩の無機炭素同位体値は-3.8~-2.6‰で,有機炭素同位体値は-28.2~-6.9‰であった.とくに,炭酸塩岩やチャート塊の有機炭素同位体値は高く,泥質岩や礫岩は低い有機炭素同位体値を示した.また,泥質岩の有機炭素同位体値は全炭素含有量と弱い負の相関がみられ,全炭素含有量の高い試料ほど比較的低い有機炭素同位体値を示した.また,変成度の高い地域の試料ほど有機炭素同位体値が高い傾向がみられた.

4.炭質物の有機炭素同位体値と最古の生命の痕跡

 炭酸塩岩の無機炭素同位体値は一般にのちの変質によって低くなることから,当時の海洋中の炭酸イオンの炭素同位体比は最低でも-2.6‰であったと考えられた.また,流体包有物からの晶出や炭酸塩の分解など無機的に生じた炭質物は0~-15‰と比較的高い炭素同位体値をもつ.一方,独立栄養生物は炭素固定の際に軽い同位体を選択的に同化するため,炭素固定回路に依存して-20‰以下の低い値をもつ6)図1).ヌリアック表成岩類の礫岩や泥質岩中の多くのグラファイトは-20‰以下の低い炭素同位体値をもち,-28.2‰に達するものも存在した.さらに,その炭素同位体比は炭素含有量とは負の相関,変成度とは正の相関がみられたことから,変成作用の際の有機物の分解により軽い同位体(12C)が選択的に失われたと考えられた.その場合,炭質物の炭素同位体値の初生値は-28.2‰以下であったと考えられた.海洋の無機炭酸イオンと有機炭素の炭素同位体値の差(炭素同位体分別係数)は25.6‰以上になったことから,その有機炭素は生命による還元的アセチルCoA経路やカルビン回路などの炭素固定経路をへて生じたと考えられた(図1).

figure1

おわりに

 この研究により,約39.5億年前の海洋で生命活動が行われていた地球化学的な証拠が世界ではじめて示された.これまで,38.1億年前の堆積岩中の炭質物が最古の生命の証拠とされてきたが1),筆者らの発見はそれをおよそ1億年も更新した.当時の海洋に生息していた微生物種については,今後,窒素や鉄などの生元素同位体の組成や有機物結合金属元素の分布など,さらなる分析評価を重ねることにより特定されると期待される.

文 献

  1. Rosing, M. T.: 13C-depleted carbon microparticles in >3700-Ma sea-floor sedimentary rocks from West Greenland. Science, 283, 674-676 (1999)[PubMed]
  2. Papineau, D., De Gregorio, B. T., Cody, G. D. et al.: Young poorly crystalline graphite in the >3.8-Gyr-old Nuvvuagittuq banded iron formation. Nat. Geosci., 4, 376-379 (2011)
  3. Lepland, A., van Zuilen, M. A. & Philippot, P.: Fluid-deposited graphite and its geobiological implications in early Archean gneiss from Akilia, Greenland. Geobiology, 9, 2-9 (2011)[PubMed]
  4. Komiya, T., Yamamoto, S., Aoki, S. et al.: Geology of the Eoarchean, > 3.95 Ga, Nulliak supracrustal rocks in the Saglek Block, northern Labrador, Canada: the oldest geological evidence for plate tectonics. Tectonophysics, 662, 40-66 (2015)
  5. Shimojo, M., Yamamoto, S., Sakata, S. et al.: Occurrence and geochronology of the Eoarchean, ~3.9 Ga, Iqaluk Gneiss in the Saglek Block, northern Labrador, Canada: evidence for the oldest supracrustal rocks in the world. Precambrian Res., 278, 218-243 (2016)
  6. Schidlowski, M., Appel, P. W. U., Eichmann, R. et al.: Carbon isotope geochemistry of the 3.7 × 109-yr-old Isua sediments, West Greenland: implications for the Archaean carbon and oxygen cycles. Geochim. Cosmochim. Acta, 43, 189-199 (1979)

著者プロフィール

小宮 剛(Tsuyoshi Komiya)
略歴:1999年 東京工業大学大学院理工学研究科博士課程 修了,同年 理化学研究所情報基盤研究部 協力研究員,2000年 東京工業大学大学院理工学研究科 研究員,2003年 同 助手,2006年同 助教授を経て,2009年より東京大学大学院総合文化研究科 准教授.
研究テーマ:地球生命進化史.
関心事:地球の進化を地球に残された証拠からどこまでさかのぼれるか.
研究室URL:http://ea.c.u-tokyo.ac.jp/earth/Members/komiya.html

石田 章純(Akizumi Ishida)
東北大学高度教養教育・学生支援機構 助教.

© 2017 小宮 剛・石田章純 Licensed under CC 表示 2.1 日本

マウスにおける割球に類似した性質をもつ幹細胞株の樹立

$
0
0

正木英樹・中内啓光
(東京大学医科学研究所 幹細胞治療研究センター幹細胞治療分野)
email:中内啓光
DOI: 10.7875/first.author.2017.124

Establishment of mouse expanded potential stem cells.
Jian Yang, David J. Ryan, Wei Wang, Jason Cheuk-Ho Tsang, Guocheng Lan, Hideki Masaki, Xuefei Gao, Liliana Antunes, Yong Yu, Zhexin Zhu, Juexuan Wang, Aleksandra A. Kolodziejczyk, Lia S. Campos, Cui Wang, Fengtang Yang, Zhen Zhong, Beiyuan Fu, Melanie A. Eckersley-Maslin, Michael Woods, Yosuke Tanaka, Xi Chen, Adam C. Wilkinson, James Bussell, Jacqui White, Ramiro Ramirez-Solis, Wolf Reik, Berthold Göttgens, Sarah A. Teichmann, Patrick P. L. Tam, Hiromitsu Nakauchi, Xiangang Zou, Liming Lu, Pentao Liu
Nature, 550, 393-397 (2017)

要 約

 マウスにおいて,着床前胚のエピブラストに由来するES細胞は,着床前胚に移植された際には体細胞系譜および生殖系列に寄与するが,栄養外胚葉や原始内胚葉に由来する胚体外組織には寄与しない.この研究において,筆者らは,8細胞期のおのおのの割球,および,ES細胞あるいはiPS細胞から,胚体および胚体外組織への分化能をもつ幹細胞株としてEPSC(expanded potential stem cell)を樹立した.キメラ形成実験において,ひとつのEPSCが胚体および栄養外胚葉の系列の双方に寄与することが示された.また,培養下においてEPSCから栄養外胚葉幹細胞および胚体外内胚葉幹細胞が作出された.さらに,エピゲノム解析および単一の細胞におけるトランスクリプトーム解析から,EPSCが割球に特異的なDNAメチロームおよび遺伝子の発現プロファイルをもつことが確認された.マウスにおいてこのような幹細胞株が樹立されたことから,ほかの哺乳動物においても同様の幹細胞株が樹立される可能性がある.

はじめに

 マウスのES細胞およびiPS細胞における未分化性の維持には,MEK阻害剤であるPD0325901およびGSK3β阻害剤であるCHIR99021を添加した2i/LIF培地を用いることにより分化を抑制する手法が広く用いられている1).2i/LIF培地を用いることにより桑実胚の割球,胚盤胞の内部細胞塊,初期のエピブラストからES細胞が樹立されるが,どの発生段階から樹立したES細胞も胎生4.5日目のエピブラストと近似した遺伝子の発現パターンを示すことが知られている2)図1).筆者らは,ほかのシグナル伝達経路を阻害し割球の分化を抑制することにより,ES細胞より早い発生段階に相当する,胚体および胚体外組織の双方に寄与する幹細胞株が樹立されるのではないかと考えた.

figure1

1.EPSCの樹立

 これまでの報告から,桑実期から胚盤胞期にかけて内部細胞塊,原子内胚葉,栄養外胚葉に分化する過程にかかわるシグナル伝達経路を探し,MAPキナーゼシグナル伝達経路,Srcシグナル伝達経路,Wntシグナル伝達経路,Hippoシグナル伝達経路,および,ポリアデニル化制御タンパク質がこれらの運命決定に重要であると予想した.Srcシグナルを阻害すると桑実胚からの栄養外胚葉および原子内胚葉の形成が阻害されること,各種のポリアデニル化制御タンパク質のノックアウトにより栄養外胚葉の形成に影響がでること,Wntが初期の体軸の形成のイニシエーターであること,といった論拠をもとにさまざまな阻害剤の組合せを試し,最終的な組成にたどりついた.MAPキナーゼシグナルの阻害にはMEK1およびMEK2の阻害剤であるPD0325901のみならず,JNKシグナルの阻害剤であるJNK inhibitor VIII,p38シグナルの阻害剤であるSB203580を組み合わせ,下流の標的となるタンパク質であるERK1およびERK2の活性化を強力に阻害するようにした.XAV939は直接的にはポリアデニル化制御タンパク質のひとつであるTNKSを阻害するが,Wntシグナル阻害剤としても知られ,間接的にHippoシグナルも阻害される.この培地にはCHIR99021も添加されており,Wntシグナルの観点からはCHIR99021とXAV939の作用は矛盾するが,この培地からCHIR99021あるいはXAV939を除いてものちに述べるEPSC(expanded potential stem cell)の性質は維持されたことから,それぞれのWntシグナルのほかへの作用が重要であると考えられた.過去にも,マウスの多能性幹細胞をCHIR99021およびXAV939を添加した培地において培養した例は報告されている3,4)
 マウスの8細胞期胚から単離した割球を,このEPSC培地と命名した培地において培養したところ,32の割球から8株が樹立され,EPSCと命名したすべての株はOct4陽性Cdx2陰性であった.一方,15%FBS含有培地あるいは2i/LIF培地において培養した場合には株はまったく樹立されなかった.EPSCは割球のみならず,4細胞期あるいは8細胞期の胚のまるごとからも樹立された.これらの株はマウスのES細胞と同じ多能性に関連する遺伝子を発現し,核型は正常で,異所的に移植された場合にはテラトーマを形成し,キメラ形成実験においては生殖系列への寄与も確認された.しかし,EPSCがES細胞と異なっていたのは,着床前胚に移植されたEPSCは内部細胞塊および栄養外胚葉の双方に分布することであった.これらのキメラ胚を子宮において発生させ,胚性6.5日目において解析したところ,EPSCに由来する細胞はエピブラストのみならず胚体外外胚葉にも寄与していた.より発生を進め胚性14.5日目において解析したところ,EPSCに由来する細胞は胚体のみならず羊膜および胎盤にも寄与していた.正確には,ES細胞を用いてキメラを形成させた場合,ES細胞に由来する細胞は羊膜の胚体外中胚葉には寄与するが,EPSCに由来する細胞は胚体外外胚葉への寄与も確認された.また,PD0325901を除くEPSC培地のおのおのの阻害剤はEPSCの性質の維持に必須ではなく,頻度は低下するものの,2i/LIF培地にA-419259あるいはXAV939を添加した培地でも胚体および胚体外組織への寄与が認められた.EPSCは割球から樹立されるのみならず,2i/LIF培地において維持されていたマウスのES細胞あるいはiPS細胞をEPSC培地において5継代以上にわたり培養することによっても樹立された.

2.EPSCの性質の評価

 RNAシークエンシングにより複数のEPSC株とES細胞株のトランスクリプトームを比較したところ,両者は異なるグループに分類された.多能性の維持にかかわる遺伝子については両者の発現プロファイルは近似していた.胚における遺伝子発現と比較すると,主成分分析にもとづくと割球における遺伝子発現とEPSCにおける遺伝子発現は異なるグループに分類された.しかし,胚の発生に関連する遺伝子に限定すると,EPSCにおける遺伝子発現と4細胞期の割球における遺伝子発現は近似していた.割球のそれぞれの段階に特異的な遺伝子の発現をEPSCとES細胞とで比較したところ,EPSCは受精胚から4細胞期に特異的な遺伝子との発現の相関が高く,ES細胞は8細胞期および16細胞期よりあとの特異的な遺伝子との相関が高くなった.また,ES細胞に含まれる全能性をもつサブポピュレーション5,6)in vivoにおいてリプログラミングしたiPS細胞7) といった既報の胚体および胚体外の双方への寄与を示す細胞株の遺伝子発現のデータをEPSCと比較したが,それらの株は異なるグループに分類された.
 EPSCはES細胞と比較してDNAメチル基転移酵素であるDnmt3aおよびDnmt3lが高い発現を示した一方,DNA脱メチル化にかかわる酵素であるTet1,Tet2,Tdgの発現も相対的に高く,DNA脱メチル化の指標である5-ヒドロキシメチルシトシンの割合もはるかに高かった.これらは,4~8細胞期の割球にみられる特徴と同一であった.
 ヒストンのメチル化についてEPSCとES細胞とで比較したところ,遺伝子発現が活性化した状態であるヒストンH3のLys4のトリメチル化および遺伝子発現が抑制された状態であるヒストンH3のLys27のトリメチル化の双方をもつ遺伝子座のうち,EPSCに特異的なものは胚の発生に関連する遺伝子に集中していた.ヒストンH3のLys4のトリメチル化をもつ遺伝子の発現プロファイルは8細胞期のものと類似していた.
 EPSCは2i/LIF培地において数継代にわたり培養するとES細胞様の性質を獲得し,キメラ形成実験ではエピブラスト系列にしか寄与しなくなった.では,EPSCから胚盤胞を構成するほかの細胞である栄養外胚葉幹細胞あるいは胚体外内胚葉細胞は樹立されるだろうか.TX培地8) において培養したところ,EPSCからCdx2を発現する栄養外胚葉幹細胞様の細胞が得られた.この細胞はin vitroにおいて栄養膜に分化し,胚盤胞に移植してキメラを形成させたところ栄養膜に分布し胚性6.5日胚の胚体外外胚葉に寄与したことから,栄養外胚葉幹細胞と同様の性質をもつことが示された.胚体外内胚葉細胞への分化の誘導については,既報の培養法9) を適用し,Gata6を発現する細胞を胚体外内胚葉細胞様細胞として単離した.この細胞は遺伝子の発現プロファイルおよびキメラ形成実験の結果から,胚体外内胚葉細胞と同等であることが確認された.すなわち,EPSCはin vivoおよびin vitroのどちらにおいても胚体,胚体外外胚葉,胚体外内胚葉への分化能をもつことが示された.
 以上の結果から,さまざまな阻害剤を組み合わせることにより,割球に相当する発生段階にある幹細胞株が樹立されたと結論づけた(図1).

おわりに

 今回,阻害剤の新規の組合せにより既報の多能性幹細胞とは異なる性質をもつ幹細胞株が樹立された.つぎの課題は,同様の細胞株がヒトを含むほかの哺乳動物においても樹立されるかあり,今後,検証を進めていく予定である.

文 献

  1. Ying, Q. -L., Wray, J., Nichols, J. et al.: The ground state of embryonic stem cell self-renewal. Nature, 453, 519-523 (2008)[PubMed]
  2. Boroviak, T., Loos, R., Bertone, P. et al.: The ability of inner-cell-mass cells to self-renew as embryonic stem cells is acquired following epiblast specification. Nat. Cell Biol., 16, 513-525 (2014)[PubMed]
  3. Kim, H., Wu, J., Ye, S. et al.: Modulation of β-catenin function maintains mouse epiblast stem cell and human embryonic stem cell self-renewal. Nat. Commun., 4, 2403 (2013)[PubMed]
  4. Murayama, H., Masaki, H., Sato, H. et al.: Successful reprogramming of epiblast stem cells by blocking nuclear localization of β-catenin. Stem Cell Rep., 4, 103-113 (2015)[PubMed]
  5. Morgani, S. M., Canham, M. A., Nichols, J. et al.: Totipotent embryonic stem cells arise in ground-state culture conditions. Cell Rep., 3, 1945-1957 (2013)[PubMed]
  6. Macfarlan, T. S., Gifford, W. D., Driscoll, S. et al.: Embryonic stem cell potency fluctuates with endogenous retrovirus activity. Nature, 487, 57-63 (2012)[PubMed]
  7. Abad, M., Mosteiro, L., Pantoja, C. et al.: Reprogramming in vivo produces teratomas and iPS cells with totipotency features. Nature, 502, 340-345 (2013)[PubMed]
  8. Kubaczka, C., Senner, C., Arauzo-Bravo, M. J. et al.: Derivation and maintenance of murine trophoblast stem cells under defined conditions. Stem Cell Rep., 2, 232-242 (2014)[PubMed]
  9. Niakan, K. K., Schrode, N., Cho, L. T. Y. et al.: Derivation of extraembryonic endoderm stem (XEN) cells from mouse embryos and embryonic stem cells. Nat. Protocols, 8, 1028-1041 (2013)[PubMed]

活用したデータベースにかかわるキーワードと統合TVへのリンク

著者プロフィール

正木 英樹(Hideki Masaki)
略歴:2005年 東北大学大学院理学研究科 修了,同年 日本シェーリング,2007年 バイエル薬品,2008年 米国iZumiBio社,2010年 科学技術振興機構ERATO中内幹細胞制御プロジェクト 研究員を経て,2015年より東京大学医科学研究所 助教(現 特任助教).
研究テーマ:再生医療の産業化を目標とした,多能性幹細胞からの臓器の作製および機能的な細胞の作製.

中内 啓光(Hiromitsu Nakauchi)
東京大学医科学研究所 特任教授.
研究室URL:http://stemcell-u-tokyo.org/sct/memberlist/member/nakauchihiromitsu.html

© 2017 正木英樹・中内啓光 Licensed under CC 表示 2.1 日本

熱帯熱マラリア原虫のもつRIFINによる宿主の免疫抑制化受容体を介した免疫からの逃避の機構

$
0
0

齋藤史路・平安恒幸・荒瀬 尚
(大阪大学微生物病研究所 免疫化学分野)
email:齋藤史路平安恒幸荒瀬 尚
DOI: 10.7875/first.author.2017.142

Immune evasion of Plasmodium falciparum by RIFIN via inhibitory receptors.
Fumiji Saito, Kouyuki Hirayasu, Takeshi Satoh, Christian W. Wang, John Lusingu, Takao Arimori, Kyoko Shida, Nirianne Marie Q. Palacpac, Sawako Itagaki, Shiroh Iwanaga, Eizo Takashima, Takafumi Tsuboi, Masako Kohyama, Tadahiro Suenaga, Marco Colonna, Junichi Takagi, Thomas Lavstsen, Toshihiro Horii, Hisashi Arase
Nature, 552, 101-105 (2017)

要 約

 マラリアはもっとも重大な感染症のひとつであり,年間の死亡者数は約50万人と推定されている.生命をおびやかすマラリアの原因は熱帯熱マラリア原虫の感染である.熱帯熱マラリア原虫にくり返し感染しても十分な獲得免疫は成立しないため,熱帯熱マラリア原虫は免疫からのがれるしくみをもつことが考えられるが,その免疫抑制の機構についてはほとんどわかっていない.この研究において,筆者らは,熱帯熱マラリア原虫は宿主の免疫抑制化受容体を利用した免疫から逃避する機構をもつことを発見した.熱帯熱マラリア原虫のもつRIFINは150~200種類の遺伝子にコードされる多重遺伝子ファミリータンパク質であり,熱帯熱マラリア原虫に感染した赤血球の表面に発現するが,その機能は明らかでなかった.筆者らは,多数のRIFINのうちの一部が宿主の免疫抑制化受容体LILRB1と結合し,LILRB1の発現するB細胞やナチュラルキラー細胞の活性を抑制することを明らかにした.さらに,マラリアの患者に由来する熱帯熱マラリア原虫に感染した赤血球とLILRB1との相互作用はマラリアの重症化と関連することが判明した.これらの結果から,熱帯熱マラリア原虫のもつRIFINは宿主の免疫抑制化受容体を介して免疫応答を抑制することにより,免疫から逃避する機構に関与することが明らかにされた.

はじめに

 熱帯熱マラリア原虫はさまざまな段階において免疫から逃避する手段を獲得している.たとえば,赤血球へと侵入しそこで増殖することにより外部の免疫細胞からのがれることができる.この赤血球期の原虫がマラリアの病態をひき起こし,細胞性免疫および液性免疫の主要な標的になる.熱帯熱マラリア原虫に感染した赤血球は表面にPfEMP1,RIFIN,STEVORという多型的なタンパク質を発現する1).PfEMP1は血管内皮細胞のもつ受容体と結合し赤血球を血管にとどめることにより脾臓において排除されないようにする2).RIFINおよびSTEVORの機能は不明だが,一部は感染していない赤血球と結合してロゼットを形成し免疫による認識からのがれることが報告されている.熱帯熱マラリア原虫にくり返し感染しても十分な獲得免疫は成立しないため,熱帯熱マラリア原虫にはたんに免疫から逃避するだけでなく,宿主の免疫応答を積極的に抑制する分子機構をもつことが考えられるが,その免疫抑制の機構についてはほとんどわかっていなかった.
 一方で,宿主の免疫細胞は過剰な免疫応答を抑制するため,自己分子に対するさまざまな免疫抑制化受容体を発現する.ところが,ある種のウイルスにおいては,免疫抑制化受容体のリガンドと似たタンパク質を発現させることにより,免疫からの逃避する機構をもつことが知られている3)図1).そこで,筆者らは,熱帯熱マラリア原虫もウイルスと同様に,感染した赤血球に熱帯熱マラリア原虫に由来するタンパク質を発現させることにより,免疫抑制化受容体を利用し宿主の免疫からのがれているのではないかと考えた.

figure1

1.熱帯熱マラリア原虫に感染した赤血球と相互作用する免疫抑制化受容体の同定

 熱帯熱マラリア原虫に感染した赤血球と相互作用する免疫抑制化受容体を探索するため,さまざまなヒト免疫抑制化受容体と抗体のFc領域との融合タンパク質を作製し,タイにおけるマラリアの患者に由来する熱帯熱マラリア原虫を用いて融合タンパク質と熱帯熱マラリア原虫に感染した赤血球との結合をフローサイトメトリーにより解析した.このスクリーニングにおいて,LILRB1だけが熱帯熱マラリア原虫に感染した赤血球の一部と結合した.さらに,7名のマラリアの患者に由来する熱帯熱マラリア原虫を用いて,感染した赤血球に対するLILRB1の結合を調べた.その結果,マラリアの患者に由来する熱帯熱マラリア原虫のなかには,LILRB1が感染した赤血球の約77%と結合するもの,約15%と結合するもの,ほとんど結合しないものがあることが判明した.また,熱帯熱マラリア原虫に感染した赤血球はリング期,トロフォゾイト期,シゾント期とよばれる形態を示すが,LILRB1の結合はおもにトロフォゾイト期後期およびシゾント期において観察された.
 免疫抑制化受容体LILRB1はさまざまな免疫細胞に発現するLILR多重遺伝子ファミリータンパク質のひとつであり,その遺伝子は白血球受容体複合体の領域にコードされている4).LILRB1は自己のタンパク質であるHLAクラスI分子を宿主のリガンドとして認識するが,赤血球にはHLAクラスI分子は発現していないことから,熱帯熱マラリア原虫に由来するなんらかのタンパク質がLILRB1のリガンドであると考えられた.

2.LILRB1のリガンドとしてのRIFINの同定

 熱帯熱マラリア原虫のゲノムにはHLAクラスI分子に類似したタンパク質はコードされていない.そこで,LILRB1のリガンドを実験的に同定するため,全ゲノム配列が既知である実験室株として3D7株とよばれる熱帯熱マラリア原虫株を用いた.LILRB1は3D7株に感染した赤血球の一部としか結合しなかったため,セルソーターを用いてLILRB1と結合した赤血球を濃縮し,さらに限界希釈することにより,LILRB1が結合するクローンおよび結合しないクローンを得た.3D7株が感染した赤血球に発現するLILRB1のリガンドを同定するため,免疫沈降法によりLILRB1と抗体のFc領域との融合タンパク質と共沈するタンパク質を質量分析法により解析した.2回の独立した実験において,RIFINと一致するペプチド配列のみがLILRB1と共沈したタンパク質から同定された.
 RIFINは熱帯熱マラリア原虫のひとつのゲノムあたり150~200種類がコードされる多重遺伝子ファミリータンパク質である5).同定されたペプチド配列は熱帯熱マラリア原虫3D7株がコードするRIFINのうち36種類に共通していた.そこで,これら36種類のRIFINとLILRB1との結合を調べるため遺伝子クローニングを試みたところ,同定されたペプチド配列をコードする25種類のRIFIN遺伝子およびこのペプチド配列をもたない6種類のRIFIN遺伝子がクローニングされた.実際に,RIFINとLILRB1との相互作用について調べるため,クローニングされたRIFIN遺伝子を3D7株に導入し,感染させた赤血球とLILRB1との結合をスクリーニングした.その結果,3D7株に発現させると感染した赤血球が強くLILRB1と結合するRIFINが2種類,感染した赤血球はLILRB1と結合しないRIFINが3種類,同定された.同定されたペプチド配列の有無はLILRB1の結合とは関連しなかった.これらの結果から,RIFINの一部がLILRB1のリガンドであることが確認された.
 RIFINの細胞外ドメインは同定されたペプチド配列を含む定常領域および可変領域から構成される.LILRB1は293T細胞に発現させたLILRB1と結合するRIFINの組換えタンパク質に対し,可変領域と結合し定常領域とは結合しなかった.さらに,LILRB1と結合するRIFINの組換えタンパク質は293T細胞に発現させたLILRB1と結合し,LILRB1と結合しないRIFINの組換えタンパク質はLILRB1と結合しなかった.これらの結果から,LILRB1はRIFINの可変領域に存在する特定のアミノ酸配列もしくはコンフォメーションと直接に結合することが考えられた.
 LILR多重遺伝子ファミリータンパク質は5種類の免疫活性化受容体,5種類の免疫抑制化受容体,1種類の分泌型タンパク質から構成される.免疫抑制化受容体LILRB1は,免疫活性化受容体LILRA2とアミノ酸配列で80%以上の相同性があるが,LILRA2のリガンド6) とは結合しなかった.これとは逆に,LILRA2は,LILRB1のリガンドとなるRIFINとは結合しなかった.これらの結果から,特定のRIFINがLILRB1と特異的に相互作用するように進化したことが考えられた.LILRB1の宿主におけるリガンドはHLAクラスI分子である.しかしながら,LILRB1と結合するRIFINはHLAクラスI分子とアミノ酸配列および構造予測レベルにおける類似性はなかった.さらに,LILRB1と結合するRIFINの特徴を示すアミノ酸配列のモチーフを同定することもできなかった.今後,LILRB1およびRIFINの立体構造が解析されれば,RIFINの機能的な制約や受容体との結合の特異性および多様性について明らかにされるだろう.

3.RIFINは宿主の免疫応答を抑制する

 RIFINがLILRB1を介して細胞にシグナルを伝達するかどうかを調べるため,NFAT-GFPレポーターシステムを用いた7).LILRB1レポーター細胞はリガンドを認識すると細胞にシグナルを伝達しGFPを発現する.RIFINを発現させた熱帯熱マラリア原虫3D7株に感染した赤血球とLILRB1レポーター細胞を共培養したところ,レポーター細胞はLILRB1と結合するRIFINを発現させた3D7株に感染した赤血球により活性化されたが,LILRB1と結合しないRIFINを発現させた3D7株に感染した赤血球により活性化されなかった.この結果から,LILRB1はRIFINにより細胞へとシグナルを伝達することが明らかにされた.
 LILRB1はヒトのプライマリーB細胞に発現しており,B細胞の活性を抑制することが知られている8).そこで,LILRB1を発現するB細胞に対するRIFINの影響について調べた.末梢血単核球を3D7株に感染した赤血球と共培養すると,LILRB1と結合するRIFINを発現させた3D7株に感染した赤血球は,LILRB1と結合しないRIFINを発現させた3D7株に感染した赤血球と比べて,活性化したB細胞の機能を抑制し免疫グロブリンMの産生を減少させた.さらに,LILRB1を発現するナチュラルキラー細胞に対するRIFINの影響について調べたところ,ナチュラルキラー細胞の標的細胞であるK562細胞はLILRB1と結合するRIFINを発現させるとナチュラルキラー細胞による細胞傷害に抵抗性を示した.これらの結果から,熱帯熱マラリア原虫はRIFINを利用して宿主の免疫を抑制することが考えられた.

4.LILRB1とマラリアの重症化との関連

 LILRB1と熱帯熱マラリア原虫に感染した赤血球との相互作用は免疫抑制を示したことから,マラリアの重症化に影響するのではないかと仮説をたてた.この仮説を検証するため,タンザニアにおけるマラリアの患者に由来する熱帯熱マラリア原虫に感染した赤血球へのLILRB1の結合量を測定した.その結果,軽症の患者と比べて,脳性マラリアおよび重い貧血を示す重症の患者に由来する赤血球は,有意にLILRB1と結合しやすいことが明らかにされた.この結果から,重症の患者の赤血球にはLILRB1と結合するRIFINが高く発現しているため,LILRB1と赤血球との相互作用が重症マラリアの病態に関与することが示唆された.標本の数を増やしてさらに重症マラリアの病態との関連を解析する必要があるだろう.
 熱帯熱マラリア原虫に感染した赤血球における抗原の発現は宿主免疫の状態により変動する9).マラリアが高度に流行している地域においては,重症マラリアに対する免疫は臨床免疫を獲得するまえの幼児期に成立する.したがって,重症マラリアと関連のあるRIFINに対する抗体はほかのRIFINに対する抗体よりも早く獲得される可能性が考えられた.そこで,LILRB1と結合するRIFINおよび結合しないRIFINの可変領域に対する抗体の反応性をタンザニア人222名の血漿を用いて調べた.その結果,2種類のRIFINに対し,同じ程度の免疫グロブリンGの獲得が1歳において急速に認められた.このように,2種類のRIFINに対して同じ程度の抗体の獲得がみられたが,早期に抗体が獲得されるということはRIFINが感染の初期において活動的であり,防御免疫の重要な標的として役だつことが考えられた.

おわりに

 以上の結果から,熱帯熱マラリア原虫は宿主の免疫からのがれるため,宿主のもつ免疫抑制化受容体を標的として多様なRIFINを獲得し進化してきたことが示唆された(図2).RIFINは熱帯熱マラリア原虫にユニークなタンパク質であるが,マウスのマラリア原虫にも存在するPIRスーパーファミリーに属している10).PIRスーパーファミリーと免疫抑制化受容体との相互作用を解析することにより,さらにマラリアへの感染の制御機構が明らかにされることが期待される.さらに,LILRB1が認識するRIFINのエピトープが明らかにされればLILRB1とRIFINとの相互作用の阻害法の開発が可能になると考えられ,マラリアの重症化をふせぐワクチンや治療薬の開発に大きく貢献することが期待される.

figure2

文 献

  1. Kyes, S., Horrocks, P. & Newbold, C.: Antigenic variation at the infected red cell surface in malaria. Annu. Rev. Microbiol., 55, 673-707 (2001)[PubMed]
  2. Miller, L. H., Baruch, D. I., Marsh, K. et al.: The pathogenic basis of malaria. Nature, 415, 673-679 (2002)[PubMed]
  3. Arase, H. & Lanier, L. L.: Specific recognition of virus-infected cells by paired NK receptors. Rev. Med. Virol., 14, 83-93 (2004)[PubMed]
  4. Hirayasu, K. & Arase, H.: Functional and genetic diversity of leukocyte immunoglobulin-like receptor and implication for disease associations. J. Hum. Genet., 60, 703-708 (2015)[PubMed]
  5. Joannin, N., Abhiman, S., Sonnhammer, E. L. et al.: Sub-grouping and sub-functionalization of the RIFIN multi-copy protein family. BMC Genomics, 9, 19 (2008)[PubMed]
  6. Hirayasu, K., Saito, F., Suenaga, T. et al.: Microbially cleaved immunoglobulins are sensed by the innate immune receptor LILRA2. Nat. Microbiol., 1, 16054 (2016)[PubMed]
  7. Arase, H., Mocarski, E. S., Campbell, A. E. et al.: Direct recognition of cytomegalovirus by activating and inhibitory NK cell receptors. Science, 296, 1323-1326 (2002)[PubMed]
  8. Naji, A., Menier, C., Morandi, F. et al.: Binding of HLA-G to ITIM-bearing Ig-like transcript 2 receptor suppresses B cell responses. J. Immunol., 192, 1536-1546 (2014)[PubMed]
  9. Lavstsen, T., Turner, L., Saguti, F. et al.: Plasmodium falciparum erythrocyte membrane protein 1 domain cassettes 8 and 13 are associated with severe malaria in children. Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 109, E1791-E1800 (2012)[PubMed]
  10. Janssen, C. S., Phillips, R. S., Turner, C. M. et al.: Plasmodium interspersed repeats: the major multigene superfamily of malaria parasites. Nucleic Acids Res., 32, 5712-5720 (2004)[PubMed]

活用したデータベースにかかわるキーワードと統合TVへのリンク

生命科学の教科書における関連するセクションへのリンク

東京大学 大学院総合文化研究科・教養学部附属教養教育高度化機構自然科学教育高度化部門から公開されている生命科学の教科書 “A Comprehensive Approach To LIFE SCIENCE”(羊土社『理系総合のための生命科学 第2版』の英語版)における関連するセクションへのリンクです.

著者プロフィール

齋藤 史路(Fumiji Saito)
略歴:2006年 高知医科大学大学院医学系研究科博士課程 早期修了,同年 九州大学生体防御医学研究所 特任助手を経て,2009年より大阪大学微生物病研究所 特任研究員.
研究テーマ:免疫学.感染症学.
抱負:感染症の研究をとおして社会に役だつ研究がしたい.

平安 恒幸(Kouyuki Hirayasu)
大阪大学免疫学フロンティア研究センター 特任助教.

荒瀬 尚(Hisashi Arase)
大阪大学微生物病研究所 教授.
研究室URL:http://immchem.biken.osaka-u.ac.jp/

© 2017 齋藤史路・平安恒幸・荒瀬 尚 Licensed under CC 表示 2.1 日本

piRNAの生合成においてPapiとZucは階層的に機能する

$
0
0

西田知訓・塩見美喜子
(東京大学大学院理学系研究科 生物科学専攻生物化学講座RNA生物学研究室)
email:西田知訓塩見美喜子
DOI: 10.7875/first.author.2018.037

Hierarchical roles of mitochondrial Papi and Zucchini in Bombyx germline piRNA biogenesis.
Kazumichi M. Nishida, Kazuhiro Sakakibara, Yuka W. Iwasaki, Hiromi Yamada, Ryo Murakami, Yukiko Murota, Takeshi Kawamura, Tatsuhiko Kodama, Haruhiko Siomi, Mikiko C. Siomi
Nature, 555, 260-264 (2018)

要 約

 piRNAはトランスポゾンを抑制することにより生殖細胞においてゲノムの品質を管理する.先行研究により,カイコにおけるpiRNAの3’末端の形成には3’-5’エキソヌクレアーゼであるTrimが関与すること,また,ミトコンドリア外膜に存在するタンパク質であるPapiの欠失によりpiRNAの3’末端は数塩基ほど長くなることが示された.しかし,ショウジュウバエにおいてpiRNAの生合成に機能することが知られるエンドヌクレアーゼZucおよび3’-5’エキソヌクレアーゼNbrについては,カイコにおける必要性が不明であった.この研究において,筆者らは,カイコの卵巣に由来する生殖細胞株であるBmN4細胞を用い,カイコにおけるpiRNAの3’末端の形成にはZucが必要であること,PapiにPIWIが結合したのちPIWIにpiRNA中間体が結合すること,piRNA前駆体からのpiRNA中間体の切り出しはPIWIのスライサー活性によることを見い出した.また,PapiはPIWIとの相互作用およびそれ自体のリン酸化によりRNA結合能を獲得した.これらの結果は,piRNAの生合成機構におけるZucの必要性のみならず,この機構の分子階層性を物語る.ショウジョウバエにみられるphased piRNAはカイコにおいては検出されなかった.カイコにおけるpiRNAの生合成はエキソヌクレアーゼに依存的ではなかったことからも,ショウジョウバエにおける生合成機構よりも単純であるといえた.

はじめに

 生殖組織に特異的に発現する25~30塩基長の小分子RNAであるpiRNA(PIWI-interacting RNA)は,PIWIとpiRISC(piRNA-induced silencing complex)を形成することによりトランスポゾンを抑制し,生殖細胞においてゲノムの品質を管理する1,2).これまでの解析により,ショウジョウバエの生殖組織において,piRNAの5’末端はスライサーであるPIWIあるいはエンドヌクレアーゼであるZucchini(Zuc)により,一方,piRNAの3’末端はPIWI,Zuc,3’-5’エキソヌクレアーゼであるNibbler(Nbr)により形成されることが見い出された1-7).カイコの卵巣に由来する生殖細胞株であるBmN4細胞を用いた解析により,ミトコンドリア外膜に存在するタンパク質であるPapiはTudorドメインを介してPIWIと結合すること,この結合にはPIWI(SiwiおよびAgo3)の対称性ジメチル化アルギニン修飾が必要であること,Papiの欠失によりpiRNAの生合成量は変わらないがpiRNAの3’末端が数塩基ほど長くなること,3’-5’エキソヌクレアーゼであるTrimmer(Trim)がpiRNAの3’末端の形成に関与すること,が示された8,9).しかし,カイコのpiRNAの生合成におけるZucおよびNbrの必要性については不明であった.

1.PapiはカイコにおけるpiRNAの生合成に必須である

 Nbrを欠失したBmN4細胞においてSiwiを強制的に発現し,結合するpiRNAの量を調べた.対照としてTrimあるいはPapiを欠失したBmN4細胞も用いた.予想に反して,Papiの欠失によりSiwiへのpiRNAの結合量はいちじるしく減少したが,NbrあるいはTrimの欠失では変化はほとんどみられなかった.Siwiの代わりにAgo3を強制発現した場合においても同様の結果が得られた.カイコにおけるpiRNAの生合成にはPapiが不可欠であることが判明した.
 Trimの欠失によりPIWIと結合するpiRNAの微弱な伸長が観察された.piRNAの塩基配列を決定し生物情報学的に解析したところ,3’末端が0.4~0.6塩基だけ長くなっていることがわかった.しかし,Trimが欠失した状態においてもPIWIと結合するpiRNAの量はほとんど変わらず,また,通常の場合と同等に2’-O-メチル化修飾をうけていた.これらの結果から,TrimはpiRNAの生合成および機能の発揮には不要であることが示唆された.

2.Papiは階層的にPIWIおよびpiRNA中間体と結合する

 Papi-Siwi複合体に含まれるRNAを32Pにより可視化したところ,piRNA中間体に相当する長鎖RNAが検出された.この長鎖RNAはノーザンブロッティング解析においてpiRNAプローブに対し陽性を示したため,piRNA中間体であると断定した.
 Siwiを欠失したBmN4細胞においてPapiのRNA結合能はいちじるしく減少した.対称性ジメチル化アルギニン修飾をもたないSiwiを発現させてもPapiのRNA結合能は回復しなかった.また,対称性ジメチル化アルギニン修飾をもたないSiwiはPapiと結合しなくなるが,同時に,piRNA中間体とも結合しなくなった.piRNAの生合成機構において,Siwiはまず対称性ジメチル化アルギニン修飾を介してPapiと結合し,そののち,このSiwiとpiRNA中間体が結合するという階層性が見い出された.
 piRNAの生合成機構において,SiwiにはSiwiのpiRNA中間体を,Ago3にはAgo3のpiRNA中間体を,選択的に結合させなくてはならない.かりに,PIWI(SiwiあるいはAgo3)よりさきにpiRNA中間体がPapiと結合してしまうと,この選択性を維持することはむずかしくなる.よって,PIWIはPapiと結合したのちにpiRNA中間体と結合するような制御機構が生じたのではないかと考えられた.現時点では,Papiと結合したSiwi(あるいは,Ago3)にSiwi(あるいは,Ago3)のpiRNA中間体を結合させる制御機構は明らかにされておらず,今後の課題である.
 Papiは2つのKHドメインをもつ.野生型のPapiはRNA結合能を示した一方,KHドメインの保存性の高いアミノ酸残基を置換した変異体はRNA結合能を示さなかった.PapiはKHドメインを介してRNAと結合することが証明された.Papiはウェスタンブロッティング解析において2本のバンドとして検出されたが,この2本のバンドのうち上側のバンドのみがRNA結合能を示した.強制発現させた外来性のPapiにおいても同様の結果が得られた.Papiを脱リン酸化したところ,上側のバンドが消失し下側のバンドに収束した.よって,Papiはリン酸化修飾をうけることによりRNA結合能を獲得すると考えられた.また,Papiと結合したSiwiには成熟型のpiRNAはほとんど結合していなかったことから,PapiはpiRISCの形成の場であり,piRISCを形成したSiwiはPapiからすみやかに解離すると考えられた.PapiからpiRISCが解離したのち,piRNA中間体の残骸がPapiに結合した状態ではpiRNAの生合成は阻害されてしまう.これを解消するためにPapiが脱リン酸化されるのではないかと予想され,今後,実験的に検証したい.

3.ZucはpiRNAの生合成に必須である

 Zucを欠失させたBmN4細胞にSiwi(あるいは,Ago3)を強制発現させpiRNAの結合量を調べたところ,Siwi(あるいは,Ago3)へのpiRNAの結合量はいちじるしく減少していた.また,Zucを欠失させたBmN4細胞から精製したPapi-Siwi複合体にはpiRNA中間体の蓄積がみられた.Trimを欠失させたBmN4細胞から精製したPapi-Siwi複合体においてはそのような中間体の蓄積はみられず,また,Zucを欠失させたときのTrimの発現量に変化はなかった.カイコのpiRNAの生合成機構におけるZucの必要性が明らかにされた.

4.piRNA中間体はpiRNA前駆体よりPIWIのスライサー活性により切り出される

 Zucを欠失させたときにPapi-Siwi複合体に蓄積するRNAの塩基配列を決定し,生物情報学的に解析した.その結果,98%以上のリード配列にpiRNAの配列がマップされた.また,50%以上のリード配列の5’末端が成熟型のpiRNAの5’末端と一致した.Papi-Siwi複合体に含まれるRNAは実際にpiRNA中間体であることが確認された.さらなる解析により,2つのpiRNA中間体がゲノムにすき間なく連結してマップされたこと,また,94%以上の連結部位に逆鎖のpiRNAが完全にマップされたことから,これらのpiRNA中間体はpiRNA前駆体からPIWIのスライサー(エンドヌクレアーゼ)活性により切り出されること,つまり,piRNA中間体の5’末端および3’末端はPIWIにより形成されることが強く示唆された.この結果はZucの有無により影響されなかったことから,カイコのpiRNA中間体の末端の形成にはZucは関与しないと結論づけた.

5.成熟型のpiRNAはpiRNA中間体からZucのエンドヌクレアーゼ活性により切り出される

 ZucがpiRNA中間体から成熟型のpiRNAを切り出すことを証明するため,大腸菌から組換えZucを精製し,Zucを欠失させたBmN4細胞から精製したPapi-Siwi複合体と反応させたところ,予想どおり,Papi-Siwi複合体に含まれるpiRNA中間体から成熟型のpiRNAが生成された.組換えZucを50塩基長のRNAと反応させたところ,数塩基長から50塩基長にわたるRNAが検出された.このRNA切断産物の末端には塩基に対する特有の嗜好性が観察されなかったことから,Zucは比較的ランダムにRNAを切断するエンドヌクレアーゼであることが判明した.50塩基長のRNAを事前にSiwiと結合させたところ,piRNAの長さである25塩基長のRNAが検出された.これらの結果から,ZucはpiRNA中間体の5’末端から成熟型のpiRNAを切り出すこと,つまり,成熟型のpiRNAの3’末端の形成にかかわることが示唆された.
 カイコにはショウジョウバエにおいてみられたphased piRNAが存在しないこともわかった.これは,ZucはpiRNA中間体の5’末端からpiRNAをひとつだけ切り出し,切れ残りのpiRNA中間体は細胞において分解される運命にあることを物語る.Papi-Siwi複合体(あるいは,Papi-Ago3複合体)に含まれるpiRNA中間体の5’末端にはSiwi(あるいは,Ago3)が結合し,Papiはその3’末端に結合していると考えられた(図1).この状態でpiRNA中間体の5’末端から成熟型のpiRNAを切り出すにはエキソヌクレアーゼではなくエンドヌクレアーゼが必要であると考えられるが,このことは,NbrやTrimではなくZucが必要であるという今回の研究結果を強く支持した.

figure1

 ZucによるRNAの切断には塩基に対する強い嗜好性がみられなかったことから,Zucはエンドヌクレアーゼでありながら,PIWIとPapiとのあいだに位置するRNAの数箇所を切断することによりpiRNAの大きさを決定することができると考えられた.Zucはプリン塩基がならんだ配列を敬遠する傾向が多少みられたが,そのような場合,結果としてpiRNAがほんのすこし長くなってしまうのでこれをTrimが処理するのかもしれない.Zucが反応したのち,Papiには切れ残りのRNA断片が結合したまま残ってしまうが,これを処理するにはPapiからRNAが解離されない必要がある.この解離にPapiの脱リン酸化がかかわる可能性があり,今後,検証する予定である.

おわりに

 今回の研究をとおして,カイコにおけるpiRNAの生合成機構について新規のモデルが提唱された(図2).このモデルは,Siwiが対称性ジメチル化アルギニン修飾に依存的にミトコンドリア外膜に存在するPapiと結合するところからはじまる.つづいて,トランスポゾンの負の転写産物であるpiRNA前駆体からAgo3により切り出されたpiRNA中間体が,Papi-Siwi複合体のSiwiと結合する.そして,ミトコンドリアの表面に存在するZucによりpiRNA中間体の5’末端から成熟型のpiRNAが切り出される.成熟型のpiRNAはSiwi-piRISCとしてPapiから解離する.解離ののち,Siwi-piRISCはトランスポゾンの正の転写産物を切断し,Papi-Ago3複合体のAgo3に受けわたす.このpiRNA中間体はZucにより切断され,Ago3-piRISCが生じる.このPapiを足場としたPIWI(SiwiおよびAgo3)およびZucによる反応はピンポン経路とよばれ,これが継続的に起こることによりpiRNAが生合成される.Papi-Siwi複合体あるいはPapi-Ago3複合体とZucとの結合は免疫沈降実験により証明された.

figure2

 ショウジョウバエにおいてみられるphased piRNAはカイコには存在しない.phased piRNAは,ショウジョウバエにおいてはPiwiと特異的に結合し,piRISCとして核に移行したのちにトランスポゾンを転写のレベルで抑制する.カイコにはPiwiの相同体はない.つまり,トランスポゾンを転写のレベルで抑制するしくみをもたないため,phased piRNAを生成する必要がないと考えられる.
 ショウジョウバエのpiRNAの5’末端はPIWIあるいはZucにより,3’末端はZucおよびNbrにより形成される(図3a).一方,カイコのpiRNAの5’末端はPIWIにより,3’末端はZucにより形成されることがわかった(図3b).以上のことを総合すると,カイコにおけるpiRNAの生合成機構は,ショウジョウバエにおけるpiRNAの生合成機構と比べはるかに単純であるといえる.

figure3

 魚類もカイコと同様,トランスポゾンを転写のレベルでは抑制しないと考えられており,よって,魚類におけるpiRNAの生合成機構はカイコのようにショウジョウバエに比べ単純であるのかもしれない.そもそも,トランスポゾンを転写のレベルで抑制する生物としない生物との違いは何か? その利点および欠点を進化的な観点から解析すると,興味深い発見につながるかもしれない.

文 献

  1. Yamashiro, H. & Siomi, M. C.: PIWI-interacting RNA in Drosophila: biogenesis, transposon regulation, and beyond. Chem. Rev., DOI: 10.1021/acs.chemrev.7b00393[PubMed]
  2. Sakakibara, K. & Siomi, M. C.: The PIWI-interacting RNA molecular pathway: insights from cultured silkworm germline cells. Bioessays, 40, 1700068 (2018)[PubMed]
  3. Brennecke, J., Aravin, A. A., Stark, A. et al.: Discrete small RNA-generating loci as master regulators of transposon activity in Drosophila. Cell, 128, 1089-1103 (2007)[PubMed]
  4. Gunawardane, L. S., Saito, K., Nishida, K. M. et al.: A slicer-mediated mechanism for repeat-associated siRNA 5′ end formation in Drosophila. Science, 315, 1587-1590 (2007)[PubMed]
  5. Han, B. W., Wang, W., Li, C. et al.: piRNA-guided transposon cleavage initiates Zucchini-dependent, phased piRNA production. Science, 348, 817-821 (2015)[PubMed]
  6. Mohn, F., Handler, D. & Brennecke, J.: piRNA-guided slicing specifies transcripts for Zucchini-dependent, phased piRNA biogenesis. Science, 348, 812-817 (2015)[PubMed]
  7. Hayashi, R., Schnabl, J., Handler, D. et al.: Genetic and mechanistic diversity of piRNA 3′-end formation. Nature, 539, 588-592 (2016)[PubMed]
  8. Honda, S., Kirino, Y., Maragkakis, M. et al.: Mitochondrial protein BmPAPI modulates the length of mature piRNAs. RNA, 19, 1405-1418 (2013)[PubMed]
  9. Izumi, N., Shoji, K., Sakaguchi, Y. et al.: Identification and functional analysis of the pre-piRNA 3′ trimmer in silkworms. Cell, 164, 962-973 (2016)[PubMed] [新着論文レビュー]

生命科学の教科書における関連するセクションへのリンク

東京大学 大学院総合文化研究科・教養学部附属教養教育高度化機構自然科学教育高度化部門から公開されている生命科学の教科書 “A Comprehensive Approach To LIFE SCIENCE”(羊土社『理系総合のための生命科学 第2版』の英語版)における関連するセクションへのリンクです.

著者プロフィール

西田 知訓(Kazumichi M. Nishida)
略歴:2010年 徳島大学大学院医学教育部博士課程 修了,同年 慶應義塾大学医学部 特任助教を経て,2014年より東京大学大学院理学系研究科 特任助教.
研究テーマ:小分子RNAの生合成機構.

塩見 美喜子(Mikiko C. Siomi)
東京大学大学院理学系研究科 教授.
研究室URL:http://www-siomilab.biochem.s.u-tokyo.ac.jp

© 2018 西田知訓・塩見美喜子 Licensed under CC 表示 2.1 日本

胃プロトンポンプの結晶構造

$
0
0

阿部 一啓
(名古屋大学細胞生理学研究センター 細胞生理学研究部門)
email:阿部一啓
DOI: 10.7875/first.author.2018.042

Crystal structures of the gastric proton pump.
Kazuhiro Abe, Katsumasa Irie, Hanayo Nakanishi, Hiroshi Suzuki, Yoshinori Fujiyoshi
Nature, 556, 214-218 (2018)

要 約

 胃プロトンポンプH+,K+-ATPaseは胃の内部をpH 1にまで酸性化する,P型ATPaseに分類される膜タンパク質である.これは胃壁細胞の細胞膜をへだてて100万倍ものH+濃度勾配に相当し,少なくとも哺乳類において知られるかぎり最大のイオン濃度勾配である.また,H+,K+-ATPaseは胃酸に関連する疾患に対する創薬の標的でもある.この研究において,筆者らは,H+,K+-ATPaseが2種類の薬剤,vonoprazanあるいはSCH28080と結合し,胃の内腔の側にゲートの開いた状態となった結晶構造を2.8Å分解能で解析した.vonoprazanあるいはSCH28080との結合部位は,部分的にはオーバーラップしていたものの,それぞれ明確に区別されるかたちでイオン結合部位から胃の内腔へとつながるイオンの通路に結合し,まさにこれをブロックしていた.結晶構造から,イオン結合部位における特徴的な荷電アミノ酸の配置によりGlu820の酸解離定数が低下し,胃の内部のpH 1という強酸性の環境にむけH+を放出するようになることが示唆された.

はじめに

 食物を消化するとき胃の内部はpH 1という強酸性の環境にさらされる.これは,タンパク質の消化や外部からの病原体に対する障壁として生理的に重要である.しかしながら,胃酸の過多は胃潰瘍や逆流性食道炎といった症状をひき起こす.また,胃がんの危険因子であるピロリ菌の除菌には抗生物質とともに胃酸抑制剤が用いられる.omeprazoleなどに代表されるプロトンポンプ阻害薬や,最近になり開発された新しいクラスの薬剤であるvonoprazanなどのK+競合型アシドブロッカーは,どちらも胃酸に関連する病態の治療に用いられている.胃プロトンポンプH+,K+-ATPaseは過度な胃酸の分泌を治療するための分子標的である.
 H+,K+-ATPaseによるイオンの輸送反応(図1)は,ほかのP型ATPaseと同様に,Post-Albers型の反応機構1),すなわち,E1状態,E2状態およびそれぞれが自己リン酸化されたE1P状態,E2P状態という異なるコンフォメーションを遷移することにより達成される.ATPにより駆動される細胞外(胃の内腔)へのH+の放出および細胞内へのK+の輸送における化学量論は,中性の状態においては1分子のATPの加水分解あたり2H+:2K+であるが,これは胃の内部が酸性化されるにともない1H+:1K+へと変化すると考えられてきた2)

figure1

 H+,K+-ATPaseは2つのサブユニットから構成される.触媒能をもつαサブユニットは類縁のP2型ATPaseであるNa+,K+-ATPase 3) や筋小胞体Ca2+-ATPase 4) と高い相同性をもつ.このαサブユニットは,イオン結合部位を内包する10本の膜貫通ヘリックスM1~M10と,Aドメイン(actuator),Pドメイン(phosphorylation),Nドメイン(nucleotide-binding)ドメインの3つのドメインからなる細胞質領域から構成される.これにくわえ,H+,K+-ATPaseはβサブユニットを必要とし,これらが1対1で会合したαβ複合体として機能を発揮する.
 H+,K+-ATPaseは中性の細胞質から胃の内部のpH 1の酸性溶液へとH+を輸送するわけであるが,これは100万倍のH+濃度勾配に相当する.とくに,pH 1の溶液へとH+を放出することは,アミノ酸残基だけで構成されるタンパク質としてはかなりチャレンジングな仕事である.なぜなら,H+の結合および解離にかかわる酸性アミノ酸の酸解離定数は通常3~5であり,これは,pH 1の溶液へのH+の放出はほとんど起こらないことを意味するからである.この問題は,いまから40年以上まえにH+,K+-ATPaseが発見されて以来5),長いあいだ謎であった.

1.H+,K+-ATPaseの全体構造

 ブタに由来するH+,K+-ATPaseを改変バキュロウイルスを介しHEK293S細胞GnT1-株に発現させた6).精製の過程においてアフィニティタグやβサブユニットに6箇所あるN-結合型糖鎖を除去し,脂質の存在下において結晶化させることにより,ほかのP型ATPaseと同様にタイプIの3次元結晶が得られ,結晶構造が2.8Å分解能で解析された(PDB ID:5YLU図2a).結晶はリン酸のアナログであるBeFおよびK+競合型アシドブロッカーであるvonoprazanあるいはSCH28080の存在下において生成されたことから,K+競合型アシドブロッカーがもっとも高い親和性で結合するE2P状態であると考えられた.実際に,PドメインにはBeFが結合しており,膜貫通領域に存在するイオン結合部位と胃の内腔とをつなぐイオンの通路にはK+競合型アシドブロッカーが結合していた.細胞質ドメインの相対的な位置や,イオン輸送のゲートが胃の内腔(細胞外)にむけ開かれていたことから,この構造はH+を放出した直後の内腔に開いたE2P状態であることがわかった.

figure2

2.薬剤との結合部位の構造

 2種類の薬剤,vonoprazan 7) あるいはSCH28080 8) は,どちらも胃の内腔にむけ開いた,イオン結合部位と胃の内腔をつなぐイオンの通路に,部分的にオーバーラップしていたものの明確に区別できるかたちで結合していた.イオンの通路をふさぐような結合の様式は,これらの薬剤によるK+と競合的な阻害の様式をよく説明するものであった(図2 b, c).
 得られた電子密度図はこれら化合物の官能基の位置や配向を特定するのに十分な解像度をもっていた.それぞれの薬剤との結合に対し共通して重要なアミノ酸残基や,一方の薬剤との結合にだけ重要なアミノ酸残基がいくつかみつかり,これは変異体における薬剤の親和性の測定により裏づけられた.薬剤とH+,K+-ATPaseとの結合は,どちらの場合もほとんど疎水的なものであった.タンパク質の部分の結合部位にすっぽりとはまり込むことにより薬剤の周囲から水が排除され,薬剤の結合にとり好ましいエントロピーの上昇をあたえていた.このような結合の様式は,ほとんどの酸性アミノ酸残基が電荷をもたないと考えられるpH 1という溶液においてリーズナブルなものであった.

3.H+を胃の内腔へと放出する機構

 Post-Albers型の反応機構によれば,内腔に開いたE2P状態は,H+が細胞外へと放出された直後,対向輸送イオンであるK+が細胞外から結合する直前の状態ということになる(図1).事実,イオン結合部位は,構造に結合していた薬剤を仮に取り除くと,イオンの通路を介して胃の内腔の溶液とつながっていた.胃から調製した小胞を用いたH+の輸送に関する過去の報告によれば,H+,K+-ATPaseは中性の状態において1分子のATPの加水分解と共役して2つのH+と2つのK+を対向輸送する.しかしながら,ATPの加水分解から得られる自由エネルギーによる制限から,胃の内部がpH 3以下の酸性の条件においては,対向輸送されるH+およびK+の数はそれぞれ1つにならざるをえない2).このような,イオン輸送の化学量論が細胞外のpHにより変化するためには酸解離定数の異なる2つのH+結合部位が必要であることが考えられたが,詳細はいっさい不明であった.
 H+,K+-ATPaseやNa+,K+-ATPaseを対象とした過去の変異体の解析から,M4あるいはM6に存在するいくつかの酸性アミノ酸残基がイオンの輸送にかかわることが知られていたが,このほか,M5に存在するLys791の関与が指摘されていた.Lys791はH+,K+-ATPaseにのみ普遍的に保存されており,Na+,K+-ATPaseや筋小胞体Ca2+-ATPaseにおいてはSerに置換されている.Lys791はイオン輸送部位に存在する唯一の塩基性アミノ酸残基として,H+,K+-ATPaseにおけるH+の輸送など重要な性質にかかわることが指摘されてきた9)
 イオン結合部位の構造(図2d)においてまず目をひくのは,非常に近接したGlu795とGlu820である.これら酸性アミノ酸残基は通常は負に帯電しているので,この近接した構造は少なくともどちらかのGluがH+と結合していることを意味する.Glu795をGlnに置換した変異体は野生型とほぼ変わらない活性プロファイルを示したことから,この場合,Glu795はH+と結合した状態にあると考えられた.したがって,Glu820はGlu795と水素結合を形成していることになる.このほかにも,Glu820はAsn792や近傍の水と水素結合を形成しており,Glu820を中心とした水素結合ネットワークが形成されていた.これにくわえ,Lys791のアミノ基はGlu820と塩橋を形成できる距離に存在していた.このように,まわりから多くの極性の相互作用をうけるGlu820のカルボキシル基のおかれた特異な環境により,Glu820の酸解離定数は大きく低下する(つまり,H+が解離しやすくなる)ことが示唆され,Glu820はH+を放出する部位の有力な候補といえた.
 このような酸性アミノ酸残基の近接した構造は多くの酵素の活性中心にみられる.H+,K+-ATPaseと同様に胃ではたらく消化酵素ペプシンもそのひとつである.ペプシンの場合,活性中心に存在する2つのAspが近接しており,互いの酸解離定数を大きく変化させることにより触媒能を発揮する.また,ペプシンの外側に存在する酸性の側鎖のいくつかは,多くの水素結合や塩橋により胃の内部の酸性の環境においてもその電離した状態を維持することにより,ペプシンが水和した状態に寄与すると考えられている10)
 もう一方のGlu343であるが,こちらもP2型ATPaseにおいて高度に保存されており,イオンの輸送への関与が報告されている.結晶構造をみると,Glu343はLys791,Glu795,Glu820とははなれた位置にあり,したがって,胃の内部が酸性の場合にはH+を解離せず,弱酸性から中性の状態のときにのみH+を放出すると考えられた.
 Glu343,Glu795,Glu820はH+,K+-ATPaseに普遍的に保存されているが,Glu820はNa+,K+-ATPaseやH+と同様にNa+を輸送するともいわれている非胃型のH+,K+-ATPaseにおいては,これより側鎖の短いAspに置換されている.より側鎖の長いGluであることが,H+との親和性を低下させるためにまわりの極性基と相互作用するという点で有利なのかもしれないし,また,H+とNa+の特異性にもかかわる可能性がある.

4.H+の胃の内腔への放出のモデル

 H+の胃の内腔への放出について,以下のようなモデルが考えられた(図3).細胞内から取り込まれたH+を閉塞したE1P状態において,イオン結合部位に存在する3つのGluはすべてH+を結合した状態にあると考えられる.これが構造変化によりE2P状態,すなわち,細胞外(胃の内腔)にゲートを開いた状態になると,Glu820にGlu795が近接し酸解離定数を低下させる.これにくわえ,正電荷をもつLys791のアミノ基が相互作用することにより,もはやGlu820はH+を保持することができず,外部の溶液のpHにかかわらずH+は解離する.Glu795はイオンの通路の壁に露出しており,Glu820から押し出されたH+が,おそらく水素結合をへて,ちょうどビリヤードの玉が押し出されるように1つだけ遊離する.Glu343はそれ自体の酸解離定数に依存してH+を1つ解離する.この機構は,胃の内腔が酸性になるにつれてイオン輸送の化学量論が2個から1個へと変化するという仮説2) をよく説明する.H+を放出したのち,H+,K+-ATPaseはK+と結合することにより反応サイクルが進行する.K+がGlu820に配位することでLys791との塩橋が解離し,H+を閉塞したE1P状態へと移行すると考えられる.

figure3

おわりに

 この研究により,H+,K+-ATPaseがどのようにしてpH 1の胃酸に対しH+を放出するのか? という長年の謎に対し,構造的な証拠が示された.これまでに,多くの研究者が必死に積み重ねてきた機能解析のデータや,阻害薬としてはたらく胃酸抑制剤,そして,近縁のP型ATPaseの多くの結晶構造がなければ,今回の結論は決して導き出されない.あらためて,これまでの研究データの含蓄に感嘆するとともに,この結論に近いものを予測した慧眼11) に畏敬の念を禁じ得ない.結晶構造は道のおわりでは決してないが,ゴールにたどりつくためには構造が非常に有用であるのも事実である.細胞膜をへだてた100万倍のH+濃度勾配を分子レベルで理解するためには,どのようにH+が放出されるかだけでは不十分である.放出されるしくみが理解されたことで,今度は,どのように中性の(H+の濃度の低い)溶液からH+だけを取り込むのか? という逆の疑問が浮上してくる.ダイナミックに構造が変化するH+,K+-ATPaseの作動機構の理解には,まだまだ残されたピースが多い.

文 献

  1. Post, R. L., Kume, S., Tobin, T. et al.: Flexibility of an active center in sodium-plus-potassium adenosine triphosphatase. J. Gen. Physiol., 54, 306S-326S (1969)[PubMed]
  2. Rabon, E. C., McFall, T. L. & Sachs, G.: The gastric [H,K]ATPase:H+/ATP stoichiometry. J. Biol. Chem., 257, 6296-6299 (1982)[PubMed]
  3. Morth, J. P., Pedersen, B. P., Toustrup-Jensen, M. S. et al.: Crystal structure of the sodium-potassium pump. Nature, 450, 1043-1049 (2007)[PubMed]
  4. Toyoshima, C., Nakasako, M., Nomura, H. et al.: Crystal structure of the calcium pump of sarcoplasmic reticulum at 2.6Å resolution. Nature, 405, 647-655 (2000)[PubMed]
  5. Ganser, A. & Forte, J. G.: K+-stimulated ATPase in purified microsomes of bullfrog oxyntic cells. Biochim. Biophys. Acta, 307, 169-180 (1973)[PubMed]
  6. Dukkipati, A., Park, H. H., Waghray, D. et al.: BacMam system for high-level expression of recombinant soluble and membrane glycoproteins for structural studies. Protein Expr. Purif., 62, 160-170 (2008)[PubMed]
  7. Otake, K., Sakurai, Y., Nishida, H. et al.: Characteristics of the novel potassium-competitive acid blocker vonoprazan fumarate (TAK-438). Adv. Ther., 33, 1140-1157 (2016)[PubMed]
  8. Kaminski, J. J., Wallmark, B., Briving, C. et al.: Antiulcer agents. 5. Inhibition of gastric H+/K+-ATPase by substituted imidazo[1,2-a]pyridines and related analogues and its implication in modeling the high affinity potassium ion binding site of the gastric proton pump enzyme. J. Med. Chem., 34, 533-541 (1991)[PubMed]
  9. Durr, K. L., Seuffert, I. & Friedrich, T.: Deceleration of the E1P-E2P transition and ion transport by mutation of potentially salt bridge-forming residues Lys-791 and Glu-820 in gastric H+/K+-ATPase. J. Biol. Chem., 285, 39366-39379 (2010)[PubMed]
  10. Sielecki, A. R., Fedorov, A. A., Boodhoo, A. et al.: Molecular and crystal structures of monoclinic porcine pepsin refined at 1.8Å resolution. J. Mol. Biol., 214, 143-170 (1990)[PubMed]
  11. Munson, K., Garcia, R. & Sachs, G.: Inhibitor and ion binding sites on the gastric H,K-ATPase. Biochemistry, 44, 5267-5284 (2005)[PubMed]

活用したデータベースにかかわるキーワードと統合TVへのリンク

著者プロフィール

阿部 一啓(Kazuhiro Abe)
略歴:2004年 北海道大学大学院理学研究科博士後期課程 修了,同年 京都大学大学院理学研究科 博士研究員,2009年 バイオ産業情報化コンソーシアム 特別研究員,2013年 名古屋大学細胞生理学研究センター 助教を経て,2016年より同 准教授.
研究テーマ:能動輸送体の機能構造解析.
関心事:膜タンパク質,ビール,ウイスキー.

© 2018 阿部 一啓 Licensed under CC 表示 2.1 日本


乾燥ストレス応答において根から葉への長距離のシグナル伝達にかかわるペプチドはアブシジン酸を介して気孔の開閉を制御する

$
0
0

高橋史憲・篠崎一雄
(理化学研究所環境資源科学研究センター 機能開発研究グループ)
email:高橋史憲篠崎一雄
DOI: 10.7875/first.author.2018.044

A small peptide modulates stomatal control via abscisic acid in long-distance signalling.
Fuminori Takahashi, Takehiro Suzuki, Yuriko Osakabe, Shigeyuki Betsuyaku, Yuki Kondo, Naoshi Dohmae, Hiroo Fukuda, Kazuko Yamaguchi-Shinozaki, Kazuo Shinozaki
Nature, 556, 235-238 (2018)

要 約

 陸上植物における乾燥ストレスのもとでの根から地上部へのシグナル伝達は,蒸散による水分の損失をふせぎ,水分の欠乏に適応するために重要である.植物ホルモンであるアブシジン酸は水分の損失をふせぐための気孔の閉鎖にかかわることが知られている.しかし,葉におけるアブシジン酸の蓄積をひき起こす移動性のシグナル伝達物質については,いまだ明らかにされていない.この研究において,筆者らは,シロイヌナズナにおいてCLE25ペプチドが維管束柔組織を介して乾燥ストレスのシグナルを伝達し,葉においてその受容体であるBAMと結合することによりアブシジン酸の合成に影響を促進し,気孔を閉鎖することにより水分の蒸散を制御することを明らかにした.CLE25遺伝子は維管束柔組織に発現しており,乾燥ストレスに応答し根においてその発現が上昇した.根において合成されたCLE25ペプチドは乾燥ストレスに依存して根から葉へと移動し,葉においてアブシジン酸の蓄積を制御することにより気孔の閉鎖をひき起こし,乾燥ストレスへの耐性を上昇させた.BAMはCLE25ペプチドによりひき起こされる葉における乾燥ストレス応答に必要であり,CLE25-BAM複合体は乾燥ストレス応答において離れた組織のあいだでシグナルをやりとりするための移動性のシグナル伝達物質のひとつとして機能すると考えられた.この研究により,乾燥などに対する環境ストレス応答におけるシグナル伝達,とくに,長距離のシグナル伝達にペプチドがはたらくことが明らかにされ,複雑な植物の環境ストレス応答に新たな展開をもたらすことになった.

はじめに

 植物は芽をだした場所で一生をすごす.そのため,葉や根といったさまざまな組織や器官において環境の変化を認識し,細胞のレベルにおいて遺伝子の発現や代謝物質を変化させて外界に適応しながら生存する.とくに,乾燥ストレスのもとでは,土壌および大気の環境の変化を適切に認識し,蒸散による水分の損失をふせいだり,全身での乾燥ストレスへの耐性を獲得したりするため,根と葉のあいだでさまざまなシグナルが伝達されると考えられてきた1,2).植物の乾燥ストレス応答における重要な因子として,植物ホルモンのひとつであるアブシジン酸が広く知られている.アブシジン酸は乾燥ストレスを感知した植物の葉において合成され,葉の気孔の閉鎖を促進し体内から水分が失われるのをふせぐ3).また,アブシジン酸は乾燥ストレスへの耐性にかかわる遺伝子の発現の制御も担う.
 乾燥ストレスのもと葉においてアブシジン酸を合成するのに必須な酵素としてNCED3が知られている.NCED3遺伝子は,シロイヌナズナのもつ9つのNCED遺伝子のなかで唯一,乾燥ストレスに依存して発現が上昇するとともに,タンパク質のレベルにて葉や胚軸の維管束柔組織に蓄積する4,5)NCED3遺伝子を破壊した植物は乾燥ストレスに弱く,過剰に発現した植物は乾燥ストレスに強いことから,NCED3遺伝子の発現の制御は乾燥ストレス応答および乾燥ストレスへの耐性の獲得に重要であることがわかる.
 これまで,乾燥ストレスのもとで根から地上部へと移動するシグナル伝達因子として,水分の膨圧,Ca2+シグナル,アブシジン酸自体の移動などが知られていた.しかし,植物が土壌における水分の減少による乾燥ストレスを根において感受したのち,葉においてNCED3遺伝子の発現を介したアブシジン酸の合成が促進されるまでの分子機構については,ほとんど解明されていなかった.

1.乾燥ストレス応答にかかわるペプチドの探索

 近年,シロイヌナズナのゲノムにはsORF(small ORF)とよばれる300 bp以下の短い遺伝子が7000以上も存在することが示唆されている6).また,植物にも分泌型のペプチドが存在し,成長や花成の制御にかかわることが報告されている7,8).なかでも,CLV3ペプチドを含むCLEペプチドファミリーに属するいくつかのペプチドについては研究が進んでいる.CLV3ペプチドは茎頂分裂組織における恒常性の維持にかかわる.また,TDIFペプチド,CLE41ペプチド,CLE44ペプチドは維管束の形態形成および分化にかかわる.しかしこれまで,このようなペプチドやsORFが環境ストレス応答にかかわるという報告はなかった.
 そこで,タイリングアレイ法により環境ストレスに応答して発現が上昇する既知のペプチド遺伝子およびsORFを探索した.その結果,CLEペプチドをコードするいくつかの遺伝子が環境ストレスに対する応答性を示すことが見い出された.このことから,CLEペプチドファミリーが環境ストレス応答にも関与する可能性が考えられた.そこで,27種類のCLEペプチドを人工合成して根に添加し,葉におけるNCED3遺伝子の発現の上昇,葉におけるアブシジン酸の蓄積,気孔の開閉について調べた.その結果,根へのCLE25ペプチドの添加により葉におけるアブシジン酸の蓄積および気孔の閉鎖がひき起こされた.これらの結果から,根で吸収されたCLE25ペプチドが葉に輸送されてNCED3遺伝子の発現を誘導し,葉においてアブシジン酸の蓄積を介した気孔の閉鎖にかかわることが示唆された.

2.CLE25ペプチドは乾燥ストレス応答および乾燥ストレスへの耐性にかかわる

 CLE25遺伝子が発現する組織について解析した結果,根および葉の維管束柔組織,とくに,維管束前駆細胞において強く発現していることが明らかにされた.維管束柔組織はNCED3を含むアブシジン酸合成酵素,および,アブシジン酸のトランスポーターが強く発現する組織であることを考えると,この結果から,CLE25ペプチドおよび一連のアブシジン酸合成経路が維管束柔組織において機能することが示唆された.また,乾燥ストレスのもとでのCLE25遺伝子の発現の変動を根および葉において調べた結果,根においてのみ,乾燥ストレスによる顕著な誘導性が示された.
 植物体におけるCLE25ペプチドの機能を明らかにするため,CRISPR-Cas9法によるゲノム編集技術を用いてcle25破壊植物を作製した.cle25破壊植物においては,乾燥ストレスによる誘導性を示すNCED3遺伝子や,アブシジン酸シグナル伝達経路のマーカー遺伝子であるLEA遺伝子およびRD29B遺伝子の発現が抑制されていた.また,cle25破壊植物は葉におけるアブシジン酸の蓄積量が低下しており,乾燥ストレスに弱かったことから,CLE25ペプチドはNCED3遺伝子の発現を介したアブシジン酸の合成および乾燥ストレスへの耐性を制御することが明らかにされた.一方,幼植物体を用いて脱水ストレスのもとでの蒸散量を測定したところ,cle25破壊植物はアブシジン酸の蓄積が確認された乾燥処理時間よりも早い時間帯において,野生型よりも高い蒸散量を示した.この結果から,CLE25ペプチドはアブシジン酸の合成を介した気孔の閉鎖だけでなく,ほかのシグナル伝達経路の関与する乾燥ストレス応答および乾燥ストレスへの耐性の獲得にもかかわることが示唆された.今後は,水分の膨圧やCa2+シグナルとの関係を解析する必要があるだろう.

3.CLE25ペプチドは根から葉へと移動してアブシジン酸の合成を制御する

 CLE25ペプチドは乾燥ストレスに依存して根において発現が上昇したことから,ひとつの可能性として,CLE25ペプチドは根におけるアブシジン酸の合成に影響をおよぼし,根において合成されたアブシジン酸が地上部へと移動してNCED3遺伝子の発現および気孔の閉鎖をひき起こすことが考えられた.そこで,接木技術を使ってアブシジン酸の合成欠損植物と野生型の植物とを接木し,根からCLE25ペプチドを吸収させたのち,葉におけるNCED3遺伝子の発現について解析した.その結果,根がアブシジン酸の合成欠損植物であっても葉におけるNCED3遺伝子の発現の上昇が確認された.このことから,CLE25ペプチドは根におけるアブシジン酸の合成に依存せず,CLE25ペプチドは地上部へと移動し葉においてNCED3遺伝子の発現を介したアブシジン酸の合成を促進することが示唆された.そこで,野生型の植物とcle25破壊植物とを接木し内在性のCLE25ペプチドの移動を測定した結果,根において合成されたCLE25ペプチドは乾燥ストレスに依存して根から葉に移動することが証明された(図1).また,根から地上部へと移動したCLE25ペプチドは,葉においてNCED3遺伝子の発現にかかわることも明らかにされた.また,葉において発現したCLE25ペプチドもNCED3遺伝子の発現にかかわっていた.CLE25遺伝子の組織に特異的な発現の解析において,葉の維管束柔組織においてもCLE25遺伝子の発現がみられたことから,CLE25ペプチドは根と葉をつなぐ長距離のシグナル伝達因子としてだけでなく,葉における局所的な乾燥ストレス応答にもかかわると考えられた.

figure1

4.CLE25ペプチドの受容体であるBAMはCLE25ペプチドにより制御される乾燥ストレス応答にかかわる

 CLE25ペプチドを受容する受容体を探索した.これまでに報告されているCLEペプチドファミリーのいくつかは,サブクラスIXとよばれる一群の特徴をもつ受容体キナーゼと結合することが知られていた.そこで,このサブクラスを対象としてスクリーニングした結果,BAM1およびBAM3の2つがNCED3遺伝子の発現,アブシジン酸の蓄積,乾燥ストレスへの耐性の獲得にかかわることが見い出された.一方,これまで,BAM1はBAM2と塩基配列の相同性が高く,ともに葉の形態形成にかかわることが報告されていたが,BAM2は乾燥ストレス応答にはかかわらなかった.このことから,BAM1とBAM2は発現レベルでの組織の特異性,ヘテロ二量体の形成,リガンドの認識性などを介した,機能的な役割の分担のあることが示唆された.さらに,bam1 bam3二重変異植物を用いた接木の実験から,CLE25ペプチドが葉においてNCED3遺伝子の発現を誘導するにはBAM1およびBAM3が必要であることが証明された(図1).

おわりに

 この研究により,移動性のCLE25ペプチドが根と葉という離れた組織のあいだで乾燥ストレスのシグナルをやりとりするための要として機能しており,植物は環境ストレス応答においても全身的なシグナル伝達系を使った器官のあいだのコミュニケーション系をもつことが示された.とくに,CLE25ペプチドは乾燥ストレスに依存して細胞外へと放出されることから,CLE25-BAM複合体は外部の環境ストレスを統合的に感知して器官のあいだでシグナルを長距離で伝達する系の一部であると考えられた(図1).ストレスの長距離でのシグナルとして,ほかにも水分の欠乏による膨圧の変化やアブシジン酸自体もかかわることが考えられており,ペプチドの長距離の輸送との関係の解明が必要である.また,CLE25ペプチドは作物として重要であるイネ,コムギ,トマト,ダイズのゲノムにも保存されていることから,CLE25ペプチドによる乾燥ストレスの認識の機構,および,乾燥ストレスのシグナルを全身に伝達する系が広く保存されていることが示唆された.今後,移動性のペプチドによる乾燥ストレス応答の機構をさらに解明していくことにより,植物の器官のあいだのシグナル伝達に関する分子レベルでの理解が深まるだけでなく,応用への発展にも寄与することを期待したい.

文 献

  1. Steudle, E.: The cohesion-tension mechanism and the acquisition of water by plant root. Annu. Rev. Physiol., 52, 847-875 (2001)[PubMed]
  2. Christmann, A., Grill, E. & Huang, J.: Hydraulic signals in long-distance signaling. Curr. Opin. Plant Biol., 16, 293-300 (2013)[PubMed]
  3. Kim, T. H., Bohmer, M., Hu, H. et al.: Guard cell signal transduction network: advances in understanding abscisic acid, CO2, and Ca2+ signaling. Annu. Rev. Plant Biol., 61, 561-591 (2010)[PubMed]
  4. Iuchi, S., Kobayashi, M., Taji, T. et al.: Regulation of drought tolerance by gene manipulation of 9-cis-epoxycarotenoid dioxygenase, a key enzyme in abscisic acid biosynthesis in Arabidopsis. Plant J., 27, 325-333 (2001)[PubMed]
  5. Endo, A., Sawada, Y., Takahashi, H. et al.: Drought induction of Arabidopsis 9-cis-epoxycarotenoid dioxygenase occurs in vascular parenchyma cells. Plant Physiol., 147, 1984-1993 (2008)[PubMed]
  6. Hanada, K., Zhang, X., Borevitz, J. O. et al.: A large number of novel coding small open reading frames in the intergenic regions of the Arabidopsis thaliana genome are transcribed and/or under purifying selection. Genome Res., 17, 632-640 (2007)[PubMed]
  7. Matsubayashi, Y.: Posttranslationally modified small-peptide signals in plants. Annu. Rev. Plant Biol., 65, 385-413 (2014)[PubMed]
  8. Betsuyaku, S., Sawa, S. & Yamada, M.: The function of the CLE peptides in plant development and plant-microbe interactions. Arabidopsis Book, 9, e0149 (2011)[PubMed]

活用したデータベースにかかわるキーワードと統合TVへのリンク

著者プロフィール

高橋 史憲(Fuminori Takahashi)
略歴:2007年 筑波大学大学院生命環境科学研究科博士課程 修了,同年 理化学研究所植物科学研究センター 特別研究員,オーストラリアAdelaide大学 客員研究員,理化学研究所バイオマス工学研究プログラム 研究員を経て,2018年より理化学研究所環境資源科学研究センター 研究員.
研究テーマ:植物の環境ストレス応答にかかわる,離れた組織あるいは器官のあいだをつなぐシグナル伝達ネットワーク.

篠崎 一雄(Kazuo Shinozaki)
理化学研究所環境資源科学研究センター グループディレクター.
研究室URL:http://genediscovery.riken.jp/

© 2018 高橋史憲・篠崎一雄 Licensed under CC 表示 2.1 日本

大腸がんにおいて1細胞のレベルで明らかにされた単一の腫瘍における不均一性

$
0
0

佐々木伸雄・Hans Clevers
(オランダHubrecht Institute)
email:佐々木伸雄
DOI: 10.7875/first.author.2018.048

Intra-tumour diversification in colorectal cancer at the single-cell level.
Sophie F. Roerink, Nobuo Sasaki, Henry Lee-Six, Matthew D. Young, Ludmil B. Alexandrov, Sam Behjati, Thomas J. Mitchell, Sebastian Grossmann, Howard Lightfoot, David A. Egan, Apollo Pronk, Niels Smakman, Joost van Gorp, Elizabeth Anderson, Stephen J. Gamble, Chris Alder, Marc van de Wetering, Peter J. Campbell, Michael R. Stratton, Hans Clevers
Nature, 556, 457-462 (2018)

要 約

 すべてのがんはひとつの体細胞から発生する.がん細胞が増殖する際には,個々の細胞にさまざまな変異が生じることにより互いに異なる遺伝的な違いおよび表現型の違いを獲得する.この研究において,筆者らは,単一の腫瘍における不均一性の本質および規模について調べるため,3人の大腸がんの患者から得たがん組織および隣接した正常な上皮組織について,単一の細胞からクローン化したオルガノイドを作製しその特性について解析した.その結果,大腸がん細胞には多様性をもつ変異が蓄積しており,正常な上皮細胞より数倍も多く変異の生じていることが確認された.ほとんどの変異は,がん化する最終段階で発生した優性なクローンが増殖するあいだに獲得されたものであり,正常な上皮細胞には存在しない過程に由来するものであった.また,DNAメチル化解析およびRNAシークエンス解析においても,単一の腫瘍における不均一性が観察された.クローン化したオルガノイドにおいて観察されたこれらの変化は,生体における周囲の微小環境とは関係なく細胞自律的に安定しており,おのおののがん細胞の変異の情報をもとに作製した分子系統樹にそったものであった.同一の腫瘍における非常に近い領域に注目しても,がん細胞の不均一性は多岐にわたり,抗がん剤の感受性についても顕著な差異が認められた.以上の結果から,大腸がん細胞においては,正常な上皮細胞と比較して変異が大幅に増加しており,それぞれのがんの遺伝的な多様性は,個々のがん細胞の生物学的な性質に広くみられる安定した遺伝的な差異をともなうことが示唆された.

はじめに

 シークエンス技術の進展にともない1細胞のレベルにおけるDNAシークエンスおよびRNAシークエンスが可能になったため,腫瘍において個々の細胞のレベルで変異を理解する単一の腫瘍における不均一性に関する研究がさかんになっている.しかし,これらの技術は急速に進歩しているものの,がん組織から単一の細胞を取り出す際には正常な細胞,血液,周辺の間充織細胞などが混入するリスクがある.さらに,1細胞から得られるゲノムDNAは微量なので,全ゲノムシークエンス解析をするには試料を増幅する必要があり,アーチファクトな変異が挿入される可能性や,シークエンスの深度が十分ではないといった精度に関する問題点がいまだ解決されていない1).また,たとえ技術が進歩して高精度にシークエンスできるようになったとしても,細胞からゲノムを抽出する際にはその細胞を破壊する必要があり,のちのがん細胞の機能の解析や各種の抗がん剤の効果の検証などを“同時に”実施することは原理的に不可能である.
 これらの問題を解決するため,筆者らの研究室において開発された大腸がん細胞の長期培養法であるオルガノイド培養技術を用いることにより2),シークエンスのレベルと細胞のレベルの両方において単一の腫瘍における不均一性につき包括的に理解しようと試みた.患者のがん組織から抗体を用いない蛍光セルソーター法により単一の細胞を無作為に採取し,それぞれの大腸がん細胞の性質にあわせて培地の組成を調整することにより,5~33%の割合でクローン化したオルガノイドを樹立することに成功した.これら複数のクローン化したオルガノイドを用いて,多層オミックス解析および抗がん剤に対する感受性試験を実施することにより,大腸がんにおいて単一の腫瘍における不均一性を単一の細胞のレベルで明らかにした.

1.大腸がんの患者からのクローン化したオルガノイドの樹立

 3人の治療まえの大腸がんの患者それぞれから,大腸がん組織とその周辺の正常な組織の検体を得て,それらを4~6個に小さく断片化し,それぞれの断片から抗体を用いない蛍光セルソーター法を用いて単一の細胞を採取した(図1).これらを従来のオルガノイド培養技術と同様に,1細胞ずつマトリゲルに包埋し,培地の適正化を図りながら,正常な上皮細胞およびがん細胞からクローン化したオルガノイドを作製した.正常な上皮細胞に由来するオルガノイドの形態は均一であったのに対し,がん細胞に由来するオルガノイドは同一の患者に由来したものであっても試料ごとに形態や増殖速度が異なっていた.

figure1

2.がん細胞の変異のパターンを基盤とした分子系統樹による単一の腫瘍における不均一性の解析

 樹立したクローン化したオルガノイドにおいて全ゲノムシークエンス解析やがん関連遺伝子を標的としたシークエンス解析を実施し,変異のパターンのカタログを作製した.これらの変異の情報をもとに分子系統樹を作製したところ,観察された変異のある程度のかたよりのパターン(末端枝の集合)は大腸がん組織の空間にそったまとまりをみせ,それぞれのクローン化したオルガノイドが得られた場所を反映していた(図1).小さな領域に着目して詳細に観察すると,すべてのクローン化したオルガノイドにおいて変異のパターンが異なっていたことから,単一の大腸がん組織において多様性は非常に高いものであることが明らかにされた.これらのエキソンにみられる変異が培養中に新しく導入されたものでないことは実験的に確かめられた.
 オルガノイド培養技術は正常な上皮細胞に対しても適用が可能であるため,同一の患者の正常な上皮細胞を直接的なリファレンスとして使用した,全ゲノムシークエンスの高精度な比較が可能である.実際に,クローナルに増幅させた正常な上皮細胞およびがん細胞から得た十分量のゲノムDNAを用いた高精度な全ゲノムシークエンス解析の結果,いずれの患者の正常な上皮細胞においても約3000個の塩基置換変異が観察されたが,マイクロサテライト不安定型がんである患者1のがん細胞においては約24倍,マイクロサテライト安定型がんである患者2および患者3のがん細胞においては4~7倍も多くの変異が検出された.とくに,患者2および患者3のがん細胞においては,DNAミスマッチ修復に関する遺伝子には変異が観察されなかったにもかかわらず,正常な上皮細胞と比べ多様な変異のパターンが観察された.これらの変異をもとに作製した分子系統樹を調べると,がん細胞においてみられる変異のほとんどは共通幹の部分にはあまり観察されず,末端枝において多様性に富んだパターンが多く観察された.この結果は,がん化した細胞が増殖する際に一気に変異を獲得し,それぞれが独自に増殖するという“ビッグバンモデル”を支持するものであった3)

3.単一の腫瘍におけるDNAメチル化および遺伝子発現のパターンの多様性

 これまでの研究により,単一の腫瘍において不均一性の生じるひとつの要因として,エピジェネティックな変化が示唆されていた4).そこで,正常な上皮細胞あるいはがん細胞に由来するクローン化したオルガノイドを用いて,470,000箇所のCpG部位においてDNAメチル化を調べ,主成分分析を実施した.その結果,正常な上皮細胞におけるDNAメチル化は,同一の患者に由来するクローン化したオルガノイドのあいだだけでなく,異なる患者に由来するクローン化したオルガノイドのあいだにおいてもすべて類似していた.それとは対照的に,がん細胞におけるDNAメチル化は異なる患者のあいだにおいても多様性を示した.また,患者1および患者2のがん細胞に由来するクローン化したオルガノイドは患者ごとに類似したDNAメチル化を示したが,患者3のがん細胞に由来するクローン化したオルガノイドとのあいだには明確なばらつきが観察された.全ゲノムシークエンス解析により,患者3のがん組織においてはTP53遺伝子が正常な細胞と変異をもつ細胞とが混在することが明らかにされ,DNAメチル化のパターンの多様性はTP53遺伝子の変異に依存的であることがわかった.いずれにせよ,これら3人の患者に由来するクローン化したオルガノイドの解析において.正常な上皮細胞におけるDNAメチル化のパターンはほぼ共通であったのに対し,がん細胞におけるDNAメチル化のパターンは患者ごとに大きく異なっていたことから,大腸がん細胞は多様なDNAメチル化修飾をうけて発生することが明らかにされた.
 さらに,オルガノイド培養技術によりクローンは無限に増幅できるため,ゲノムDNAだけでなく,十分量のRNAも抽出することが可能である.作製したすべての正常な上皮細胞および大腸がん細胞に由来するクローン化したオルガノイドについてRNAシークエンスを実施し,遺伝子発現のパターンを解析することにより遺伝子発現に依存的な単一の腫瘍における不均一性について解析した.患者ごとに遺伝子発現のパターンをもとに分子系統樹を作製したところ,DNAメチル化のパターンをもとに作製した分子系統樹と類似していた.DNAメチル化のパターンあるいは遺伝子発現のパターンにもとづく分子系統樹は変異にもとづく分子系統樹とよく似ていたことから,がん細胞にみられるDNAメチル化あるいは遺伝子発現のパターンの多様性は,まわりの微小環境に影響されることなく,がん細胞それ自体のもつ変異のパターンにより規定されることが示唆された.

4.抗がん剤の効果の多様性

 作製したすべてのクローン化したオルガノイドを用いた,分子標的薬や殺細胞性の抗がん剤に対するハイスループットな感受性試験の系を構築した.その結果,TP53の分解を誘導するMDM2を標的にするnutlin-3aや,がん細胞の生存に重要なWntシグナルのリガンド活性を阻害するIWP2のがん細胞への感受性について,TP53遺伝子やWntシグナルの負の制御タンパク質をコードするRNF43遺伝子の変異に依存的な差がみられた.また,非標的型の殺細胞性の抗がん剤である5-フルオロウラシルやシスプラチンなどについても同様に,単一の腫瘍に由来するクローン化したオルガノイドのすべてを殺傷するものはみつからず,非標的型の抗がん剤による効果のみられた(あるいは,みられなかった)クローン化したオルガノイドのあいだに共通する変異のパターンや遺伝子発現のパターンは観察されなかった.いずれにせよ,多様な単一の腫瘍における不均一性の存在する大腸がんは,1種類の抗がん剤による治療により完全に制圧できる可能性は低いことが示唆された.

おわりに

 国内外の多くの研究室が精力的にがんの研究を推進してきたことにより,がん細胞の生物学的な特性や発生の機構などの理解は進んできた.しかし,近年の1細胞のレベルでのシークエンスに代表される新技術により,がんは想像していた以上に複雑性をもつことがわかった.これまでも,単一の腫瘍における不均一性に関する遺伝子発現のパターンの解析,DNAコピー数の解析,薬剤に対する感受性試験など実施されてきたが,これらはすべて個別に実施されたものであった5-7).この研究において,筆者らは,オルガノイド培養技術を用いることにより,正常な上皮細胞およびがん細胞に由来するクローン化したオルガノイドを作製し,世界ではじめて,単一の細胞のレベルにおけるDNAシークエンスおよびRNAシークエンスによるゲノミクス,エピジェネネティクス,また,抗がん剤の感受性試験の統合的な解析を実施した.これらの結果から,1)マイクロサテライト不安定型だけではなく,古典的なマイクロサテライト安定型の大腸がんにおいても大きな単一の腫瘍における不均一性の存在が確認された.2)これまで,単一の腫瘍において不均一性の生じる機構としてはビッグバンモデルとクローン増殖モデルの2つの説があったが3,8,9),今回のゲノミクス解析はビッグバンモデルを支持する結果となった.3)これまでの遺伝子発現をもとにした単一の腫瘍における不均一性の解析は,血管,間質細胞,免疫細胞など細胞外の環境に依存して単一の腫瘍における不均一性が生じることを示唆していたが,遺伝子発現はクローンごとに多様性が維持されていた.4)抗がん剤による治療において耐性を示した選択圧のかかった残存するがん幹細胞がふたたび増殖する際に新たに変異を獲得することにより単一の腫瘍における不均一性が生じるという説もあったが,今回,試料を得た患者3人は抗がん剤や放射線による治療歴がないため,単一の腫瘍における不均一性は原発性の腫瘍にすでに存在することになる,という重要な知見が得られた.
 この研究においては,単一の細胞からの培養を可能にするオルガノイド培養技術の利点を用いてクローンを作製したことにより,単一の腫瘍における不均一性が高精度に解析された.しかし,今回はひとつの腫瘍から20~30のクローンしか作製しなかったため,腫瘍の全体のヘテロな不均一性は網羅しきれていないと考えられる.腫瘍のなかには,オルガノイド培養技術により増幅されない,増殖速度の極端に遅いがん細胞や,低酸素の条件でのみ生育の可能ながん細胞も存在するはずである.そのため,腫瘍の全体を網羅的に理解するには,今後のシークエンス技術および培養技術のさらなる発展が必須になるだろう.しかしながら,今回のクローン化したオルガノイドを用いた単一細胞のレベルでの高精度な解析は,ほかの臓器の固形がんへも応用が可能であるだけでなく,炎症性腸疾患や代謝経路の異常などほかの疾患の研究へ応用することも可能である.

文 献

  1. Leung, M. L., Davis, A., Gao, R. et al.: Single-cell DNA sequencing reveals a late-dissemination model in metastatic colorectal cancer. Genome Res., 27, 1287-1299 (2017)[PubMed]
  2. Sato, T., Stange, D. E., Ferrante, M. et al.: Long-term expansion of epithelial organoids from human colon, adenoma, adenocarcinoma, and Barrett’s epithelium. Gastroenterology, 141, 1762-1772 (2011)[PubMed]
  3. Sottoriva, A., Kang, H., Ma, Z. et al.: A big bang model of human colorectal tumor growth. Nat. Genet., 47, 209-216 (2015)[PubMed]
  4. Angermueller, C., Clark, S. J., Lee, H. J. et al.: Parallel single-cell sequencing links transcriptional and epigenetic heterogeneity. Nat. Methods, 13, 229-232 (2016)[PubMed]
  5. de Bruin, E. C., McGranahan, N., Mitter, R. et al.: Spatial and temporal diversity in genomic instability processes defines lung cancer evolution. Science, 346, 251-256 (2014)[PubMed]
  6. Gerlinger, M., Rowan, A. J., Horswell, S. et al.: Intratumor heterogeneity and branched evolution revealed by multiregion sequencing. N. Engl. J. Med., 366, 883-892 (2012)[PubMed]
  7. Zhang, J., Fujimoto, J., Zhang, J. et al.: Intratumor heterogeneity in localized lung adenocarcinomas delineated by multiregion sequencing. Science, 346, 256-259 (2014)[PubMed]
  8. Sun, R., Hu, Z., Sottoriva, A. et al.: Between-region genetic divergence reflects the mode and tempo of tumor evolution. Nat. Genet., 49, 1015-1024 (2017)[PubMed]
  9. Vogelstein, B., Papadopoulos, N., Velculescu, V. E. et al.: Cancer genome landscapes. Science, 339, 1546-1558 (2013)[PubMed]

活用したデータベースにかかわるキーワードと統合TVへのリンク

著者プロフィール

佐々木 伸雄(Nobuo Sasaki)
略歴:2007年 東京理科大学大学院基礎工学研究科にて博士号取得,国立遺伝学研究所 ポスドク,2011年 オランダHubrecht Instituteポスドクを経て,2016年より慶應義塾大学医学部 特任助教.
研究テーマ:生物のからだづくりにおける基本原理の探求.オルガノイド培養技術を利用した発展的な研究.

Hans Clevers
オランダHubrecht InstituteにてGroup Leader.
研究室URL:https://www.hubrecht.eu/research-groups/clevers-group/

© 2018 佐々木伸雄・Hans Clevers Licensed under CC 表示 2.1 日本

共生細菌の産生するオス殺し毒素

$
0
0

春本 敏之
(スイスEcole Polytechnique Federale de Lausanne,School of Life Sciences,Global Health Institute)
email:春本敏之
DOI: 10.7875/first.author.2018.056

Male-killing toxin in a bacterial symbiont of Drosophila.
Toshiyuki Harumoto, Bruno Lemaitre
Nature, 557, 252-255 (2018)

要 約

 昆虫の共生細菌のなかには宿主の性を利己的に操作することにより感染を広めようとするものがいる.キイロショウジョウバエの共生細菌であるスピロプラズマは,宿主のオスだけを発生の際に殺す,いわゆるオス殺しとよばれる現象を起こす.スピロプラズマによるオス殺しは半世紀以上にわたり研究されてきたが,その原因となる共生細菌に由来する物質については明らかにされていなかった.この研究において,筆者らは,スピロプラズマの新規のタンパク質Spaidを同定した.キイロショウジョウバエにSpaidを強制発現させると過剰なアポトーシスや神経の発生の異常といったスピロプラズマに感染したオスの胚に観察される異常が再現された.また,Spaidはオスの性染色体に局在するMSL複合体を介してこれらの異常をひき起こすことが示唆された.Spaidはアンキリンリピートおよび脱ユビキチン化を担うOTUドメインをもち,これらの機能ドメインが細胞における局在および活性に重要であった.さらに,オス殺しの能力が低下したスピロプラズマの系統が見い出され,spaid遺伝子座に大きな欠失のあることが確認された.この研究により,ながらく探求されてきたスピロプラズマのオス殺し毒素が同定されただけでなく,宿主を性に特異的に操作する細菌に由来するタンパク質の存在が明らかにされた.

はじめに

 一部の共生細菌は感染の効率をあげるため,宿主の性を操作する能力を進化させてきた.共生細菌はもっぱらメスの卵巣を介して次世代に伝達されるため,宿主の性比をメスにかたよらせる.具体的には,遺伝学的なオスを妊性のあるメスに変換するメス化,メスの単独での生殖を可能にする単為生殖,オスの選択的な除去であるオス殺しといった生殖の操作が知られており,オス殺しは少なくとも6つの異なる細菌分類群において独立に進化したと考えられている.
 スピロプラズマ(Spiroplasma poulsonii)によるオス殺しは,1957年にはじめて報告された1).以降の研究により,オス殺しの原因となる因子として分泌性の物質“androcidin”の存在が想定されたが1),その存在は今日にいたるまで不明であった.多くの共生細菌と同様にスピロプラズマも培養が困難であり,分子生物学的な手法が適用できないことが原因のひとつと考えられる.

1.オス殺し毒素Spaidの発見

 キイロショウジョウバエ(Drosophila melanogaster)にオス殺しを起こすスピロプラズマは宿主の体液に豊富に存在し,体液を移すことにより容易に別の株を感染させることができる.過去に樹立した感染株のなかから,偶然,オス殺しが不完全なスピロプラズマの系統が発見された.この系統のゲノム配列を解読し,オスを完全に殺す系統と比較した結果,とある遺伝子に大きな欠失が見い出された.この遺伝子は1065アミノ酸残基のタンパク質をコードしており,タンパク質間相互作用にかかわるアンキリンリピートおよび脱ユビキチン化を担うOTUドメインをもっていた(図1).アンキリンリピートおよびOTUドメインは真核生物だけでなく細菌にも保存されており,病原細菌が宿主の機構に干渉する際に使用するエフェクタータンパク質にもみられる.また,ほかの細菌のもつ病原性のタンパク質と同様に,プラスミドにコードされていた.このタンパク質をコードする遺伝子は以前に報告されたオス殺しを起こすスピロプラズマのゲノムには記載されておらず2),全長にわたり相同性をもつタンパク質もみつからなかった.この新規のタンパク質をSpaid(S. poulsonii androcidin)と名づけた.

figure1

2.Spaidの発現によりオス殺しの表現型が再現される

 Spaidがオス殺しに関与するのかどうかを確認するため,GAL4/UAS系によりキイロショウジョウバエの全身において強制発現させたところ,オスはすべて致死となり羽化しなかった.一方,メスの生存にはまったく影響がみられなかったことから,Spaidはオスに特異的に作用することが示された.
 スピロプラズマに感染したオスの胚は,発生において過剰なアポトーシスおよび神経の発生の異常を起こして致死となる3-5).神経の発生の異常の原因は不明であるが,過剰なアポトーシスとは独立にひき起こされると考えられている4,5).Spaidがオス殺しの原因タンパク質であるとするなら,強制発現によりこれらの表現型が再現されるはずである.実際,胚発生の初期からSpaidを強制発現させたところ,オスの胚においてのみ過剰なアポトーシスおよび異常な神経の発生が観察された.オスの胚におけるアポトーシスは,スピロプラズマに感染した胚と同様に5),発生の経過にともない増加した.Spaidを発現するオスの胚においてアポトーシスは胚の全体にみられたものの,ニューロンは異常なアポトーシスを起こさなかったことから,Spaidの発現はこれら2つの異なる表現型をひき起こすのに十分であると考えられた.

3.Spaidはオスのもつ遺伝子量の補償の機構を標的にする

 ショウジョウバエのメスはX染色体とよばれる性染色体を2本もつが,オスは1本しかもたない(図1).X染色体にコードされた遺伝子の発現量をメスとオスのあいだで補正するため,オスのX染色体にはMSL複合体とよばれるタンパク質-RNA複合体が結合し,ヒストンの修飾により発現量をほぼ2倍に上昇させる.一方,メスにおいては一部の構成タンパク質が翻訳されないためMSL複合体は形成されない.オスにおけるMSL複合体の形成はスピロプラズマによるオス殺しに関係することが知られており6),このことから,スピロプラズマがこのオスのX染色体に特異的なMSL複合体そのもの,あるいは,下流のヒストンの修飾を標的にすることが示唆されていた7,8).これまでに,筆者らは,スピロプラズマに感染したオスの胚のX染色体においてはDNAに損傷が蓄積しており,細胞分裂の際に染色体の架橋および断裂をともないオスに特異的なアポトーシスをひき起こすことを明らかにしていた8).Spaidを強制発現した胚において,DNAの損傷およびオスのX染色体を抗体染色法により検出したところ,このオスのX染色体に特異的な異常が再現された.
 Spaidの細胞における分布について調べるため,サイズが大きく細胞学的な解析が容易な幼虫の唾液腺細胞においてSpaid-GFP融合タンパク質を発現させたところ,性にかかわらず細胞膜,細胞質,そして,核に弱く均一に分布することが観察された.さらに,オスの核においては,SpaidはMSL複合体が検出されたX染色体により強く局在していた.このことから,Spaidはオスのもつ遺伝子量の補償の機構を標的として作用することが示唆された.

4.Spaidの機能ドメインの役割

 Spaidによるオス殺しのしくみをより詳細に理解するため,アンキリンリピートあるいはOTUドメインを欠失したSpaidのコンストラクトを作製した.これらをキイロショウジョウバエの全身に強制発現させたところ,アンキリンリピートを欠失したSpaidはオスを殺さなかったが,OTUドメインを欠失したSpaidはオス殺しをひき起こした.このことから,アンキリンリピートがオス殺しの活性に重要であることが示された.ただし,OTUドメインを欠失したSpaidを発現するオスは,野生型のSpaidを発現する場合と比較して,より発生が進んでから致死となったことから,OTUドメインは完全な毒性の発揮に必要であると考えられた.実際,キイロショウジョウバエの全身に弱い発現を誘導する系を使用した場合には,野生型のSpaidはオス殺しをひき起こした一方,アンキリンリピートを欠失したSpaidおよびOTUドメインを欠失したSpaidはオスを殺さなかった.
 唾液腺細胞にこれらを発現させて局在を確認したところ,アンキリンリピートを欠失したSpaidの局在は概して野生型のSpaidと同様であったが,オスのX染色体における強い局在は失われた.一方,OTUドメインを欠失したSpaidの核における分布はオスおよびメスともきわめて弱くなり,オスのX染色体における局在も不明瞭であった.OTUドメインを欠失したSpaidはオス殺しの部分的な活性をもつことが示されたが,これは過剰に発現したSpaidが局在の異常をのりこえた結果として生じたのかもしれない.
 以上の結果をまとめると,SpaidはOTUドメインにより宿主の細胞の核へと移行し,アンキリンリピートを介してオスのX染色体に局在するMSL複合体,あるいは,ヒストンの修飾と相互作用することにより染色体に特異的に異常をひき起こすのだろう(図1).OTUドメインが実際に脱ユビキチン化活性をもち,ヒストンをはじめとする核タンパク質のユビキチン化に干渉するとすれば,それによりクロマチンの構造あるいはリモデリングに影響をおよぼす可能性も考えられる(図1).

おわりに

 この研究において,筆者らは,宿主の性に特異的に作用する細菌に由来するタンパク質を同定した.共生細菌による宿主の性の操作はスピロプラズマにかぎらない.たとえば,昆虫に高頻度に共生するボルバキア(Wolbachia)は,感染していないメスが感染していないオスと交配することでしか次世代を残せなくなる,細胞質不和合とよばれる奇妙な現象をひき起こす.近年,この現象の原因タンパク質が同定されたが9,10),これらのタンパク質の一部も脱ユビキチン化にかかわるドメインをもつ.まったく異なるようにみえる生殖の操作が,共通する宿主の機構を標的にするのであれば興味深く,今後の詳細な解析が待たれる.共生細菌はこれらのたくみな手法をどうやって獲得し進化させてきたのだろうか.この問いに答えるには,多彩な共生関係について丹念に調べあげる必要がある.それにより得られた知見は,生命科学における新たな分野の開拓に寄与するだけでなく,感染症を媒介する昆虫や農業における害虫の制御および制圧にも応用されるであろう.

文 献

  1. Williamson, D. L. & Poulson, D. F.: Sex ratio organisms (Spiroplasmas) of Drosophila. in The Mycoplasmas, Volume III: Plant and Insect Mycoplasmas (Whitcomb R. F. & Tully J. G. eds.), pp. 175-208, Academic Press, New York (1979)
  2. Paredes, J. C., Herren, J. K., Schupfer, F. et al.: Genome sequence of the Drosophila melanogaster male-killing Spiroplasma strain MSRO endosymbiont. MBio, 6, e02437-14 (2015)[PubMed]
  3. Bentley, J. K., Veneti, Z., Heraty, J. et al.: The pathology of embryo death caused by the male-killing Spiroplasma bacterium in Drosophila nebulosa. BMC Biol., 5, 9 (2007)[PubMed]
  4. Martin, J., Chong, T. & Ferree, P. M.: Male killing Spiroplasma preferentially disrupts neural development in the Drosophila melanogaster embryo. PLoS One, 8, e79368 (2013)[PubMed]
  5. Harumoto, T., Anbutsu, H. & Fukatsu, T.: Male-killing Spiroplasma induces sex-specific cell death via host apoptotic pathway. PLoS Pathog., 10, e1003956 (2014)[PubMed]
  6. Veneti, Z., Bentley, J. K., Koana, T. et al.: A functional dosage compensation complex required for male killing in Drosophila. Science, 307, 1461-1463 (2005)[PubMed]
  7. Cheng, B., Kuppanda, N., Aldrich, J. C. et al.: Male-killing Spiroplasma alters behavior of the dosage compensation complex during Drosophila melanogaster embryogenesis. Curr. Biol., 26, 1339-1345 (2016)[PubMed]
  8. Harumoto, T., Anbutsu, H., Lemaitre, B. et al.: Male-killing symbiont damages host’s dosage-compensated sex chromosome to induce embryonic apoptosis. Nat. Commun., 7, 12781 (2016)[PubMed]
  9. Beckmann, J. F., Ronau, J. A. & Hochstrasser, M.: A Wolbachia deubiquitylating enzyme induces cytoplasmic incompatibility. Nat. Microbiol., 2, 17007 (2017)[PubMed]
  10. LePage, D. P., Metcalf, J. A., Bordenstein, S. R. et al.: Prophage WO genes recapitulate and enhance Wolbachia-induced cytoplasmic incompatibility. Nature, 543, 243-247 (2017)[PubMed]

活用したデータベースにかかわるキーワードと統合TVへのリンク

著者プロフィール

春本 敏之(Toshiyuki Harumoto)
略歴:2011年 京都大学大学院生命科学研究科博士後期課程 修了,2012年 産業技術総合研究所生物プロセス研究部門 博士研究員を経て,2015年よりスイスEcole Polytechnique Federale de Lausanne博士研究員.
研究テーマ:共生細菌による宿主となる昆虫の操作の機構.

© 2018 春本 敏之 Licensed under CC 表示 2.1 日本

T細胞における共抑制性遺伝子プログラムの発現の制御

$
0
0

千原典夫・Vijay K. Kuchroo
(米国Harvard Medical School,Evergrande Center for Immunologic Diseases)
email:千原典夫
DOI: 10.7875/first.author.2018.067

Induction and transcriptional regulation of the co-inhibitory gene module in T cells.
Norio Chihara, Asaf Madi, Takaaki Kondo, Huiyuan Zhang, Nandini Acharya, Meromit Singer, Jackson Nyman, Nemanja D. Marjanovic, Monika S. Kowalczyk, Chao Wang, Sema Kurtulus, Travis Law, Yasaman Etminan, James Nevin, Christopher D. Buckley, Patrick R. Burkett, Jason D. Buenrostro, Orit Rozenblatt-Rosen, Ana C. Anderson, Aviv Regev, Vijay K. Kuchroo
Nature, 558, 454-459 (2018)

要 約

 CTLA-4やPD-1といった共抑制性受容体はエフェクターT細胞に共発現して免疫応答の恒常性に関与する.その制御の不全は自己免疫疾患をひき起こし,過剰な発現は疲弊T細胞によるウイルス感染症の慢性化やがんにおける免疫の回避をひき起こす.しかし,これら共抑制性受容体が共発現する分子機構は不明であった.この研究において,筆者らは,1細胞RNA-seq法やCyTOF法といった遺伝子あるいはタンパク質の発現を解析する手法を用いて,腫瘍において疲弊T細胞の共抑制性受容体および共刺激性受容体をハイスループットにスクリーニングしたところ,PD-1,Tim-3,Lag-3,TIGITといった既知の共抑制性受容体にくわえ,多くの新たな表面受容体を同定した.これらの共抑制性受容体のモジュールは抑制性サイトカインであるインターロイキン27により発現が誘導され,腫瘍の微小環境のみならず,慢性ウイルス感染症,免疫不応答の状態,免疫寛容の状態のT細胞に共通してみられる,より大きな共抑制性遺伝子プログラムの一部であった.そのなかからProcrおよびPdpnについて腫瘍のモデルを用いて機能的に実証され,さらに,共抑制性遺伝子プログラムのコンピューター解析によりPrdm1とc-Mafが協働して共抑制性遺伝子プログラムを制御することが明らかにされ,これら2つの転写因子が腫瘍に対する免疫応答を抑制する鍵となることが示された.

はじめに

 腫瘍の微小環境などの慢性炎症を起こした組織において,活性化したT細胞は長期にわたり抗原の刺激や周囲からの抑制性シグナルをうけることによりその恒常性を変化させ,“疲弊”(exhaustion)という状態になる.疲弊T細胞においては細胞傷害性や炎症性サイトカインの産生能が低下し腫瘍の増大をまねく.疲弊T細胞はCTLA4やPD-1をはじめとした多様な共抑制性受容体を発現し,これが疲弊の程度に寄与する.一方で,自己免疫疾患においては免疫病態の核としてT細胞に発現する抑制性受容体の機能の不全が知られ,慢性的な持続炎症の原因となる可能性がある.この研究においては,1細胞RNA-seq法やCyTOF法といった遺伝子あるいはタンパク質の発現をハイスループットに解析する手法を用いて,疲弊T細胞をはじめとする免疫の機能が不全の状態にある種々のT細胞に発現する共抑制性受容体モジュールおよびその背景にある共抑制性遺伝子プログラムを同定し,これを制御する転写因子を明らかにした.

1.T細胞における共抑制性受容体の共発現

 PD-1,Tim-3,Lag-3,TIGITといった共抑制性受容体は疲弊T細胞に発現し,その共発現の程度がより重度の疲弊と関連するとされる1).しかしながら,どのくらいの規模の共抑制性受容体が共発現しているのかを解析するのはむずかしく,これまでは,いくつかの受容体を選択してその機能が解析されてきた.そこで,1細胞RNA-seq法を用いて,腫瘍に浸潤したT細胞としてB16F10メラノーマに浸潤したT細胞の表面受容体の遺伝子の発現を解析した.その結果,腫瘍に浸潤したCD8陽性T細胞においてはPD-1,Tim-3,Lag-3,CTLA-4,4-1BB,TIGITが強い相関をもって共発現し,腫瘍に浸潤したCD4陽性T細胞においてはそれらにくわえICOS,GITR,OX40が共発現していた.さらに,これらの受容体を含む既知の15個の表面受容体のタンパク質の発現の相関を1細胞レベルでの質量分析法であるCyTOF法を用いて解析したところ,4つの共抑制性受容体PD-1,Tim-3,Lag-3,TIGITが腫瘍に浸潤したCD8陽性およびCD4陽性のT細胞において強固に共発現していることが明らかにされた.クラスター解析により,腫瘍に浸潤したCD8陽性およびCD4陽性のT細胞はこれら4つの共抑制性受容体をおもに発現する細胞および発現しない細胞とに分けられた.このことから,PD-1,Tim-3,Lag-3,TIGITを核とした共抑制性受容体モジュールが腫瘍に浸潤したCD8陽性およびCD4陽性のT細胞に認められることが明らかにされた.

2.インターロイキン27は共抑制性受容体モジュールの発現を誘導する

 共抑制性受容体モジュールの存在はそのトリガーを予想させるものであった.そこで,抑制性サイトカインであるインターロイキン27に注目した.インターロイキン27は,同じく抑制性サイトカインであるインターロイキン10を産生する制御性T細胞であるTr1細胞の分化を誘導することが知られており2),Tim-3やPD-1のリガンドであるPD-L1の発現を誘導することが示されている3,4).実際に,in vitroのT細胞の分化系においてインターロイキン27の刺激をくわえたところ,インターロイキン27受容体シグナルに依存的にTim-3,Lag-3,TIGITの発現が誘導された.PD-1の発現は対照と比べ変化しなかった.一方,in vivoにおいて,インターロイキン27受容体ノックアウトマウスの腫瘍に浸潤したCD8陽性およびCD4陽性のT細胞は,CyTOF法による解析ではPD-1の発現を含め共抑制性受容体モジュールを発現する細胞のクラスターはみられなかった.なお,インターロイキン10の発現もインターロイキン27受容体ノックアウトマウスの腫瘍に浸潤したCD8陽性のT細胞において著明に低下していた.野生型マウスおよびインターロイキン27受容体ノックアウトマウスの腫瘍に浸潤したT細胞を用いた1細胞RNA-seq法による解析でのクラスター解析においても,PD-1,Tim-3,Lag-3,TIGITを発現する細胞が認められ,インターロイキン27受容体ノックアウトマウスの腫瘍に浸潤したCD8陽性のT細胞においてはこれらの発現の著明な低下,また,腫瘍に浸潤したCD4陽性のT細胞ではTim-3およびLag-3の発現の著明な低下が認められた.これらのことから,インターロイキン27はin vivoにおいて共抑制性受容体モジュールの発現を誘導すると考えられた.

3.共抑制性受容体モジュールは免疫の機能が不全の状態にある種々のT細胞に共通してみられる

 共抑制性受容体モジュールはインターロイキン27により誘導されるより大きな遺伝子発現プログラムに含まれるという可能性を考え,in vitroにおいてT細胞を分化させインターロイキン27により発現の誘導された1201個の遺伝子を抽出した.1細胞RNA-seq法による解析で得られた遺伝子の情報をもつ野生型のマウスの腫瘍に浸潤したT細胞をその遺伝子の発現の類似性により2次元に展開したアルゴリズムに散布し,そこに腫瘍の微小環境,慢性ウイルス感染症,免疫不応答の状態,免疫寛容の状態の免疫の機能が不全の状態にある複数のT細胞において発現の上昇した遺伝子を投影したところ,それらを発現する細胞は一定の集団を形成し,インターロイキン27受容体ノックアウトマウスの腫瘍に浸潤したT細胞に発現する遺伝子はそれ以外の細胞に発現した.in vitroにおいてインターロイキン27により発現の誘導された遺伝子は満遍なく発現していたことから,さきに述べたインターロイキン27により発現の誘導された遺伝子のなかからそれぞれの免疫不応答の状態のT細胞に発現した遺伝子と共通の遺伝子を抽出することにより,272個の遺伝子からなる共抑制性遺伝子プログラムが同定された.このなかには,Tim-3,Lag-3,TIGIT,インターロイキン10を含む57個の表面受容体およびサイトカインをコードする遺伝子が含まれた.

4.ProcrおよびPdpnは新規の共抑制性受容体である

 共抑制性受容体モジュールとして新たに同定された表面受容体が真に抑制性の機能をもつかどうかを実証する目的で,候補となる遺伝子にコードされていたタンパク質のうち腫瘍の微小環境における疲弊T細胞に発現していたProcrおよびPdpnについて腫瘍のモデルを用いて検証した.Procrを低発現するマウスおよびPdpnのT細胞に特異的なノックアウトマウスを用いてB16F10メラノーマに浸潤したCD8陽性のT細胞を解析したところ,対照となる野生型のマウスと比べ,炎症性サイトカインであるTNFαの産生が増加し,PD-1およびTim-3を高発現する細胞が減少し,腫瘍の増大が抑制された.以上のことから,ProcrおよびPdpnは新規の共抑制性受容体であると考えられた.

5.Prdm1およびc-Mafは共抑制性遺伝子プログラムの転写を部分的に制御する

 Prdm1を共抑制性遺伝子プログラムを制御する転写因子の候補とした.Prdm1の発現はインターロイキン27により誘導され,共抑制性遺伝子プログラムを発現する腫瘍に浸潤したT細胞や疲弊T細胞にも高発現していた.実際に,Prdm1ノックアウトマウスのT細胞においてはインターロイキン27により発現の誘導される共抑制性遺伝子プログラムのなかのさまざまな遺伝子の発現が低下しており,既報のPrdm1のChIP-seq法による解析の結果5) を用いても,共抑制性遺伝子プログラムに含まれる遺伝子を直接に制御する可能性が示唆された.しかしながら,T細胞に特異的なPrdm1ノックアウトマウスを用いてB16F10メラノーマに浸潤したCD8陽性のT細胞を解析したところ,対照となる野生型のマウスと比べ,PD-1,Tim-3,Procrの発現の低下が認められたものの,腫瘍の大きさは変わらず,Prdm1の欠失のみでは腫瘍免疫を活性化するには不十分であった.そこで,Prdm1ノックアウトマウスにおいては共抑制性遺伝子プログラムの制御がほかの転写因子により代償されている可能性を考え,Prdm1ノックアウトマウスの腫瘍に浸潤したCD8陽性のT細胞を用いインターロイキン27により発現の誘導された遺伝子および疲弊T細胞において発現の上昇している遺伝子の発現動態を解析したところ,転写因子c-Mafをコードする遺伝子を含む数個の遺伝子の発現の上昇が認められた.実際に,c-MafはPrdm1とともにインターロイキン27により発現が誘導され,インターロイキン10の発現や疲弊T細胞における遺伝子の発現を制御するとされていたことから6,7),既報のc-MafのChIP-seq法による解析の結果8) を再解析したところ,共抑制性遺伝子プログラムに含まれる遺伝子を直接に制御している可能性が示唆された.T細胞に特異的なc-Mafのノックアウトマウスを用いてB16F10メラノーマに浸潤したCD8陽性のT細胞を解析したところ,対照となる野生型のマウスと比べ,共抑制性受容体の発現の部分的な低下が認められたものの,やはり腫瘍の大きさは変わらなかった.c-Mafノックアウトマウスの腫瘍に浸潤したCD8陽性のT細胞においては,対照となる野生型のマウスと同じ程度にPrdm1が発現しており,Prdm1が共抑制性遺伝子プログラムの転写を制御する可能性が考えられた.

6.Prdm1およびc-Mafは協働して共抑制性遺伝子プログラムの転写を制御し腫瘍免疫を制御する

 ここまで述べた結果から,Prdm1およびc-Mafが協働して共抑制性受容体の発現を制御する可能性が考えられた.Prdm1とc-Mafの物理的な結合の証拠は得られなかったため,標的となる遺伝子を共有するかどうか解析した.その結果,おのおのの転写因子による遺伝子の発現の制御について作製したネットワークをあわせることにより,共抑制性遺伝子プログラムの制御において121個の遺伝子がPrdm1およびc-Mafの影響をうける可能性が見い出された.ChIP-seq法にくわえ,インターロイキン10を産生するTr1細胞および疲弊T細胞におけるATAC-seq法による開いた構造をとるクロマチン領域の網羅的な解析の結果9,10) を用いて,PD-1遺伝子座,Tim-3遺伝子座,Lag-3遺伝子座,TIGIT遺伝子座を解析したところ,Prdm1およびc-Mafが重なって結合する部位および別々に結合する部位がみられた.さらに,Tim-3遺伝子のエンハンサー領域においてはPrdm1およびc-Mafがその発現を相乗的に誘導することも明らかにされた(図1).

figure1

 Prdm1とc-MafのT細胞に特異的なダブルノックアウトマウスを作製したところ,T細胞の頻度やメモリー細胞の分化および活性化については正常であったが,Foxp3陽性の制御性CD4陽性T細胞の頻度は上昇していた.このダブルノックアウトマウスを用いてB16F10メラノーマに浸潤したCD8陽性のT細胞を解析したところ,対照となる野生型のマウスと比べ,PD-1,Tim-3,Lag-3,TIGIT,Pdpn,Procrの共抑制性受容体の発現がほぼ消失し,インターロイキン2やTNFαの産生が亢進し,腫瘍の増殖の著明な抑制が認められた.腫瘍の増殖の抑制がCD4陽性T細胞によるものかCD8陽性T細胞によるものかを確かめるため,Rag1ノックアウトマウスにPrdm1とc-MafのT細胞に特異的なダブルノックアウトマウスあるいは野生型のマウスのCD4陽性T細胞あるいはCD8陽性T細胞のおのおのの組合せを養子移入したところ,ダブルノックアウトマウスに由来するCD4陽性T細胞およびCD8陽性T細胞を移入した場合に共抑制性受容体の発現および腫瘍の増殖がもっとも抑制された.また,抗原に特異的な腫瘍のモデルとしてMC38-OVAを用いて同様に実験したところ,ダブルノックアウトマウスに由来するT細胞を移入した場合に腫瘍の増殖の著明な抑制がみられ,OVAに特異的なCD8陽性T細胞の腫瘍に対する所属リンパ節における増加,および,腫瘍に浸潤したT細胞および脾臓におけるインターフェロンγおよびTNFαの産生の増加,脾臓におけるKi67陽性の割合の上昇が認められた.
 さらに,Prdm1とc-MafのT細胞に特異的なダブルノックアウトマウスを用いて,B16F10メラノーマに浸潤したCD8陽性T細胞におけるRNA-seq法による遺伝子の発現を対象となる野生型のマウスと比較したところ,特異的に発現する940個の遺伝子が認められ,うち149個はPrdm1あるいはc-Maf単独のノックアウトマウスにおける結果から相加的に予測されるよりも強い発現の違いを示した.Prdm1とc-MafのT細胞に特異的なダブルノックアウトマウスの腫瘍に浸潤したCD8陽性のT細胞における遺伝子の発現は野生型のマウスの非疲弊T細胞と類似しており,1細胞RNA-seq法による解析で得られた遺伝子の情報をもつ野生型のマウスの腫瘍に浸潤したT細胞において,ダブルノックアウトマウスの腫瘍に浸潤したCD8陽性T細胞に特異的な遺伝子を発現する細胞は共抑制性遺伝子プログラムの遺伝子を発現する細胞と相互に排他的なパターンをとり,リンパ球性脈絡髄膜炎ウイルスを用いた慢性ウイルス感染症においてエフェクター細胞の前駆細胞として報告されているPD-1陽性CXCR5陽性CD8陽性T細胞11) に発現する遺伝子を発現する細胞やインターロイキン27受容体ノックアウトマウスの腫瘍に浸潤したCD8陽性のT細胞と有意な重なりを示した.これらの結果から,腫瘍に浸潤したCD8陽性のT細胞はPrdm1およびc-Mafを発現しなくなることにより共抑制性遺伝子プログラムの発現を失い,より免疫応答性のエフェクター細胞としての性質を獲得することが明らかにされた(図1).

おわりに

 この研究においては,免疫の機能が不全の状態にあるさまざまなT細胞に発現する,これまで明らかにされていなかった共抑制性遺伝子プログラムが,それを制御する転写因子とともに同定された.これは,T細胞の制御を標的とした免疫療法の新たな共抑制性受容体および刺激性受容体の候補のライブラリーになりうるだろう.今後,この共抑制性遺伝子プログラムは腫瘍の微小環境のみならず,その制御の不全がみられる自己免疫疾患の病態の解明にもつながるものと期待される.

文 献

  1. Wherry, E. J.: T cell exhaustion. Nat. Immunol., 12, 492-499 (2011)[PubMed]
  2. Awasthi, A., Carrier, Y., Peron, J. P. et al.: A dominant function for interleukin 27 in generating interleukin 10-producing anti-inflammatory T cells. Nat. Immunol., 8, 1380-1389 (2007)[PubMed]
  3. Zhu, C., Sakuishi ,K., Xiao, S. et al.: An IL-27/NFIL3 signalling axis drives Tim-3 and IL-10 expression and T-cell dysfunction. Nat. Commun., 6, 6072 (2015)[PubMed]
  4. Hirahara, K., Ghoreschi, K., Yang, X. P. et al.: Interleukin-27 priming of T cells controls IL-17 production in trans via induction of the ligand PD-L1. Immunity, 36, 1017-1030 (2012)[PubMed]
  5. Mackay, L. K., Minnich, M., Kragten, N. A. et al.: Hobit and Blimp1 instruct a universal transcriptional program of tissue residency in lymphocytes. Science, 352, 459-463 (2016)[PubMed]
  6. Apetoh, L., Quintana, F. J., Pot, C. et al.: The aryl hydrocarbon receptor interacts with c-Maf to promote the differentiation of type 1 regulatory T cells induced by IL-27. Nat. Immunol., 11, 854-861 (2010)[PubMed]
  7. Giordano, M., Henin, C., Maurizio, J. et al.: Molecular profiling of CD8 T cells in autochthonous melanoma identifies Maf as driver of exhaustion. EMBO J., 34, 2042-2058 (2015)[PubMed]
  8. Ciofani, M., Madar, A., Galan, C. et al.: A validated regulatory network for Th17 cell specification. Cell, 151, 289-303 (2012)[PubMed]
  9. Karwacz, K., Miraldi, E. R., Pokrovskii, M. et al.: Critical role of IRF1 and BATF in forming chromatin landscape during type 1 regulatory cell differentiation. Nat. Immunol., 18, 412-421 (2017)[PubMed]
  10. Sen, D. R., Kaminski, J., Barnitz, R. A. et al.: The epigenetic landscape of T cell exhaustion. Science, 354, 1165-1169 (2016)[PubMed]
  11. Im, S. J., Hashimoto, M., Gerner, M. Y. et al.: Defining CD8+T cells that provide the proliferative burst after PD-1 therapy. Nature, 537, 417-421 (2016)[PubMed]

活用したデータベースにかかわるキーワードと統合TVへのリンク

著者プロフィール

千原 典夫(Norio Chihara)
略歴:2012年 神戸大学大学院医学研究科 修了,2013年 米国Harvard Medical SchoolにてPostdoctoral Fellowを経て,2016年より神戸大学大学院医学研究科 特定助教(現 助教).
研究テーマ:神経と免疫の連関.
抱負:分子機構を大事にして,トランスレーショナル医療をめざしています.

Vijay K. Kuchroo
米国Harvard Medical SchoolにてProfessor.
研究室URL:http://kuchroolab.bwh.harvard.edu/

© 2018 千原典夫・Vijay K. Kuchroo Licensed under CC 表示 2.1 日本

クライオ電子顕微鏡によるμオピオイド受容体とGiタンパク質との複合体の構造解析

$
0
0

前田将司・Antoine Koehl・Brian K. Kobilka
(米国Stanford大学School of Medicine,Department of Molecular and Cellular Physiology)
email:前田将司
DOI: 10.7875/first.author.2018.068

Structure of the μ-opioid receptor-Gi protein complex.
Antoine Koehl, Hongli Hu, Shoji Maeda, Yan Zhang, Qianhui Qu, Joseph M. Paggi, Naomi R. Latorraca, Daniel Hilger, Roger Dawson, Hugues Matile, Gebhard F. X. Schertler, Sebastien Granier, William I. Weis, Ron O. Dror, Aashish Manglik, Georgios Skiniotis, Brian K. Kobilka
Nature, 558, 547-552 (2018)

要 約

 μオピオイド受容体はGタンパク質共役受容体のひとつであり,医療などに使用されるオピオイドの標的である.μオピオイド受容体の活性化による効果としては鎮痛作用や陶酔作用があげられるが,これらの効果は,μオピオイド受容体によるGiタンパク質におけるGDP-GTP交換反応,および,その下流のアデニル酸シクラーゼの活性の抑制によりもたらされる.この研究において,筆者らは,クライオ電子顕微鏡による解析により,アゴニストであるDAMGOの結合したμオピオイド受容体とGiタンパク質との複合体の構造を3.5Å分解能で決定した.DAMGOはそのN末端側がオピオイド受容体ファミリーに保存されたリガンド結合ポケットにはまり込み,C末端側はオピオイド受容体ファミリーのあいだの選択性にかかわる領域と相互作用していた.Gタンパク質共役受容体とGsタンパク質との複合体との構造の比較により,異なるGタンパク質と共役するGタンパク質共役受容体のそれぞれの特徴,とくに,Gタンパク質共役受容体の膜貫通ヘリックス6の位置,および,Gタンパク質のα5ヘリックスを介した相互作用の様式の違いが明らかにされた.

はじめに

 オピオイドとは鎮痛作用や陶酔作用をもつアルカロイド,合成化合物,内在性の化合物の総称である.すぐれた鎮痛作用をもつため,手術の際の麻酔として,あるいは,がんの末期にともなうような強い痛みを緩和するために用いられる.その一方で,強い依存性や呼吸器の抑制作用といった副作用もともなう.米国においては,比較的入手しやすいこともあり,近年,オピオイドの過剰摂取が大きな社会問題となっている.こうした背景もあり,より副作用の低い安全なオピオイド化合物の開発への期待が大きく高まっている.
 オピオイドはGタンパク質共役受容体であるμ,δ,κの3つのオピオイド受容体に作用し,鎮痛作用の発現はおもにμオピオイド受容体を介する.ほかのGタンパク質共役受容体と同じく,μオピオイド受容体もGタンパク質を介したシグナル伝達経路およびアレスチンを介したシグナル伝達経路の両方を活性化する.このうち,薬理的に有用な鎮痛作用はGiタンパク質を介したシグナル伝達経路が寄与し,副作用とされる呼吸の障害はアレスチンを経由したシグナル伝達経路によることが近年の研究により明らかにされてきた1).アレスチンを介したシグナル伝達経路を活性化せずGiタンパク質を介したシグナル伝達経路のみを選択的に活性化することができれば,副作用を抑えた有益な効果のみを発揮することが期待される2)
 Gタンパク質共役受容体とGタンパク質との複合体の構造は,2011年にβ2アドレナリン受容体とGsタンパク質との複合体の構造がX線結晶構造解析により解かれて以降,これまでに,2種類のファミリーBに属するGタンパク質共役受容体とGsタンパク質との複合体の構造がクライオ電子顕微鏡により解かれたのみである3-5).Gタンパク質にはいくつかのファミリーが存在するなか,Gタンパク質共役受容体がいかにして特定のGタンパク質を選択的に認識するのかについての構造的な基盤についてはいまだ全容は解明されていない.μオピオイド受容体はGi/oファミリーとのみ共役するGタンパク質共役受容体であり,それらの複合体の構造は異なるGタンパク質への選択性を議論するうえで非常に有用な情報となる.

1.μオピオイド受容体とGiタンパク質との複合体の全体構造

 昆虫細胞を用いた発現系により発現させたマウスに由来するμオピオイド受容体,および,ヒトに由来するGi1をそれぞれ個別に精製し,アゴニストであるDAMGOの存在下において混合することにより複合体を調製した.この過程において,ジホスホヒドロラーゼであるアピラーゼをくわえることにより,Gi1から放出されたGDPをGMPへと加水分解し,GDPがμオピオイド受容体-Gi1複合体と再結合し解離させるのをふせいだ.さらに,複合体を安定化させる効果をもつ抗体フラグメントをくわえたのち,非晶質の氷に包埋してクライオ電子顕微鏡にて複合体の画像を収集し,単粒子解析法により最終的に3.5Å分解能のマップを取得した.使用した抗体フラグメントはGタンパク質のαサブユニットとβサブユニットから構成される表面構造をエピトープにもち,分子量の増大に寄与しただけでなく,分子に非対称的な概形をあたえることにより単粒子解析にも寄与した.マップの精密化の過程においては,Gタンパク質のαヘリカルドメインに相当する領域のマップを除いた.これは,一連の先行研究により,Gタンパク質共役受容体と結合しGDPを放出した状態のGタンパク質はこの領域がRas様ドメインから解離しフレキシブルな状態をとることが知られていたためである3-5).実際に,初期のマップの時点ではこの領域に相当する部分はほかの領域に比べて弱いシグナルをあたえるのみであった.活性型μオピオイド受容体および三量体Gタンパク質のそれぞれの構造はすでにX線結晶構造解析により解かれており,これらを参照してマップにあてはめ精密化しμオピオイド受容体とGi1との複合体の構造を決定した(図1,PDB ID:6DDE).得られた全体構造は,さきに構造が解かれていたβ2アドレナリン受容体とGsタンパク質との複合体とよく似ており,Gタンパク質の異なるファミリーともに共通した活性化の機構をもつことが示唆された.

figure1

2.アゴニストDAMGOの結合様式

 以前に構造が決定された活性型μオピオイド受容体は,BU72という多環構造をもつ強固な低分子アゴニストを用いて結晶化された6).DAMGOはこれとは対称的に,ペプチドからなる柔軟な構造をもつアゴニストである.このように,非常に異なる構造をもつ2つのアゴニストであるが,μオピオイド受容体とGiタンパク質との複合体の構造のリガンド結合部位をBU72結合型の構造と比較したところ,アミノ酸側鎖の部位および配置が非常によく似ていた.このことから,μオピオイド受容体はアゴニストの構造にかかわらず,それらのなかで鍵となる構造的な特徴を同じ結合様式により認識する可能性が示唆された.
 μオピオイド受容体とGiタンパク質との複合体においてDAMGOはN末端側がBU72と同じ部位をしめ,C末端側は細胞外にむけてそこからさらに8Åほどつき出ていた.このC末端側に位置するN(Me)Pheは細胞外ループ1の近くに位置する疎水性のポケットにはまり込んでおり,つぎのGly-OHはDAMGOの側へともどりこむ構造をしていた.DAMGOはほかのオピオイド受容体のメンバーに比べてμオピオイド受容体への選択性が500倍ほど高く,これまでの研究により,この選択性は細胞外ループ1からの寄与によるものであることがわかっていた7).μオピオイド受容体とGiタンパク質との複合体の構造から,その選択性をあたえる上記のような構造の基盤がみえてきた.
 DAMGOのN末端に位置するチロシン基またはそれに相当する化学構造はBU72をはじめとしたほかのリガンドにも存在し,結晶構造において同様の位置をしめていた.この結合様式は分子動力学シミュレーションによる解析によっても1μ秒以上にわたり安定して存在し,あらためてこの相互作用の強固さが支持された.分子動力学シミュレーションにおいては同時に,このチロシン基を基盤として水分子を介した水素結合ネットワークが膜貫通ヘリックス6のHis297へとつながることが確認された.同様の水分子は2.2Å分解能とより高分解能なBU72結合型の結晶構造においては電子密度として確認され,この水分子を介したフェノール基とHis297の結合様式はオピオイド受容体がモルフィンや類似する化合物あるいはペプチドを認識する際に共通する機構であると考えられた.

3.μオピオイド受容体の構造の変化

 以前に得られた活性型μオピオイド受容体の結晶構造は,細胞の内側のGタンパク質結合部位をこれに類似したナノボディNb39がしめることにより構造を固定していた6).μオピオイド受容体とGiタンパク質との複合体の構造をナノボディ結合型の構造と比較すると,活性型のGタンパク質共役受容体に特徴的な膜貫通ヘリックス6が外側に大きく開いた状態,また,Gタンパク質共役受容体において高度に保存されその活性化に重要な役割をもつ膜貫通ヘリックス3のDRY(Asp-Arg-Tyr)モチーフ,膜貫通ヘリックス7のNPXXY(Asn-Pro-X-X-Tyr)モチーフ,および,受容体コア領域において形成される膜貫通ヘリックス5のPro,膜貫通ヘリックス3のIle,膜貫通ヘリックス6のPheからなるPIFモチーフは,ほぼ同一であった.2つの別個なパートナーとの結合により類似した構造が得られたことから,これらの大きな構造の変化が細胞内結合タンパク質によりひき起こされたものではなく,アゴニストとの結合によりひき起こされたものであることが示された.
 μオピオイド受容体とGiタンパク質との複合体の構造とナノボディ結合型の構造は非常に類似していたが,詳細な部分では2つの違いがみられた.1つ目は外側に大きく開いた膜貫通ヘリックス6がその細胞質の内側の部位を膜貫通ヘリックス7の側に3Åほどさらに移動していたこと,2つ目は細胞内ループ3の構造がやや異なることであった.この2つの違いについては,それが細胞の内部に位置してそれぞれの結合のパートナーとの接触面にあったことから,結合のパートナーであるナノボディとGiタンパク質との違いに起因するものであると考えられた.のちに述べるように,この細胞内ループ3と膜貫通ヘリックス6によるGiタンパク質との相互作用は,β2アドレナリン受容体とGsタンパク質との複合体における相互作用とは異なるものであった.

4.特異的なGタンパク質との共役をもたらす構造的な基盤

 Gタンパク質にはGs,Gi/o,Gq/11,G12/13の大きく4つのファミリーが存在する.多くの場合,ひとつのGタンパク質共役受容体は1種類以上のGタンパク質と共役し,よく研究された代表的な例として,Gsタンパク質およびGiタンパク質と共役するβ2アドレナリン受容体があげられる.一方で,μオピオイド受容体はGi/oファミリーとのみ選択的に共役することが知られている8).以前のGタンパク質共役受容体のアミノ酸配列からGタンパク質との共役の特異性を解明しようとする試みは明確な答えを見い出すことにはつながらず,このことから,特異性を決定するのは1次構造ではなくより複雑な立体構造における相互作用ネットワークであることが示唆された.μオピオイド受容体とGiタンパク質との複合体の全体構造はβ2アドレナリン受容体とGsタンパク質との複合体とよく似ていたが,そのなかできわだった違いがみられたのは,Gタンパク質のα5ヘリックスの位置および向きであった.2つのGタンパク質共役複合体を受容体をもとに重ね合わせると,Giタンパク質のα5ヘリックスはGsタンパク質と比べ21度ほど回転しており,そのため,その末端はGsタンパク質の先端に比べ5Åほど膜貫通ヘリックス7の側(膜貫通ヘリックス6からはなれる方向)にむけ移動していた.このα5ヘリックスの移動にともない,Gタンパク質共役受容体の膜貫通ヘリックス6の外側への開きぐあいがμオピオイド受容体においてはβ2アドレナリン受容体よりも9Åほど小さくなっていた.Gsタンパク質のα5ヘリックスを形成するアミノ酸残基はGiタンパク質と比べ側鎖が大きく,C末端から-3位と-4位に位置する残基は,Giタンパク質ではGlyとCysであるのに対し,Gsタンパク質ではGluとTyrである.μオピオイド受容体とGiタンパク質との複合体においてこれらの残基をGsタンパク質の対応する残基と置換すると,置換された残基の側鎖が立体障害を起こしGタンパク質結合ポケットに入り込むことができない.一方,β2アドレナリン受容体のほかGsタンパク質との複合体の構造が解かれているカルシトニン受容体およびグルカゴン様ペプチド1受容体は,μオピオイド受容体やβ2アドレナリン受容体とは異なりファミリーBに属する.これらのGタンパク質共役受容体においては,膜貫通ヘリックス6はさらに大きく外側に折れ曲がりポケットへのGsタンパク質の挿入が可能になっている.
 Gタンパク質共役受容体とGタンパク質とのおのおのの相互作用の部位に注目としたところ,細胞内ループ2においてはいくつかの異なる相互作用が貢献していた.第1には,Asp177がα1-β1ループのArg32とイオン性の相互作用を形成しており,このAsp177に相当する位置はオピオイド受容体のあいだではAspが保存されていたものの,Giタンパク質と共役するほかのGタンパク質共役受容体では多様であった.第2には,Arg179が膜貫通ヘリックス3のAsp164およびα5ヘリックスのAsp350とイオン性の相互作用を形成していた.μオピオイド受容体の多形バリアントであるArg179Cys変異体はGiタンパク質へのシグナル伝達能に欠けることや9),このArg179に相当する位置は多くのGiタンパク質と共役するほかのGタンパク質共役受容体ではArgあるいはLysであることから,このイオン性の相互作用がGiタンパク質との共役に重要な役割をはたすことが示唆された.この位置に対応する残基はGsタンパク質と共役するGタンパク質共役受容体ではほかの残基に置換されており,Gqタンパク質と共役するGタンパク質共役受容体では塩基性残基の保存はまばらである.これらにくわえ,Pro172およびVal173がGiタンパク質のα1-β1ループ,β2-β3ループ,α5ヘリックスにより形成されるポケットと疎水性の相互作用を形成していた.同様の疎水性の相互作用はβ2アドレナリン受容体とGsタンパク質との複合体においてもみられた.
 細胞内ループ3においては,大きく2つの相互作用がμオピオイド受容体とGiタンパク質とのあいだで形成されていた.ひとつはVal262,Met264,Leu265とα5ヘリックスの疎水性の側面とが形成する相互作用である.これは,細胞内ループの構成や側鎖の種類は異なるものの,同様の疎水性の相互作用がβ2アドレナリン受容体とGsタンパク質との複合体においても形成されていた.もうひとつはArg263とGiタンパク質のβ6ストランドにあるIle319の主鎖カルボニル基との極性の相互作用である.このArg263の変異体はGiタンパク質へのシグナル伝達が低下すること,また,β2アドレナリン受容体とGsタンパク質との複合体においては同様の相互作用がみられないことから,この認識の機構がGiタンパク質へのシグナル伝達において重要な役割をはたす可能性が示唆された.Gsタンパク質に比べGiタンパク質は自発的なGDPの放出の遅いことが知られており,この極性の相互作用が効率のよいGDPの放出にかかわるのかもしれない.
 Gタンパク質共役受容体の膜貫通ヘリックス3,膜貫通ヘリックス5,膜貫通ヘリックス6の細胞の内側の領域もまたGiタンパク質,とりわけ,α5ヘリックスとの相互作用を担っていた.膜貫通ヘリックス3はGiタンパク質のCys351と非常に近接しており,膜貫通ヘリックス5あるいは膜貫通ヘリックス6に位置するMet255,Ile278,Met281,Val282はGiタンパク質のLeu353と疎水性の相互作用を形成していた.Giタンパク質のCys351は百日咳毒素がADP-リボース化によりGタンパク質共役受容体からGiタンパク質へのシグナル伝達を阻害する際の標的となる残基である.この部位に大きなADP-リボースが結合することは膜貫通ヘリックス3への近接,ひいては,α5ヘリックスのGタンパク質共役受容体のGタンパク質結合ポケットへの挿入を阻害することになる.Met255,Met281はNMRによる観測によりDAMGOに依存的にその化学シフトを変化させることが示されており10),これらの位置する膜貫通ヘリックス5および膜貫通ヘリックス6がGタンパク質への共役にさきだち構造変化を起こすことが示唆された.膜貫通ヘリックス6からはさらにArg277がGiタンパク質のIle355の主鎖カルボニル基とのあいだで極性の相互作用を形成する.これらα5ヘリックスを介したμオピオイド受容体との相互作用のパターンはβ2アドレナリン受容体とGsタンパク質との複合体とはまったく異なっており,こうした違いもまた,異なるGタンパク質への共役の特異性を担うものと考えられた.

おわりに

 今回の研究により,μオピオイド受容体とGiタンパク質との複合体とGsタンパク質との複合体との比較においては合理的な説明をあたえるモデルが得られたが,現在のところ,これが包括的あるいは普遍的に説明されるモデルをたてるまでにはいたっていない.今後,さらなる複合体の構造が明らかになるにつれ,Gタンパク質のファミリーごとのGタンパク質共役受容体の共通の認識パターンがみえてくるかもしれない.あるいは,Gタンパク質共役受容体とGタンパク質との特異性は,Gタンパク質からGDPが放出される以前の段階で決定される可能性も考えられる11).このような非常に一過性の状態をとらえるためには,構造解析の手法のみならず,より時間分解能の高い手法との組合せが効果的であると思われる.また,残るほかのGタンパク質のファミリー,とくにGqタンパク質とGタンパク質共役受容体との特異性の決定の機構も大きな課題として残されている.

文 献

  1. Raehal, K. M., Walker, J. K. & Bohn, L. M.: Morphine side effects in β-arrestin 2 knockout mice. J. Pharmacol. Exp. Ther., 314, 1195-1201 (2005)[PubMed]
  2. Manglik, A., Lin, H., Aryal, D. K. et al.: Structure-based discovery of opioid analgesics with reduced side effects. Nature, 537, 185-190 (2016)[PubMed]
  3. Rasmussen, S. G., DeVree, B. T., Zou, Y. et al.: Crystal structure of the β2 adrenergic receptor-Gs protein complex. Nature, 477, 549-555 (2011)[PubMed]
  4. Zhang, Y., Sun, B., Feng, D. et al.: Cryo-EM structure of the activated GLP-1 receptor in complex with a G protein. Nature, 546, 248-253 (2017)[PubMed]
  5. Liang, Y. L., Khoshouei, M., Radjainia, M. et al.: Phase-plate cryo-EM structure of a class B GPCR-G-protein complex. Nature, 546, 118-123 (2017)[PubMed]
  6. Huang, W., Manglik, A., Venkatakrishnan, A. J. et al.: Structural insights into μ-opioid receptor activation. Nature, 524, 315-321 (2015)[PubMed]
  7. Minami, M., Onogi, T., Nakagawa, T. et al.: DAMGO, a μ-opioid receptor selective ligand, distinguishes between μ-and κ-opioid receptors at a different region from that for the distinction between μ- and δ-opioid receptors. FEBS Lett., 364, 23-27 (2000)[PubMed]
  8. Connor, M. & Christie, M. J.: Opioid receptor signalling mechanisms. Clin. Exp. Pharmacol. Physiol., 26, 493-499 (1999)[PubMed]
  9. Ravindranathan, A., Joslyn, G., Robertson, M. et al.: Functional characterization of human variants of the mu-opioid receptor gene. Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 106, 10811-10816 (2009)[PubMed]
  10. Sounier, R., Mas, C., Steyaert, J. et al.: Propagation of conformational changes during μ-opioid receptor activation. Nature, 524, 375-378 (2015)[PubMed]
  11. Qin, K., Dong, C., Wu, G. et al.: Inactive-state preassembly of Gq-coupled receptors and Gq heterotrimers. Nat. Chem. Biol., 7, 740-747 (2011)[PubMed]

活用したデータベースにかかわるキーワードと統合TVへのリンク

著者プロフィール

前田 将司(Shoji Maeda)
略歴:米国Stanford大学School of MedicineにてBasic Life Science Research Scientist.
研究テーマ:Gタンパク質共役受容体シグナルの分子作動機構.

Antoine Koehl
米国Stanford大学School of MedicineにてPh.D Student.

Brian K. Kobilka
米国Stanford大学School of MedicineにてProfessor.
研究室URL:http://kobilkalab.stanford.edu/

© 2018 前田将司・Antoine Koehl・Brian K. Kobilka Licensed under CC 表示 2.1 日本

Viewing all 125 articles
Browse latest View live