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小分子rocaglateは翻訳開始因子eIF4AをRNA配列に対し選択的な翻訳抑制因子に変える

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岩崎 信太郎
(米国California大学Berkeley校Department of Molecular and Cell Biology)
email:岩崎信太郎
DOI: 10.7875/first.author.2016.072

Rocaglates convert DEAD-box protein eIF4A into a sequence-selective translational repressor.
Shintaro Iwasaki, Stephen N. Floor, Nicholas T. Ingolia
Nature, 534, 558-561 (2016)

要 約

 rocaglateはがん細胞を特異的に死滅させることのできる非常に有用な小分子であり,真核生物翻訳開始因子のひとつであるeIF4Aを標的として翻訳を抑制することが知られていたが,その分子機構は不明であった.この研究において,次世代シークエンサーを用いた網羅的な解析および生化学的な手法により,rocaglateとeIF4Aとの複合体はAやGの連続したポリプリン配列と選択的に結合することが明らかにされた.また,mRNAと安定に結合したrocaglateとeIF4Aとの複合体がリボソーム小サブユニットによるスキャニングの立体障害になることにより,ポリプリン配列をもつmRNAに対し選択的に翻訳を抑制することが明らかにされた.この研究により,抗がん剤の作用機構が明らかにされただけでなく,小分子によりRNA結合タンパク質が新規にRNA配列に対する選択性を獲得する例が示された.

はじめに

 タンパク質の生合成反応である翻訳は時空間的に緻密に制御され細胞の運命をつかさどる.細胞の増殖とタンパク質の生合成とは密接に結びついているため,翻訳制御の異常はがん化やがん細胞の増殖につながることが知られている1).実際に,翻訳因子あるいはその制御機構を標的とした抗がん剤がさかんに研究されている.
 真核生物における翻訳は真核生物翻訳開始因子(eukaryotic translation initiation factor:eIF)とよばれるタンパク質がmRNAのうえにリボソーム小サブユニットをリクルートすることによりはじまる.そののち,リボソーム小サブユニットはmRNAの5’側非翻訳領域を3’方向に移動しながら開始コドンをみつけだす.この反応をスキャニングとよぶ.真核生物翻訳開始因子のひとつeIF4AはDEADボックス型RNAヘリカーゼであり,5’側非翻訳領域においてRNAの2次構造を解きほぐすことによりリボソーム小サブユニットによるスキャニングを促進すると考えられている2)
 eIF4Aはさまざまな生物に由来する天然小分子の標的になっており,それらの小分子には抗がん作用のあることが知られている.rocaglateはその代表的なものであり,アグライアとよばれる東南アジアに自生する植物から単離された天然小分子の総称である.rocaglateは通常の細胞には影響せずにがん細胞を特異的に死滅させるという特徴をもち3),eIF4Aを標的として翻訳を抑制し抗がん作用を発揮すると考えられている.しかしながら,rocaglateがどのようなmRNAの翻訳を抑制するのか,また,どのような分子機構により翻訳を抑制するのかといったことは不明であった(図1).この研究においては,これらの点を明らかにすべく,代表的なrocaglateとしてrocaglamide A(RocA)を用い,次世代シークエンサーを用いた網羅的な手法および生化学的な手法により解析した.

figure1

1.RocAとeIF4Aとの複合体は選択的にmRNAと結合し選択的に翻訳を阻害する

 RocAが細胞においてどのmRNAの翻訳を抑制するかを網羅的に検証するため,リボソームプロファイリング法とよばれる手法を用いた4).翻訳中のリボソームはmRNAと非常に強固に結合するため,リボソームが直接的に結合している部分はRNaseによる分解から保護され,いわゆる“フットプリント”に相当するRNAの断片を生じる.これを回収し次世代シークエンサーを用いて解読することにより,細胞においてリボソームがどのmRNAのどのコドンを翻訳していたかを定量的かつ網羅的に解析することができる.RocAを処理したHEK293細胞をリボソームプロファイリング法により解析したところ,mRNAのあいだでRocAに対する感受性が最大で30倍ほど異なることが明らかにされた.これは,RocAが一部のmRNAに対し強く翻訳を抑制し,ほかの一部のmRNAは抑制されにくいことを示した.このようなmRNAに対する選択性はこれまで解析された翻訳阻害剤においては知られておらず,RocAが翻訳阻害剤として特徴的な性質をもつことを示した.eIF4Aはリボソーム小サブユニットによるスキャニングを促進することが知られていたことから,RocAによるmRNAの選択的な翻訳の抑制は5’側非翻訳領域の配列に依存することが予想された.実際に,リボソームプロファイリング法において翻訳の強い抑制のみられたmRNAの5’側非翻訳領域は,レポーターmRNAからの翻訳をより強く抑制した.
 RocAはどのように翻訳を抑制すべきmRNAを選択しているのであろうか? 先行研究により,RocAはeIF4AとRNAとの結合を強めるはたらきのあることが示されていた5).そこで,eIF4AにはどのようなmRNAが結合しているのか,また,eIF4Aと結合するmRNAはRocAによりどう変化するかについて,RIP-Seq(RNA-immunoprecipitation sequencing,RNA免疫沈降-シークエンシング)法を用いて網羅的に解析した.その結果,RocAにより全体としてmRNAとeIF4Aとの結合は強固になったが,強固になる程度はmRNAのあいだで大幅に異なり,最大で約15倍の差が観察された.これは,RocAによりeIF4AとmRNAとの結合は選択的に強化されることを意味した.また,リボソームプロファイリング法による結果とRIP-Seq法による結果を直接に比較したところ,RocAによりeIF4Aと強固に結合するmRNAほど,より強く翻訳が抑制されることが明らかにされた.以上の結果から,RocAとeIF4Aとの複合体がmRNAに対し選択的に結合することが,RocAによる選択的な翻訳の抑制の機構であることが示された.

2.RocAはeIF4AをRNA配列に選択的なRNA結合タンパク質に変える

 RocAとeIF4Aとの複合体はどのような配列をもつmRNAを選択するのだろうか? このことを網羅的かつ生化学的に解析するため,Bind-n-Seq法とよばれる手法を用いた6).Bind-n-Seq法においては,完全にランダムな配列をもつ合成RNAとRNA結合タンパク質とを混ぜ,RNA結合タンパク質と結合したRNAのみを精製し次世代シークエンサーを用いて解析する.ランダムなRNAを用いるため,いちどの実験によりすべてのRNA配列の組合せを検証することができ,RNA結合タンパク質がどのような選択性をもつのかを解析することができる.この手法を応用し,RocAによりeIF4AにおいてRNA配列に対するどのような選択性の変化が生じるかを検証した.その結果,AとGが連続するポリプリン配列をもつRNAがRocAとeIF4Aとの複合体と選択的に結合することが示された.この結果は,リボソームプロファイリング法による結果およびRIP-Seq法による結果を非常によく説明した.5’側非翻訳領域に多くのポリプリン配列をもつmRNAはRIP-Seq法による解析においてもRocAとeIFAとの複合体と強固に結合し,また,リボソームプロファイリング法による解析においても翻訳が強く抑制されることが示されたのである.このことは,ポリプリン配列をレポーターmRNAの5’側非翻訳領域に挿入すると,RocAに対する感受性が40倍ほど高まったことからも確認された.
 一般に,eIF4Aを含むDEADボックス型RNAヘリカーゼはATPに依存的なRNA結合タンパク質であると理解されている.eIF4AはATPとともにRNAと結合し,eIF4AのもつATPase活性によるATPの加水分解とともにRNAから解離する.このATPによるRNAとの結合および解離のサイクルは,eIF4Aの翻訳における機能において非常に重要であることが知られている.RocAがこのRNAとの結合および解離のサイクルにどのように影響するかを検証するため,RNA-タンパク質結合実験を行ったところ,RocAをくわえることによりeIF4AはATPに対する依存性をいっさい示すことなくRNAと結合することが明らかにされた.その一方で,ATPに非依存的にeIF4Aと結合するRNAはポリプリン配列をもつRNAにかぎられた.また,eIF4AとRocAとの複合体はポリプリン配列をもつRNAから解離できなくなっていた.以上の結果は,RocAとeIF4Aとの複合体はATPを加水分解したのちにもポリプリン配列をもつRNAと特異的に結合しつづけることを意味した(図2a).

figure2

3.RocAとeIF4Aとの複合体はリボソーム小サブユニットによるスキャニングの立体障壁になり翻訳を阻害する

 RNAのうえに安定に形成されたRocAとeIF4Aとの複合体は,どのように翻訳を抑制するのだろうか? ウサギ網状赤血球抽出液を用いたin vitro翻訳系,および,開始コドンのうえのリボソーム小サブユニットを検出することのできるトウプリント法による解析により,RocAとeIF4Aとの複合体が5’側非翻訳領域に安定に結合しつづけることにより,リボソーム小サブユニットによるスキャニングに対し立体障害となり翻訳が阻害されることが明らかになった(図2b).以上の結果が示すように,RocAは単純に翻訳に利用可能なeIF4Aの量を減少させるわけではない.たとえば,in vitro翻訳系にさらに組換えeIF4AをくわえてもRocAによる翻訳抑制は解除されず,むしろ強くなった.これは,くわえたeIF4AがRocAと結合することにより,mRNAのうえにRocAとeIF4Aとの複合体をさらに形成してしまうためと考えられた.

4.RocAとeIF4Aとの複合体は上流ORFからの翻訳を促進する

 mRNAの多くは通常のORFとは別に5’側非翻訳領域に上流ORF(upstream ORF:uORF)とよばれる領域をもつ7).上流ORFは通常のリボソーム小サブユニットによるスキャニングにおいては,いわゆるKozak配列などの配列をもたないことにより読み飛ばされる.RNA結合タンパク質やRNAの2次構造が立体障害となってリボソーム小サブユニットのスキャニングを障害するような場合には,その上流に存在する上流ORFからの翻訳が促進されることが知られている8,9).これは,リボソーム小サブユニットが上流ORFの開始コドンの付近にとどまる時間が長くなることにより,上流ORFの開始コドンの認識される頻度が高くなるためであると考えられている.実際に,RocAとeIF4Aとの複合体の結合したmRNAにおいて,上流ORFからの翻訳が促進された(図2c).リボソームプロファイリング法においてはリボソームのフットプリントがmRNAのどの位置に由来するかを検証することができるが,RocAの存在のもとではRocAに対し高い感受性を示すmRNAの5’側非翻訳領域に由来するリボソームのフットプリントが蓄積した.また,レポーターmRNAを用いたin vitro翻訳系において,RocAとeIF4Aとの複合体の結合するポリプリン配列の上流に設計した上流ORFからの翻訳が促進された.一般に,上流ORFはスキャニングしているリボソーム小サブユニットをとらえるため,下流のORFからの翻訳は抑制される10).RocAは上流ORFからの翻訳を促進させることから,ポリプリン配列にくわえ上流ORFをもつmRNAはさらにRocAにより翻訳が強く抑制されることが予想された.網羅的かつ定量的な手法により,上流ORFの存在によりmRNAはRocAにより翻訳が強く抑制されることが確認された.

おわりに

 この研究において,小分子によりRNA結合タンパク質に新たにRNA配列に対する特異性の付与されるはじめての例が示された.RocAはどのような分子機構によりeIF4AにRNA配列に対する特異性をあたえるのだろうか? これまで解析されたDEADボックス型RNAヘリカーゼの結晶構造において,DEADボックス型RNAヘリカーゼはRNAのリン酸基およびリボース骨格と結合するが,塩基とはいっさい結合しない.筆者らは,2つの可能性を考えている.第1に,RocAが結合することによりeIF4Aの構造が変化し新たに塩基を認識する残基の生じる可能性,第2に,RocAがeIF4Aと結合しつつ同時にRNAとも結合して塩基を認識する可能性である.これらの可能性を検証するため,現在,eIF4A,RocA,ポリプリン配列をもつRNAからなる三者複合体の結晶構造解析を進めている.
 RocAがなぜがん細胞を特異的に死滅させることができるかについては,2つの仮説を考えている.そのひとつは,がん遺伝子が偶然にもRocAの標的になるようなポリプリン配列をもち,それらの発現が抑制されることによりがん細胞が死滅するという仮説である(がん遺伝子抑制モデル).また,RocAは異数性とよばれる染色体の数の異常によりひき起こされるがん細胞に対しより効果を発揮する.異数性をもつ細胞はタンパク質のストイキオメトリーの変化によりタンパク質毒性の状態にあることが知られている.RocAはmRNAに対し選択的に翻訳を抑制することによりさらにタンパク質のストイキオメトリーを変化させ,タンパク質毒性を高めることが考えられる.これらのことから,もうひとつ,異数性に由来するがん細胞は二重のタンパク質毒性のストレスに耐えられずに死滅するという仮説を考えている(タンパク質毒性モデル).これらの仮説の検証にはさらに詳細な解析が必要である.
 古典的には,eIF4AはRNAヘリカーゼであることからRNAの2次構造を解きほぐすことによりリボソーム小サブユニットによるスキャニングを促進すると考えられてきた.この仮定にもとづき,RocAによる翻訳の阻害は5’側非翻訳領域の2次構造と相関すると考えられてきたが11),そもそも,RocAは単純にeIF4Aを不活性化するわけではなく,また,リボソームプロファイリング法による結果からRNAの2次構造との相関はみられなかった.さらに,eIF4Aの典型的な阻害剤であるヒプリスタノールを用いたリボソームプロファイリング法による結果においても,やはり,翻訳の阻害と5’側非翻訳領域の2次構造との相関はみられなかった.これらの結果から,5’側非翻訳領域の2次構造を解きほぐすという機能がeIF4Aの役割ではないことが示唆される.実際に,酵母においても同様の結果が示されている12).むしろ,Ded1(ヒトにおいては,DDX3)とよばれる別のDEADボックス型RNAヘリカーゼの変異体において翻訳の阻害とRNAの2次構造との相関がみられたことから,Ded1が翻訳における真のRNAヘリカーゼであることが示唆される.eIF4Aの翻訳における真の機能についてはさらなる解析が待たれる.セントラルドグマという基本的な生物学の研究においても不明な点が多く残されており,それが抗がん剤の開発という重要な応用の可能性をひめている.

文 献

  1. Ruggero, D.: Translational control in cancer etiology. Cold Spring Harb. Perspect. Biol., 5, a012336 (2013)[PubMed]
  2. Sonenberg, N. & Hinnebusch, A. G.: Regulation of translation initiation in eukaryotes: mechanisms and biological targets. Cell, 136, 731-745 (2009)[PubMed]
  3. Santagata, S., Mendillo, M. L., Tang, Y. C. et al.: Tight coordination of protein translation and HSF1 activation supports the anabolic malignant state. Science, 341, 1238303 (2013)[PubMed]
  4. Ingolia, N. T., Ghaemmaghami, S., Newman, J. R. et al.: Genome-wide analysis in vivo of translation with nucleotide resolution using ribosome profiling. Science, 324, 218-223 (2009)[PubMed]
  5. Sadlish, H., Galicia-Vazquez, G., Paris, C. G. et al.: Evidence for a functionally relevant rocaglamide binding site on the eIF4A-RNA complex. ACS Chem. Biol., 8, 1519-1527 (2013)[PubMed]
  6. Lambert, N., Robertson, A., Jangi, M. et al.: RNA Bind-n-Seq: quantitative assessment of the sequence and structural binding specificity of RNA binding proteins. Mol. Cell, 54, 887-900 (2014)[PubMed]
  7. Lee, S., Liu, B., Lee, S. et al.: Global mapping of translation initiation sites in mammalian cells at single-nucleotide resolution. Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 109, E2424-E2432 (2012)[PubMed]
  8. Kozak, M.: Context effects and inefficient initiation at non-AUG codons in eucaryotic cell-free translation systems. Mol. Cell. Biol., 9, 5073-5080 (1989)[PubMed]
  9. Medenbach, J., Seiler, M. & Hentze, M. W.: Translational control via protein-regulated upstream open reading frames. Cell, 145, 902-913 (2011)[PubMed]
  10. Calvo, S. E., Pagliarini, D. J. & Mootha, V. K.: Upstream open reading frames cause widespread reduction of protein expression and are polymorphic among humans. Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 106, 7507-7512 (2009)[PubMed]
  11. Wolfe, A. L., Singh, K., Zhong, Y. et al.: RNA G-quadruplexes cause eIF4A-dependent oncogene translation in cancer. Nature, 513, 65-70 (2014)[PubMed]
  12. Sen, N. D., Zhou, F., Ingolia, N. T. et al.: Genome-wide analysis of translational efficiency reveals distinct but overlapping functions of yeast DEAD-box RNA helicases Ded1 and eIF4A. Genome Res., 25, 1196-1205 (2015)[PubMed]

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著者プロフィール

岩崎 信太郎(Shintaro Iwasaki)
略歴:2011年 東京大学大学院新領域創成科学研究科 修了,同年 東京大学分子細胞生物学研究所 助教,2013年 米国Carnegie Institution for Scienceポスドクフェローを経て,同年より米国California大学Berkeley校.
研究テーマ:RNAのかかわる現象を網羅的かつ生化学的な手法により理解する.
抱負:Hope for the best, prepare for the worst.

© 2016 岩崎 信太郎 Licensed under CC 表示 2.1 日本


急性骨髄性白血病に対し効果のある新たなセレブロンモジュレーターの開発

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伊藤拓水・半田 宏
(東京医科大学 ナノ粒子先端医学応用講座)
email:伊藤拓水
DOI: 10.7875/first.author.2016.076

A novel cereblon modulator recruits GSPT1 to the CRL4CRBN ubiquitin ligase.
Mary E. Matyskiela, Gang Lu, Takumi Ito, Barbra Pagarigan, Chin-Chun Lu, Karen Miller, Wei Fang, Nai-Yu Wang, Derek Nguyen, Jack Houston, Gilles Carmel, Tam Tran, Mariko Riley, Lyn’Al Nosaka, Gabriel C. Lander, Svetlana Gaidarova, Shuichan Xu, Alexander L. Ruchelman, Hiroshi Handa, James Carmichael, Thomas O. Daniel, Brian E. Cathers, Antonia Lopez-Girona, Philip P. Chamberlain
Nature, 535, 252-257 (2016)

要 約

 サリドマイドや免疫調節薬の主要な標的タンパク質として同定されたセレブロンは,リガンドの種類に応じて基質の認識が変わるユビキチンリガーゼ複合体の構成タンパク質である.今回,表現型スクリーニングにより得られた新規のリガンドCC-885は急性骨髄性白血病の細胞に対し強く増殖を抑制した.CC-885と結合したセレブロンは新規の基質タンパク質GSPT1と結合し,これをユビキチン化しその分解をひき起こすことにより抗がん作用を示した.セレブロン,CC-885,GSPT1からなる複合体のX線結晶構造を決定したところ,CC-885はセレブロンとGSPT1の両者と結合することにより相互作用の場を提供し,GSPT1は特定のGlyを介しセレブロンおよびCC-885と結合していた.GSPT1にはIkarosなどセレブロンの既知の基質タンパク質との明確な相同性はなかったが,Ikarosも特定のGlyを介してリガンドとセレブロンとの複合体と結合することが示唆された.この研究において,急性骨髄性白血病に効果のあるセレブロンの新規のモジュレーターが発見され,さらには,セレブロン,モジュレーター,基質タンパク質からなる複合体の構造基盤が明らかされた

はじめに

 免疫調節薬はサリドマイドをリード化合物として開発された新しいタイプの抗がん剤である1).なかでも,レナリドミドおよびポマリドミドは血液がんの一種である多発性骨髄腫に対しすぐれた治療効果を示し,すでにわが国や欧米において認可されている.レナリドミドは骨髄異形成症候群に対してもすぐれた治療効果を示す.長年にわたり,サリドマイドや免疫調節薬の作用機構は不明であったが,2010年,筆者らは,磁性ナノ微粒子を用いたアフィニティ精製により共通の主要な標的タンパク質としてセレブロンを発見した2).セレブロンは442アミノ酸残基からなり,植物から哺乳類まで進化的に保存されている.DDB1,Cul4A,Rbx1とユビキチンリガーゼ複合体を構成し,基質タンパク質の受容体として機能する.構造生物学的な研究により,サリドマイドや免疫調節薬は共通の構造であるグルタルイミドがセレブロンのもつ3つのTrpからなるポケットに入り込むかたちで結合することが明らかされた3,4).この結果から,グルタルイミドを含む化合物はセレブロンと結合することが示唆された.現在では,セレブロンはグルタルイミドを含むリガンドの種類に応じて認識する基質の変わるユニークなユビキチンリガーゼ複合体の構成タンパク質であることがわかっている.免疫調節薬であるレナリドミドあるいはポマリドミドがセレブロンと結合すると,転写因子であるIkaros(IKZF1)あるいはAiolos(IKZF3)を認識するようになりその分解をひき起こす5,6).このIkarosあるいはAiolosの分解が多発性骨髄腫の細胞の増殖を抑制する.レナリドミドは骨髄異形成症候群においても治療効果を示すが,それはCk1αの分解を特異的にひき起こすことが理由である7)
 以上から,さまざまなグルタルイミドをもつセレブロンのリガンドを開発することにより,治療の標的となりうるタンパク質の分解を新たに制御することが期待された.ただし,セレブロン,リガンド,基質タンパク質の結合の詳細については不明な点が多いことから,その結晶構造を解析し構造の分子基盤を明らかにする必要があった.

1.表現型スクリーニングによるCC-885の単離

 米国Celgene社のもつ化合物に対し表現型スクリーニングを実施し,132種類のさまざまな組織に由来するがん細胞株において増殖の抑制を示すCC-885の単離に成功した(図1).CC-885は既知の免疫調節薬のなかではレナリドミドに近いが,レナリドミドはイソインドリノンにアミノ基が付加しているのに対し,CC-885は尿素が付加しクロロメチルフェニル基と連結していた.CC-885は急性骨髄性白血病の細胞株においてサブナノモルオーダーで作用を示し,また,患者から単離した急性骨髄性白血病の細胞に対し,健常な細胞と比べ低い濃度で増殖を抑制したことから,急性骨髄性白血病の治療への臨床応用が期待された.CC-885はグルタルイミドをもつことからセレブロンと結合して作用すると想定された.CRISPR-Cas9系を用いたゲノム編集技術によりセレブロンを欠損した急性骨髄性白血病株を作製したところ,CC-885の作用はほとんどみられなくなったことから,CC-885の主要な標的タンパク質はセレブロンであることが確認された.

figure1

2.CC-885に依存的なセレブロンの基質タンパク質GSPT1の発見

 CC-885により分解がひき起こされるセレブロンの基質タンパク質を探索した.CC-885は急性骨髄性白血病細胞株よりは高濃度になったが,HEK293細胞に由来する293T細胞や293FT細胞においても増殖を抑制した.そこで,FLAG-HAエピトープタグを付加したセレブロンを安定的に発現する293T細胞株を樹立し,その細胞抽出液とCC-885とを混合してFLAGタグにより免疫沈降した.その結果,CC-885に依存的にセレブロンと結合する新たなタンパク質としてGSPT1が同定された.GSPT1は637アミノ酸残基からなり,eRF3αともよばれeRF1と複合体を形成する8).GSPT1とeRF1との複合体は翻訳において終止コドンを認識し,リボソームからの新生タンパク質の放出を担うことが知られている.
 さまざまな細胞株にCC-885を処理したのちGSPT1の発現を解析したところ,どの細胞株においてもGSPT1の減少がみられた.また,その減少はユビキチン-プロテアソーム系に依存的であり,さらには,GSPT1はCC-885に依存してユビキチン化された.セレブロンが欠損した細胞株においてはCC-885の処理によりGSPT1は分解されなかった.GSPT1はセレブロンの既知の基質タンパク質であるIkaros,Aiolos,Ck1αとアミノ酸配列における相同性はほとんどなかった.また,これまで報告されたサリドマイド,レナリドミド,ポマリドミドといったどのリガンドによってもGSPT1とセレブロンは結合しなかった.

3.CC-885の急性骨髄性白血病に対する作用はGSPT1の分解に依存する

 CC-885の抗がん作用はセレブロンによるGSPT1の分解によるのかどうか検証した.リガンドの効果がGSPT1に依存することを検証するためには,セレブロンとは結合しないが機能を保持するGSPT1の変異体を細胞株に発現させ,CC-885の活性を検証する必要があった.GSPT1は出芽酵母において保存されていたが,出芽酵母におけるホモログSUP35を293T細胞に発現させたところCC-885により分解されなかった.そこで,GSPT1とSUP35をハイブリッドしたキメラタンパク質を作製するなどしてその差異を検証し,最終的に,ヒトのGSPT1のGly575にあたる部分はSUP35においてAsnであり,Gly575をAsnに置換したGSPT1変異体はセレブロンと結合しないことが判明した.そして,急性骨髄性白血病細胞株にこのGSPT1変異体を発現させたところ,CC-885による増殖の抑制はほとんどみられなくなった.また,GSPT1をRNAi法によりノックダウンしても細胞の増殖は抑制された.以上より,CC-885の急性骨髄性白血病に対する作用はGSPT1の分解が主要な原因であると結論づけられた.

4.X線結晶構造の決定によるセレブロン,CC-885,GSPT1の相互作用の解明

 すでに,セレブロンおよびGSPT1はX線結晶構造解析により構造が決定されていたが,リガンドに依存的なセレブロンと基質タンパク質との結合の分子基盤を明らかにするため,セレブロン,CC-885,GSPT1からなる複合体の結晶構造を3.6Åの分解能で決定した(PDB ID:5HXB).GSPT1のドメイン3がセレブロンおよびCC-885と直接に結合していた.CC-885のグルタルイミドはセレブロンの3つのTrpからなるポケットと結合し,水素結合を形成していた.CC-885のイソインドリノンはセレブロンおよびGSPT1の両方と結合していた.GSPT1はセレブロンと水素結合を形成し,また,ファンデルワールス力により相互作用していた.セレブロンのN末端側はGSPT1のドメイン3と結合しており,CC-885の近傍に位置していた.GSPT1はセレブロンの3つのTrpからなるポケットのあるC末端側だけでなく,N末端側にもまたがって結合していた.
 複合体を形成するために必須と考えられたセレブロンのアミノ酸残基をAlaに置換して相互作用を検証したところ,どの相互作用も失われるか減少するかした.また,表面プラズモン共鳴法によりCC-885の存在下においてGSPT1とセレブロンとのあいだの解離定数はおよそ350 nMと決定された一方,CC-885の非存在下では相互作用は検出されなかった.さらに,ネガティブ染色電子顕微鏡法により,CC-885の非存在下においてセレブロンとGSPT1の結合した粒子は検出されなかった.GSPT1は568~578残基の部分でセレブロンとCC-885との複合体と相互作用していた.ここで,GSPT1におけるとりわけ重要なアミノ酸残基はGly575であった.さきに述べたとおり,ヒトと出芽酵母のホモログとの比較から,Gly575がAsnに置換したGSPT1変異体はセレブロンと結合しないことが明らかにされたが,このGly575はCC-885のイソインドリノンと結合していた.そして,Gly575の位置は,RamachandranプロットにおいてGlyのみが許容された.

5.既知の基質タンパク質IkarosとGSPT1のセレブロン認識モチーフの比較

 GSPT1は既知の基質タンパク質であるIkaros,Aiolos,Ck1αとアミノ酸配列においてほとんど相同性がなかった.しかしながら,GSPT1との結合に必要なアミノ酸残基のいくつかをAlaに置換したセレブロン変異体において,ポマリドミドの処理によりひき起こされるIkarosとの結合が消失したことから,GSPT1とIkarosには共通のタンパク質分解シグナル部位の存在が示唆された.Ikarosのホモロジーモデルを構築したところ,GSPT1と同様に,特定のGlyがセレブロンあるいはリガンドとの結合に重要であると予測された.Ikarosは140~168残基だけでポマリドミドの存在のもとセレブロンと結合するが,そのアミノ酸配列にはGly151が存在した.Gly151をAlaに置換したIkaros変異体は,Gly575をAlaに置換したGSPT1変異体と同様にセレブロンとの結合能が消失した.また最近,セレブロン,レナリドミド,Ck1αからなる複合体のX線結晶構造が報告され,Ck1αにおいても特定のGlyがセレブロンとの結合に必須であることが明らかにされた9).以上から,リガンドに依存的な基質タンパク質にはGlyを含む共通のセレブロン認識モチーフの存在する可能性があるという結論にいたった.

おわりに

 この研究により,セレブロンを制御する新しいリガンドとしてCC-885が発見された.CC-885がセレブロンと結合するとGSPT1の分解がひき起こされ,がん細胞の増殖が抑制される.がん細胞のうち,急性骨髄性白血病細胞はCC-885に対する感受性が高いことから,臨床応用への展開が期待される(図2).

figure2

 新薬において標的となりうる因子はdruggableであるといわれる.たとえ,ある疾患に関連する因子について直接的な阻害化合物を設計するという点ではundruggableであっても,セレブロンの機能を変換することにより分解をひき起こし,結果としてそのはたらきが抑制されるなら標的として設定することが可能になる.CC-885は翻訳終結因子であるGSPT1をセレブロンにおける新たな基質にすることのできるセレブロンモジュレーターである.
 現在,セレブロンと結合するリガンドとほかの疾患タンパク質を認識するリガンドとを融合させたPROTAC(proteolysis targeting chimera)という技術の開発が進んでいる10).セレブロンと結合するリガンドとBCR-ABL融合タンパク質と結合するリガンドとを融合することにより,すでに,セレブロンによるBCR-ABL融合タンパク質の分解が実現している.しかし,リガンドの大きさが大きくなることから細胞に移行しない,半減期が短いなど,薬理動態において問題が生じやすい.CC-885の分子量は500以下であり,低分子化合物として薬理動態における強みを保持しつつ,新たな基質タンパク質の分解をひき起こすことが可能である.
 構造生物学的な解析により,セレブロンに共通する基質認識モチーフとして,少なくともGlyを含む構造が示唆された.現時点では,Gly以外の規則はわかっておらず,ほかの箇所についてはアミノ酸残基やアミノ酸配列よりジオメトリーや立体性に依存するのだろうという予測にとどまっている.しかし今後,次世代のセレブロンモジュレーターを合理的にデザインしていくうえで,この研究において得られた構造生物学的な知見は大きな手がかりになるだろう.

文 献

  1. Bartlett, J. B., Dredge, K. & Dalgleish, A. G.: The evolution of thalidomide and its IMiD derivatives as anticancer agents. Nat. Rev. Cancer, 4, 314-322 (2004)[PubMed]
  2. Ito, T., Ando, H., Suzuki, T. et al.: Identification of a primary target of thalidomide teratogenicity. Science, 327, 1345-1350 (2010)[PubMed]
  3. Fischer, E. S., Bohm, K., Lydeard, J. R. et al.: Structure of the DDB1-CRBN E3 ubiquitin ligase in complex with thalidomide. Nature, 512, 49-53 (2014)[PubMed]
  4. Chamberlain, P. P., Lopez-Girona, A., Miller, K. et al.: Structure of the human Cereblon-DDB1-Lenalidomide complex reveals basis for responsiveness to thalidomide analogs. Nat. Struct. Mol. Biol., 21, 803-809 (2014)[PubMed]
  5. Kronke, J., Udeshi, N. D., Narla, A. et al.: Lenalidomide causes selective degradation of IKZF1 and IKZF3 in multiple myeloma cells. Science, 343, 301-305 (2014)[PubMed]
  6. Lu, G., Middleton, R. E., Sun, H. et al.: The myeloma drug lenalidomide promotes the cereblon-dependent destruction of Ikaros proteins. Science, 343, 305-309 (2014)[PubMed]
  7. Kronke, J., Fink, E. C., Hollenbach, P. W. et al.: Lenalidomide induces ubiquitination and degradation of Ck1α in del(5q) MDS. Nature, 523, 183-188 (2015)[PubMed]
  8. Cheng, Z., Saito, K., Pisarev, A. V. et al.: Structural insights into eRF3 and stop codon recognition by eRF1. Genes Dev., 23, 1106-1118 (2009)[PubMed]
  9. Petzold, G., Fischer, E. S. & Thoma, N. H.: Structural basis of lenalidomide-induced Ck1α degradation by the CRL4CRBN ubiquitin ligase. Nature, 532, 127-130 (2016)[PubMed]
  10. Deshaies, R. J.: Protein degradation: prime time for PROTACs. Nat. Chem. Biol., 11, 634-635 (2015)[PubMed]

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著者プロフィール

伊藤 拓水(Takumi Ito)
略歴:2010年 東京工業大学大学院生命理工学研究科にて博士号取得,2016年より東京医科大学 准教授.
研究テーマ:セレブロンの解析,および,新たなセレブロンモジュレーターの開発.
関心事:そもそも,セレブロンは薬剤と結合していない状態ではいかなる生理的な役割をもつのかに興味があります.また,CC-885のような人工物ではなく,天然のセレブロンモジュレーターが存在するのかどうか気になっています.

半田 宏(Hiroshi Handa)
東京医科大学 特任教授.
研究室URL:http://www.tokyo-med.ac.jp/nanoparticle/index.html

© 2016 伊藤拓水・半田 宏 Licensed under CC 表示 2.1 日本

抗CD47抗体はアポトーシスを起こした細胞の除去を亢進することにより動脈硬化を抑制する

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児島陽子・Nicholas J. Leeper
(米国Stanford大学School of Medicine,Division of Vascular Surgery)
email:児島陽子
DOI: 10.7875/first.author.2016.086

CD47-blocking antibodies restore phagocytosis and prevent atherosclerosis.
Yoko Kojima, Jens-Peter Volkmer, Kelly McKenna, Mete Civelek, Aldons Jake Lusis, Clint L. Miller, Daniel Direnzo, Vivek Nanda, Jianqin Ye, Andrew J. Connolly, Eric E. Schadt, Thomas Quertermous, Paola Betancur, Lars Maegdefessel, Ljubica Perisic Matic, Ulf Hedin, Irving L. Weissman, Nicholas J. Leeper
Nature, 536, 86-90 (2016)

要 約

 アポトーシスを起こした細胞がマクロファージによる貪食により除去されるしくみをエフェロサイトーシスという.動脈硬化を含む種々の疾患においてエフェロサイトーシスの低下が報告されている.今回,筆者らは,ヒトおよびマウスの動脈硬化の病変においてはエフェロサイトーシスを抑制する役割をもつCD47の発現が亢進しており,これにより,アポトーシスを起こした細胞が蓄積し動脈硬化が促進されることを明らかにした.TNFαはNF-κBを介して血管平滑筋においてCD47の発現を上昇させ,TNFαにより刺激された細胞はエフェロサイトーシスに対し抵抗性を示した.マウスにおいて,抗CD47抗体の投与によりエフェロサイトーシスは回復し,動脈硬化の進展および不安定化が抑制された.現在,悪性疾患の患者に対する抗CD47抗体による治療の臨床試験が行われている.CD47は動脈硬化を含む炎症性疾患の新たな治療法において有効な標的になると考えられる.

はじめに

 正常な組織においてアポトーシスを起こした細胞は通常はほとんど検出されないが,これは,アポトーシスを起こした細胞がエフェロサイトーシス(efferocytosis)とよばれる過程によりマクロファージなどに効率よく貪食され迅速に除去されるためである1).エフェロサイトーシスには,アポトーシスを起こした細胞に存在するリガンド,マクロファージに発現する受容体,それらのあいだを結ぶブリッジタンパク質など,多くの分子が関与する(図1a).アポトーシスを起こした細胞は細胞の表面にホスファチジルセリンなどのeat meリガンドを提示し,マクロファージはこれを認識してエフェロサイトーシスを起こす.一方,健常な細胞にはCD47が発現しており,マクロファージにSIRPαを介しdon’t eat meシグナルが伝達されることによりマクロファージによる貪食に抵抗する.アポトーシスを起こした細胞や老化した赤血球においてはCD47の発現が低下しており,マクロファージなどにより貪食されることが報告されている2,3)

figure1

 動脈硬化は心筋梗塞や脳梗塞の基礎となる病変である.動脈硬化においては血管に脂質,細胞,細胞外基質などが蓄積し血管内腔の狭窄が起こる.また,動脈硬化プラークが破綻すると,続発した血栓が血管内腔を閉塞して血液の供給を途絶させ心筋梗塞などをひき起こす.進行した動脈硬化の病変においてはアポトーシスを起こした細胞が蓄積し,これがさらなる炎症反応をひき起こし,病変の進行,壊死巣の拡大,動脈硬化プラークの不安定化に寄与すると考えられる.動脈硬化の病変におけるアポトーシスを起こした細胞の蓄積は,低酸素や酸化ストレスによるアポトーシスの増加とともに,エフェロサイトーシスの低下によると考えられる4).なぜ,動脈硬化の病変においてエフェロサイトーシスが低下しているかにつきいくつかの原因があげられてはいるが,完全には解明されていない.また,近年,エフェロサイトーシスの低下は悪性腫瘍や自己免疫疾患などの病因になることがわかってきた.多くの悪性腫瘍の細胞においてCD47の発現が亢進しており,免疫機構による監視からのがれている5).今回,筆者らは,CD47の動脈硬化の病変における役割および治療への応用について検討した.

1.CD47の発現はヒトおよびマウスの動脈硬化プラークにおいて亢進する

 ヒトの頚動脈に対するマイクロアレイ法による遺伝子発現の解析において,CD47の発現は動脈硬化の病変において健常な動脈と比べ有意に上昇していた.さらに,脳梗塞などの症状をもつ患者の頚動脈においては症状のない患者の病変と比べ,CD47の発現は上昇していた.健常な動脈においては免疫染色により血管内膜および血管中膜にCD47の弱い発現がみられ,動脈硬化の進展とともにCD47の発現は亢進した.進行した動脈硬化の病変においては壊死性コアとその周辺にCD47のとくに強い発現がみられた.同様に,apoEノックアウトマウスに高コレステロール食を負荷し動脈硬化を起こさせると,大動脈におけるCD47の発現は経時的に上昇の傾向を示した.動脈硬化の病変におけるCD47の発現の亢進は,動脈硬化巣におけるエフェロサイトーシスの低下の原因のひとつであると考えられた.

2.抗CD47抗体は動脈硬化を抑制する

 apoEノックアウトマウスにアンジオテンシンIIの投与および高コレステロール食の負荷を開始するとともに,CD47を阻害する抗CD47抗体を4週間にわたり投与した.抗CD47抗体を投与したマウスは対照となる抗体を投与したマウスと比べ,動脈硬化が著明に抑制された.マクロファージあるいはリンパ球の侵入および血管平滑筋の増殖に差はみられなかった.活性化カスパーゼ3染色やTUNEL染色によりアポトーシスを検出したところ,抗CD47抗体を投与したマウスにおいてアポトーシスは有意に減少していた.in vitroにおける実験においては,抗CD47抗体にアポトーシスを直接的に抑制する作用はみられず,マクロファージおよびアポトーシスを起こした血管平滑筋細胞においては,抗CD47抗体はアポトーシスを起こした細胞のマクロファージによる貪食を有意に促進した.抗CD47抗体を投与したマウスにおいてみられたアポトーシスの減少はエフェロサイトーシスの亢進によるものと考え,これをin vivoにおいて証明するため,アポトーシスおよびマクロファージの二重染色をしたところ,対照となるマウスにおいては活性化カスパーゼ3陽性を示す遊離のアポトーシス細胞が動脈硬化の病変に多くみられたのに対し,抗CD47抗体を投与したマウスにおいてはアポトーシスを起こしたほとんどの細胞はマクロファージに貪食あるいはマクロファージと隣接していた.電子顕微鏡による観察においても,対照となるマウスにおいてはアポトーシスを起こした遊離の細胞が多くみられたが,抗CD47抗体を投与したマウスにおいてはほとんどみられず,マクロファージがアポトーシス小体を大量に貪食しているようすが観察された.CD47抗体を投与したマウスにおいては対照となるマウスと比べ,動脈硬化プラークにおける壊死性コアの大きさも抑制されていた.抗CD47抗体によりdon’t eat meシグナルが抑制されることを証明するため,CD47の受容体であるSIRPαの下流に存在するSHP1のリン酸化を測定したところ,CD47抗体を投与したマウスにおいては有意に抑制されていた.アポトーシスを起こした細胞が除去されないと2次的なネクローシスが起こり,さらなる炎症反応のカスケードがひき起こされ動脈硬化は悪化する.抗CD47抗体はエフェロサイトーシスを亢進することにより動脈硬化の進展を抑制すると考えられた.
 同様の作用は,apoEノックアウトマウスに12週間にわたり高コレステロール食を負荷した長期モデルにおいても認められ,頚動脈のタンデムな狭窄を用いた動脈硬化プラーク破綻モデル6) においては動脈硬化プラークにおける出血が抑制され,抗CD47抗体は動脈硬化プラークの拡大とともにその不安定化も抑制することが示唆された.
 抗CD47抗体は体重,血糖値,血清脂質,インスリン値,肝臓および腎臓の機能には影響をおよぼさなかった.CD47抗体を投与したマウスにおいては対照となるマウスと比べ,血中のヘモグロビン値の低下,網赤血球値の上昇,脾腫が認められた.これは,脾臓におけるCD47抗体による赤血球の破壊の亢進によるものと考えられた.
 CD47はマクロファージに発現するSIRPαのリガンドとしてdon’t eat meシグナルを伝達するほか,インテグリンやVEGF受容体2などとも相互作用することが知られており,なかでも,トロンボスポンジン1は動脈硬化の病変において重要な役割をはたす7).トロンボスポンジン1がCD47と結合すると内皮型NO合成酵素の活性化が抑制される.内皮型NO合成酵素により産生されるNOは,血管平滑筋の収縮の抑制による血圧の低下の作用や炎症性サイトカインの分泌の抑制の作用など動脈硬化の抑制にはたらく多くの作用をもつ.抗CD47抗体による動脈硬化の抑制の作用は,トロンボスポンジン1による内皮型NO合成酵素の抑制を阻害することによるものかどうかを確かめるため,マウスの血圧および肺におけるNOの産生量を測定したが対象となるマウスとのあいだに差はみられなかった.in vitroにおいても,抗CD47抗体の投与は内皮型NO合成酵素のリン酸化およびトロンボスポンジン1のシグナルには影響をおよぼさなかった.

3.TNFαはCD47の発現を上昇させる

 動脈硬化プラークにおいては,酸化ストレスや炎症性サイトカインなどの作用によりアポトーシスは亢進すると考えられる.通常なら,don’t eat meシグナルであるCD47の発現は低下しアポトーシスを起こした細胞はマクロファージなどによりすみやかに貪食されるはずであるが,さきに述べたように,動脈硬化の病変においてCD47の発現は上昇していた.この発現の上昇の機序について解明するためヒトおよびマウスの血管組織についてバイオインフォマティクスにより解析したところ,CD47の発現を制御するタンパク質としてTNFαがうかびあがった.ヒトの動脈硬化の病変におけるCD47の発現とTNFαとの発現のあいだには正の相関がみられたが,インターロイキン4やTGFβなどそのほかのサイトカインの発現との相関はみられなかった.
 血管平滑筋細胞においてTNFαによる刺激によりCD47のmRNAレベルおよびタンパク質レベルでの発現の上昇が認められた.TNFαはNF-kBを介してCD47の発現を上昇させた.細胞をスタウロスポリンにより刺激しアポトーシスを起こさせると,以前から報告されていたとおりCD47の発現は低下したが,TNFαの存在のもとではCD47の発現の低下は抑制された.また,TNFαにより刺激した細胞はマクロファージによる貪食に対し抵抗性を示し,抗CD47抗体はTNFαにより刺激した細胞においても有効であった.抗TNFα療法と抗CD47抗体の併用により,in vitroにおいてマクロファージによる貪食の増加がみられ,マウスの動脈硬化の病変におけるアポトーシスを起こした細胞の蓄積およびエフェロサイトーシスの低下は改善された.

おわりに

 この研究により,動脈硬化の病変においてはTNFαによりCD47の発現が亢進しており,これが動脈硬化プラークにおけるエフェロサイトーシスの低下の一因であることがわかった.増加したCD47はSIRPαおよびSHP1を介してeat meシグナルを抑制し,アポトーシスを起こした細胞は2次的なネクローシスを起こし炎症性物質を放出してCD47をさらに増加させると考えられた(図1b).抗CD47抗体の投与によりエフェロサイトーシスは回復し動脈硬化の進展および不安定化は抑制された.
 新しい抗ヒトCD47抗体Hu5F9-G4が開発され,この抗CD47抗体はヒトのCD47に対し高い親和性を示しCD47とSIRPαとの結合を阻害してマクロファージによる白血病細胞の貪食を促進した.サルにおいては用量に依存して貧血がみられたが2週間後には正常になり,そのほか心臓,腎臓,肝臓の機能に異常はみられなかった8).2015年より,この抗CD47抗体を用いて白血病およびリンパ腫の患者に対するフェーズ1の臨床試験が行われている.CD47は動脈硬化においても有効な治療の標的と考えられ,臨床への迅速な応用が期待される.

文 献

  1. Elliott, M. R. & Ravichandran, K. S.: Clearance of apoptotic cells: implications in health and disease. J. Cell Biol., 189, 1059-1070 (2010)[PubMed]
  2. Oldenborg, P. A., Zheleznyak, A., Fang, Y. F. et al.: Role of CD47 as a marker of self on red blood cells. Science, 288, 2051-2054 (2000)[PubMed]
  3. Gardai, S. J., McPhillips, K. A., Frasch, S. C. et al.: Cell-surface calreticulin initiates clearance of viable or apoptotic cells through trans-activation of LRP on the phagocyte. Cell, 123, 321-334 (2005)[PubMed]
  4. Schrijvers, D. M., De Meyer, G. R., Kockx, M. M. et al.: Phagocytosis of apoptotic cells by macrophages is impaired in atherosclerosis. Arterioscler. Thromb. Vasc. Biol., 25, 1256-1261 (2005)[PubMed]
  5. Majeti, R., Chao, M. P., Alizadeh, A. A. et al.: CD47 is an adverse prognostic factor and therapeutic antibody target on human acute myeloid leukemia stem cells. Cell, 138, 286-299 (2009)[PubMed]
  6. Chen, Y. C., Bui, A. V., Diesch, J. et al.: A novel mouse model of atherosclerotic plaque instability for drug testing and mechanistic/therapeutic discoveries using gene and microRNA expression profiling. Circ. Res., 113, 252-265 (2013)[PubMed]
  7. Soto-Pantoja, D. R., Stein, E. V., Rogers, N. M. et al.: Therapeutic opportunities for targeting the ubiquitous cell surface receptor CD47. Expert Opin. Ther. Targets, 17, 89-103 (2013)[PubMed]
  8. Liu, J., Wang, L., Zhao F., et al.: Pre-clinical development of a humanized anti-CD47 antibody with anti-cancer therapeutic potential. PLoS One, 10, e0137345 (2015)[PubMed]

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著者プロフィール

児島 陽子(Yoko Kojima)
略歴:2005年 神戸大学大学院医学系研究科 修了,2006年 米国Stanford大学Postdoctoral Fellow,2010年 米国Yale大学を経て,2012年より米国Stanford大学School of MedicineにてResearch Associate.

Nicholas J. Leeper
米国Stanford大学School of MedicineにてAssociate Professor.
研究室URL:http://med.stanford.edu/leeperlab.html

© 2016 児島陽子・Nicholas J. Leeper Licensed under CC 表示 2.1 日本

魚の鰭条と四足動物の指は共通の細胞系譜および発生の機構により形成される

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中村哲也・Neil H. Shubin
(米国Chicago大学Department of Organismal Biology and Anatomy)
email:中村哲也
DOI: 10.7875/first.author.2016.093

Digits and fin rays share common developmental histories.
Tetsuya Nakamura, Andrew R. Gehrke, Justin Lemberg, Julie Szymaszek, Neil H. Shubin
Nature, 537, 225-228 (2016)

要 約

 デボン紀の地層から出土する魚類および肉鰭類の化石記録は鰭が徐々に手足に進化するようすを示すが,発見される化石は不連続であるため,魚の鰭と四足動物の手足の構造を形態学的に対応づけることはきわめてむずかしい.また,化石として発見される種はすでに絶滅しているため,分子生物学によるアプローチも簡単ではない.これらの理由により,四足動物のもつ指の起源はつねに論争の的であった.指・手首は起源となる構造が魚の鰭には存在せず四足動物が進化の過程において新たに獲得したものであるとする説,また,鰭の基部にある小さな骨が指・手首に進化したという説もあった.マウスにおいては四肢の発生の機構は遺伝子レベルで比較的よく調べられているが,魚の鰭ではその発生の機構および細胞系譜に不明な点が多く,鰭と四肢を分子レベルで比較するのもむずかしい.そこで,筆者らは,四肢の発生に必須なHox遺伝子を利用したゼブラフィッシュにおける細胞系譜の追跡,および,Hox遺伝子を欠損したゼブラフィッシュの作製により,魚の鰭とマウスの指・手首との対応関係をさぐった.マウスにおいてはHoxA13遺伝子を発現する細胞系譜を追跡すると最終的に指・手首になることが知られていたが,ゼブラフィッシュにおいて同じく後期型のHox遺伝子の発現を制御するエンハンサーにより標識された細胞は鰭条を形成することがわかった.さらに,Hox13遺伝子を欠損したマウスにおいては指・手首は発生しないことが知られていたが,Hox13遺伝子を欠損したゼブラフィッシュにおいては鰭条の長さが大きく減少し軟骨内性骨の数が増加した.これらのことにより,魚の鰭条および四足動物の指・手首は後期型のHox遺伝子の発現により標識される細胞により形成されること,また,魚の鰭条および四足動物の指・手首の発生にはHox13遺伝子が必須であることが明らかにされた.そして,これらの結果から,魚の鰭条がその分化運命を変えて四足動物の指・手首へと進化したことが示唆された.

はじめに

 指・手首は四足動物が陸上で繁栄するのにきわめて重要な役割をはたしてきた.しかしながら,魚類が上陸をとげる過程において,鰭のどこが進化して,また,どのような分子機構により指・手首が獲得されたのかについてはよくわかっていない.解剖学的には,四足動物の手足は体幹から先端にむかって上腕,前腕,指・手首と,すべて軟骨内性骨からなる.一方,魚の鰭は根元に軟骨内性骨からなる射出骨をもつが,そのさきには皮骨である長い鰭条をもつ(図1).軟骨内性骨と皮骨の大きな違いは,構造だけでなくその発生にもある.軟骨内性骨の発生においては軟骨が形成されたのち硬骨へと置き換えられるが,皮骨は軟骨の形成を介さずに直接的に骨が発生する.

figure1

 デボン紀に鰭が手足に進化した過程を順番に観察すると,ユーステノプテロン,ティクターリク,アカントステガと陸生動物に近づくにつれて徐々に鰭条が短くなり,それにつれ軟骨内性骨が遠位の方向へと伸びることにより,四足動物の四肢が獲得されたようにみえる(図1).では,このような進化はどのような機構により起こったのであろうか.軟骨内性骨と皮骨は発生の様式が違うことから鰭条の減少と軟骨内性骨の増加は互いに独立に変化したという考え方,また,鰭条と軟骨内性骨の割合は発生の過程において拮抗するというクロックモデルも有名であった1)
 四足動物の四肢の発生機構の理解はマウスを用いて急速に進んでいる.四肢の発生においておのおのの骨の形態および位置を制御する遺伝子として,HoxA遺伝子クラスターおよびHoxD遺伝子クラスターがあげられる.マウスにおいてHox遺伝子クラスターはHox1遺伝子からHox13遺伝子までがゲノムにタンデムにならんでおり,その発現の制御機構についても興味深い.Hox遺伝子の肢芽における発現パターンは大きく分けて初期型と後期型の2つがある.初期の発現においては,Hox遺伝子クラスターの3’側にある複数のエンハンサーが発現を制御する.このとき,3’側に位置するHox遺伝子(Hox1遺伝子の側)が肢芽の後方から前側までもっともひろく発現し,5’側に位置するHox遺伝子(Hox13遺伝子の側)がもっともせまく後方に限局して発現することにより,全体として入れ子状の発現を示す2).しかし,後期の発現においてはこの入れ子状の発現パターンは逆になり,5’側に位置するHox遺伝子がもっともひろく発現する.後期型のHox遺伝子の発現は指・手首の発生に重要な役割をはたし,なかでもHox13遺伝子がもっともひろく,将来の指になる部分の全体に発現する.Hox13遺伝子を欠損したマウスにおいては指・手首が消失し3)Hox11遺伝子を欠損したマウスにおいては橈骨および尺骨が消失する2).このように,Hox遺伝子の発現パターンおよびその機能からHox遺伝子は四肢の発生においてきわめて重要であることが理解され,また,Hox遺伝子は解剖学的な構造のマーカーとしても利用される.
 Hox遺伝子の発現パターンをマウスの肢芽と魚の鰭とで比較することにより四肢の進化の機構をさぐろうとするアプローチは,これまでにもいくつかあった.しかしながら,鰭の発生の機構についての知見はまだ少なく4-6),マウスと単純に比較するのはむずかしい状況であった.現在まで,指・手首の発生に必須である5’側に位置するHox遺伝子の発現パターンが,モデル生物であるゼブラフィッシュだけでなく非モデル生物を含む複数の種の魚において調べられてきた7-9).その結果,魚の鰭にも初期型および後期型のHox遺伝子の発現が存在することが徐々に明らかにされた.つまり,指・手首の発生に必要である後期型のHox遺伝子の発現は,四足動物の進化の過程において獲得されたものではなく,祖先型である魚がすでにもっていたことが示されている.
 そこで,筆者らは,マウスにおいて指・手首の発生に必須であるHox13遺伝子に着目し,指・手首の進化的な起源をゼブラフィッシュにおいて遺伝子組換え技術を用いて明らかにすることにした.

1.魚のHox13遺伝子は発生の過程の鰭原基において発現する

 魚におけるHox13遺伝子の発現パターンをゼブラフィッシュにおいて詳細に解析した.硬骨魚類には特異的に遺伝子の重複が起こったため,HoxA遺伝子クラスターとしてHoxAa遺伝子クラスターおよびHoxAb遺伝子クラスター,HoxD遺伝子クラスターとしてHoxDa遺伝子クラスターおよびHoxDb遺伝子クラスターの,あわせて4つをもつ.ゼブラフィッシュはHoxDb遺伝子クラスターを進化の過程において失ったと考えられ,Hox13遺伝子としてHoxa13a遺伝子,Hoxa13b遺伝子,Hoxd13a遺伝子の3つがゲノムに存在する.これら3つの遺伝子の発現パターンを経時的に調べたところ,受精後48時間では,Hoxa13a遺伝子およびHoxa13b遺伝子は鰭原基の遠位側において,Hoxd13a遺伝子は鰭原基の後方側において,その発現が観察された.しかし,受精後72~96時間になると,Hoxa13a遺伝子の発現は将来の鰭の皮骨に発生するひれ膜の近位側において観察され,Hoxd13a遺伝子の発現は鰭原基とともにひれ膜の近位側においてもみられるようになった.受精後120時間あたりからすべてのHox13遺伝子の発現は徐々に消失した.

2.後期型のHox遺伝子の発現により標識された細胞は鰭条になる

 Hox13遺伝子の発現は受精後120時間あたりから消失したが,これらの細胞は最終的に鰭のどの部位の発生に寄与するのだろうか.マウスにおいては,後期型の発現を示すHoxA13遺伝子にCre遺伝子をノックインして細胞系譜を追跡すると,最終的に指・手首の発生に寄与することが明らかにされていた10).そこで,ゼブラフィッシュを用いて同様に細胞系譜を追跡した.HoxAa遺伝子クラスターから数百kbp離れたところにある,後期型のHox遺伝子の発現を制御するエンハンサーのひとつであるe16を,原始的な硬骨魚であるガーからクローニングし11)e16によりCre遺伝子が発現するトランスジェニックゼブラフィッシュを作製した.また,通常はGFPが発現しすべての細胞が緑色に光るが,Creの活性をもつ細胞においてはGFPに代わりRFPが発現し赤色に標識されるゼブラフィッシュを利用した12).これら2つのトランスジェニックゼブラフィッシュを交配させ,RFPの蛍光により標識された細胞の動きを追跡したところ,受精後48時間において遠位側にフィロポディア様の突起を伸ばし積極的に移動しているようすが観察された.そののち,6日,さらに,20日と時間がたつにつれ,RFPの蛍光を示す細胞は鰭原基から鰭条へと移動し,生後3か月では鰭条においてRFPの蛍光が観察された.後期型のHox遺伝子の発現により標識された細胞が,マウスにおいては指・手首の発生に寄与すること,魚においては鰭条の発生に寄与したことから,構造的かつ発生的に異なる2つの組織にはなんらかの関連のある可能性が高いと考えられた.

3.Hox13遺伝子を欠損したゼブラフィッシュは鰭条が消失し軟骨内性骨の数が増加する

 より直接的な実験により指・手首と鰭条との関係をさぐることにした.Hox13遺伝子はマウスにおいて指・手首の発生に必須であることが知られている3)HoxA13遺伝子およびHoxD13遺伝子を欠損したマウスは指・手首が発生しない.そこで魚のHox13ファミリー遺伝子であるHoxa13a遺伝子,Hoxa13b遺伝子,Hoxd13a遺伝子を欠損したゼブラフィッシュを作製し表現型を解析した.CRISPR-Cas9系によるゲノム編集技術を使用することにより,3つのHox13遺伝子それぞれを単独で欠損したゼブラフィッシュを作製した.これらのゼブラフィッシュにとくにきわだった表現型は観察されず,骨格のCTスキャニングとコンピューター解析の系を確立して鰭の全体像,また,鰭の根元にある軟骨内性骨の形態を詳細に観察したが,やはり野生型との大きな違いは観察されなかった.そこで,Hoxa13a遺伝子およびHoxa13b遺伝子をホモで欠損したゼブラフィッシュの成体において表現型を観察したところ,胸鰭,腹鰭,背びれ,尻びれの鰭条の長さが大きく減少し,外見からは,尾びれのほか,ほとんど鰭はないようにみえた.骨格のCTスキャニングにより詳細に解析したところ,鰭条が短くなったのとは反対に,鰭の根元の軟骨内性骨の数が増加していた.

おわりに

 ゼブラフィッシュにおける後期型のHox遺伝子の発現を示す細胞系譜の追跡,および,Hox13遺伝子を欠損したゼブラフィッシュの解析より,鰭条と指・手首は同じく後期型のHox遺伝子の発現をへた細胞からなり,さらに,鰭条および指・手首はHox13遺伝子により発生が制御されることがわかった.鰭条と指・手首は骨の発生の仕方および構造が違うにもかかわらず,細胞系譜および発生の機構が共通していたのである.さらに,Hox13遺伝子を欠損したゼブラフィッシュにおいて鰭条が短くなると同時に軟骨内性骨の数が増加したことから,進化の過程において鰭条の骨が徐々に軟骨内性骨へと転換した可能性が示唆された(図2).

figure2

 今回の解析において,皮骨が軟骨内性骨へと徐々に進化した可能性が示されたが,どのようにして2つの細胞運命に転換が起こるのかについてはまったく不明である.今後は,この機構の分子レベルでの解析が期待される.また最近,別の研究グループにより,発生の過程において体節に由来する細胞が鰭へと侵入することにより,軟骨内性骨を形成するプログラムと皮骨を形成するプログラムとが切り替えられることが報告された13).筆者らの結果とあわせて,その詳細な機構の解明が期待される.
 今回の解析においては,最新の遺伝子組換え技術および高出力のCTスキャニングを使用することにより,化石の記録にしか残っていない鰭から手足への進化の機構が解明された.技術の進歩を追い風に,“実験古生物学”は新しい局面に入りつつある.

文 献

  1. Thorogood, P.: The development of the teleost fin and implications for our understanding of tetrapod limb evolution. in Developmental Patterning of the Vertebrate Limb (Hinchliffe, J. R., Hurle, J. M. & Summerbell, D. eds.), pp. 347-354, Plenum Press, New York (1991)
  2. Zakany, J. & Duboule, D.: The role of Hox genes during vertebrate limb development. Curr. Opin. Genet. Dev., 17, 359-366 (2007)[PubMed]
  3. Fromental-Ramain, C., Warot, X., Messadecq, N. et al.: Hoxa-13 and Hoxd-13 play a crucial role in the patterning of the limb autopod. Development, 122, 2997-3011 (1996)[PubMed]
  4. Shimada, A., Kawanishi, T., Kaneko, T. et al.: Trunk exoskeleton in teleosts is mesodermal in origin. Nat. Commun., 4, 1639 (2013)[PubMed]
  5. Grandel, H. & Schulte-Merker, S.: The development of the paired fins in the Zebrafish (Danio rerio). Mech. Dev., 79, 99-120 (1998)[PubMed]
  6. Yano, T., Abe, G., Yokoyama, H. et al.: Mechanism of pectoral fin outgrowth in zebrafish development. Development, 139, 2916-2925 (2012)[PubMed]
  7. Davis, M. C., Dahn, R. D. & Shubin, N. H.: An autopodial-like pattern of Hox expression in the fins of a basal actinopterygian fish. Nature, 447, 473-476 (2007)[PubMed]
  8. Freitas, R., Zhang, G. & Cohn, M. J.: Biphasic Hoxd gene expression in shark paired fins reveals an ancient origin of the distal limb domain. PLoS One, 2, e754 (2007)[PubMed]
  9. Tulenko, F. J., Augustus, G. J., Massey, J. L. et al.: HoxD expression in the fin-fold compartment of basal gnathostomes and implications for paired appendage evolution. Sci. Rep., 6, 22720 (2016)[PubMed]
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  12. Mosimann, C., Kaufman, C. K., Li, P. et al.: Ubiquitous transgene expression and Cre-based recombination driven by the ubiquitin promoter in zebrafish. Development, 138, 169-177 (2011)[PubMed]
  13. Masselink, W., Cole, N. J., Fenyes, F. et al.: A somitic contribution to the apical ectodermal ridge is essential for fin formation. Nature, 535, 542-546 (2016)[PubMed]

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著者プロフィール

中村 哲也(Tetsuya Nakamura)
略歴:2007年 大阪大学大学院生命機能研究科 修了,同年 同 特別研究員,2008年 同 助教を経て,2012年より米国Chicago大学Research Fellow.
研究テーマ:魚類の発生および進化の機構.
関心事:フライフィッシングで釣った魚の解剖.大物はうれしいが,解剖に時間がかかる.

Neil H. Shubin
米国Chicago大学Professor.
研究室URL:http://shubinlab.uchicago.edu/

© 2016 中村哲也・Neil H. Shubin Licensed under CC 表示 2.1 日本

エンドセリン-1との結合によるエンドセリン受容体B型の活性化における構造基盤

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志甫谷 渉・西澤知宏・濡木 理
(東京大学大学院理学系研究科 生物科学専攻生物化学講座構造生命科学研究室)
email:志甫谷 渉西澤知宏濡木 理
DOI: 10.7875/first.author.2016.096

Activation mechanism of endothelin ETB receptor by endothelin-1.
Wataru Shihoya, Tomohiro Nishizawa, Akiko Okuta, Kazutoshi Tani, Naoshi Dohmae, Yoshinori Fujiyoshi, Osamu Nureki, Tomoko Doi
Nature, 537, 363-368 (2016)

要 約

 エンドセリン受容体はエンドセリンとよばれるペプチドホルモンにより活性化されるGタンパク質共役受容体であり,体内における血流の制御,体液の水分濃度の調整,細胞増殖などを担い,がん,高血圧,腎臓病に対する創薬の有望な標的でもある.今回,筆者らは,ヒトに由来するエンドセリン受容体B型について,内在性のアゴニストであるエンドセリン-1の結合した初期活性型,および,リガンドの結合していない不活性型の結晶構造を,それぞれ2.8Å分解能および2.5Å分解能で決定した.エンドセリン-1と結合したエンドセリン受容体B型の構造から,複雑な構造をもつエンドセリン-1の結合様式が解明された.さらに,決定された2つの構造の比較により,エンドセリン-1との結合にともないエンドセリン受容体B型に大きな構造変化の起こることが明らかにされ,その活性化の機構について知見が得られた.今回の研究により得られた立体構造の情報は,エンドセリンの受容体を標的とした新規の薬剤の開発に役だつことが期待される.

はじめに

 エンドセリンは1988年に発見された21アミノ酸残基からなるペプチドホルモンであり,生体においてもっとも強力な血管収縮物質のひとつである1).1990年には,細胞膜に存在するエンドセリン受容体A型およびエンドセリン受容体B型が発見された.エンドセリン受容体A型およびエンドセリン受容体B型はともにGタンパク質共役受容体であり,エンドセリンはこれらの受容体を介して細胞内のGiやGqなどGタンパク質を活性化することにより,細胞膜を介しシグナルを伝達する.エンドセリン-1はエンドセリン受容体とみかけのうえで不可逆的に結合し持続的な血圧の上昇にかかわる2).血流の制御のほかにも,神経堤細胞の発生,細胞の増殖,体液の水分濃度の調整など,エンドセリンのかかわるシグナル伝達は多岐にわたる生理現象に関与する3,4)
 エンドセリン-1の異常な産生はがん,高血圧,心臓病などさまざまな疾患の原因となるため,その作用を拮抗的に阻害するエンドセリン受容体のアンタゴニストはこうした疾患に対する薬剤として注目されている5).実際に,非選択的なアンタゴニストであるボセンタンは肺動脈性の肺高血圧症に対する治療薬として使われている.さらに,エンドセリン受容体B型に選択的なアゴニストであるエンドセリン-1の誘導体IRL-1620は,腫瘍細胞の血管を拡張させて血流を促進することにより抗がん剤や放射線治療の効能を高めるとされ臨床研究が進められている5).エンドセリンに関する薬理的および医学的な研究は多くなされてきたが,エンドセリンがどのようにエンドセリン受容体と結合しこれを活性化するのか,その分子機構の詳細はまったく不明であった.そのため,エンドセリン受容体を標的とした非ペプチド性のアゴニストや新規のアンタゴニストの開発は停滞しており,エンドセリン受容体の構造の情報が待ち望まれていた.

1.エンドセリン受容体B型の構造の決定

 ヒトに由来する膜タンパク質,とくに,Gタンパク質共役受容体は構造が柔軟かつ不安定であり,ヒトに由来するエンドセリン受容体B型のX線結晶構造解析も困難をきわめた.結晶化の促進のため膜貫通領域ひとつひとつにAlaを導入することにより,安定性の向上した耐熱変異体の作製に成功した6).さらに,構造が柔軟であった細胞内第3ループにT4リゾチームを挿入し脂質キュービック相を利用することにより,エンドセリン受容体B型とエンドセリン-1との複合体の結晶化に成功し,2.8Å分解能で構造を決定した(PDB ID:5GLH).さらに,T4リゾチームを小型T4リゾチーム7) に改変することにより,リガンドと結合していないエンドセリン受容体B型の構造を2.5Å分解能で決定した(PDB ID:5GLI).

2.エンドセリン受容体B型の全体構造およびエンドセリン-1との結合様式

 エンドセリン受容体B型は7本の膜貫通へリックスとC末端側にある両親媒性のαへリックスから構成されており,既知のGタンパク質共役受容体の全体構造と類似していた(図1a).N末端は細胞の外側に伸び,膜貫通へリックス7とS-S結合によりつながっていた.細胞外第2ループはペプチド受容性のGタンパク質共役受容体に共通した特徴である大きなβシートを形成していた.エンドセリン-1の認識にはN末端側,細胞外ループ,膜貫通へリックス2~膜貫通へリックス7がかかわり,大きなリガンドとの結合ポケットを形成していた.エンドセリン受容体B型とエンドセリン-1との相互作用の面積は約1500Åで,これまで構造の解析されていたGタンパク質共役受容体のなかでもっとも広範であった.こうした広範な相互作用は,エンドセリン受容体B型に対するエンドセリン-1の非常に高い結合能に寄与すると考えられた.

figure1

 エンドセリン受容体B型とエンドセリン-1との複合体において,エンドセリン-1は,X線結晶構造解析やNMR法により決定された単体のエンドセリン-1の構造と同様に,Cys1-Cys15とCys3-Cys11の2つの分子内S-S結合により環状化していた(図1b).エンドセリン-1の中央部の8~17番目の残基はαへリックスを形成し,N末端側の1~7番目の残基とS-S結合により結ばれていた.C末端側の18~21番目の残基は伸びた構造をとり,Trp21の側鎖を結合ポケットの中心にむけるかたちでエンドセリン受容体B型に突き刺さるように結合していた.

3.エンドセリン受容体B型とエンドセリン-1との相互作用

 エンドセリン-1はおもにそのαへリックス領域とC末端側の領域を介してエンドセリン受容体B型と密な相互作用を形成していた.αへリックス領域はおもに疎水性アミノ酸残基からなり,エンドセリン受容体B型の細胞外第2ループとN末端側の領域にはさまれ,広範な分子間相互作用を形成していた(図1c).とくに,細胞外第2ループの長いβシートはαへリックス領域をつつみこみ,エンドセリン受容体B型のTyr247がエンドセリン-1のTyr13とπ-π相互作用を形成することにより上部からふたをしていた.こうした疎水性相互作用にくわえ,αへリックス領域のN末端側およびC末端側はエンドセリン受容体B型と複数の水素結合を形成し,αへリックス領域の配向を決めていた.
 エンドセリン-1のC末端側の領域の3つの疎水性アミノ酸残基Ile19,Ile20,Trp21はエンドセリン受容体B型のリガンド結合部位の深くにある疎水性の結合ポケットにはまりこんでいた(図1d).Ile19の主鎖のアミドやカルボニル酸素はエンドセリン受容体B型との水素結合により安定化されていた.エンドセリン-1のC末端のTrp21のカルボキシル基やAsp18の側鎖といった負電荷は,エンドセリン受容体B型の電荷性アミノ酸残基と電荷相補的な相互作用ネットワークを形成していた.過去の研究において,エンドセリン-1のTrp21の置換あるいは削除によりエンドセリン受容体B型との結合能が失われたことから,エンドセリン-1のC末端側の領域とエンドセリン受容体B型との相互作用は結合に必須であると考えられた.

4.エンドセリン-1との結合にともなうエンドセリン受容体B型の構造変化

 エンドセリン-1との結合にともなうエンドセリン受容体B型の構造変化について明らかにするため,エンドセリン-1と結合したエンドセリン受容体B型とリガンドと結合していないエンドセリン受容体B型の構造を比較した(図2a).エンドセリン受容体B型の細胞質側に大きな構造変化はなかったが,これは,Gタンパク質共役受容体の細胞質側はGタンパク質との結合に応じて大きな構造変化を起こすというほかの構造機能解析の結果と一致しており,エンドセリン-1と結合したエンドセリン受容体B型の構造は完全活性型にいたるまえの初期活性型であることが示唆された.それに対し,エンドセリン受容体B型の細胞外側の結合ポケットにおいてエンドセリン-1との結合にともなう大きな構造変化が観察された(図2b).エンドセリン受容体B型の膜貫通へリックス2,膜貫通へリックス6,膜貫通へリックス7はエンドセリン-1との結合にともないそれぞれ2.6Å,4.1Å,4.9Åほど結合ポケットの内部へと動いていた.エンドセリン-1と直接には相互作用していない膜貫通へリックス1はこれらの膜貫通へリックスの動きと連動して4.4Åほど外側へと動いていた.こうした4本の膜貫通へリックスのダイナミックな動きにより,エンドセリン受容体B型の結合ポケットは開いた状態から閉じた状態になり,エンドセリン-1との強固な相互作用を形成することが明らかにされた.エンドセリン受容体B型とエンドセリン-1とは超安定な複合体を形成することが知られている.エンドセリン受容体B型のダイナミックな構造変化によるエンドセリン-1の認識,および,上部からふたをするような構造が,エンドセリン-1のみかけの不可逆的な結合に寄与すると考えられた.

figure2

 この構造比較と過去のエンドセリンに対する変異実験の結果より,エンドセリン-1によるエンドセリン受容体B型の活性化の機構が推定された.エンドセリン-1のC末端側の領域の18番目のアミノ酸残基および19番目のアミノ酸残基は,エンドセリン-1のアゴニストとしての活性と密接な相関のあることが知られている8).エンドセリン受容体B型とエンドセリン-1との複合体において,エンドセリン-1のAsp18およびIle19はエンドセリン受容体B型の膜貫通へリックス6~膜貫通へリックス7と相互作用しており(図1c),エンドセリン-1との結合にともなう膜貫通へリックス6~膜貫通へリックス7の内側への動きに重要であった.このことから,エンドセリン-1との結合にともなう膜貫通へリックス6~膜貫通へリックス7の結合ポケットの内側への動きがエンドセリン受容体B型の活性化において重要な過程であることが強く示唆された.

おわりに

 今回の研究は,エンドセリン受容体を標的とする薬剤の開発へ道を切り拓くものである.具体的には,リガンドと結合していないエンドセリン受容体の構造をもとにしたアンタゴニストのin silicoスクリーニングや,エンドセリン-1の部分構造を模倣した小分子アゴニストの開発などである.構造の情報がすぐに創薬に直結するとはいえないものの,エンドセリン受容体を標的とする薬剤の臨床応用はいまだかぎられているため,こうした現状を打開できるのではないかと考えている.
 筆者がエンドセリン受容体B型の研究にたずさわってからこの論文を世にだすまで,5年半もかかった.最後に,それまでの紆余曲折について延べる.エンドセリン受容体の構造の研究は20年以上もつづけられてきた.筆者がこのプロジェクトにくわわったときには,エンドセリン受容体B型の耐熱変異体を得ることには成功していたものの,課題は山積みであった.そんななか,脂質キュービック法を用いてチャネルロドプシンの構造解析に成功したという報を聞きつけ9)新着論文レビュー でも掲載),エンドセリン受容体B型の結晶化につき共同研究することになった.数週間でアンタゴニストとの複合体の結晶が得られ,最初の結晶が得られてから1年半後には構造決定に成功した.ところが,この構造においては,導入したT4リゾチームが形成する結晶パッキングのため非生理的な状態になっていることが示唆された.リガンドの電子密度もまったくみえず,結局,この構造はお蔵入りとなった.なんとか気を取り直し,T4リゾチームとエンドセリン受容体B型とのつなぎ目の残基を変えた改変体をひととおり作製した結果,約4カ月でエンドセリン-1との複合体の構造決定に成功した.
 しかし,ここからが本当にたいへんであった.構造の決定から1年後に論文を投稿したところ,査読にもまわらずリジェクトになってしまったのである.そこで,エンドセリン受容体B型とアンタゴニストとの複合体の構造を決定し,エンドセリン-1の認識にともなうエンドセリン受容体B型の構造変化を明らかにしようと決意した.構造解析はさきがみえないが,ほんの一手変えることにより状況が劇的に改善することがある.いろいろと手をつくしていくなか,T4リゾチームを小型T4リゾチームとすると結晶化パッキングや分解能が向上するという報告7) が目にとまった.これを試してみるとペプチド性のアンタゴニストとの共結晶化に成功し,分解能2.3Åという高分解能で構造が決定された.しかし,この構造において結合ポケットの電子密度がはっきりしておらず,またしても解釈に困った.共結晶化の際にリガンドが解離している可能性を考え,無謀にもリガンドを何もくわえずに結晶化を試したところ,まったく同じ構造が得られた.つまり,共結晶化の過程でアンタゴニストは解離していたのであった.奇跡的に,リガンドと結合していないエンドセリン受容体B型の構造が決定された.
 それにしても,最初に構造が得られた段階ではっきりしない電子密度に無理やりリガンドをあてはめて議論していた場合,論文として発表しても最終的には撤回せざるをえない状況になっていただろう.研究においては,よいと思われる結果が得られたときこそ,手や頭を動かしつづける重要性を認識した.

文 献

  1. Yanagisawa, M., Kurihara, H., Kimura, S. et al.: A novel potent vasoconstrictor peptide produced by vascular endothelial cells. Nature, 332, 411-415 (1988)[PubMed]
  2. Hilal-Dandan, R., Villegas, S., Gonzalez, A. et al.: The quasi-irreversible nature of endothelin binding and G protein-linked signaling in cardiac myocytes. J. Pharmacol. Exp. Ther., 281, 267-273 (1997)[PubMed]
  3. Kedzierski, R. M. & Yanagisawa, M.: Endothelin system: the double-edged sword in health and disease. Annu. Rev. Pharmacol. Toxicol., 41, 851-876 (2001)[PubMed]
  4. Kohan, D. E., Rossi, N. F., Inscho, E. W. et al.: Regulation of blood pressure and salt homeostasis by endothelin. Physiol. Rev., 91, 1-77 (2011)[PubMed]
  5. Maguire, J. J. & Davenport, A. P.: Endothelin@25: new agonists, antagonists, inhibitors and emerging research frontiers: IUPHAR review 12. Br. J. Pharmacol., 171, 5555-5572 (2014)[PubMed]
  6. Okuta, A., Tani, K., Nishimura, S. et al.: Thermostabilization of the human endothelin type B receptor. J. Mol. Biol., 428, 2265-2274 (2016)[PubMed]
  7. Thorsen, T. S., Matt, R., Weis, W. I. et al.: Modified T4 lysozyme fusion proteins facilitate G protein-coupled receptor crystallogenesis. Structure, 22, 1657-1664 (2014)[PubMed]
  8. Masuda, Y., Sugo, T., Kikuchi, T. et al.: Antagonist activity of [Thr18,γ-methylleucine19]endothelin-1 in human endothelin receptors. Eur. J. Pharmacol., 325, 263-270 (1997)[PubMed]
  9. Kato, H. E., Zhang, F., Yizhar, O. et al.: Crystal structure of the channelrhodopsin light-gated cation channel. Nature, 482, 369-374 (2012)[PubMed] [新着論文レビュー]

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著者プロフィール

志甫谷 渉(Wataru Shihoya)
略歴:名古屋大学大学院創薬科学研究科博士課程 在学中.
研究テーマ:Gタンパク質共役受容体の構造機能.
抱負:生き残りたい.

西澤 知宏(Tomohiro Nishizawa)
略歴:東京大学理学系研究科 助教,科学技術振興機構 さきがけ研究者 兼任.
研究テーマ:膜タンパク質の構造解析.

濡木 理(Osamu Nureki)
東京大学大学院理学系研究科 教授.
研究室URL:http://www.nurekilab.net/

© 2016 志甫谷 渉・西澤知宏・濡木 理 Licensed under CC 表示 2.1 日本

クロマチンリモデリングタンパク質CHD8のハプロ不全は自閉症スペクトラムの原因となる

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片山雄太・西山正章・中山敬一
(九州大学生体防御医学研究所 分子医科学分野)
email:中山敬一
DOI: 10.7875/first.author.2016.099

CHD8 haploinsufficiency results in autistic-like phenotypes in mice.
Yuta Katayama, Masaaki Nishiyama, Hirotaka Shoji, Yasuyuki Ohkawa, Atsuki Kawamura, Tetsuya Sato, Mikita Suyama, Toru Takumi, Tsuyoshi Miyakawa, Keiichi I. Nakayama
Nature, 537, 675-679 (2016)

要 約

 自閉症スペクトラムは非常に発症頻度の高い発達障害であり,コミュニケーション能力の障害などにより社会活動に困難が生じる.自閉症スペクトラムの発症には遺伝的な要因が強く関与することから原因遺伝子がさかんに探索され,CHD8遺伝子がもっとも高頻度に変異していることが報告されたものの,これまで,CHD8の変異が自閉症スペクトラムの発症の原因であるという直接的な証拠はなかった.筆者らは,Chd8遺伝子をヘテロで欠損するマウスを作製し,CHD8と自閉症スペクトラムとの関連について検証した.その結果,CHD8ヘテロノックアウトマウスは自閉症スペクトラム様の行動異常を示したことから,CHD8のハプロ不全は自閉症スペクトラムの発症の原因であることが強く示唆された.さらに,CHD8ヘテロノックアウトマウスにおいては転写抑制因子であるRESTが異常に活性し,発生の初期から中期にかけての神経の発達が遅延していた.この結果から,CHD8のハプロ不全による神経の発達の遅延が自閉症スペクトラムの発症の原因であることが示唆された.

はじめに

 自閉症スペクトラムは社会性行動の障害および活動あるいは興味の範囲のいちじるしい限局性(固執傾向)をおもな特徴とする発達障害であり1),さらに,不安の増加や注意力の障害といったさまざまな症状が合併することが多い.発症の頻度は人口の1%以上と非常に高く,社会的な損失の大きさからも病態の解明および治療法の確立が急務となっている.自閉症スペクトラムの発症の原因には諸説あるものの,発生の初期から中期にかけての神経の発達の障害が関与するという説が有力視されている2).自閉症スペクトラムの発症には遺伝的な要因が強く関与することが知られており,これまでに多くの原因遺伝子の候補が報告されているが,とくに,シナプス関連タンパク質,Wnt-βカテニンシグナル伝達系,クロマチンリモデリングタンパク質にかかわる遺伝子の異常が自閉症スペクトラムの発症と強い相関を示す3).さらに近年,自閉症スペクトラムの患者を対象とした大規模なエキソーム解析により,CHD8遺伝子がもっとも頻度の高いde novo変異遺伝子として報告され,自閉症スペクトラムの原因遺伝子のもっとも有力な候補として注目をあつめている4-6).自閉症スペクトラムの患者において発見されたCHD8遺伝子の変異はすべてヘテロ変異であり,これらの患者においては典型的な自閉症スペクトラムの症状にくわえ巨頭症および腸管の異常が多くみられる7)
 CHD8はもともとWnt-βカテニンシグナル伝達系の抑制タンパク質として報告され当初はDuplinと命名されたが8),そののち,CHDファミリータンパク質の一員であることが明らかにされた.CHD8はクロマチンリモデリングタンパク質であり,クロマチンの構造を変化させることにより標的となる遺伝子の転写を制御する.筆者らは,これまでに,CHD8が転写因子であるp53やβカテニンと結合し,これらの転写制御領域にヒストンH1をリクルートすることによりその転写活性を抑制することを報告した9,10)Chd8遺伝子をホモで欠損したマウスは胎生の初期にp53の異常な活性化によるアポトーシスを起こし死亡することから,CHD8遺伝子は個体の発生において必須の役割を担うことがわかった11)
 これらの報告から,CHD8のハプロ不全による遺伝子の発現制御の異常が自閉症スペクトラムの発症の原因であることが推測されたが,これまで,その発症機構はおろか,CHD8遺伝子の変異が自閉症スペクトラムの発症の原因であるという直接的な証拠も示されていなかった.

1.CHD8ヘテロノックアウトマウスの作製

 CHD8には全長の長鎖型CHD8とクロモドメインのみをもつ短鎖型CHD8が存在する(図1a).この2つのバリアントはN末端側を共通の領域としており,ともにp53とWnt-βカテニンシグナル伝達系の抑制能をもつ.一方,自閉症スペクトラムの患者において発見されたCHD8遺伝子の変異はすべてヘテロ変異であり,CHD8遺伝子の全域に分布する(図1b).長鎖型CHD8に特異的な領域の変異は短鎖型CHD8の機能には影響しないと予想されたことから,とくに,長鎖型CHD8の機能の異常が自閉症スペクトラムの発症に強く関与すると推測された.これまでに筆者らは,長鎖型CHD8および短鎖型CHD8をともに欠損するマウスを作製し,このマウスはホモ欠損によりp53の異常な活性化によるアポトーシスを起こし胎生の初期に死亡することを報告した.今回,長鎖型CHD8を特異的に欠損するマウスを作製したところ,このマウスもホモ欠損により胎生致死となった.これらの結果から,長鎖型CHD8は短鎖型CHD8により代償されない特異的な機能をもつことがわかった.

figure1

 自閉症スペクトラムの患者において発見されたCHD8遺伝子の変異はすべてヘテロ変異であったことから,CHD8のハプロ不全が自閉症スペクトラムの発症の原因であると推測し,長鎖型CHD8および短鎖型CHD8をともに欠損するマウス,および,長鎖型CHD8を特異的に欠損するマウスをそれぞれヘテロ変異として行動を解析した.すべての行動解析試験において,長鎖型CHD8および短鎖型CHD8をともに欠損するマウスと長鎖型CHD8を特異的に欠損するマウスは同じ表現型を示したため,この2つの系統を区別せず一括してCHD8ヘテロノックアウトマウスとする.CHD8ヘテロノックアウトマウスにおいて,Chd8遺伝子のmRNAの量は約50%に減少していたが,タンパク質の量は野生型のマウスの約70%であった.

2.CHD8ヘテロノックアウトマウスは自閉症スペクトラム様の行動異常を示す

 CHD8遺伝子に変異をもつ自閉症スペクトラムの患者は巨頭症および腸管の異常を高頻度で合併する.CHD8ヘテロノックアウトマウスを観察したところ,成体のマウスの体重は変わらなかったものの,脳の重量が増加していた.腸管の運動を観察したところ,CHD8ヘテロノックアウトマウスは腸管の運動が低下する傾向を示した.この結果から,Chd8遺伝子のヘテロ欠損により自閉症スペクトラムの患者の特徴が再現されることが示された.
 自閉症スペクトラムの患者においてよく観察される不安様の行動について,オープンフィールド試験,明暗選択箱試験,高架式十字迷路試験の3つの独立した行動試験により検証した.その結果,いずれの試験においてもCHD8ヘテロノックアウトマウスにおいては不安様の行動が増加したことから,この結果からも,自閉症スペクトラムの患者の特徴が再現されることが示された.
 自閉症スペクトラムにおける主要な症状である固執傾向および社会性行動について検証した.記憶学習および固執傾向を評価するT字迷路試験により,CHD8ヘテロノックアウトマウスは記憶学習には異常がみられなかったものの,野生型のマウスと比較して強い固執傾向が観察された.社会性行動およびコミュニケーション能力を評価する社会的行動試験において,CHD8ヘテロノックアウトマウスは初対面のマウスの近くにいる時間は長くなったものの,マウスのコミュニケーションである追いかけ行動や臭い嗅ぎ行動は減少した.この行動異常は一部の自閉症スペクトラムの患者にみられる受動型とよばれるタイプのコミュニケーション障害に似ていた.
 CHD8ヘテロノックアウトマウスにおいて観察されたこれらの表現型は,このマウスが自閉症スペクトラムを発症していることを示唆しており,CHD8のハプロ不全が自閉症スペクトラムの発症の原因となることを意味した.

3.CHD8ヘテロノックアウトマウスは自閉症スペクトラムの患者における遺伝子の発現パターンを再現する

 CHD8はクロマチンリモデリングタンパク質であることから,CHD8の標的となる遺伝子の発現量の変化が自閉症スペクトラムの発症の原因であると推測された.CHD8の標的となる遺伝子を探索するため,マウスの脳の全体を試料としてChIP-seq法によりCHD8と結合するゲノム領域を同定した.CHD8の結合は66.9%が転写開始点の近傍に分布しており,これは全ゲノムに対する転写開始点の割合が約3%であることを考えると強い集積であった.そこで,CHD8は標的となる遺伝子の転写開始点と結合し,その転写量の制御にかかわると考えられた.CHD8の標的となる遺伝子の数は約9000と非常に多く,発現量の多い遺伝子の転写開始点ほどCHD8と強く結合していた.
 野生型のマウスおよびCHD8ヘテロノックアウトマウスの脳の全体を試料としてRNA-seq法によりChd8遺伝子のヘテロ欠損により発現量の変化した遺伝子を探索した.しかし,予想に反して,顕著に発現量の変化した遺伝子はほとんどなかった.この結果,および,CHD8の標的となる遺伝子が非常に多いことをふまえ,少数の遺伝子の大きな変化ではなく,それぞれは小さい変動ながらも多数の遺伝子の変化の相乗効果が自閉症スペクトラムの発症に関与すると推測し,遺伝子の発現量の変化を個々の遺伝子ではなく遺伝子セットとして解析するGSEA(gene set enrichment analysis)法により再解析した.その結果,自閉症スペクトラムとの関連が報告されている遺伝子の発現がCHD8ヘテロノックアウトマウスにおいて低下していることが見い出された.さらに,自閉症スペクトラムの患者の脳において発現の低下している遺伝子も同様に,CHD8ヘテロノックアウトマウスにおける発現が低下していた.この結果から,CHD8ヘテロノックアウトマウスの脳における遺伝子の発現パターンは,自閉症スペクトラムの患者における遺伝子の発現パターンと類似していることが示された.発現の低下した遺伝子にはシナプス関連タンパク質やイオンチャネルといった神経の活性にかかわる遺伝子が多く含まれていたことから,CHD8ヘテロノックアウトマウスにおいて神経の機能の低下が自閉症スペクトラムの症状に関与する可能性が示唆された.

4.転写抑制因子RESTの異常な活性化をともなう神経の発達の遅延

 自閉症スペクトラムの発症には胎生の初期から中期にかけての神経の発達が関与すると考えられていることから,胎生14.5日齢のCHD8ヘテロノックアウトマウスの脳において遺伝子の発現量のデータを取得し,発生の初期あるいは中期においてそれぞれ高発現していた遺伝子セットについてGSEA法により解析した.その結果,胎生期のCHD8ヘテロノックアウトマウスの脳における遺伝子の発現パターンは,野生型のマウスと比較して,発生の初期に高発現する遺伝子の発現が優位であった.この結果から,CHD8ヘテロノックアウトマウスにおいては胎生の初期から中期の神経の発達が遅延していることが示唆された.
 CHD8はWnt-βカテニンシグナル伝達系の抑制タンパク質であることから,CHD8のハプロ不全によるWnt-βカテニンシグナル伝達系の活性化が神経の発達の遅延の原因であると推測した.しかし,予想に反して,Wnt-βカテニンシグナル伝達系の活性化はほとんど認められず,非常に軽微な変化が胎生期のごくわずかな期間でのみ観察された.それに代わり,転写抑制因子RESTの標的となる遺伝子の発現がCHD8ヘテロノックアウトマウスにおいてもっとも顕著に低下していた.RESTは神経の分化の制御において重要であり,RESTの活性が低下することにより神経前駆細胞は神経細胞へと分化する.発生の中期において高発現していた遺伝子セットにもRESTの標的となる遺伝子が多く含まれていたことから,RESTの活性化により発生の中期にはたらく遺伝子の発現が抑制された結果,神経の発達に遅延が生じたと考えられた.さらに,RESTの標的となる遺伝子の発現の低下は自閉症スペクトラムの患者の死後脳のデータにもみられたことから,RESTの活性化はヒトの自閉症スペクトラムにも関与することが示唆された.

5.CHD8はRESTの活性を抑制する

 Chd8遺伝子のヘテロ欠損によりRESTが活性化したことから,CHD8はRESTの活性を抑制すると考えられた.胎生14.5日齢の野生型マウスの脳の抽出液を用いた共免疫沈降実験により,CHD8とRESTは物理的に結合することが明らかにされた.さらに,RESTの標的となる遺伝子をCHD8との結合の有無により2群に分け,それぞれにつきGSEA法により解析したところ,CHD8と結合し,かつ,RESTの標的となる遺伝子のみ,CHD8ヘテロノックアウトマウスにおいて発現の低下が観察された.この結果から,CHD8はRESTと結合しその標的となる遺伝子の発現を直接に制御すると考えられた.
 神経の分化においてRESTはタンパク質分解および標的となるゲノム領域への結合の制御により活性が抑制されることが知られている.そこで,CHD8がこれらの抑制の機構を促進する可能性があると考えた.まず,野生型の細胞およびCHD8を欠損した細胞にタンパク質合成阻害剤であるシクロヘキシミドを処理しRESTの安定性を評価した.その結果,CHD8の欠損によりRESTの安定性に変化はみられず,CHD8はRESTの分解には関与しないことが示された.つづいて,野生型のマウスおよびCHD8ヘテロノックアウトマウスの脳を試料としてChIP-seq法によりRESTの結合量を調べたところ,RESTの標的となるゲノム領域への結合量に変化はなかった.これらの結果から,CHD8はRESTの分解あるいはゲノムへの結合のどちらにも関与しておらず,ヒストンの修飾や複合体の形成の阻害など,まったく別の機構によりRESTの活性を制御すると考えられた.

おわりに

 この研究は,自閉症スペクトラムの原因遺伝子の有力な候補として注目されているCHD8遺伝子の変異により自閉症スペクトラムが発症することを直接的に示した,はじめての報告である.さらに,CHD8遺伝子の変異はRESTの異常な活性化をともなう神経の発達の遅延をひき起こし,その結果,自閉症スペクトラムが発症するという仮説が提唱された(図2).CHD8はWnt-βカテニンシグナル伝達系の抑制タンパク質であるため,多くの研究者はWnt-βカテニンシグナル伝達系の活性化が自閉症スペクトラムの発症の原因であると予想していたが,CHD8ヘテロノックアウトマウスにおけるWnt-βカテニンシグナル伝達系の変化は軽微かつ一過性であり,おそらく,神経の発達に大きな影響をおよぼすレベルではないと思われた.一方で,CHD8とRESTの活性化との関連はこの研究における重要な発見のひとつであるが,いまのところ,CHD8によるRESTの抑制機構の詳細は明らかにされておらず,今後の課題となっている.

figure2

 また,CHD8ヘテロノックアウトマウスは,原因遺伝子,遺伝子発現のパターン,行動学的な異常など,ヒトの自閉症スペクトラムの特徴を多方面から再現することにくわえ,独立した2つの系統のマウスにおいて同じ表現型が確認されていることから,非常に信頼性の高い自閉症スペクトラムのモデル動物であるといえよう.モデル動物は研究ツールとしてだけでなく薬剤スクリーニングにも大いに役だつことから,自閉症スペクトラムの治療法の開発にも貢献するものと考えている.さらに,自閉症スペクトラムとの関連が明らかにされたRESTは自閉症スペクトラムの新しい創薬ターゲットになりうる.すでに筆者らは,遺伝学的な手法およびREST阻害剤の投与による治療の実験を進めており,自閉症スペクトラムの治療法への応用について検討している.

文 献

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著者プロフィール

片山 雄太(Yuta Katayama)
略歴:九州大学生体防御医学研究所 学術研究員.
研究テーマ:クロマチンリモデリングタンパク質CHD8の遺伝子変異による自閉症スペクトラムの発症の機構.

西山 正章(Masaaki Nishiyama)
九州大学生体防御医学研究所 助教.

中山 敬一(Keiichi I. Nakayama)
九州大学生体防御医学研究所 教授.
研究室URL:http://www.bioreg.kyushu-u.ac.jp/saibou/index.html

© 2016 片山雄太・西山正章・中山敬一 Licensed under CC 表示 2.1 日本

新奇な体験による記憶の保持の強化の機構

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竹内 倫徳
(英国Edinburgh大学Centre for Cognitive and Neural Systems)
email:竹内倫徳
DOI: 10.7875/first.author.2016.107

Locus coeruleus and dopaminergic consolidation of everyday memory.
Tomonori Takeuchi, Adrian J. Duszkiewicz, Alex Sonneborn, Patrick A. Spooner, Miwako Yamasaki, Masahiko Watanabe, Caroline C. Smith, Guillén Fernández, Karl Deisseroth, Robert W. Greene, Richard G. M. Morris
Nature, 537, 357-362 (2016)

要 約

 ヒトや動物において,日常の記憶は記憶の獲得の直前あるいは直後に何か新奇な体験があるとその保持が強化されることが知られている.これまで,この記憶の保持の強化には海馬のドーパミンが重要であり,腹側被蓋野のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンがかかわると考えられてきた.筆者らは,マウスにおいて日常の記憶を調べる行動試験を用いて新奇な体験による記憶の保持の強化にかかわるニューロンを探索した.その結果,青斑核のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンの発火が新奇な体験に対しとくに感受性の高いこと,青斑核のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンは腹側被蓋野のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンと比べ海馬により多く投射していること,青斑核のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンを光遺伝学的に活性化させると新奇な体験による記憶の保持の強化が模倣されること,新奇な体験による記憶の保持の強化は腹側被蓋野の薬理学的な不活性化に影響されないこと,が明らかにされた.青斑核のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンの光遺伝学的な活性化による記憶の保持の強化および海馬CA1領域におけるシナプス伝達の増強は,海馬におけるドーパミンD1受容体の阻害に感受性を示したが,アドレナリン受容体の阻害には影響されなかった.したがって,ノルアドレナリン作動性の青斑核のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンは,海馬におけるドーパミンの共放出を介して新奇な体験による記憶の保持の強化を担うことが示唆された.

はじめに

 “晩ごはんにどこで何を食べたか”などのささいな日常の記憶は海馬において無意識に形成され,その多くは1日のあいだに忘れられることが知られている.一方で,“晩ごはんに行く途中に1万円札を拾った”など新奇で思いがけない出来事を直前あるいは直後にともなう場合,ささいな日常の記憶が長期にわたり保持される現象が知られている.その脳における機構を調べるため,近年,新奇の環境の探索をともなうことにより記憶の固定化が促進され,ささいな記憶が長期にわたり保持される動物をモデルとした行動試験が開発された.薬理学的な阻害実験より,この新奇な体験による記憶の保持の強化には海馬におけるドーパミンD1受容体の活性化が必要であることが明らかにされた1).そして,腹側被蓋野のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンから海馬への投射がこのドーパミンに依存的な新奇の体験による記憶の保持の強化に関与するとの仮説が提唱された2).一方,海馬の急性切片を用いた電気生理学的な実験により,ノルアドレナリン作動性の青斑核のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンが海馬においてドーパミンを放出する可能性が示唆された3)
 筆者らは,マウスにおいて日常の記憶を調べる行動試験として日常記憶課題を開発した.そして,腹側被蓋野のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンおよび青斑核のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンに着目し,日常記憶課題と薬理学的な手法,電気生理学的な手法,解剖学的な手法,光遺伝学的な手法を統合的に適応することにより,脳において新奇性による記憶の保持の強化を担う部位の同定を試みた.

1.新奇な体験による記憶の保持の強化

 マウスにおいて新奇な体験が日常の記憶を向上させる効果を調べる日常記憶課題を確立した4).この行動試験の大きな特色として,すべてのマウス(被験動物)がすべての実験条件を経験する被験動物内デザインの適応が可能で,動物実験において問題になる個体間のバラつきを最小限にすることが可能になった.日常記憶課題においては,イベントアリーナ装置とよばれるオープンフィールドにおいて,マウスに報酬の餌が底に隠されている砂つぼの場所を記憶させる(図1a).報酬を含む砂つぼの場所は毎日変わるため,マウスはその日その日の特定の砂つぼの場所を記憶する必要がある.報酬量の少ない“弱い訓練”を行ったマウスは,24時間のちには報酬の砂つぼの場所を忘れていた.一方,弱い訓練の30分のちに,新奇な素材を床に敷きつめた新奇体験ボックスを5分間にわたり探索させると(図1b),報酬の砂つぼの場所の記憶は24時間のちにも保持されていた(図1c).背側の海馬に受容体の阻害薬を投与する薬理学的な阻害実験において,この新奇性による記憶の保持の強化は海馬におけるドーパミンD1受容体の阻害に対し感受性を示したが,βアドレナリン受容体の阻害には影響されなかった.これらの結果により,マウスの新奇な体験による記憶の保持の強化には海馬のドーパミンD1受容体の活性化が重要であるという,ラットを用いた先行研究と同様の結果が得られた1)

figure1

2.新奇な体験による青斑核における神経活動の上昇

 腹側被蓋野のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンあるいは青斑核のチロシン水酸化酵素の陽性ニューロンにおける神経活動が新奇な体験により活性化するかどうか調べた.チロシン水酸化酵素陽性ニューロンを光遺伝学的に同定するため,チロシン水酸化酵素陽性ニューロンにおいてDNA組換え酵素Creを特異的に発現するトランスジェニックマウスの腹側被蓋野あるいは青斑核に,Creに依存的なウイルスベクターを感染させチロシン水酸化酵素陽性ニューロンにおいて光感受性イオンチャネルであるチャネルロドプシンを特異的に発現させた.脳に埋め込んだ光ファイバーを介してチャネルロドプシン陽性ニューロンに光を照射すると,ニューロンの外部から内部へと陽イオンが流入しニューロンは活性化される.多点電極の同時記録によりチャネルロドプシン陽性ニューロンすなわちチロシン水酸化酵素陽性ニューロンが同定される.
 同定された腹側被蓋野のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンあるいは青斑核のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンが,なじみのある環境あるいは新奇の環境をそれぞれ5分間にわたり体験しているあいだどのような発火パターンを示すかを調べた.その結果,新奇な環境を体験しているあいだ腹側被蓋野のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンおよび青斑核のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンの神経活動は上昇した.ホームケージにおいて記録した神経活動を用いて標準化し比較したところ,新奇な体験による神経活動の上昇の度合いは青斑核のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンのほうが腹側被蓋野のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンよりも大きかった.新奇な体験に対する青斑核のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンの応答は時間の経過とともに減少する馴化がみられた.以上のことから,青斑核のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンの発火は新奇な体験に対しとくに感受性の高いことがわかった.

3.青斑核からの海馬への広範な投射

 腹側被蓋野のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンあるいは青斑核のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンから背側の海馬への投射について,特定のニューロンに限定した順行性標識法を用いて検討した.チロシン水酸化酵素陽性ニューロンの軸索を特異的に標識するため,チロシン水酸化酵素陽性ニューロンにおいて蛍光タンパク質eYFPを特異的に発現させた.さらに,海馬に投射する腹側被蓋野のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンあるいは青斑核のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンに由来する軸索を抗GFP抗体および抗チロシン水酸化酵素抗体による蛍光二重免疫染色法により検出した.GFP-チロシン水酸化酵素二重陽性ニューロンの軸索を定量し,海馬の全体に入力するチロシン水酸化酵素陽性ニューロンの軸索との割合を算出した.その結果,海馬の全体に入力するチロシン水酸化酵素陽性ニューロンの軸索の約97%は青斑核のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンに由来し,残りの数%が腹側被蓋野のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンに由来した.
 青斑核のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンが腹側被蓋野のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンと比べより多く海馬に投射することは,逆行性の蛍光トレーサーを海馬に投与する逆行性標識法においても確認された.

4.青斑核の光遺伝学的な活性化による記憶の保持の強化

 青斑核のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンが新奇な体験による記憶の保持の強化にかかわるのかどうかを検証するため,青斑核のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンを光遺伝学的に活性化させることにより新奇な体験による記憶の増強の効果が模倣されるかどうか調べた.チロシン水酸化酵素陽性ニューロンにおいてチャネルロドプシンを特異的に発現させ,青斑核および腹側被蓋野に光ファイバー,背側の海馬に薬剤の注入のためのカニューレを埋め込んだ.日常記憶課題を用いて弱い訓練を行い,その30分のちに,青斑核のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンを5分間にわたり光遺伝学的に活性化した.その結果,ふだんは数時間で忘れてしまう報酬を含む砂つぼの場所の記憶が24時間のちにも保持されていた.弱い訓練ののち青斑核のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンを活性化しない場合には24時間のちには報酬を含む砂つぼの場所は忘れられていた.一方,チャネルロドプシンを発現させた同じマウスを用いて,弱い訓練ののち腹側被蓋野のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンを光遺伝学的に活性化した際には,新奇な体験による記憶の保持の強化は模倣されなかった.
 ここで,ノルアドレナリン作動性の青斑核のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンの光遺伝学的な活性化により記憶の保持が強化されたが,その一方で,新奇な体験による記憶の増強の効果においては海馬におけるドーパミンD1受容体の活性化が重要である,というパラドックスに直面した.この問題を解決するため,日常記憶課題において弱い訓練ののち背側の海馬に受容体の阻害薬を投与し,そののち,青斑核のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンを光遺伝学的に活性化して記憶の保持の強化に対する影響について調べた.その結果,青斑核のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンの活性化による記憶の保持の強化は,海馬におけるドーパミンD1受容体の阻害に対し感受性を示したが,βアドレナリン受容体の阻害による影響はなかった.すなわち,青斑核のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンから海馬へのドーパミンの出力が記憶の保持の強化に関与することが強く示唆された.

5.青斑核の光遺伝学的な活性化によるシナプス伝達の増強

 青斑核のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンの光遺伝学的な活性化による記憶の保持の強化の機構について調べるため,海馬の急性切片を用いて電気生理学的な実験を行った.海馬CA1野の錐体細胞の細胞体からパッチクランプ記録を行い,青斑核のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンの軸索の光遺伝学的な活性化によるCA3-CA1シナプスの興奮性シナプス後電流への影響について調べた.海馬に投射する青斑核のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンの軸索を活性化することにより,CA3-CA1シナプスの興奮性シナプス後電流は徐々に増大した.この増大はαアドレナリン受容体あるいはβアドレナリン受容体の阻害による影響はまったくみられなかった.一方,ドーパミンD1受容体の阻害剤の存在下においては,青斑核に由来する軸索の活性化によるCA3-CA1シナプスの興奮性シナプス後電流の増大は消失した.
 青斑核のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンの軸索の光遺伝学的な活性化によるCA3-CA1シナプスの長期増強に対する影響について調べた.長期増強の指標として,海馬CA1野の錐体細胞のフィールド興奮性シナプス後電位の傾斜を測定した.Schaffer側枝へのθバースト刺激により長期増強が誘導されたが,この長期増強は海馬に投射する青斑核のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンの軸索を活性化することにより増大した.しかし,青斑核に由来する軸索の活性化による長期増強の増大は,海馬におけるドーパミンD1受容体の阻害により消失した.以上の結果より,青斑核のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンの軸索の活性化を介したCA3-CA1シナプス伝達の増強は,青斑核のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンの軸索からのドーパミンの共放出を介した機構である可能性が強く示唆された.

6.新奇な体験による記憶の増強の効果は腹側被蓋野の不活性化に影響されない

 新奇な体験の最中に青斑核のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンを不活性化することにより新奇な体験による記憶の保持の強化が消失するかどうか検討した.光遺伝学的な不活性化は適さないと判断されたことから,薬理学的な手法を用いて青斑核のニューロンを不活性化した.日常記憶課題を用いて弱い訓練を行い,新奇な体験の20分まえにα2アドレナリン受容体の作用薬であるクロニジンを腹腔内投与した.クロニジンの腹腔内投与は,青斑核のニューロンの神経活動を抑制するが5),腹側被蓋野のニューロンの神経活動には影響しないこと6) が報告されている.その結果,新奇な体験による記憶の増強の効果が消失した.
 新奇な体験の最中に腹側被蓋野のニューロンを不活性化することにより,新奇な体験による記憶の増強の効果はどのように影響されるか検討した.日常記憶課題を用いて弱い訓練を行い,新奇な体験の直前に局所の麻酔薬であるリドカインを腹側被蓋野に注入して不活性化した.予想どおり,新奇な体験の最中の腹側被蓋野のニューロンの不活性化は,新奇な体験による記憶の保持の強化に影響しなかった.以上の結果から,新奇な体験による記憶の保持の強化には,新奇な体験の際の青斑核のニューロンの神経活動が必要であることが強く示唆された.

おわりに

 今回,筆者らは,脳において新奇な体験による記憶の保持の強化を担う部位の同定を試み,青斑核のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンから海馬へのドーパミンの出力が新奇な体験による記憶の保持の強化に関与することを強く示唆する結果が得られた.その主要な意義のひとつは,青斑核のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンから海馬への入力が新奇な体験の情報を伝達しているという点である.このことから,海馬-腹側被蓋野ループモデル2) という有力な仮説とは異なる,新奇な体験の情報を伝達する経路の存在が示唆される(図2a).もうひとつは,青斑核のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンの出力としてドーパミンが重要であるという点である.このことから,青斑核のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンがノルアドレナリンを放出して神経活動を修飾するという教科書的な基本概念の修正が提案される(図2b).しかしながら,青斑核のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンがドーパミンの出力を介して海馬に新奇な体験の情報を伝達し記憶の保持の強化に関与することについての検証はまだ十分ではなく,この仮説が広く認知されるためにはさらなる実験が必要である.

figure2

 日常の記憶の保持の強化は新奇な体験のみならず,報酬量の増加によってもひき起こされる.新奇な体験と報酬の量や予測の変化はまったく違う情報であり,異なる神経修飾の経路が使われている可能性が考えられる.これまでの研究により,黒質緻密部や腹側被蓋野のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンは報酬にもとづく学習や動機づけなどに重要な役割をはたすと考えられている7).最近,海馬に投射する腹側被蓋野のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンの軸索の光遺伝学的な活性化によりCA3-CA1シナプスの伝達が双方向性に修飾されることが報告された8).しかしながら,筆者らの日常記憶課題を用いた実験においては,弱い訓練の30分のちにおける腹側被蓋野のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンの光遺伝学的な活性化は24時間のちの記憶の保持の強化を示さなかった.一方で,別の研究グループにより,空間学習の獲得の最中に海馬に投射する腹側被蓋野のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンの軸索を光遺伝学的に活性化することにより,1時間のちの記憶の保持が強化されることが示されている9).これらの結果から,記憶の獲得と腹側被蓋野のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンの活性化のタイミングが,そのほかの強化学習と同様に,腹側被蓋野を介したドーパミンに依存的な記憶の保持の強化の重要な要素である可能性が示唆された.
 新奇な体験とは,ある行動の最中に報酬とは無関係な予期しない体験をすることである.今回の結果から,新奇な体験は青斑核のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンを活性化し,海馬へのドーパミンの出力を介して可塑性に関連するタンパク質の発現を誘導して,記憶の固定化を促進することにより記憶の保持を強化すると考えられる.多くの領域からの入力をうけ,非常に広範な領域に分散的に投射するノルアドレナリン作動性の青斑核のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンは10),新奇性,覚醒と睡眠,注意,ストレスなどに関与すると考えられてきた.青斑核のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンが記憶の保持の強化を発揮する時間枠は,腹側被蓋野のチロシン水酸化酵素陽性ニューロンと比較して精度が低く,記憶の固定化の神経機構を説明する“シナプスタグ仮説”11,12) に非常によくあてはまる.今回の筆者らの研究により,われわれの日常の記憶が直前あるいは直後の新奇な体験により修飾され,その保持が強化される神経機構の一端が明らかにされた.今後,この分子基盤を明らかにすることをつうじて,日常の記憶に障害がみられる健忘症を予防または改善する新たな創薬への貢献が期待される.

文 献

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著者プロフィール

竹内 倫徳(Tomonori Takeuchi)
略歴:2000年 東京大学大学院医学系研究科博士後期課程 修了,同年 同 助手を経て,2008年より英国Edinburgh大学 博士後研究員.
研究テーマ:新奇性および知識に依存した迅速な学習の神経機構および分子機構.

© 2016 竹内 倫徳 Licensed under CC 表示 2.1 日本

マウスにおいて多能性幹細胞から卵母細胞を再構築する培養系の確立

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日下部央里絵・林 克彦
(九州大学大学院医学研究院 ヒトゲノム幹細胞医学分野)
email:日下部央里絵林 克彦
DOI: 10.7875/first.author.2016.110

Reconstitution in vitro of the entire cycle of the mouse female germ line.
Orie Hikabe, Nobuhiko Hamazaki, Go Nagamatsu, Yayoi Obata, Yuji Hirao, Norio Hamada, So Shimamoto, Takuya Imamura, Kinichi Nakashima, Mitinori Saitou, Katsuhiko Hayashi
Nature, 539, 299-303 (2016)

要 約

 雌の生殖系列は全能性を賦与する能力をもつ卵へと分化するため独自の形成過程をたどるが,その機構には不明な点が多い.多能性幹細胞を用い卵の形成過程を培養下において再現することは,この機構にせまる有用なツールを提供するほか,体外における培養による卵の供給源ともなり,生殖生物学や再生医療の発展において重要な意義をもつ.今回,筆者らは,マウスのES細胞およびiPS細胞から培養下において機能的な卵を作出する培養系を構築した.この培養系により得られた卵は受精により正常に発生して個体になり,得られた個体は妊孕性をもつ成体になった.また,ES細胞に由来する卵を受精させて培養した胚盤胞からふたたびES細胞を樹立し,このES細胞から次世代の卵を分化させた.これにより,雌の体内において起こる生殖細胞系列の分化の過程を培養下においてすべて再構築することが可能になった.今後,この培養系により卵の形成機構の解明が進むと同時に,さまざまな種への応用への礎となることが期待される.

はじめに

 生殖生物学において,配偶子の形成を培養下において再現することは大きな意義をもつ.とくに,多能性幹細胞を起点とした機能的な卵の形成過程の再構築は長く研究の対象であった1).マウスにおける卵の起源は,胎生6.5日目ごろに生じる始原生殖細胞である2).そののち始原生殖細胞は生殖巣へと移動し,雌においては減数分裂期に入る.卵巣において未熟な卵母細胞は減数分裂の前期で停止した状態でとどまり,個体の性成熟とともに一部の卵母細胞が成熟卵へと成長する.以前に,筆者らは,この過程を再現するため多能性幹細胞から始原生殖細胞様細胞を分化させ,生殖巣の体細胞とともに雌の体内に移植して機能的な卵を得た3,4).しかし,この実験系において体外における培養により作製されたのは始原生殖細胞であり,のちの卵の形成過程の大部分は体内において進行していた.そこで,マウスの多能性幹細胞を用い,卵の形成のすべての過程を培養において再現することをめざした.

1.マウスのES細胞から卵母細胞を分化させる培養系を構築した

 卵の形成過程は長時間にわたることから,これを再現するにあたり,培養系をin vitro分化期間,in vitro成長期間,in vitro成熟期間の3つに分割し,それぞれの培養期間において,2次卵胞構造,卵核胞期卵,第2減数分裂中期卵を得るための培養系を開発した.起点となる雌のES細胞としては,始原生殖細胞および卵母細胞への分化をモニターできるよう,それぞれのマーカーをもつBVSCH18細胞を用いた5).BVSCH18細胞から始原生殖細胞様細胞を分化させたのち,雌性生殖巣体細胞との凝集塊からなる再構成卵巣を形成させ,コラーゲンをコートした培養膜においた.in vitro分化期間においては,胎仔の卵巣を用いた予備実験の結果をもとに,前半の4日間をaMEM,残りの17日間をStemPro34を基礎とした培地で培養した.また,先行研究を参考に,in vitro分化期間の開始7日目から10日目まで,卵胞構造の形成を促進するためエストロゲン阻害剤ICI 182780 6) を添加した.これらの結果,多くの卵母細胞の分化が認められた.再構成卵巣における生殖細胞の継時的な変化を免疫染色により観察したところ,in vitro分化期間の開始5日目から始原生殖細胞様細胞のクラスターが形成され,5日目~9日目には減数分裂の進行とともにそれらが断片化し,そののち約11日目には卵胞構造が観察された.これらの分化の過程は,形態的および時系列的に胚における卵母細胞の分化の様式をおおむね踏襲していた.21日目の卵胞においては顆粒膜細胞の機能的なマーカー遺伝子であるFoxl2遺伝子の発現が認められ,これらが卵胞として機能していることが示唆された.減数分裂の正確性は配偶子の質に直結するが,この培養系により得られた卵母細胞において相同染色体の不対合が頻繁に起こった.この染色体の不対合の割合は生体の卵巣を用いた器官培養においても生体内と比べ高くなる傾向にあるため,原因の一部は培養条件にあると考えられた.染色体の不対合をもつ卵母細胞がそののちどのように分化するかは不明であるが,in vitro分化期間の開始から3週間のちには多くの2次卵胞が分化した.
 卵胞の発達をともなう卵母細胞の成長はゴナドトロピンに依存して制御されることが知られているが,なかでも卵胞刺激ホルモンは顆粒膜細胞の増殖および成熟に中心的な役割をはたす.このことから,つぎのin vitro成長期間においては培地に卵胞刺激ホルモンを添加した.しかしながら,再構成卵巣のなかで卵胞が密集した状態のまま培養を継続しても卵胞の発達は進行しなかった.この理由として,再構成卵巣の中心部に卵胞刺激ホルモンのシグナルが十分にとどかないことや,卵胞が成長するためのスペースが足りないことが考えられたので,再構成卵巣の個々の卵胞を単離した.その結果,顆粒膜細胞は増殖をはじめ卵丘卵母細胞複合体を形成した.in vitro成長期間において11日間にわたり培養することにより,十分に成長した卵核胞期卵をもつ卵丘卵母細胞複合体がひとつの再構成卵巣あたり55個ほど形成された.
 これらの卵核胞期卵はin vitro成熟期間における培養により約29%が第2減数分裂中期卵へと成熟した.こうして得られた第2減数分裂中期卵の直径は卵巣から採取したものと同等であり,インプリント遺伝子メチル化可変領域のDNAメチル化の状態も同等であった.一方,この培養系により得られた第2減数分裂中期卵の染色体の異数性の頻度は,生体内の卵と比べやや上昇する傾向にあった.
 これらの実験により,卵母細胞における欠陥の頻度はやや上昇したものの,構築された培養系によりES細胞から多数の第2減数分裂中期卵が産生された(図1).

figure1

2.ES細胞に由来する卵母細胞系列における遺伝子の発現は生体内のものと同様である

 培養系における卵の形成について評価するため,卵母細胞系列における遺伝子の発現動態をRNA-seq法により解析した.培養系に由来するものとしてはES細胞,始原生殖細胞様細胞(再構成卵巣の作製まえ),再構成卵巣を作製したのち3日目の始原生殖細胞様細胞,2次卵胞の卵母細胞,第2減数分裂中期卵を用い,対照として,胎生12.5日目の雌の始原生殖細胞,生後8日齢から採取した2次卵胞の卵母細胞,成体から採取した第2減数分裂中期卵を用いた.RNA-seq法により得られたデータを主成分分析したところ,培養系において得られた卵母細胞系列の分化の過程における遺伝子発現の変化は生体内の遺伝子の発現をほぼ踏襲することが示唆された.また,卵母細胞においてその成長の過程でLTRトランスポゾンの一部の発現が一過性に上昇することが知られているが7,8),培養系の卵母細胞系列においても同様の上昇が認められた.これらの結果から,卵母細胞に特異的な遺伝子発現が培養下において忠実に再現されていることが示唆された.一方で,遺伝子発現はまったく同一というわけではなく,とくに第2減数分裂中期卵においては,ES細胞に由来するものと生体内のものとのあいだに4倍以上の発現量の差をもつ遺伝子が424個も認められた.ES細胞に由来する第2減数分裂中期卵において高発現していた遺伝子は,生体内においては卵母細胞の成長のあいだに発現が低下する遺伝子であり,ES細胞に由来する第2減数分裂中期卵において発現の低かった遺伝子は,生体内においては卵母細胞のあいだに発現が上昇する遺伝子であった.このことから,in vitro成長期間およびin vitro成熟期間における卵母細胞の成長が,一部もしくはすべての卵母細胞において損なわれている可能性が示唆された.遺伝子オントロジー解析の結果,ES細胞に由来する第2減数分裂中期卵において高発現している遺伝子はミトコンドリアの機能にかかわるものであった.これらの遺伝子の誤制御は培養系において得られた第2減数分裂中期卵のポテンシャルの違いを示唆するのかもしれない.
 この培養系により得られた卵母細胞系列においてもっとも重要なのは,それらが個体までの発生能を維持しているかどうかである.そこで,ES細胞から培養系において得た第2減数分裂中期卵の発生能について調べるため,野生型の精子を用いて体外受精を行った.その結果,ES細胞に由来する第2減数分裂中期卵のうち約半数は前核が認められる受精卵になり,また,その約半数は2細胞期胚へと分化した.これらを仮親へ移植した結果,3.5%が個体にまで発生した.得られた個体の胎盤の重量は野生型のマウスと比較するとやや重い傾向がみられたが,個体そのものは野生型のマウスと同等に成長した.さらに,これらの個体は雌雄ともに妊孕性をもち,明らかな異常のみられることなく,少なくとも11カ月は生存した.このことから,ES細胞を起点として体外における培養により作製された卵は発生能をもつことが示された.その一方で,移植した2細胞期胚が産仔まで発生する割合は,通常の体外受精により得られる2細胞期胚の発生率より低いことも明らかにされた.胚の発生の停止は着床前胚から妊娠後期まで多様に観察されたことから,発生の異常の原因は多岐にわたると考えられた.その原因の一部は,染色体の異数性や異常な遺伝子発現なのかもしれない.

3.再現性の検討およびiPS細胞からの卵の分化

 この培養系の再現性について確かめるため,これまでとは異なるES細胞株であるBVSC H14細胞,胎仔線維芽細胞から樹立した2株のiPS細胞,10週齢のマウスの尻尾の線維芽細胞から樹立した2株のiPS細胞,計5株を用いて卵を分化させた.BVSC H14細胞はさきに用いたBVSCH18細胞とほぼ同様の卵の分化が認められ,これらの卵は発生能をもっていた.胎仔線維芽細胞に由来するiPS細胞についても同様に卵の分化が認められた.これらの卵も発生能をもっていたが,移植した2細胞期胚のうち個体にまで発生したものは0.3%とES細胞に比べ低かった.これらの実験により得られた新生仔は,早期に死ぬことなくすべての個体が成体にまで成長した.成体の尻尾の線維芽細胞に由来するiPS細胞からも同様に発生能をもつ卵が得られた.これらの卵を野生型の精子と受精させて発生した2細胞期胚を仮親に移植したところ,0.4~0.9%の割合で産仔が得られた.得られた8匹の新生仔のうち,2匹は出生日に里親に食殺されたものの,それ以外の6匹は成体にまで成長した.これらの個体に腫瘍の形成などの異常は認められなかった.また,妊孕性をもつことも確認された.これらのことから,構築された体外における培養は多くの多能性細胞株に対し再現よく適用が可能なことが示された.

4.体外における培養による第2世代の卵の作製

 体外において分化させたES細胞であるBVSC H18細胞に由来する第2減数分裂中期卵を受精させて胚盤胞まで培養し,それらの胚盤胞からふたたびES細胞を樹立した.このES細胞を野生型のマウスの胚盤胞にもどしたところ,キメラ胎仔の始原生殖細胞を含め複数の組織に寄与した.また,このES細胞から体外における培養により第2世代目の卵を作製した.これらはもとのES細胞から数えて2サイクル目の減数分裂に入ったことになる.以上の結果から,培養下において雌性生殖細胞系列の世代サイクルが再構成されたことが示された.

おわりに

 今回,筆者らは,ES細胞およびiPS細胞から個体への発生能をもつ卵母細胞を培養下において作出する培養系を構築した(図1).この培養系の制約のひとつは,卵胞構造を再構築するにあたり胎仔から生殖巣体細胞を採取する必要があることである.今後,ヒトの始原生殖細胞様細胞9,10) を用いた配偶子の形成を進める際に,ヒトでは入手の困難な生殖巣体細胞をどのように代替するかは重要な課題である.この問題を克服するひとつの可能性として,多能性幹細胞から体細胞を分化させることが考えられる.今回,構築された培養系は,卵の形成機構を明らかにするための重要なプラットフォームとなりうる.また,ほかの種における類似の培養系を発展させるための糸口ともなるであろう.

文 献

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著者プロフィール

日下部 央里絵(Orie Hikabe)
略歴:九州大学大学院医学系学府博士課程 在学中.
研究テーマ:生殖細胞の発生.
関心事:霊長類における生殖細胞の形成機構.

林 克彦(Katsuhiko Hayashi)
九州大学大学院医学研究院 教授.

© 2016 日下部央里絵・林 克彦 Licensed under CC 表示 2.1 日本


低酸素の環境による成体のマウスにおける心臓の再生

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中田祐二・Hesham A. Sadek
(米国Texas大学Southwestern Medical Center,Department of Internal Medicine)
email:中田祐二
DOI: 10.7875/first.author.2016.121

Hypoxia induces heart regeneration in adult mice.
Yuji Nakada, Diana C. Canseco, SuWannee Thet, Salim Abdisalaam, Aroumougame Asaithamby, Celio X Santos, Ajay Shah, Hua Zhang, James E. Faber, Michael T. Kinter, Luke I. Szweda, Chao Xing, Ralph Deberardinis, Orhan Oz, Zhigang Lu, Cheng Cheng Zhang, Wataru Kimura, Hesham A. Sadek
Nature, DOI: 10.1038/nature20173

要 約

 哺乳類の成体において心筋細胞は増殖能を失っており,心筋細胞の欠損はただちに重篤な心筋症をひき起こす.近年,哺乳類の心臓は終末分化をとげたわけではないことがわかっており,たとえば,マウスの新生仔の心筋細胞は増殖能および再生能をもつ.また,これらの心筋細胞は既存の心筋細胞から増殖し,ミトコンドリアに由来する活性酸素種によるDNAの損傷により増殖が抑制される.筆者らは,低酸素の環境における呼吸の阻害が酸化的なDNAの損傷を軽減し,さらには,心筋細胞の増殖を誘導するのではないかと考え,成体のマウスを低酸素の環境においた.吸入する酸素の濃度を1日に1%ずつ段階的に低下させ,酸素の濃度が7%に達した時点でこの状態を2週間にわたり維持した.その結果,ミトコンドリアにおける代謝がいちじるしく阻害され,活性酸素種の発生の低下やDNAの損傷の軽減がみられ,さらには,心筋細胞が増殖した.心筋損傷モデルマウスにおいても心筋細胞の増殖がみられ,また,損傷した領域の線維化の軽減,毛細血管の拡張,冠側副血行の発達,さらには,心機能の改善までがみられた.これら新しく増殖した心筋細胞の細胞系譜を追跡したところ,新生仔と同様に,幹細胞などに由来するのではなく既存の心筋細胞から増殖していることがわかった.以上のことから,内在性の心筋細胞の再生能は低酸素の環境におかれることにより活性化されることがわかった.この研究により,低酸素療法が心筋症の治療に有効になる可能性が示された.

はじめに

 ゼブラフィッシュなど一部の真骨魚類や有尾両生類,さらに,哺乳類の新生仔などは心臓のさまざまな損傷から既存の心筋細胞を介して新たな心筋細胞が増殖する1,2).一方で,哺乳類の成体は心筋細胞の増殖能を失っている.つまり,生後まもなく哺乳類の大多数の心筋細胞は細胞周期を停止し,哺乳類の成体の心筋細胞にとり細胞周期への復帰が心筋細胞の再生において重要である.また,ミトコンドリアに由来する活性酸素種は心筋細胞のおもな酸化的なストレス源であり3),2014年,筆者らは,マウスは子宮における低酸素の環境から生後の酸化的な環境にさらされるとミトコンドリアを介した酸化的なDNAの損傷により心筋細胞の細胞周期が停止することを報告した4)新着論文レビュー でも掲載).さらには,筆者らの最近の研究により,増殖能をもつ心筋細胞は低酸素の環境に局在し活性酸素種によるDNAの損傷から守られていることがわかった5)新着論文レビュー でも掲載).これらのことから,ミトコンドリアにおける酸素に依存的な代謝が心筋細胞の細胞周期の停止のおもな原因であることが示唆された.しかしながら,これまで,環境における酸素の濃度が心筋細胞の細胞周期の停止にどう影響をおよぼすかは不明であった.そこで,筆者らは,吸入する酸素の濃度を段階的に低下させることにより,低酸素の環境におけるミトコンドリアに由来する活性酸素種の軽減が酸化的なDNAの損傷を軽減し,ひいては,心筋細胞の増殖を誘導するのではないかと考えた.

1.極限の低酸素の環境におけるミトコンドリアでの代謝および酸化的なDNAの損傷の軽減

 極限の低酸素の環境におけるマウスの心筋細胞のミトコンドリアでの代謝について調べるため低酸素チャンバーを用いた.低酸素ショックをさけるため,1日に1%ずつ吸入する酸素の濃度を低下させ,酸素の濃度が7%に達したところでこれを2週間にわたり維持した6)図1).血中の酸素の濃度を測定したところ,低酸素の環境においたマウスは通常の環境のマウスより低い値を示した.Hif-1αのODDドメインとタモキシフェンに依存的に活性化するリコンビナーゼCreERT2との融合タンパク質を普遍的な遺伝子プロモーターであるCAGプロモーターの制御のもとで発現するトランスジェニックマウスと,Creに依存して蛍光タンパク質tdTomatoを不可逆的に発現するマウスとを交配したマウスを,低酸素の環境において2日間にわたり維持したところtdTomato陽性の心筋細胞の増加がみられ,これは低酸素の環境によるHif1αのODDドメインの安定化によるものと思われた5).ミトコンドリアの構造を電子顕微鏡により観察したところ低酸素の環境においたマウスでは心筋細胞のクリステの密度が低下しており,また,ミトコンドリアDNAのコピー数が減少していた.また,プロテオーム解析において,低酸素の環境においたマウスの心臓ではクエン酸回路や脂肪酸β酸化にかかわる酵素が顕著に減少していた.さらに,メタボローム解析でも同様に,クエン酸回路にかかわる代謝産物の減少がみられた.くわえて,電子伝達系の活性が低下し,活性酸素の測定においても活性酸素種や過酸化水素のいちじるしい低下がみられた.また,DNAの損傷が軽減していることもわかった.

figure1

 心筋細胞の増殖について調べたところ,低酸素の環境におかれたマウスにおいて心臓/体重比のいちじるしい上昇がみられた.これは右心室および左心室の両方で上昇しており,さらに,組織学的には右心壁および左心壁とも厚さが増加していた.心筋細胞の大きさを調べたところ右心壁の心筋細胞に肥大がみられ,これは,低酸素の環境により肺動脈の圧力が増加したためと思われた7).左心壁の心筋細胞はむしろ小さくなっており,これにより,心臓/体重比の上昇は心臓の肥大によるものではないことがわかった.くわえて,RNA-seq法により得られたデータも心臓の肥大にかかわる遺伝子の発現の低下を示した.心筋細胞を全心臓から単離し計数したところ低酸素の環境におかれたマウスの心筋細胞の数は約2倍に増加していた.これには,単核の心筋細胞の増加および2核の心筋細胞の低下があいともなっていた.また,心筋細胞の核へのBrdUの取り込みについて調べたところ,低酸素の環境におかれたマウスにおいて約8倍も増加しており,さらには,有糸分裂のマーカーであるpH3に陽性および細胞質分裂のマーカーであるAurora Bに陽性の心筋細胞が増加していた.さらに,RNA-seq法により心筋細胞における代謝や細胞周期にかかわる遺伝子の発現の上昇が確認された.低酸素の環境におかれたマウスにおいて細胞周期を維持する心筋細胞が約3.6倍も増加し,また,それらの細胞はpH3陽性を示した.これは,細胞周期を維持する心筋細胞が増殖していることを意味した.また,新規に増殖した心筋細胞はもともと増殖能をもっていた心筋細胞だけに由来するわけではないこともわかった.活性酸素の発生源である化合物ジクワットを低酸素の環境におかれたマウスに導入したところ,心筋細胞における活性酸素種によるDNAの損傷がいちじしく増大し,さらには,低酸素の環境において誘導される心筋細胞の増殖の活性がいちじるしく阻害された.これらのことにより,ミトコンドリアに由来する活性酸素種による酸化的なDNAの損傷が心筋細胞の増殖に深く影響していることがわかった.

2.極限の低酸素の環境における心筋細胞の増殖および再生

 極限の低酸素の環境における心筋細胞の増殖の誘導が心筋の損傷にどのように影響をおよぼすかについて調べた.左前下行枝冠動脈の結紮により心筋梗塞を誘導する心筋損傷モデルマウスを用い,吸入する酸素の濃度を1日に1%ずつ低下させ,酸素の濃度が7%に達したところでこれを2週間にわたり維持したのち,吸入する酸素の濃度を1日に2%ずつ上昇させ,通常の環境における酸素の濃度までもどした(図1).その結果,低酸素の環境におかれたマウスの心臓/体重比は上昇し,組織学的な解析により心筋の損傷が軽減していることがわかった.また,心エコー検査によっても心機能の回復がみられた.心筋細胞の大きさを測定したところ損傷した部位から離れた領域において小さくなっていた.さらに,BrdUの取り込みの上昇,pH3陽性およびAurora B陽性の心筋細胞が増加した.そして,これらにともない,毛細血管の拡張および冠側副血行の発達が観察された.長期的な効果をみるため,心筋損傷モデルマウスを同様に3週間にわたり低酸素の環境においたところ,2週間をこえたあたりから死亡率の上昇がみられたものの,生存したマウスには心機能の回復がみられた.

3.中程度の低酸素の環境による心筋細胞の増殖および再生の可能性

 ヒトの定住の限界となる高度における酸素の濃度は10%であることから,中程度の低酸素の環境として10%の酸素の濃度とミトコンドリアに特異的な活性酸素の除去剤であるMitoTEMPOとを組み合わせた.その結果,酸素の濃度が7%の場合と同様にpH3陽性の心筋細胞が増加する傾向がみられ,統計的に有意ではなかったものの,中程度の低酸素の環境による治療に有効性のあることが示された.同様に,心筋損傷モデルマウスを用いたところ,酸素の濃度が10%では心機能の回復はみられなかった.

4.新規に増殖した心筋細胞の細胞系譜の追跡

 新規に増殖した心筋細胞の細胞系譜を酸素の濃度が7%の環境においたマウスにおいて2週間にわたり追跡したところ,心筋の損傷した部位と離れた領域においてほとんどの心筋細胞は低酸素の状態にある心筋細胞に由来した.また,低酸素の状態にある心筋細胞に由来しない心筋細胞は0.01%以下であった.これらのことにより,新規に増殖した心筋細胞は幹細胞や前駆細胞などからではなく,既存の心筋細胞に由来することが判明した.

おわりに

 長年にわたり,心筋細胞は細胞周期を永久に停止していると考えられてきた,しかし,近年の研究により,哺乳類の成体の心筋細胞はふたたび細胞周期に復帰できるという考えが支持されるようになってきた4,5,8-11).筆者らの研究により,環境の酸素がミトコンドリアに依存した酸化的なDNAの損傷をひき起こし哺乳類の新生仔や成体において心筋細胞の増殖を制御することが明らかにされた4).しかしながら,これら環境における酸素の濃度の低下が心筋細胞の増殖にどう影響をおよぼすのかはわかってなかった.つまり,酸素の濃度が高いことによるミトコンドリアにおけるエネルギーの変換効率の上昇と心筋細胞の再生能の喪失とのあいだに可逆性があるのかどうかはわかっていなかった.今回の低酸素の環境におかれたマウスの解析により,このトレードオフの関係にある程度の可逆性のあることが示された.
 一般に,心臓における酸素の欠乏は心筋症のおもな起因になっており,心筋細胞の再生のため酸素の濃度を低下させるというのは直感的に相反するように思われる.しかしながら,今回の研究において,吸入する酸素の濃度を徐々に低下させることが成体の心筋細胞におけるミトコンドリアでの代謝や活性酸素の減少につながることが示された.これらはまた,心筋細胞の増殖を誘導するのに十分であり,心筋の損傷からの機能の回復をもたらした.さらに,これらの回復には毛細血管の拡張や冠側副血行の発達がともない,これらはおそらく,心筋の変性の抑制につながり心機能の改善をもたらしたものと思われた.今後の心筋症の治療において,低酸素療法が有効になるかもしれない.

文 献

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著者プロフィール

中田 祐二(Yuji Nakada)
略歴:2000年 大阪大学大学院理学研究科博士課程 修了,2001年 米国Texas大学Southwestern Medical Centerポスドクを経て,現 同 講師.

Hesham A. Sadek
米国Texas大学Southwestern Medical CenterにてAssociate Professor.
研究室URL:http://www.utsouthwestern.edu/labs/sadek/

© 2016 中田祐二・Hesham A. Sadek Licensed under CC 表示 2.1 日本

異質4倍体であるアフリカツメガエルにおけるゲノムの進化

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宇野好宣1・平良眞規2
1名古屋大学大学院生命農学研究科 応用分子生命科学専攻動物遺伝制御学研究室,2東京大学大学院理学系研究科 生物科学専攻生物学講座分子生物学研究室)
email:宇野好宣平良眞規
DOI: 10.7875/first.author.2016.125

Genome evolution in the allotetraploid frog Xenopus laevis.
Adam M. Session, Yoshinobu Uno, Taejoon Kwon, Jarrod A. Chapman, Atsushi Toyoda, Shuji Takahashi, Akimasa Fukui, Akira Hikosaka, Atsushi Suzuki, Mariko Kondo, Simon J. van Heeringen, Ian Quigley, Sven Heinz, Hajime Ogino, Haruki Ochi, Uffe Hellsten, Jessica B. Lyons, Oleg Simakov, Nicholas Putnam, Jonathan Stites, Yoko Kuroki, Toshiaki Tanaka, Tatsuo Michiue, Minoru Watanabe, Ozren Bogdanovic, Ryan Lister, Georgios Georgiou, Sarita S. Paranjpe, Ila van Kruijsbergen, Shengquiang Shu, Joseph Carlson, Tsutomu Kinoshita, Yuko Ohta, Shuuji Mawaribuchi, Jerry Jenkins, Jane Grimwood, Jeremy Schmutz, Therese Mitros, Sahar V. Mozaffari, Yutaka Suzuki, Yoshikazu Haramoto, Takamasa S. Yamamoto, Chiyo Takagi, Rebecca Heald, Kelly Miller, Christian Haudenschild, Jacob Kitzman, Takuya Nakayama, Yumi Izutsu, Jacques Robert, Joshua Fortriede, Kevin Burns, Vaneet Lotay, Kamran Karimi, Yuuri Yasuoka, Darwin S. Dichmann, Martin F. Flajnik, Douglas W. Houston, Jay Shendure, Louis DuPasquier, Peter D. Vize, Aaron M. Zorn, Michihiko Ito, Edward M. Marcotte, John B. Wallingford, Yuzuru Ito, Makoto Asashima, Naoto Ueno, Yoichi Matsuda, Gert Jan C. Veenstra, Asao Fujiyama, Richard M. Harland, Masanori Taira, Daniel S. Rokhsar
Nature, 538, 336-343 (2016)

要 約

 非常に有用なモデル生物として古くから用いられているアフリカツメガエルは,異種交配および全ゲノム重複により,ひとつの生物のなかに異なる2種類のゲノムをもつ異質4倍体と考えられていた.そのため,全ゲノム配列の解読は非常に困難とあきらめられており,主要なモデル生物のなかで唯一,全ゲノム配列が明らかにされていなかった.筆者らは,アフリカツメガエルの全ゲノム配列の解読に挑み,6年をかけてついにその構造を明らかにした.その結果,アフリカツメガエルは約1800万年前に2つの祖先種の異種交配により誕生した異質4倍体種であり,祖先種からうけついだ2つのサブゲノムは,それらのあいだで相互転座など構造異常の起こることなく,それぞれ9本の染色体のセットに分かれて保持されていることが明らかにされた.さらに,一方のサブゲノムにおいては多くの重複遺伝子の欠失,発現量の低下,高頻度な染色体の再配列がみられたことから,サブゲノムごとに独自に進化したことが明らかにされた.

はじめに

 今日,多くの生物種において全ゲノム配列が明らかにされており,得られたゲノム情報を用いた比較ゲノム解析や遺伝子の網羅的な機能解析などにより多くの知見がもたらされている.これまで,脊椎動物の全ゲノム配列は,最初にヒトにおいて明らかにされたのち,マウス,ニワトリ,ゼブラフィッシュ,メダカなど世界的に多くの研究者に用いられている主要なモデル生物を中心として明らかにされてきた.アフリカツメガエル(Xenopus laevis)は,1950年代から現在にいたるまで,発生学,細胞生物学,生化学などにおいて有用なモデル生物として多くの研究者に利用されてきた(図1).しかしながら,研究の歴史が古い主要なモデル生物としては唯一,全ゲノム配列が明らかにされていなかった.

figure1

 多くの生物種は父方および母方からそれぞれうけついだ2つの同一のゲノムをもつ2倍体であるが,アフリカツメガエルは2つの2倍体の祖先種の異種交配および全ゲノム重複により生じた,異なる2つのサブゲノムをもつ異質4倍体種と考えられていた1).この異種交配を起こした2倍体の祖先種はすでに絶滅しているので,アフリカツメガエルのゲノムの比較の対象としては,約4800万年前に分岐した近縁種である2倍体のネッタイツメガエルがある(図1).2010年,両生類としてはじめてネッタイツメガエルの全ゲノム配列が明らかにされたが2),異質4倍体のアフリカツメガエルは相同性の高い2つの祖先種に由来するサブゲノムをもつことから,全ゲノム配列の解読は困難と考えられていた.しかし,この研究において,日本および米国を中心とするアフリカツメガエル全ゲノム解読プロジェクトの国際コンソーシアムは,異なる2つの祖先種に由来する同祖染色体および2つの祖先種のオーソログに由来する同祖遺伝子を識別して全ゲノム配列を解読することにより,複雑な異質4倍数体のゲノムの構造を明らかにした.さらに,祖先種に由来する2つのサブゲノムの同定により,倍数体の動物種においてはじめてサブゲノムごとの進化の過程の一端が解明された.

1.異質4倍体であるアフリカツメガエルの全ゲノム解読および染色体へのマッピング

 アフリカツメガエル全ゲノム解読プロジェクトは,2009年に日本および米国において独立にたちあがったが,2012年,国際コンソーシアムとして共同することで合意した.それを可能にしたのは,日本が独自に作出したアフリカツメガエル唯一の近交系であるJ系統を両方のチームで用いていたことである.J系統はゲノム配列に個体差がないため,2つの祖先種に由来するサブゲノムの配列の違いをうかびあがらせることが可能である.米国チームは,J系統の個体のゲノムDNAを用いてショットガンシークエンスを行い,その配列をつなぎあわせてアセンブル配列を得た.ついで,メイトペアシークエンスを行い,その配列をもとにアセンブル配列をつなぎスカフォールド配列を構築した.しかし,これだけではよく似た2つのサブゲノムに由来するアセンブル配列やスカフォールド配列が正しく結合しているかどうかは不確実である.日本チームは,BAC(bacterial artificial chromosome,細菌人工染色体)クローンライブラリーを作製し,その末端配列を決定してスカフォールド配列にマッピングした.ついで,マッピングされたBACクローンをプローブとして蛍光in situハイブリダイゼーション法を用いて染色体にマッピングし,アフリカツメガエルの18対すべての染色体を識別しながら,スカフォールド配列にマッピングされたBACクローンをそれぞれの染色体のアンカーマーカーとして設定した.最終的には,798個のBACクローンからなる染色体地図が作成された.一方,米国チームも,Hi-C法3) やChicago法4) により染色体のレベルでアセンブリーを進め,BACクローンの蛍光in situハイブリダイゼーション法の結果と照合しながら,染色体にアンカーされていないスカフォールド配列も含め,ほとんどの配列を染色体ごとのひとつづきの配列としてつないだ.
 しかし,配列の自動アセンブリーには限界があり,たとえば,遺伝子が直列に重複したところなどはスカフォールド配列がとぎれたり1個に縮重していたりした.そのような箇所では,それをまたぐようなBACクローンを選別しその全塩基配列を決定した.その結果,Hox遺伝子クラスター,嗅覚受容体遺伝子クラスター,nodal5遺伝子クラスター,nodal3遺伝子クラスター,vg1遺伝子クラスターなどの配列が決定された.とくに,vg1遺伝子はクラスターを形成することがはじめて示され,その結果,これまでvg1遺伝子のバリアントと考えられていたvg1(S20) 遺伝子とvg1(P20) 遺伝子はひとつのクラスターのなかの別々の遺伝子であることが判明した.これらの配列も含めて,18本の染色体ごとの配列はver. 9.1として公開された(Xenbase,および,
http://xenopus.lab.nig.ac.jp/cgi-bin/gb2/gbrowse/xl_v9_1m_p/).
 今回の解析をもとに,これまで不統一であったアフリカツメガエルの染色体の番号が新たに設定しなおされた5).つまり,ネッタイツメガエルの染色体(XTRと表記)のXTR1からXTR10と,アフリカツメガエルの9対の同祖染色体における遺伝子連鎖群の保存性6) をもとに,アフリカツメガエルの染色体(XLAと表記)の番号をふりなおし,かつ,同祖染色体のあいだの長さの違いをもとに長い方をL,短い方をSと表記して,結果として,XLA1L,XLA1S,XLA2L,XLA2S,… と命名した.ただし,ネッタイツメガエルのXTR9およびXTR10と相同な染色体はアフリカツメガエルにおいて融合していたことから,XLA9_10LおよびXLA9_10S(あるいは,XLA9LおよびXLA9S)とした.XLA9_10の融合領域は,ネッタイツメガエルのXTR9およびXTR10の末端の領域の配列との詳細な比較により,XLA9_10LおよびXLA9_10Sに存在する4つの遺伝子を含む領域にまでせばめられた.これらの遺伝子はネッタイツメガエルのXTR9あるいはXTR10には含まれていなかったため,蛍光in situハイブリダイゼーション法により,実際にXTR9およびXTR10の末端の領域に存在することを示し融合領域を同定した.XLA9_10LとXLA9_10Sの融合領域は同一であったことから,融合が起こったのはネッタイツメガエルから分岐したあとで,かつ,アフリカツメガエルの2つの2倍体の祖先種が種分化するまえであると考えられた(図2).

figure2

 ゲノムの配列をもとにしたタンパク質をコードする遺伝子モデルの作成および遺伝子のアノテーションは,米国チームにより自動化ツールを用いて行われた.しかし,自動化ツールにより作成された遺伝子モデルにおいては,しばしば,エクソン-イントロン構造にまちがいが含まれたり,遺伝子名の付与が適切でなかったりする場合がある.そこで,日本チームにより,シグナル伝達,転写制御,細胞周期,主要組織適合性複合体などに関連する遺伝子を中心に検定を行った.エクソン-イントロンが本来の位置に設定されていなかったものをリストアップし,それが修正されるよう自動化ツールの条件を設定しなおし,かつ,この作業を何度もくり返すことにより正確さを向上させた.それと並行して,遺伝子のアノテーションの検定も行い,987個の遺伝子について検定し修正すべきものは修正した.これらの結果を反映させて,遺伝子アノテーションver. 1.8として,ゲノム配列とともに公開した.

2.祖先種に由来するサブゲノムの同定

 アフリカツメガエルのもつ18対の染色体がLとSの9対の同祖染色体となることはすでに述べた5).しかし,祖先種に由来する2つのサブゲノムが同祖染色体のあいだでどのように分布しているのか,また,同祖染色体のあいだで組換えが起こっているのかどうかは不明であった.そこで,注目したのがトランスポゾンである.もし,2種の祖先種がそれぞれの種に特異的なトランスポゾンをもつのであれば,異質4倍体化したアフリカツメガエルにおいてそのトランスポゾンの配列がそれぞれのサブゲノムの全域に保持されているはずである.そこで,すでに不活性化して“化石化”しているトランスポゾンに注目し,同祖染色体のあいだに不均等に分布しているものはないか探索した.その結果,3種類の化石化DNAトランスポゾンとしてXl-TpL_harb,Xl-TpS_harb,Xl-TpS_Marが見い出された.そのうちの1つXl-TpL_harbは染色体Lのセットに特異的に分布していた一方,ほかの2つXl-TpS_harbおよびXl-TpS_Marは染色体Sのセットに特異的に分布していた.つまり,アフリカツメガエルの染色体Lと染色体Sのセットはサブゲノムに対応していることが明らかにされた.そこで,染色体Lと染色体Sに対応させてサブゲノムLとサブゲノムSと命名し,それらの起源となる絶滅した祖先種もLとSとした.また,それらのサブゲノムに属する同祖遺伝子は遺伝子名のあとに“.L”あるいは“.S”を付加して表記することにした.倍数体の動物種におけるサブゲノムの同定ははじめてのことであった.これにより,染色体Lと染色体Sに存在する遺伝子を調べることにより,異質倍数体化したのちのサブゲノムLとサブゲノムSの進化を解析することが可能になった.

3.サブゲノムLとサブゲノムSの進化

 アフリカツメガエルにおいてサブゲノムのあいだの比較が可能になったことから,近縁種のネッタイツメガエルとアフリカツメガエルの2つのサブゲノムにおいて詳細な比較解析を行った.その結果,アフリカツメガエルの染色体のセットLはネッタイツメガエルの染色体とシンテニーや染色体の形態が非常に類似していたが,染色体のセットSは染色体のセットLと比べ染色体の長さが短く,染色体のレベルでの構造変化が多く生じていた.2倍体のネッタイツメガエルの遺伝子数は約21,000個であるが,アフリカツメガエルの遺伝子数はその約2倍の45,099個であった.これらのうち,嗅覚受容体遺伝子ファミリーのように多コピーで存在している遺伝子などを除いた24,419個の遺伝子のうち,異質倍数化により重複した2コピーが保存されている遺伝子は全体の56%である8806ペア(17,612遺伝子)であり,1コピーが欠失した遺伝子は6807遺伝子であった.そこで,染色体のセットごとの遺伝子の保存性について調べた結果,異質倍数化したのちサブゲノムLでは8.3%の遺伝子が消失していたのに対し,サブゲノムSでは31.5%の遺伝子が消失していた.
 さらに,遺伝子の発現パターンや発現量についても比較した.14の異なる段階の卵母細胞あるいは発生段階の胚および14の異なる成体の組織を用いたRNA-Seq法により,大量のcDNAの配列情報を得た.これらをゲノム配列にマップして遺伝子の発現情報を得た.その結果,卵母細胞から母性-胚性転移期の胚にかけてはサブゲノムLの遺伝子の発現量がサブゲノムSの遺伝子より平均で12%高かったのに対し,母性-胚性転移期よりのちの胚および成体組織においてはサブゲノムLの遺伝子の発現量はサブゲノムSの遺伝子より25%高いことが明らかにされた.これらの結果から,アフリカツメガエルにおいては,1800万年前に祖先種Lと祖先種Sの種間交配およびゲノム重複による異質倍数化が起こり,そののち,サブゲノムLでは祖先種Lのゲノムをほぼそのまま残してきたのに対し,サブゲノムSでは多くの遺伝子の消失,偽遺伝子化,高頻度な染色体の再配列,そして,多くの遺伝子の発現量の低下が発生過程の胚および成体において起こったことが明らかにされた(図2).トウモロコシや出芽酵母の異質倍数体種においては,一方のサブゲノムの染色体領域の一部において多くの重複遺伝子の消失が起こっていると報告されている7,8).しかしながら,アフリカツメガエルはこれらとは異なり,サブゲノムSの全域において遺伝子の消失や染色体の再配列が生じていた.

おわりに

 全ゲノム重複は生物の進化の過程においてしばしば起こる現象と考えられており,そのひとつの例が,約5億年前の古生代カンブリア紀に脊椎動物が出現する過程で起こったとされる2回の全ゲノム重複である9).全ゲノム重複により遺伝子の数を格段に増加させ,一部の重複遺伝子の機能の分担や新たな機能の獲得が脊椎動物の誕生とそののちの多様化および繁栄をもたらした要因であったと考えられている10).また,真骨魚類の祖先種において約3億年前に独自に全ゲノム重複が起こり,さらに,最近,全ゲノム配列が明らかにされたニジマスにおいては約1億年前にもう1回の全ゲノム重複が起こっている11).しかしながら,これらの全ゲノム重複からはいずれも1億年以上が経過しているため,祖先種に由来するサブゲノムを明らかにすることができず,サブゲノムごとの進化の過程を推測するのは困難であった.この研究においては,約1800万年前という比較的最近に全ゲノム重複の起こったアフリカツメガエルの全ゲノム配列を解読することにより,異質倍数体の動物種においてはじめてサブゲノムを識別することに成功し,それをもとに,全ゲノム重複ののちのサブゲノムの進化がはじめて明らかにされた.さらに,アフリカツメガエルと同じツメガエル属には,さらに1回あるいは2回の全ゲノム重複が想定される種が存在する12).これらの倍数体のツメガエルにおいてゲノムの構造を明らかにしアフリカツメガエルとの比較解析を行うことは,約5億年前に起こったとされる脊椎動物の共通祖先で生じた2回の全ゲノム重複や,そののち,真骨魚類に起こった全ゲノム重複が,のちの進化にどのようなインパクトをあたえたかを読み解く鍵,すなわち,ロゼッタストーンになるものと期待される.
 この研究の成果はNature誌に掲載されただけでなく,このプロジェクトの日本チームにより8報のcompanion paperがDevelopmental Biology誌に掲載された13-20)

文 献

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  20. Michiue, T., Yamamoto, T., Yasuoka, Y. et al.: High variability of expression profiles of homeologous genes for Wnt, Hh, Notch, and Hippo signaling pathways in Xenopus laevis. Dev. Biol., in press

著者プロフィール

宇野 好宣(Yoshinobu Uno)
略歴:2011年 北海道大学大学院生命科学院 修了,同年より名古屋大学大学院生命農学研究科 研究員.
研究テーマ:脊椎動物のゲノムおよび染色体の進化.
抱負:この研究におけるアフリカツメガエルの全ゲノム重複のように,ある生物種のゲノムや染色体を詳細に調べることにより,脊椎動物における進化の謎の一端を解明したい.

平良 眞規(Masanori Taira)
東京大学大学院理学系研究科 准教授.
研究室URL:http://www.biol.s.u-tokyo.ac.jp/users/lmb/lmb-hp.html

© 2016 宇野好宣・平良眞規 Licensed under CC 表示 2.1 日本

CRISPR-Cas9系を利用したHITI法による生体におけるゲノム編集

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鈴木啓一郎・Juan Carlos Izpisua Belmonte
(米国Salk Institute for Biological Studies,Gene Expression Laboratory)
email:鈴木啓一郎
DOI: 10.7875/first.author.2016.128

In vivo genome editing via CRISPR/Cas9 mediated homology-independent targeted integration.
Keiichiro Suzuki, Yuji Tsunekawa, Reyna Hernandez-Benitez, Jun Wu, Jie Zhu, Euiseok J. Kim, Fumiyuki Hatanaka, Mako Yamamoto, Toshikazu Araoka, Zhe Li, Masakazu Kurita, Tomoaki Hishida, Mo Li, Emi Aizawa, Shicheng Guo, Song Chen, April Goebl, Rupa Devi Soligalla, Jing Qu, Tingshuai Jiang, Xin Fu, Maryam Jafari, Concepcion Rodriguez Esteban, W. Travis Berggren, Jeronimo Lajara, Estrella Nuñez-Delicado, Pedro Guillen, Josep M. Campistol, Fumio Matsuzaki, Guang-Hui Liu, Pierre Magistretti, Kun Zhang, Edward M. Callaway, Kang Zhang, Juan Carlos Izpisua Belmonte
Nature, 540, 144-149 (2016)

要 約

 部位特異的なヌクレアーゼを利用したゲノム編集の技術は生命科学の研究に革命をもたらし,臨床への応用の可能性もひめている.しかしながら,細胞分裂の高い活性が必要な従来の方法では,分裂をしていない細胞がほとんどをしめる生体において,ゲノムのねらった部位に直接に遺伝子を挿入することは非常に困難であった.この研究においては,CRISPR-Cas9系を利用した,さまざまな細胞種に適用の可能なゲノム編集の技術を開発し,HITI法と名づけた.HITI法を用いることにより,従来の方法では不可能であった非分裂細胞における遺伝子のノックインに成功し,また,生きたままのマウスの脳や筋肉を含むさまざまな組織や器官においても遺伝子のノックインが可能になった.さらに,網膜の視細胞の変性により進行性の視覚の障害をきたす遺伝性疾患である網膜色素変性症のラットモデルにおいて,HITI法による遺伝子のノックインにより視覚の機能が改善された.以上の結果から,HITI法は基礎的な研究のみならず,難治性の遺伝病に対する新規の遺伝子治療にも応用できる可能性が示された.

はじめに

 近年,CRISPR-Cas9系に代表される部位特異的なヌクレアーゼの登場により,ゲノムのねらった部位において遺伝子を操作する“ゲノム編集”の技術が急速に進歩し,多種多様な細胞あるいは生物種のゲノムを選択的に改変することが可能になった1,2).この基本的な原理としては,細胞がもともともつゲノムDNAの2本鎖切断を修復する2本鎖DNA切断修復機構を利用する.2本鎖DNA切断修復機構にはおもに,相同な配列を鋳型として組換えを起こす相同組換え(homologous recombination)と,相同な配列に依存せず切断された末端を直接に結合する非相同末端結合(non-homologous end joining)の2つの機構がある.この2つの2本鎖DNA切断修復機構をうまく利用することにより,ゲノムのねらった部位において遺伝子を操作するゲノム編集が可能になる(図1a).具体的には,切断されたDNAの末端を直接につなぎあわせる際に数塩基の欠失や挿入などのエラーの起こりやすい非相同末端結合を利用することにより標的となる遺伝子を破壊する遺伝子ノックアウトが可能になる.一方で,相同な配列をもつ外来のDNAを導入しておくと相同組換え修復によりあやまってゲノムに取り込まれるが,これを利用して標的となる塩基配列を自由自在に改変する遺伝子ノックインが可能になる.これらの遺伝子の改変を効率よく起こすため,ゲノムのねらった部位を特異的に切断し2本鎖DNA切断修復機構を人為的にひき起こす,CRISPR-Cas9系といった部位特異的なヌクレアーゼが開発されてきた.

figure1

 既存の遺伝子ノックインの手法は細胞分裂のさかんな細胞においてはたらく相同組換え修復を利用したものであるため,培養細胞においては有効なツールとして幅広く用いられてきた.しかしながら,相同組換え修復は細胞周期に依存しているため,この手法は細胞分裂のさかんな細胞にしか用いることができないという欠点があった3).このため,多くの細胞が分裂を停止した非分裂細胞からなる生体においては,これまで,有効な遺伝子ノックインの手法は報告されていない4)
 この研究においては,CRISPR-Cas9系を用いて非分裂細胞においても活性をもつ非相同末端結合を利用することにより,非分裂細胞においても遺伝子のノックインができるのではないかと考えた.

1.分裂細胞を用いたHITI法の開発

 これまで,分裂細胞において非相同末端結合を利用した遺伝子ノックインの手法の報告は数例あったが,詳細には解析されておらず応用の可能な細胞種も検討されていなかった5,6).また,非相同末端結合を利用した遺伝子ノックインの手法については,目的の遺伝子があやまった向きで挿入されるという問題点があった.そこで,導入する遺伝子ベクターの配列をくふうし,逆方向の挿入を抑制して遺伝子を目的の向きで安定的に挿入できるよう設計した(図1b).この方法は,相同な配列を必要としない標的となる部位に特異的な遺伝子ノックインの手法であることから,HITI(homology-independent targeted integration)法と名づけた.
 細胞分裂をする培養細胞を用いて,HITI法と相同な配列を利用した既存の遺伝子ノックインの手法とを比較した.具体的には,IRESmCherryをもつさまざまなベクターを作製し,IRESmCherryがノックインされてmCherry陽性となった細胞の割合をフローサイトメトリー法により同定し,おのおのの手法について標的となる部位へのノックインの効率を比較した.その結果,HITI法は従来の方法と比べて約10倍も高い効率で遺伝子をノックインすることが可能であった.また,HITI法により標的となる部位に挿入された約90%の外来のDNAは,末端が変異することがなくゲノムに組み込まれていた.このことから,HITI法においては,外来のDNAはおもに変異をともなわない非相同末端結合によりゲノムに組み込まれることが示唆された.

2.非分裂細胞における遺伝子のノックイン

 相同組換え修復の活性を必要としないことと,高いノックインの効率を示すことを活かして,従来の相同組換え修復を利用した手法では不可能であった非分裂細胞であるマウスのニューロンへの遺伝子のノックインを試みた.マウスの胎仔の脳に由来するニューロンを培養し,ニューロンに特異的に発現するTubb3遺伝子の下流にGFP遺伝子をノックインした.さまざまな遺伝子ノックインの手法を比較したところ,HITI法を用いたときのみ,遺伝子が導入された細胞あたり最大で60%という高い効率で目的の部位にGFP遺伝子が挿入された.これまで,非分裂細胞において遺伝子をノックインしたという報告はなく,HITI法によりそれが可能になった.

3.子宮内エレクトロポレーション法による生体におけるゲノム編集

 生きたままの生体においてHITI法が有効かどうか検討した.マウスにおいて子宮の胎生15.5日の胎仔の脳に子宮内エレクトロポレーション法により外来のDNAを導入し,Tubb3遺伝子の下流にGFP遺伝子をノックインした.マウスの脳を生後21日において解析したところ,遺伝子が導入された細胞あたり最大で20%という効率でGFP遺伝子がノックインされた.胎生15.5日の脳はまださかんに細胞分裂している時期であるため,生体の非分裂細胞において遺伝子がノックインされたのかどうかはわからない.このため,タモキシフェンにより発現が誘導されるCas9を用い,脳において細胞分裂がすでに停止しているとされる生後10日および生後11日においてCas9を発現させたところ,従来の相同組換え修復を利用した手法により遺伝子のノックインは起こらなかったが,HITI法を用いることにより遺伝子のノックインに成功した.このことから,生きたままの生体においても非分裂細胞にて標的となる部位に遺伝子をノックインできる可能性が示唆された.

4.アデノ随伴ウイルスベクターを用いた生体における局所的なゲノム編集

 生体における遺伝子の導入にすぐれたアデノ随伴ウイルスベクターを用いて,HITI法の系を細胞に導入するベクターを作製した.このベクターを生きたままのマウスへ注射することにより,生体における部位特異的な遺伝子のノックインを試みた.成体のマウスの脳にこのベクターを感染させたところ,細胞あたり3.5%の効率でTubb3遺伝子の下流にGFP遺伝子がノックインされた.また,骨格筋においても同様に局所的な遺伝子のノックインに成功した.

5.網膜色素変性症モデルラットの遺伝子治療

 HITI法の遺伝性疾患に対する有効性を示すため,網膜色素変性症のラットモデルへの応用を試みた.網膜色素変性症は網膜の視細胞が変性していく進行性の難病であり,まだ有効な治療法が確立されていない.
 網膜色素変性症のモデルラットは,ヒトにおいても原因遺伝子のひとつとして知られているMertk遺伝子のイントロン1とエキソン2の一部が両方の対立遺伝子において欠損している7).エキソン2を欠損した領域の直前に挿入するHITI法の系をもつアデノ随伴ウイルスベクターを作製した.これを生後3週齢の網膜色素変性症モデルラットの網膜下のすきまに直接に投与し4~5週間のちに解析した結果,標的となる部位における遺伝子のノックインがPCR法により確認され,Mertk遺伝子の発現量はmRNAのレベルで正常なラットの4.5%にまで改善した.また,免疫染色法によってもMertk遺伝子の発現が確認され,モデルラットにみられるONL層の厚みの減少も緩和された.さらに,外部からの光の刺激に対する反応を調べた結果,視覚の障害の部分的な回復がみられた.これらの結果は,同様に並行して行った従来の相同組換え修復を利用した遺伝子ノックインの手法を用いた場合より有意に効果の高いことが確認され,HITI法が難治性の遺伝病に対する新しい遺伝子治療に応用できる可能性が示された.

6.アデノ随伴ウイルスベクターを用いた生体における全身性のゲノム編集

 全身性の遺伝子ノックインが可能かどうか調べるため,Rosa26遺伝子座にCAGプロモーターが挿入されたAi14マウス8) を用いた.生後1日のマウスに静脈への注射によりHITI法の系をもつアデノ随伴ウイルスベクターを投与し,GFP遺伝子がCAGプロモーターの下流にノックインすることによるGFPの発現をさまざまな臓器において観察した.2週間のちに解析したところ,多くの臓器において遺伝子のノックインがみられ,とくにアデノ随伴ウイルスセロタイプ9をベクターとして用いた場合には,感染の効率の高い心臓(3.4%),肝臓(4.2%),筋肉(10%)において高い効率で遺伝子ノックインに成功した.また,従来の相同組換え修復を利用した手法よりもノックインの効率が有意に高かった.次世代シークエンサーを用いて標的となる部位の変異率を決定したところ,ノックインの効率と同じ程度であった.筋肉および心臓から単離したGFP陽性細胞について標的となる部位の塩基配列を1細胞のレベルで解析したところ,標的となる部位に90~95%という高い効率でGFP遺伝子がノックインされており,HITI法による遺伝子のノックインは正確であることが明らかにされた.さらに,30~50%ものGFP陽性細胞において両方の対立遺伝子において遺伝子がノックインされていた.肝臓からゲノムDNAを抽出し標的となる部位のほかの部位へのノックインについて調べたところ,オフターゲット部位の変異が少ないことも示された.

おわりに

 この研究において,非分裂細胞における遺伝子のノックインに成功し,生きたままのマウスおよびラットのさまざまな臓器などにおいて局所的あるいは全身性でゲノムの任意の部位に遺伝子をノックインすることが可能になった.このHITI法を遺伝子のノックインによる遺伝子改変動物の作製の例のない霊長類の脳に応用することにより,複雑な思考力をつかさどる脳機能の解明,脳の一部が関与する疾患の機構の解明につながることが期待される.
 現時点では,HITI法は生体の一部の臓器において約3~10%の細胞のゲノムを改変できる.今後,HITI法の分子機構を解明することによりさらなる改良をくわえ,ノックインの効率の上昇をめざしている.そのうえで,十分に安全性を検討したのちには,成人の神経,筋肉,網膜など終末分化細胞に異常をもつさまざまな難治性の遺伝病に対し,その原因となる異常な遺伝子を病変の部位において直接に修復する遺伝子治療へと応用できる可能性があると考えている.

文 献

  1. Mali, P., Yang, L., Esvelt, K. M. et al.: RNA-guided human genome engineering via Cas9. Science, 339, 823-826 (2013)[PubMed]
  2. Cong, L., Ran, F. A., Cox, D. et al.: Multiplex genome engineering using CRISPR/Cas systems. Science, 339, 819-823 (2013)[PubMed]
  3. Orthwein, A., Noordermeer, S. M., Wilson, M. D. et al.: A mechanism for the suppression of homologous recombination in G1 cells. Nature, 528, 422-426 (2015)[PubMed]
  4. Cox, D. B. T., Platt, R. J. & Zhang, F.: Therapeutic genome editing: prospects and challenges. Nat. Med., 21, 121-131 (2015)[PubMed]
  5. Maresca, M., Lin, V. G., Guo, N. et al.: Obligate ligation-gated recombination (ObLiGaRe): custom-designed nuclease-mediated targeted integration through nonhomologous end joining. Genome Res., 23, 539-546 (2013)[PubMed]
  6. Auer, T. O., Duroure, K., De Cian, A. et al.: Highly efficient CRISPR/Cas9-mediated knock-in in zebrafish by homologyindependent DNA repair. Genome Res., 24, 142-153 (2014)[PubMed]
  7. D’Cruz, P. M. Yasumura, D., Weir, J. et al.: Mutation of the receptor tyrosine kinase gene Mertk in the retinal dystrophic RCS rat. Hum. Mol. Genet., 9, 645-651 (2000)[PubMed]
  8. Madisen, L., Zwingman, T. A., Sunkin, S. M. et al.: A robust and high-throughput Cre reporting and characterization system for the whole mouse brain. Nat. Neurosci., 13, 133-140 (2010)[PubMed]

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著者プロフィール

鈴木 啓一郎(Keiichiro Suzuki)
略歴:2005年 埼玉大学大学院理工学研究科 修了,2006年 埼玉医科大学 特任研究員,2009年 同 助教を経て,2010年より米国Salk Institute for Biological StudiesにてResearch Associate.
研究テーマ:ゲノム編集技術を用いたヒトの遺伝性疾患の分子機構の解明,および,新規のゲノム編集技術の開発.

Juan Carlos Izpisua Belmonte
米国Salk Institute for Biological StudiesにてProfessor.
研究室URL:http://www.salk.edu/labs/belmonte/

© 2016 鈴木啓一郎・Juan Carlos Izpisua Belmonte Licensed under CC 表示 2.1 日本

リボソーム,ArfA,翻訳終結因子RF2,開始tRNA,mRNAからなる複合体のクライオ電子顕微鏡による構造解析

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栗田大輔・姫野俵太
(弘前大学農学生命科学部 分子生命科学科分子生物学研究室)
email:栗田大輔姫野俵太
DOI: 10.7875/first.author.2016.132

Mechanistic insights into the alternative translation termination by ArfA and RF2.
Chengying Ma, Daisuke Kurita, Ningning Li, Yan Chen, Hyouta Himeno, Ning Gao
Nature, DOI: 10.1038/nature20822

要 約

 細胞においてさまざまな理由により翻訳は停滞する.たとえば,リボソームが終止コドンをもたないノンストップmRNAにおいて翻訳をはじめると,終止コドンに到達することができないため翻訳は途中で停滞する.このような翻訳の停滞を解消する機構としてtmRNAによるトランス-トランスレーションが知られていた.しかし,最近になり,翻訳の停滞の解消にはたらく新たなタンパク質としてArfAが発見され,トランス-トランスレーションとは異なるリボソームレスキュー機構の存在が明らかにされた.筆者らは,70Sリボソーム,ArfA,翻訳終結因子RF2,開始tRNA,mRNAからなるノンストップ複合体をクライオ電子顕微鏡により解析し,3.0Åの分解能で構造を決定した.これにより,ArfAのN末端側の領域はリボソーム30Sサブユニットのデコーディング領域とRF2とにはさまれるかたちで結合する一方,ArfAのC末端側の領域はリボソームのmRNA結合部位に位置することが明らかにされた.この結果から,ArfAが空のmRNAエントリーチャネルを認識することにより翻訳の停滞した状態,すなわち,mRNAの3’末端の側において停滞するリボソームを見分けることが示唆された.

はじめに

 原核生物あるいは真核生物をとわず,翻訳の途中でリボソームが停滞することがある.このような異常な事態を解消する機構として,細菌にはtmRNAによるトランス-トランスレーションというリボソームレスキュー機構が存在する.tmRNAが必須である生物もいるが,大腸菌や枯草菌などの多くの細菌においてはtmRNAの欠損が通常の培養条件における生育に大きな影響をおよぼすことはない.このことから,トランス-トランスレーションに代わる機構の存在の可能性が示唆されていた.2010年,分子遺伝学的な手法を用いた研究により,翻訳の停滞の解消にはたらくタンパク質としてArfAの存在が明らかにされた1).ArfAは停滞したリボソームと結合し,翻訳終結因子RF2と協調してペプチジルtRNAを加水分解することによりリボソームの停滞を解消する2,3).通常の翻訳においてRF2は3種類の終止コドンのうちUAAあるいはUGAを認識してリボソームと結合するが,ArfAのかかわるリボソームレスキュー機構において終止コドンの関与は想定されていない.どのようにしてArfAおよびRF2は終止コドンの存在しないmRNAと結合したリボソームを認識しているのか,なぜもうひとつの翻訳終結因子RF1ではArfAは機能せずRF2でなければならないのか,など重要な問題が未解決のまま残されていた.

1.ノンストップ複合体におけるArfAの結合の位置

 70Sリボソーム,ArfA,翻訳終結因子RF2,開始tRNA,mRNAからノンストップ複合体を形成させ,クライオ電子顕微鏡によりその構造を解析し,3.0Åの分解能で構造を決定した(図1a).その結果,ArfAのN末端側の領域はリボソームのアミノアシルtRNAの結合部位であるA部位のデコーディング領域の付近に位置しており,リボソーム30Sサブユニットのヘリックス44やリボソームタンパク質S12,リボソーム50Sサブユニットのヘリックス69のあいだに位置していた.一方,ArfAのC末端側の領域はリボソームにおけるmRNAの結合部位であるmRNAエントリーチャネルに位置していた.これは,筆者らが,2014年,部位特異的なラジカルプローブ法により明らかにした結果と一致し4),リボソームにおいてArfAのC末端側の領域の結合部位とmRNAの結合部位とが重複することを意味する.通常の翻訳の過程においては,このmRNAエントリーチャネルはmRNAにより占拠されているためArfAのC末端側の領域は入り込むことができないが,もしmRNAの3’末端側の領域が欠損していたならArfAのC末端側の領域はmRNAエントリーチャネルに入り込むことができる.

figure1

2.ノンストップ複合体と翻訳終結複合体におけるリボソームの構造の違い

 ノンストップ複合体のリボソームのデコーディング領域は通常の翻訳終結複合体のリボソームとは異なる構造をとっていた.デコーディング領域には16S rRNAの高度に保存された3つの塩基,G530,A1492,A1493が存在する.通常の翻訳終結複合体においては,G530は終止コドンUAAの3文字目のAとスタッキング相互作用する5).また,A1493は23S rRNAのA1913とのスタッキング相互作用により安定化されており,A1492はG530の方向に伸びるという特徴的な構造をしている.それに対して,ノンストップ複合体においては,G530の近くには終止コドンの代わりにArfAのGlu30が位置していた(図1b).そして,A1913とスタッキング相互作用するのはA1493ではなくA1492であり,さらに,A1492はリボソーム50Sサブユニットのヘリックス69とArfAのPro23とのあいだにはさまれるかたちで安定化されていた.ノンストップ複合体のデコーディング領域はこれまでに構造が報告されたリボソームのどの状態とも異なる構造をとっており6),おそらく,ArfAがリボソーム30Sサブユニットのヘリックスh44とリボソーム50Sサブユニットのヘリックス69を微調整しているものと考えられた.

3.ノンストップ複合体におけるRF2の構造

 ノンストップ複合体と翻訳終結複合体とを比較したところ,デコーディング領域だけでなくRF2の構造にも違いがみられた.もっとも顕著な違いはスイッチループの構造であった(図2).RF2は4つのドメインからなり,スイッチループはドメイン3とドメイン4のあいだに存在する.これまでの研究により,RF2はリボソームとの結合の前後で構造変化を起こすことが示唆されており7),この構造変化はRF2が終止コドンを認識したのち,ペプチジルtRNAの加水分解の活性中心であるドメイン3の先端のGGQモチーフを,P部位のtRNAのCCA末端の近傍に位置させるために重要であると考えられてきた.ノンストップ複合体におけるスイッチループは翻訳終結複合体のスイッチループとは構造が異なり,疎水的な相互作用をとおしてArfAと接触していた.実際に,このスイッチループに変異を導入するとペプチジルtRNAの加水分解活性が完全に消失した.

figure2

 RF1とRF2のアミノ酸配列および立体構造は全体的によく似ているが,スイッチループに着目すると両者の違いがみえてくる.RF2のスイッチループには疎水性のアミノ酸残基が多いのに対し,RF1では極性アミノ酸残基がめだつ.この違いがArfAとの相互作用の有無にかかわるのかもしれない.

4.ArfAは終止コドンの擬態タンパク質か

 ArfAが終止コドンを擬態しているのかという点は興味のもたれる問題である.翻訳終結複合体とノンストップ複合体とを比較したところ,翻訳終結複合体においてはRF2のSPFモチーフのSer205が終止コドンの2文字目のプリン塩基と相互作用するのに対し5),ノンストップ複合体においてはSPFモチーフとArfAとの直接的な相互作用は確認されなかった.また,リボソームにおけるArfAの結合部位は終止コドンの位置する部位とは微妙にずれていた.これらを考慮すると,ArfAによる終止コドンの擬態という考え方は構造的な意味からは否定された.しかし,RF2をリクルートするための足場を形成するという機能的な意味においては,ArfAは終止コドンの代理をつとめているといえるかもしれない.

おわりに

 大腸菌においては,ArfAおよびRF2による機構のほかにも少なくとも2つのリボソームレスキュー機構,すなわち,tmRNAおよびSmpBによるトランス-トランスレーション,および,ArfBによる機構が存在する.トランス-トランスレーションの場合はSmpBのC末端のテイルがリボソームのmRNAエントリーチャネルと結合すること,ArfBによる機構の場合もやはりC末端のテイルがmRNAエントリーチャネルと結合することが,結晶構造解析により明らかにされている8,9).これら3つのリボソームレスキュー機構を比較することにより,翻訳の停滞を解消するタンパク質がどのようにして停滞したリボソームを認識するのか,という疑問の答えになりうる,共通の分子機構がうかびあがってきた.それぞれのタンパク質はmRNAエントリーチャネルと結合することによりリボソームの状態,すなわち,mRNAの有無を見分けるのである.いい換えると,3つのリボソームレスキュー機構にかかわるタンパク質は,どれもC末端側の領域がリボソームの停滞の状態を見分けるためのセンサーとして機能する.

文 献

  1. Chadani, Y., Ono, K., Ozawa, S. et al.: Ribosome rescue by Escherichia coli ArfA (YhdL) in the absence of trans-translation system. Mol. Microbiol., 78, 796-808 (2010)[PubMed]
  2. Chadani, Y., Ito, K., Kutsukake, K. et al.: ArfA recruits release factor 2 to rescue stalled ribosomes by peptidyl-tRNA hydrolysis in Escherichia coli. Mol. Microbiol., 86, 37-50 (2012)[PubMed]
  3. Shimizu, Y.: ArfA recruits RF2 into stalled ribosomes. J. Mol. Biol., 423, 624-631 (2012)[PubMed]
  4. Kurita, D., Chadani, Y., Muto, A. et al.: ArfA recognizes the lack of mRNA in the mRNA channel after RF2 binding for ribosome rescue. Nucleic Acids Res., 42, 13339-13352 (2014)[PubMed]
  5. Korostelev, A., Asahara, H., Lancaster, L. et al.: Crystal structure of a translation termination complex formed with release factor RF2. Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 105, 19684-19689 (2008)[PubMed]
  6. Zhou, J., Korostelev, A., Lancaster, L. et al.: Crystal structures of 70S ribosomes bound to release factors RF1, RF2 and RF3. Curr. Opin. Struct. Biol., 22, 733-742 (2012)[PubMed]
  7. Vestergaard, B., Van, L. B., Andersen, G. R. et al.: Bacterial polypeptide release factor RF2 is structurally distinct from eukaryotic eRF1. Mol. Cell, 8, 1375-1382 (2001)[PubMed]
  8. Neubauer, C., Gillet, R., Kelley, A. C. et al.: Decoding in the absence of a codon by tmRNA and SmpB in the ribosome. Science, 335, 1366-1369 (2012)[PubMed]
  9. Gagnon, M. G., Seetharaman, S. V., Bulkley, D. et al.: Structural basis for the rescue of stalled ribosomes: structure of YaeJ bound to the ribosome. Science, 335, 1370-1372 (2012)[PubMed]

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著者プロフィール

栗田 大輔(Daisuke Kurita)
略歴:2009年 岩手大学大学院連合農学研究科 修了,同年 弘前大学農学生命科学部 特別研究員を経て,2012年より同 助教.
研究テーマ:翻訳の停滞を解消するシステムの分子機構.

姫野 俵太(Hyouta Himeno)
弘前大学農学生命科学部 教授.
研究室URL:http://hirosaki-rna.org/himeno/

© 2016 栗田大輔・姫野俵太 Licensed under CC 表示 2.1 日本

lncRNAから翻訳されるペプチドSPARはmTOR複合体1および筋の再生を制御する

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松本有樹修・Pier Paolo Pandolfi
(米国Beth Israel Deaconess Medical Center,Department of Medicine)
email:松本有樹修
DOI: 10.7875/first.author.2017.003

mTORC1 and muscle regeneration are regulated by the LINC00961-encoded SPAR polypeptide.
Akinobu Matsumoto, Alessandra Pasut, Masaki Matsumoto, Riu Yamashita, Jacqueline Fung, Emanuele Monteleone, Alan Saghatelian, Keiichi I. Nakayama, John G. Clohessy, Pier Paolo Pandolfi
Nature, 541, 228-232 (2017)

要 約

 lncRNAからタンパク質は翻訳されないと考えられているが,ショウジョウバエや線虫において一部のlncRNAから機能性のペプチドが翻訳されることが明らかにされた.しかし,哺乳類においてこれら機能性のペプチドはほとんど解析されていない.そこで,筆者らは,質量分析法を用いてlncRNAから翻訳されるペプチドを同定した.これらのうち,LINC00961から翻訳されるペプチドSPARはヒトやマウスなど哺乳類にのみ保存され,リソソームに局在してv-ATPase複合体と結合することによりアミノ酸に依存的なmTOR複合体1の活性化を抑制した.Sparノックアウトマウスを用いた解析により,筋が障害されるとSparの発現が低下し,mTOR複合体1の活性化が亢進され筋の再生が促進されることが明らかにされた.lncRNAの数は高等生物になるにつれ増加し,組織特異性も高いことから,これらのlncRNAと考えられていたRNAから翻訳されるペプチドは,進化とともに必要になってきた組織特異的なシステムの制御のため機能するものと考えられる.

はじめに

 2000年代からはじまったトランスクリプトーム解析により,ゲノムの約70~90%が転写されていることが明らかにされた.これらの転写産物にはlncRNA(long non-coding RNA,長鎖非コードRNA)という200塩基以上のタンパク質をコードしないmRNA様のRNAが大量に存在した.近年の解析により,核に存在するlncRNAがクロマチン修飾酵素を特定の遺伝子領域に輸送するといった新たな機能が明らかにされた.しかし,これらの機能は膨大に存在するlncRNAのごく一部にしかあてはまらず,多くのlncRNAの機能はいまだ不明である.
 これらlncRNAは本当にタンパク質をコードしないのだろうか? 膨大に存在するlncRNAの多くは計算式によりnon-coding RNAとして分類されただけである.多くのlncRNAにおいて100アミノ酸残基以下の小さなORFが大量に推測されたが,これらは非常に小さく,おそらく翻訳されていないであろうとしてnon-coding RNAに分類された.だが,ショウジョウバエや線虫においてlncRNAと考えられていた一部のRNAからはペプチドが翻訳されており,それらが機能をもつことが明らかにされた1-3).しかし,哺乳類などの高等生物においてこれらペプチドの解析はほとんど進んでいなかった.そこで,筆者らは,ヒトにおいてlncRNAから翻訳される新規のペプチドを同定しそれらの機能を解析した.

1.lncRNAのひとつLINC00961はリソソームに局在する膜貫通ペプチドに翻訳される

 質量分析法を用いてlncRNAから翻訳されるペプチドを同定する手法を確立した.この手法により新規のペプチドの同定に成功し,それらのうちLINC00961から翻訳される90アミノ酸残基のペプチドに焦点をあてた.LINC00961は通常のmRNAと同様にポリA鎖をもちリボソームに局在したことから,翻訳されている可能性が示唆された.LINC00961の配列からは3つのORFが推測された.それぞれのORFのC末端側にFLAG配列をノックインしたベクターを作製しウェスタンブロット法により発現を確認したところ,質量分析法により同定されたペプチドに対応する90アミノ酸残基のORFにFLAG配列をノックインした場合には発現が検出されたが,それ以外のORFの発現は検出されなかった.このことから,90アミノ酸残基のORFは翻訳されており,それ以外のORFは翻訳されていないことが示された.詳細な解析により,LINC00961からは90アミノ酸残基のペプチドのほか,N末端側の15アミノ酸残基の欠失した75アミノ酸残基のペプチドも翻訳されていることがわかった.どちらのペプチドもN末端側の領域に膜貫通ドメインをもち,リソソームに局在した.トポロジー解析によりペプチドの大部分をしめるC末端側の領域が細胞質の側に露出することがわかった.さらに,このペプチドに対する抗体を作製しウェスタンブロット法により内在性の発現を確認した.LINC00961をノックダウンすることによりこのペプチドの発現は低下したことから,LINC00961から翻訳されたペプチドであることが確認された.

2.LINC00961から翻訳されるペプチドSPARはアミノ酸に依存的なmTOR複合体1の活性化を抑制する

 LINC00961から翻訳されるペプチドの機能を明らかにするため,FLAG配列を付加したペプチドを過剰に発現し,免疫沈降法により結合タンパク質を同定した.その結果,このペプチドはv-ATPase複合体を構成するサブユニットの多くと結合することがわかった.また,このペプチドに対する抗体を用いて,内在性のペプチドもv-ATPase複合体と結合することが確認された.さらに,in vitroにおいて,このペプチドとv-ATPase複合体を構成するサブユニットであるATP6V0A1およびATP6V0A2とが直接的に結合することが確認された.v-ATPase複合体はプロトンポンプでありリソソームの酸性化に寄与することが知られている.そこで,このペプチドがv-ATPase複合体のプロトンポンプ活性に影響するかどうかを検討したが,LINC00961の過剰発現はv-ATPaseのプロトンポンプ活性にはまったく影響しなかった.
 プロトンポンプとしての機能のほか,v-ATPase複合体はリソソームにおいてRagulator複合体と結合することによりアミノ酸に依存的なmTOR複合体1の活性化に寄与することが知られている4,5)図1).アミノ酸はv-ATPase複合体およびRagulator複合体を活性化し,Ragulator複合体のGEF活性によりRagがGTP型に変換される.これが引き金となり,mTOR複合体1はリソソームへとリクルートされる.また,リソソームにはRhebが局在し,mTOR複合体1はRhebにより活性化される.Rhebはインスリンなどの刺激により活性化されるため,mTOR複合体1の活性化には,アミノ酸シグナルによるmTOR複合体1のリソソームへのリクルート,および,インスリンシグナルによるRhebの活性化の両方が必要である.そこで,LINC00961から翻訳されるペプチドはアミノ酸に依存的なmTOR複合体1の活性化に寄与すると仮定した.LINC00961を過剰に発現すると,アミノ酸に依存的なmTOR複合体1の活性化は劇的に抑制されたが,ペプチドを翻訳しないようにしたLINC00961の変異体を過剰に発現しても同様の表現型は観察されなかった.このことから,LINC00961のRNAとしての機能ではなく,翻訳されたペプチドの機能がこの表現型に寄与することがわかった.また,LINC00961をノックダウンすると,過剰発現とは逆にアミノ酸に依存的なmTOR複合体1の活性化はより亢進された.一方,LINC00961の過剰発現はインスリンに依存的なmTOR複合体1の活性化にはまったく影響しなかった.さらに,インスリンに依存的なAktのリン酸化やEGFに依存的なERKのリン酸化など,mTOR複合体1を経由しないシグナル伝達経路についても検討したが,LINC00961の過剰発現はまったく影響しなかった.以上のことより,LINC00961から翻訳されるペプチドはSPAR(small regulatory polypeptide of amino acids response)と名づけられた.

figure1

 アミノ酸が枯渇した条件においてはv-ATPase複合体とRagulator複合体とはタイトな超複合体を形成するが,アミノ酸の添加によりこのタイトな構造はゆるみルーズな構造へと変化することが知られている4).この構造の変化が引き金となりRagulator複合体は活性化し,mTOR複合体1はリソソームへとひき寄せられる.そこで,SPARがこの超複合体の制御に関与するかどうか検討したところ,SPARを過剰に発現する細胞においてこのアミノ酸に依存的な超複合体の構造の変化が抑制された.このことより,SPARはv-ATPase複合体と結合することによりアミノ酸に依存的な超複合体の構造の変化を制御し,mTOR複合体1の活性化を抑制すると考えられた(図1).

3.筋が障害されたのちのSparの発現の低下はmTOR複合体1の活性化を増強し筋の再生を促進する

 ヒトのLINC00961にはマウスにホモログが存在する.マウスのSparはATGコドンを1つだけもち,その長さは75アミノ酸残基であり,ヒトの短いSPARと類似していた.アミノ酸配列の相同性は約65%であったが,マウスのSparをヒトの細胞であるHEK293T細胞において過剰に発現したところ同様のmTOR複合体1の抑制が観察されたことから,マウスのSparの機能は進化的に保存されていることがわかった.
 Sparの個体における役割を解析するため,CRISPR-Cas9系を用いてSparノックアウトマウスを作製した.また,遺伝子の全体を欠損させるのではなく開始コドンであるATGのみを欠損させることにより,RNAの発現はそのままでペプチドの発現のみを欠損させた.このSparノックアウトマウスはメンデル比にそって生まれ明らかな異常は示さなかったことから,Sparは発生には重要でないことがわかった.Sparは骨格筋においてとくに高く発現した.通常,骨格筋においてmTOR複合体1の活性は抑制されているが,筋が障害されたのちの筋の再生の過程において急激に活性化されることが知られている6).また,mTOR複合体1の阻害剤であるラパマイシンの投与により筋の再生は劇的に抑制された.筋が障害された直後にSparの発現は劇的に低下し,この発現の低下は筋の再生にともない回復した.そこで,Sparは筋が障害されたのちのmTOR複合体1の活性化を負に制御し筋の再生の過程を制御するのではないかと考えた.
 筋が障害されたのちのmTOR複合体1の活性化にアミノ酸が必須であるかどうかを検討するため,筋を障害すると同時にロイシンを欠損した餌を投与した.その結果,対照となる餌を投与したマウスと比べ,筋が障害されたのちのmTOR複合体1の活性化が抑制され筋の再生も遅延した.このことから,筋が障害されたのちのmTOR複合体1の活性化および筋の再生はアミノ酸に依存的であることが示された.野生型のマウスおよびSparノックアウトマウスにおいて同様に解析したところ,Sparノックアウトマウスにおいて筋が障害されたのちのmTOR複合体1の活性化がより増強されており,筋の再生も有意に亢進した.また,Sparノックアウトマウスにおいては筋が障害されたのちの筋幹細胞の増殖および分化,筋繊維への成熟が亢進した.以上の結果より,Sparは筋の再生の過程において発現が低下することによりmTOR複合体1の活性化を増強し筋の再生を促進することがわかった(図2).

figure2

おわりに

 今回の解析により,lncRNAから翻訳されたペプチドが同定された.これらのうち,新規のペプチドであるSPARはヒトやマウスなど哺乳類において保存されており,アミノ酸に依存的なmTOR複合体1の活性化を抑制し筋の再生の過程を制御することが明らかにされた.また,この論文のリバイス中に,哺乳類における2つの機能性ペプチドについての論文がそれぞれ報告された7,8).これらのペプチドもlncRNAから翻訳されており,どちらもCa2+ポンプとして知られるSERCAと結合することによりその機能をそれぞれ抑制あるいは活性化した.これらの結果もあわせ,lncRNAと考えられていたRNAから翻訳されたペプチドがさまざまな生命現象において重要であることが示された.
 これらペプチドの研究はまだはじまったばかりである.筆者らは質量分析法を用いていくつかの新規のペプチドの同定に成功したが,すべてを同定したとは考えていない.lncRNAは組織特異的に発現することが多く,発現量も少ないことが多いため,これらから翻訳されるペプチドをみのがしている可能性は高い.lncRNAの種類は膨大であることが知られているが,どれくらいの割合のlncRNAからペプチドが翻訳されているかはいまだ不明であり,今後,より効率的なペプチドの同定法の確立が必要である.lncRNAと考えられていたRNAから翻訳されるペプチドはこれまでみのがされてきており,今後,さまざまな疾患への関与が明らかにされると期待される.

文 献

  1. Kondo, T., Plaza, S., Zanet, J. et al.: Small peptides switch the transcriptional activity of Shavenbaby during Drosophila embryogenesis. Science, 329, 336-339 (2010)[PubMed]
  2. Magny, E. G., Pueyo, J. I., Pearl, F. M. et al.: Conserved regulation of cardiac calcium uptake by peptides encoded in small open reading frames. Science, 341, 1116-1120 (2013)[PubMed]
  3. Pauli, A., Norris, M. L., Valen, E. et al.: Toddler: an embryonic signal that promotes cell movement via Apelin receptors. Science, 343, 1248636 (2014)[PubMed]
  4. Zoncu, R., Bar-Peled, L., Efeyan, A. et al.: mTORC1 senses lysosomal amino acids through an inside-out mechanism that requires the vacuolar H+-ATPase. Science, 334, 678-683 (2011)[PubMed]
  5. Bar-Peled, L. & Sabatini, D. M.: Regulation of mTORC1 by amino acids. Trends Cell Biol., 24, 400-406 (2014)[PubMed]
  6. Ge, Y., Wu, A. L., Warnes, C. et al.: mTOR regulates skeletal muscle regeneration in vivo through kinase-dependent and kinase-independent mechanisms. Am. J. Physiol. Cell Physiol., 297, C1434-C1444 (2009)[PubMed]
  7. Anderson, D. M., Anderson, K. M., Chang, C. L. et al.: A micropeptide encoded by a putative long noncoding RNA regulates muscle performance. Cell, 160, 595-606 (2015)[PubMed]
  8. Nelson, B. R., Makarewich, C. A., Anderson, D. M. et al.: A peptide encoded by a transcript annotated as long noncoding RNA enhances SERCA activity in muscle. Science, 351, 271-275 (2016)[PubMed]

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著者プロフィール

松本 有樹修(Akinobu Matsumoto)
略歴:2011年 九州大学大学院医学系学府博士課程 修了,同年 九州大学生体防御医学研究所 学術研究員を経て,2012年より米国Beth Israel Deaconess Medical Center博士研究員,2014年より科学技術振興機構 さきがけ研究員.
研究テーマ:lncRNAから翻訳される新規のペプチドの同定および機能の解析.
関心事:脳神経系.

Pier Paolo Pandolfi
米国Beth Israel Deaconess Medical Center教授.
研究室URL:http://www.bidmc.org/Research/Departments/Medicine/Divisions/Genetics/PandolfiLab.aspx

© 2017 松本有樹修・Pier Paolo Pandolfi Licensed under CC 表示 2.1 日本

イネの節に存在する新規のリン酸輸送体SPDTの欠損による穀粒におけるリンの蓄積の低下

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山地直樹・馬 建鋒
(岡山大学資源植物科学研究所 植物ストレス学グループ)
email:山地直樹馬 建鋒
DOI: 10.7875/first.author.2017.006

Reducing phosphorus accumulation in rice grains with an impaired transporter in the node.
Naoki Yamaji, Yuma Takemoto, Takaaki Miyaji, Namiki Mitani-Ueno, Kaoru T. Yoshida, Jian Feng Ma
Nature, 541, 92-95 (2017)

要 約

 土壌におけるリンの多寡は作物の生産性に大きな影響をおよぼす.イネ科作物においては土壌から吸収したリンの60%以上が最終的に穀粒に蓄積するため,収穫とともに土壌からリンが収奪され,その量はリンの年間の施肥量の85%にも相当する.ところが,ヒトを含む非反芻動物は穀物におけるリンのおもな貯蔵の形態であるフィチン酸を代謝することができず,大部分のリンは吸収されずに下水に排出されるため水系の富栄養化をまねく.穀粒へのリンの蓄積を低減できれば農業の持続可能性および環境への負荷の軽減につながる.今回,筆者らは,イネの新規のリン輸送体SPDTが節においてリンの穀粒への優先的な分配を制御することを明らかにした.SPDTは細胞膜に局在し節の発達した維管束の木部に高く発現していた.spdt遺伝子破壊株においてはリンの種子への分配が減少し,逆に,茎葉への分配が増加した.玄米におけるリンの全濃度およびフィチン酸の濃度は20~30%低下したが,コメの収量,発芽,生育にはほとんど影響しなかった.

はじめに

 リンは核酸や膜脂質などを構成する元素としてすべての生物に必須であり,ヒトを含め陸上の動物が必要とするリンはもとをたどれば植物が土壌から吸収したものである.農業生産においては窒素およびカリウムとならぶ肥料の3要素のひとつであり,リン酸肥料は作物の高い生産性を維持するため広く一般に施与されている.しかし,このような地球上のリンの循環は,以下の4つの問題をかかえている1).1)リン酸肥料は有限な鉱物資源であるリン鉱石を原料としており,このまま消費しつづければ数百年で枯渇するといわれている.また,資源の大部分はモロッコや中国などわずか数カ国に偏在しており,供給の安定性も懸念される.2)土壌においてリン酸は鉄,アルミニウム,カルシウムなどの金属元素や土壌有機物などと強く結合して不溶性になるため,作物は施肥されたリン酸の10~25%しか利用できない.一方で,作物が吸収したリンは最終的に60~85%が穀粒に集中し,収穫にともない多くのリンが土壌から収奪される.この収奪量は世界の年間でのリン酸の施肥量の85%にも相当する.したがって,作物の生産性を維持するためにはリン酸の継続的な施肥がもとめられる.3)植物の種子においてリンはおもにフィチン酸(イノシトール六リン酸)の形態で蓄積される.イネ科作物の場合は種子に存在するリンの65~80%がフィチン酸でしめられており,種子の発芽や初期の生育に必要なリンの供給源となる.これまでの研究において,イネの発芽や初期の生育のために必要な種子におけるリンの濃度は1 mg/gとされているが,施肥農業において生産されたイネの種子におけるリンの濃度は2 mg/g以上にもなり,その大部分はフィチン酸として蓄積されている.ところが,ヒトを含む非反芻動物はフィチン酸を代謝することができない.食料に含まれる植物性のリンの大部分は吸収されずに排出されるため,これらのリンの流入により水圏の富栄養化をまねく.4)フィチン酸はカルシウム,鉄,亜鉛などと結合し不溶性の塩を形成するため,食料に含まれるこれら無機栄養素の吸収を阻害する.
 これらリンに関する問題の解決策のひとつとして,イネをはじめとする主要な作物におけるリンおよびフィチン酸の低減が考えられる2).しかしながら,植物が土壌から吸収したリンが種子へと分配され蓄積される分子機構はこれまで解明されていなかった3)

1.栄養素の分配における節の役割

 植物の根が吸収した土壌に含まれる無機栄養素は導管を流れる蒸散流にのり地上部へと運ばれる.近年,イネ科植物の場合には“節”(せつ)において無機栄養素ごとにその分配先が制御されることが明らかにされた4).節は葉と茎の接続する部分であり,イネ科植物の体制は節を構造単位とするくり返し構造からなり,おのおのの節には上下の茎,1枚の葉,腋芽,根(あるいは,その原基)が接続する.節と節とをつなぐ維管束(木部と篩部からなる通導組織)にも規則的なくり返し構造が反映されており,イネの場合には1つの維管束が上中下の3つの節を連絡し,おのおのの節において分散維管束(下),通過維管束(中),肥大維管束(上)として特殊化し発達したのち,上の節に付随する葉の維管束として転出する.ひとつの節には位相の異なるこれら3種類の維管束が共存し,節網維管束により接続される(図1).したがって,蒸散量の大小によらず栄養素をおのおのの器官へと選択的に配分するためには,維管束から維管束へと栄養素を移し替える必要がある.とりわけ,蒸散の少ない展開まえの新葉や穂へと栄養素を優先的に配分する経路として,イネの節においては肥大維管束から分散維管束への栄養素の積極的な維管束間輸送が明らかにされた(図1).筆者らは,ケイ素,マンガン,亜鉛などの維管束間輸送の分子機構を世界にさきがけて明らかにしてきた4,5)

figure1

2.イネの節に存在する新規のリン酸輸送体SPDT

 イネの節における無機栄養素の維管束間輸送にかかわる新規の輸送体の探索を目的としてマイクロアレイ法により遺伝子発現を解析した.その結果,節において高く発現する無機栄養素の輸送体の候補遺伝子を見い出し,コードされるSULTR輸送体ファミリーに属するタンパク質をSPDT(SULTR-like phosphorus distribution transporter)と名づけた.SULTR輸送体ファミリーは植物においてシロイヌナズナに14種類,イネにも14種類存在し,いくつかは硫酸を輸送することが知られている6).しかし,SPDTを含むサブグループについてはこれまでその機能は解析されていなかった.
 大腸菌に発現させた組換えSPDTをリポソームに埋め込んだプロテオリポソームを用いて輸送活性を測定したところ,SPDTはプロトンの濃度勾配に依存してリン酸を輸送し,硫酸は輸送しないことが明らかにされた.また,アフリカツメガエルの卵母細胞を用いた実験においてもリン酸の輸送活性が確認された.GFPをSPDTのN末端あるいはC末端と融合させタマネギの表皮細胞に一過的に導入したところ,融合タンパク質は細胞膜に局在した.以上の結果から,SPDTはこれまで知られていた植物のリン酸輸送体とは異なるファミリーに属する新規のリン酸輸送体であり,細胞膜においてプロトンとの共輸送によりリン酸を特異的に細胞に取り込むことが明らかにされた.

3.SPDT遺伝子の発現と組織における局在

 圃場において栽培したイネの生育の時期あるいは器官ごとの試料を用いて定量RT-PCR法により遺伝子発現を解析したところ,SPDT遺伝子はおもに節において高く発現し,とくに種子の登熟期の節I(穂と止葉との接点にあたる最上位の節)においてもっとも高い発現がみられた.また,水耕栽培によりリンあるいは硫黄の濃度を変えて遺伝子発現の応答を調べたところ,リンが欠乏した条件においてSPDT遺伝子の発現は顕著に上昇し,硫黄の濃度の変化には応答しないことが明らかにされた.さらに,SPDT遺伝子のプロモーターの制御のもとにGFP遺伝子を導入した形質転換イネにおいて抗GFP抗体による免疫組織染色法によりプロモーターの活性を調べたところ,SPDT遺伝子のプロモーターは節において肥大維管束および分散維管束の双方の導管に隣接する木部柔細胞,および,これらの維管束のあいだの柔細胞において活性をもつことがわかった.

4.遺伝子破壊株を用いた生理的な機能の解析

 イネの個体におけるSPDT遺伝子の役割を明らかにするため,遺伝子破壊株を入手し解析に用いた.イネにはカルス培養をへることにより新たな転移の誘発される内在性のレトロトランスポゾンTos17があり,ゲノムのさまざまな部位にTos17の挿入された系統がTos17ミュータントパネルより配布されている.そこから,SPDT遺伝子のエキソンにTos17の挿入された独立した3系統のspdt遺伝子破壊株を用いた.これら3系統の実験結果はほぼ同じであった.
 野生型のイネとspdt遺伝子破壊株の栄養成長期における生育を比較したところ,通常の栽培条件では生育量,リンの吸収量,リンの蓄積量とも違いはみられなかった.しかし,葉位ごとに細分してリンの濃度を測定したところ,spdt遺伝子破壊株では最上位葉(新葉)と基部の節を含む茎葉基部におけるリンの濃度が低下し,下位葉(古葉)におけるリンの濃度が増加していた.しかし,リンが欠乏した条件で栽培した場合にはspdt遺伝子破壊株は新葉において顕著なリンの欠乏の症状を呈し,生育がより早く阻害された.リンが欠乏した条件におかれた植物は古い組織のリンを回収し発達している器官へと再転流することにより生育を維持しようとする.そこで,リンを欠乏させる処理の前後においてリンの分布を比較してリンの再転流について評価したところ,野生型のイネとspdt遺伝子破壊株とのあいだに違いはみられなかった.したがって,野生型のイネとspdt遺伝子破壊株における葉位ごとのリンの濃度の違いは,古い組織から新しい組織へのリンの転流ではなく,新たに吸収したリンの分配に起因することが示された.このことは,32Pを用いた短期間の吸収実験においても証明された.
 圃場において野生型のイネおよびspdt遺伝子破壊株を栽培し,収量およびおのおのの部位へのリンの分配について調べた.その結果,1株あたりの穂の数,1穂あたりの粒の数,稔実の歩合,千粒重,1株あたりの玄米の収量などにほとんど違いはなく,SPDT遺伝子の破壊は通常の圃場の条件においてはコメの収量にほとんど影響しないことが明らかにされた.リンの分配については,野生型のイネにおいては地上部のリンの約64%が最終的に玄米に集積されたのに対し,spdt遺伝子破壊株においては玄米への分配は約43%に低下し,その分だけ多くのリンがわらに残留していた.また,ほかの元素の分配にめだった違いはみられなかった.玄米におけるリンの濃度は,野生型のイネに比べspdt遺伝子破壊株において約20%低下していた.そのうち,野生型のイネにおいて約9割,spdt遺伝子破壊株においては約8割がフィチン酸として存在しており,したがって,spdt遺伝子破壊株の玄米においてフィチン酸の濃度は20~30%低下していた.しかし,その低下は種子の発芽および初期の生育には影響しなかった.

5.SPDTの役割と期待される効果

 以上の結果から,イネの節に存在する新規のリン酸輸送体SPDTは根から新たに吸収したリンの新葉や穂への優先的な分配に寄与することが明らかにされた.SPDTは節の発達した維管束の木部において蒸散流により運ばれてきたリン酸を導管から細胞へと取り込む.このはたらきにより,リンの肥大維管束から分散維管束へ,あるいは,維管束において木部から篩部への輸送が促進され,優先的な分配が実現されると考えられた.すなわち,SPDTは節まで運ばれてきたリンをより上位の節や穂にふりむけるスイッチとして機能する(図2).spdt遺伝子破壊株ではこのスイッチが切り替わり,導管を流れるリンは蒸散の多い展開葉へと受動的により多く配分される.しかし,spdt遺伝子破壊株においても老化した組織からのリンの再転流は正常であり,また,蒸散に応じた受動的な分配,あるいは,未同定の別の経路によりある程度のリンは新葉や穂に到達するため,通常の栽培条件においては生育に影響はみられない.今後,さまざまな環境条件における収量性への影響,くり返し栽培した場合のリンの収支,フィチン酸の減少による鉄や亜鉛など栄養価への影響については,より詳細な研究が必要である.また,小麦,大麦,トウモロコシなどほかのイネ科作物にも同じようなリンの分配の分子機構があるなら,種子に蓄積されるリンの低減に応用できる可能性がある.

figure2

おわりに

 これまで,穀物に含まれるフィチン酸を低減する試みはおもにフィチン酸の合成経路に着目して研究されてきた.その合成経路の変異はフィチン酸の量を劇的に減少させるが,同時に,穀物の収量や生育をいちじるしく悪化させる.一方で,この研究からも示唆されたように,植物は生育に必要とする以上のリンを吸収し種子に蓄積して次世代への遺産とする.さまざまな環境の変化に対処する植物の生存戦略を理解し,その裏づけとなる分子機構を解明することにより,より好ましい農業形質をデザインできるようになる.リンにかぎらず,節における栄養素の分配の分子機構は,筆者らの研究により,ようやくその一端が明らかにされてきた.そのしくみをよりくわしく解明し的確に応用すれば,農業の生産性,持続可能性,付加価値の向上に貢献できると考えている.

文 献

  1. Withers, P. J. A., Sylvester-Bradley, R., Jones, D. L. et al.: Feed the crop soil: rethinking phosphorus management in the food chain. Environ. Sci. Technol., 48, 6523-6530 (2014)[PubMed]
  2. Rose, T. J., Liu, L. & Wissuwa, M.: Improving phosphorus efficiency in cereal crops: is breeding for reduced grain phosphorus concentration part of the solution? Front. Plant Sci., 4, 444 (2013)[PubMed]
  3. Baker, A., Ceasar, S. A., Palmer, A. J. et al.: Replace, reuse, recycle: improving the sustainable use of phosphorus by plants. J. Exp. Bot., 66, 3523-3540 (2015)[PubMed]
  4. Yamaji, N. & Ma, J. F.: The node, a hub for mineral nutrient distribution in graminaceous plants. Trends Plant Sci., 19, 556-563 (2014)[PubMed]
  5. Yamaji, N., Sakurai, G., Mitani-Ueno, N. et al.: Orchestration of three transporters and distinct vascular structures in node for intervascular transfer of silicon in rice. Proc. Natl Acad. Sci. USA, 112, 11401-11406 (2015)[PubMed]
  6. Takahashi, H., Buchner, P., Yoshimoto, N. et al.: Evolutionary relationships and functional diversity of plant sulfate transporters. Front. Plant Sci., 2, 119 (2012)[PubMed]

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著者プロフィール

山地 直樹(Naoki Yamaji)
略歴:2005年 愛媛大学大学院連合農学研究科 修了,同年 京都大学大学院農学研究科 ポスドク,2006年 岡山大学資源生物科学研究所(現 資源植物科学研究所)ポスドク,同年 同 助手を経て,2014年より同 准教授.
研究テーマ:植物における無機栄養素の分配,および,無機栄養素によるストレスへの耐性の機構.
関心事:節

馬 建鋒(Jian Feng Ma)
岡山大学資源植物科学研究所 教授.
研究室URL:http://www.rib.okayama-u.ac.jp/plant.stress/index-j.html

© 2017 山地直樹・馬 建鋒 Licensed under CC 表示 2.1 日本

カチオンチャネルPiezo2は肺の体積のセンサーとして呼吸を制御する

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野々村 恵子
(米国Scripps Research Institute,Department of Molecular and Cellular Neuroscience)
email:野々村恵子
DOI: 10.7875/first.author.2017.010

Piezo2 senses airway stretch and mediates lung inflation-induced apnoea.
Keiko Nonomura, Seung-Hyun Woo, Rui B. Chang, Astrid Gillich, Zhaozhu Qiu, Allain G. Francisco, Sanjeev S. Ranade, Stephen D. Liberles, Ardem Patapoutian
Nature, 541, 176-181 (2017)

要 約

 呼吸において肺は膨張と収縮とをくり返す.肺の体積の変化は感覚神経により感知され,この情報は脳幹の呼吸中枢へと送られて呼吸のパターンの制御にかかわる.しかしながら,これまで,肺の体積の変化を検出するセンサーの実体およびその生理的な重要性の詳細については明らかではなかった.今回,筆者らは,マウスを用いて感覚神経に発現するカチオンチャネルPiezo2が肺の膨張を感知する機械的な受容体であることを示した.さらに,Piezo2により検出される肺の機械的な情報は,成体のマウスにおいて肺の過膨張をふせぐために必要であったことにくわえ,出生の直後の仔マウスにおいて正常な呼吸のパターンが確立されるために必要であった.この研究においては,呼吸における機械的な情報の重要性が明確にされた.

はじめに

 生体において器官にくわわる圧力や張力などの機械的な力により生理機能が制御される場合がある.たとえば,血圧の変化に応じて血圧は制御されており,膀胱における圧力の上昇により排尿の行動が促される.細胞や器官はどのように機械的な力を検出するのだろうか.これまで,分子生物学の領域においては,味覚や嗅覚などに代表される化学受容体について多くが同定されてきた.これに対し,機械的な刺激に対する受容体については,いまだその分子実態がはっきりしない場合も多い.
 肺はくり返しかつ幅の広い体積の変化にさらされる.成人の男性は平常時の呼吸1回あたり0.5リットルの空気を吸気し,能動的には3.5リットルの空気を吸い込むことができる.肺を含む気道には感覚神経のなかでもおもに迷走感覚神経が投射しており,これらの迷走感覚神経は肺の体積の変化を感知する機械的な受容体のほか,二酸化炭素やほかの化合物を感知する化学受容体として機能する1).これらの迷走感覚神経を介した肺から脳幹の呼吸中枢へのフィードバックが呼吸の制御にかかわることは,迷走感覚神経の切断などによりに調べられてきた.多くの動物において,迷走感覚神経を切断した場合には呼吸の頻度が低下し1回あたりの吸気の量が増加する.しかしながら,これらの手法ではすべての受容体が同時に遮断されるため,それぞれの受容体を介した情報がどのように呼吸の制御にかかわるのかははっきりしなかった.
 近年,筆者らの所属する研究グループにより,哺乳類の細胞において機械的なセンサーとして機能するカチオンチャネルPiezo2が同定された2).Piezo2は細胞膜にかかる張力の変化などに応答して開口し(図1),これまで,マウスおよびヒトにおいて皮膚の触覚および固有感覚の機械的なセンサーとしてはたらくことが示された3-6).今回,筆者らは,Piezo2を欠損したマウスを解析することにより,機械的な情報による生理機能の制御においてこれまで不明であった役割が明らかにされる可能性があると考えた.

figure1

1.Piezo2ノックアウトマウスは出生の直後に呼吸不全をともない死亡する

 全身においてPiezo2を欠損するマウスを作製したところ,このマウスは出生ののち24時間以内に死亡した.この際,喘ぎ行動,血中における酸素の濃度の低下,吸気の回数の減少といった呼吸の異常が観察された.肺は出生のまえにはしぼんでおり出生ののちに空気が入り込み徐々にふくらむが,Piezo2ノックアウトマウスにおいてはこの過程も遅れていた.Piezo2ノックアウトマウスの胎仔期における肺の発生の過程を,肺の形態,細胞の分化などの観点から調べたが,異常は観察されなかった.これらの結果から,Piezo2が出生ののちの呼吸の確立に必要であることが示された.
 哺乳類においては出生にともない,それまでの胎盤を介した酸素の取得から肺呼吸へと切り替わる.このとき,短時間のあいだに換気に必要な呼吸のパターンを確立する必要がある.この結果から,出生ののちに適切な呼吸のパターンを成立させるためには機械的な情報が必要であることが示された.

2.感覚神経におけるPiezo2が出生ののちの呼吸の確立に必要である

 Piezo2が呼吸器系のどの組織に発現するかについて調べた.以前に作製されたPiezo2にGFPを連結させたレポーターマウスを解析した結果,肺を含む気管に投射する感覚神経である迷走感覚神経,三叉神経,脊髄感覚神経,および,肺の上皮細胞内の一種である神経上皮複合体においてPiezo2の発現が確認された.神経上皮複合体には感覚神経の一部が投射することが知られており,二酸化炭素の検出や機械的な刺激の検出にもかかわると考えられているが,その機能の詳細は不明であった.一方,肺のほかの細胞や,脳幹の呼吸中枢,運動神経,横隔膜といった呼吸にかかわるほかの組織においてPiezo2の発現は検出されなかった.
 感覚神経におけるPiezo2が出生ののちの呼吸の成立に必要であるという仮説をたて,感覚神経においてPiezo2を欠損するマウスを作製した.迷走感覚神経の一部であるNodose神経節においてPiezo2を欠損させた場合にはマウスに出生の直後の異常は観察されなかった.これに対し,迷走感覚神経を構成するもうひとつの神経節であるJugular神経節,および,三叉神経,脊髄後根神経節においてPiezo2を欠損させた場合には,Piezo2を全身において欠損したマウスと同様に,出生ののちの致死,血中における酸素の濃度の低下,肺の拡張の不全,呼吸のパターンの異常が観察された(図1).これらの結果から,感覚神経におけるPiezo2が出生ののちの呼吸の成立に必要であることが判明した.

3.Piezo2は肺の膨張を検出するセンサーとしてはたらく

 成体のマウスの呼吸におけるPiezo2の寄与について調べた.Piezo2が肺の膨張を検出するセンサーとしてはたらく可能性について検討するため,マウスが成体にまで成長してから感覚神経においてPiezo2を欠損させ,麻酔したマウスの肺に人為的に空気を注入して迷走感覚神経の活動を測定した.その結果,野生型のマウスと比べ,肺の膨張によりひき起こされる迷走感覚神経の活動が減少した.これまで,肺の膨張の検出においては迷走感覚神経のうちNodose神経節が主要なはたらきをすると考えられてきた.そこで,Nodose神経節においてPiezo2を欠損させたマウスについても同様に実験したところ,肺の膨張によりひき起こされる迷走感覚神経の活動が完全に消失した.この結果より,成体のマウスにおいては迷走感覚神経のNodose神経節に発現するPiezo2により肺の膨張が検出されることが明らかにされた.

4.成体のマウスにおけるPiezo2による呼吸のパターンの制御

 成体のマウスにおいて,Piezo2を介した肺の機械的な変化の検出は呼吸の制御に必要であるかどうか調べた.自発的な呼吸のパターンを調べたところ,全身の感覚神経においてPiezo2を欠損したマウスおよびNodose神経節においてPiezo2を欠損したマウスにおいては,野生型のマウスと比べ,呼吸1回あたりの吸気の量が増加した.
 ヒトを含む多くの動物において,肺に人為的に空気を送り込み膨張させた場合に呼吸が一時的に停止する反射が知られている.この反射は迷走感覚神経を介しており,肺の過膨張をふせぐはたらきをもつと考えられている.全身の感覚神経においてPiezo2を欠損したマウスおよびNodose神経節においてPiezo2を欠損したマウスにおいては,この反射は起こらず,マウスは肺の膨張するまえと同様に自発的な呼吸をつづけた(図1).これらの結果より,Piezo2は肺の過膨張をふせぐための反射をひき起こすために必要な肺の体積のセンサーであることが判明した.Piezo2を発現する迷走感覚神経を標識することにより,これらの迷走感覚神経が脳幹の呼吸中枢へと投射することも確かめられた.さらに,光の照射により対象とする神経を選択的に活性化する光遺伝学的な手法を用いて7),麻酔をした成体のマウスにおいて迷走感覚神経のうちPiezo2を発現する神経を活性化したところ,すみやかな呼吸の停止が観察された.これにより,Piezo2を発現する迷走感覚神経の活性化は,呼吸の停止をひき起こすのに十分であることが確かめられた.

おわりに

 今回,筆者らは,成体のマウスにおいては迷走感覚神経のNodose神経節に発現するPiezo2が肺の膨張を検出する機械的なセンサーとしてはたらき,この情報は脳幹の呼吸中枢へと送られ肺の過膨張をふせぐために機能することを明らかにした.これに対し,仔マウスにおいては,迷走感覚神経のJugular神経節,三叉神経,脊髄感覚神経に発現するPiezo2が出生の直後の正常な呼吸のパターンが成立するために必要であることがわかった.筆者らの結果により,不明な部分の多い出生ののちの呼吸の成立の過程において,気管に生じる機械的な変化が重要な情報として機能することが示された.呼吸障害については,成人においては睡眠時無呼吸症候群が存在し,乳児においても死亡の原因の上位をしめており,呼吸の制御機構の解明は重要な課題といえる.最近,ヒトにおいてPiezo2の機能欠損変異をもつ複数の症例が報告された5,6).これらの患者においては,皮膚の触覚と固有感覚に顕著な異常が認められたのにくわえ,乳児期において浅い呼吸などの呼吸の障害も観察されており,場合によっては医療的な補佐をうけていた.
 今回,筆者らは,Piezo2が皮膚の触覚や固有感覚だけではなく,生体において複数の機械的な変化の検出にたずさわる可能性を示した.生体には心臓,胃,膀胱など機械的な情報が重要である複数の器官があり,これらの器官におけるPiezo2の寄与についても今後の解析が待たれる.

文 献

  1. Lee, L. Y. & Yu, J.: Sensory nerves in lung and airways. Compr. Physiol., 4, 287-324 (2014)[PubMed]
  2. Ranade, S. S., Syeda, R. & Patapoutian, A.: Mechanically activated ion channels. Neuron, 87, 1162-1179 (2015)[PubMed]
  3. Ranade, S. S., Woo, S. H., Dubin, A. E. et al.: Piezo2 is the major transducer of mechanical forces for touch sensation in mice. Nature, 516, 121-125 (2014)[PubMed]
  4. Woo, S. H., Lukacs, V., de Nooij, J. C. et al.: Piezo2 is the principal mechanotransduction channel for proprioception. Nat. Neurosci., 18, 1756-1762 (2015)[PubMed]
  5. Chesler, A. T., Szczot, M., Bharucha-Goebel, D. et al.: The role of PIEZO2 in human mechanosensation. N. Engl. J. Med., 375, 1355-1364 (2016)[PubMed]
  6. Delle Vedove, A., Storbeck, M., Heller, R. et al.: Biallelic loss of proprioception-related PIEZO2 causes muscular atrophy with perinatal respiratory distress, arthrogryposis, and scoliosis. Am. J. Hum. Genet., 99, 1406-1408 (2016)[PubMed]
  7. Chang, R. B., Strochlic, D. E., Williams, E. K. et al.: Vagal sensory neuron subtypes that differentially control breathing. Cell, 161, 622-633 (2015)[PubMed]

著者プロフィール

野々村 恵子(Keiko Nonomura)
略歴:2012年 東京大学大学院薬学系研究科博士課程 修了,2013年より米国Scripps Research InstituteにてResearch Associateを経て,2017年より基礎生物学研究所 助教.
研究テーマ:機械的な情報により制御される生命現象.
抱負:生物が機械的な情報をどのように判別しアウトプットを決定するのか明らかにしたい.

© 2017 野々村 恵子 Licensed under CC 表示 2.1 日本


異種の動物の体内において自己の多能性幹細胞に由来する機能的な膵島が作製された

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山口智之・佐藤秀征・中内啓光
(東京大学医科学研究所 幹細胞治療研究センター幹細胞治療分野)
email:山口智之
DOI: 10.7875/first.author.2017.018

Interspecies organogenesis generates autologous functional islets.
Tomoyuki Yamaguchi, Hideyuki Sato, Megumi Kato-Itoh, Teppei Goto, Hiromasa Hara, Makoto Sanbo, Naoaki Mizuno, Toshihiro Kobayashi, Ayaka Yanagida, Ayumi Umino, Yasunori Ota, Sanae Hamanaka, Hideki Masaki, Sheikh Tamir Rashid, Masumi Hirabayashi, Hiromitsu Nakauchi
Nature, 542, 191-196 (2017)

要 約

 胚盤胞補完法は特定の細胞を作製する能力を欠失した動物に由来する胚盤胞に正常な多能性幹細胞を注入し,得られたキメラ動物の体内において注入した多能性幹細胞に完全に由来する臓器を作製する手法である.筆者らは,この手法を用いて,膵臓を欠損したラットの体内においてマウスの多能性幹細胞に由来する膵臓を作製した.さらに,このマウスの膵臓から膵島を分離し糖尿病モデルマウスに移植したところ,移植の直後の5日間を除き,免疫抑制剤なしで1年以上にわたり正常な血糖値が維持された.この研究により,異種の動物の体内において作製された臓器を利用した移植治療の有効性および安全性が示され,胚盤胞補完法により作製された臓器の移植治療についての概念が実証された.

はじめに

 胚盤胞補完法は動物の体内において多能性幹細胞に完全に由来する機能的な臓器を作製する手法のひとつであり,これまで,筆者らは,同種間における胚盤胞補完法により,マウスの膵臓,マウスの腎臓,ブタの膵臓を作製した1-3)(文献1)新着論文レビュー でも掲載).さらに,異種間における胚盤胞補完法により,膵臓を欠損したマウスの体内においてラットの多能性幹細胞に由来する膵臓を作製した1).この膵臓は形態的にも機能的にも正常であったが,マウスの膵臓と同じ程度に小さく,マウスよりからだが10倍ほど大きい糖尿病モデルラットに移植し治療するのに十分な膵島は得られなかった.また,胚盤胞補完法を利用して異種の動物の体内において作製された臓器に含まれる血管や神経などの支持組織は異種の細胞が混在したキメラ状態であったが1,2),これらの異種の細胞が臓器を移植したときどのように影響するかについても検討されていなかった.この研究においては,移植治療に十分な量の膵島を得るため,マウスよりからだが10倍ほど大きいラットを用い,膵臓を欠損したラットの体内において胚盤胞補完法を利用してマウスの多能性幹細胞に由来する膵臓の作製を試み,移植ののちの機能および安全性について検討した(図1).

figure1

1.ゲノム編集技術を利用した膵臓を欠損したラットの作製

 Pdx1ホモノックアウトマウスは膵臓が完全に欠損しており,胚盤胞補完法のホストになることがすでに示されている1,4).マウスおよびラットのPdx1遺伝子のコード領域はDNAレベルで93%,アミノ酸レベルでも93%と高い相同性をもち,さらに,Pdx1の機能の発現に重要なホメオドメインはアミノ酸の配列が完全に一致することから,ラットにおいてもPdx1は膵臓の発生に必須のタンパク質であると予想した.そこで,ゲノム編集技術を利用してラットのPdx1遺伝子に変異を導入することを試みた.TALENをPdx1遺伝子の開始コドンより3 bp下流および35 bp下流に設計し,TALENをコードするmRNAおよびラットのExo1をコードするmRNAを同時にラットの受精卵の前核に注入しPdx1変異ラットを作製した5).その結果,得られた産仔のうち,注入したTALENをコードするmRNAの濃度が3 ng/μlの場合には4匹(5%),10 ng/μlの場合には3匹(9%)のPdx1ヘテロ変異ラットが得られた.さらに,Pdx1ヘテロ変異ラットどうしを交配したところ,メンデルの法則にしたがいPdx1ホモ変異ラットが得られ,これらはPdx1ホモノックアウトマウスの表現型と同じく,膵臓を完全に欠損した表現型を示し生後2日から3日で死亡した.Pdx1ホモ変異ラットの十二指腸に由来するPdx1の完全長cDNAの配列から予測されたアミノ酸配列において,ホメオドメインおよび核移行シグナルは完全に欠損していた6,7).これらの結果から,Pdx1がラットの膵臓の発生において必須のタンパク質であることが明らかにされた.

2.膵臓を欠損したラットを利用した同種間における胚盤胞補完法

 Pdx1ホモ変異ラットに由来する胚盤胞も,Pdx1ホモノックアウトマウスに由来する胚盤胞と同様に,多能性幹細胞を注入することにより多能性幹細胞に由来する膵臓を作製できるのかどうか確かめた.Pdx1ヘテロ変異ラットどうしの交配により得られた胚盤胞に,蛍光タンパク質EGFPにより標識されたラットの野生型のES細胞を注入し膵臓の作製を試みた結果,得られたキメララットのうち15%がPdx1ホモ変異の遺伝子型を示し成体まで生育し,開腹すると臓器の全体が一様にEGFPの蛍光を発する,正常なラットと同じ程度の大きさの膵臓が確認された.また,免疫組織染色法および画像解析の結果,内分泌組織,外分泌組織,導管組織は注入したラットのES細胞に完全に由来することがわかった.さらに,Pdx1ホモ変異キメララットの糖負荷能試験の結果,野生型のラットと同様に,正常に糖を代謝することが確認された.この結果から,Pdx1ホモ変異ラットは膵臓の作製のための胚盤胞補完法のホストになりうること,胚盤胞補完法により形態的にも機能的にも正常な膵臓を作製できることが証明された.

3.膵臓を欠損したラットを利用した異種間における胚盤胞補完法

 異種間における胚盤胞補完法によりPdx1ホモ変異ラットの体内においてマウスの多能性幹細胞に由来する膵臓を作製できるか,また,その機能や大きさについて確かめるため,Pdx1ヘテロ変異ラットどうしの交配により得られた胚盤胞に,EGFPにより標識されたマウスの野生型の多能性幹細胞(iPS細胞あるいはES細胞)を注入し異種キメララットを作製した.その結果,iPS細胞を注入した場合には10%,ES細胞を注入した場合には約20%の確率でPdx1ホモ変異キメララットが得られた.これらの異種キメララットの耐糖能試験の結果,Pdx1ホモ変異キメララットはPdx1ヘテロ変異ラット,野生型のPdx1キメララット,野生型のラットと比較して,糖負荷の直後は血糖値が高く糖負荷ののちの回復も遅い傾向がみられたが,血糖値は時間の経過とともにゆるやかに正常な範囲になった.開腹して注入したマウスの多能性幹細胞の膵臓への寄与について調べた結果,Pdx1ヘテロ変異キメララットの膵臓はEGFP陽性細胞がモザイク状に寄与していたのに対し,Pdx1ホモ変異キメララットにおいては膵臓の全体が一様にEGFPの蛍光を発することが確認された.さらに,免疫組織染色法および画像解析の結果,膵臓の内分泌組織,外分泌組織,導管組織は注入したマウスの多能性幹細胞に完全に由来することがわかった.そして,11匹中9匹のPdx1ホモ変異キメララットの膵臓の大きさは同じ週齢の野生型のマウスの膵臓の10倍ほど大きく,同じ週齢の野生型のラットの膵臓と同じ程度の大きさであった.これらの結果から,ラットの体内においてラットの正常な発生機構および臓器の大きさの制御機構により,マウスの多能性幹細胞から機能的な膵臓が作製されることがわかった.

4.膵島の移植による糖尿病の治療

 ラットの体内において作製されたマウスの多能性幹細胞に由来する膵臓より膵島を単離し,膵β細胞に毒性をもつ薬剤ストレプトゾシンの投与により作製した糖尿病モデルラットに移植し治療を試みた.Pdx1ホモ変異キメララット2匹より約300個の膵島を分離し,一部を蛍光顕微鏡により観察したところ,Pdx1ヘテロ変異キメララットの膵島はEGFP陽性細胞がモザイク状に寄与していたのに対し,Pdx1ホモ変異キメララットにおいては膵臓の全体が一様にEGFPの蛍光を発することが確認された.一方で,蛍光セルソーターを用いて膵島に含まれる血管内皮細胞の由来を詳細に解析したところ,Pdx1ホモ変異キメララットの膵島にも約6%のラットの血管内皮細胞が混在していた.この異種の細胞の混在するマウスの多能性幹細胞に由来する膵島をストレプトゾシンの投与により作製した糖尿病モデルマウスの腎皮膜下に100個ずつ移植し治療の効果について検証した.対照として,野生型のラット,ホストと同じ系統の野生型のマウス,Pdx1ヘテロ変異キメララットの膵島でも同様に実験した.また,移植ののちの炎症反応を抑制するため移植の直後の5日間のみ免疫抑制剤タクロリムスを投与したが,それ以降,免疫抑制剤は投与しなかった.
 血糖値の推移を経時的におったところ,野生型のラットの膵島あるいはPdx1ヘテロ変異キメララットの膵島を移植した糖尿病モデルマウスは一時的に血糖が低下したものの,移植ののち5日には拒絶され血糖値を制御できなくなった.一方で,Pdx1ホモ変異キメララットの膵島を移植した糖尿病モデルマウスは1年以上の長期にわたり血糖値が正常に制御され,移植の部位を摘出すると高血糖になった.移植ののち60日の糖負荷試験において,野生型のラットの膵島を移植した糖尿病モデルマウスは血糖値を低下させることができなかったが,Pdx1ホモ変異キメララットの膵島を移植した糖尿病モデルマウスは正常に糖を代謝した.この結果から,異種の体内において作製された自己の多能性幹細胞に由来する膵島は移植ののちにも正常に機能を発揮し,異種に由来する微小な支持細胞は移植片の生着や機能に影響を及ぼさないことが明らかにされた.

おわりに

 筆者らは,胚盤胞補完法により異種の動物の体内においてヒトの臓器を作製し移植治療に用いることをめざしているが,今回の成果により,胚盤胞補完法により作製した臓器に含まれる異種に由来する微小な支持細胞は移植片の生着や機能に影響を及ぼさないことが明らかにされ,異種の動物の体内において作製された臓器を移植した際の有効性および安全性が確認された.また,胚盤胞補完法は臓器の作製のほかにもさまざまな研究において有用である.たとえば,ラットの体内において作製したマウスの多能性幹細胞に由来する膵臓は,ラットの膵臓と同じ程度の大きさになった.これは,臓器の大きさの制御には外部からの刺激も重要であることを直接的に示した最初の知見である.今後,この系を利用して,再生医療のみならず臓器の大きさの制御機構など生物学的な疑問が解明されることも期待される.

文 献

  1. Kobayashi, T., Yamaguchi, T., Hamanaka, S. et al.: Generation of rat pancreas in mouse by interspecific blastocyst injection of pluripotent stem cells. Cell, 142, 787-799 (2010)[PubMed] [新着論文レビュー]
  2. Usui, J., Kobayashi, T., Yamaguchi, T. et al.: Generation of kidney from pluripotent stem cells via blastocyst complementation. Am. J. Pathol., 180, 2417-2426 (2012)[PubMed]
  3. Matsunari, H., Nagashima, H., Watanabe, M. et al.: Blastocyst complementation generates exogenic pancreas in vivo in apancreatic cloned pigs. Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 110, 4557-4562 (2013)[PubMed]
  4. Ahlgren, U., Jonsson, J., Jonsson, L. et al.: β-cell-specific inactivation of the mouse Ipf1/Pdx1 gene results in loss of the β-cell phenotype and maturity onset diabetes. Genes Dev., 12, 1763-1768 (1998)[PubMed]
  5. Takahashi, R., Hirabayashi, M. & Ueda, M.: Production of transgenic rats using cryopreserved pronuclear-stage zygotes. Transgenic Res., 8, 397-400 (1999)[PubMed]
  6. Oliver-Krasinski, J. M., Kasner, M. T., Yang, J. et al.: The diabetes gene Pdx1 regulates the transcriptional network of pancreatic endocrine progenitor cells in mice. J. Clin. Invest., 119, 1888-1898 (2009)[PubMed]
  7. Moede, T., Leibiger, B., Pour, H. G. et al.: Identification of a nuclear localization signal, RRMKWKK, in the homeodomain transcription factor PDX-1. FEBS Lett., 461, 229-234 (1999)[PubMed]

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著者プロフィール

山口 智之(Tomoyuki Yamaguchi)
略歴:2001年 筑波大学大学院医学研究科博士課程 修了,米国Minnesota大学 博士研究員,2004年 理化学研究所バイオリソースセンター 研究員,2007年 科学技術振興機構ERATO中内幹細胞制御プロジェクト 研究員,2013年 東京大学医科学研究所 助教を経て,2015年より同 特任准教授.
研究テーマ:多能性幹細胞からの臓器の作製.
抱負:万里一空.

佐藤 秀征(Hideyuki Sato)
東京大学医科学研究所 学術支援専門職員.

中内 啓光(Hiromitsu Nakauchi)
東京大学医科学研究所 教授.
研究室URL:http://stemcell-u-tokyo.org/sct/

© 2017 山口智之・佐藤秀征・中内啓光 Licensed under CC 表示 2.1 日本

細胞表面のリガンドSasおよびその受容体PTP10Dはがんの抑制にはたらく細胞競合を駆動する

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山本真寿・井垣達吏
(京都大学大学院生命科学研究科 高次生命科学専攻システム機能学分野)
email:井垣達吏
DOI: 10.7875/first.author.2017.019

The ligand Sas and its receptor PTP10D drive tumour-suppressive cell competition.
Masatoshi Yamamoto, Shizue Ohsawa, Kei Kunimasa, Tatsushi Igaki
Nature, 542, 246-250 (2017)

要 約

 がんのほとんどは上皮細胞に由来しており,上皮細胞の頂底軸方向の極性の崩壊とがんの進展とは正の相関を示す.実際に,上皮組織に生じた極性崩壊細胞は高い増殖能をもつが,近年,その周囲を正常な細胞にかこまれると細胞競合の敗者となり組織から排除されることがわかってきた.この細胞競合において,敗者となる極性崩壊細胞はEiger/TNF-JNKシグナル伝達系を介した細胞死により組織から排除されることが明らかにされていたが,正常な細胞は隣接する極性崩壊細胞をどのように認識して排除するのか,その最上流の分子機構はまったく不明であった.筆者らは,この研究において,ショウジョウバエを用いた大規模な遺伝学的なスクリーニングにより,正常な細胞に発現する細胞表面のリガンドSasと極性崩壊細胞に発現するその受容体PTP10Dがこの細胞競合を駆動することを明らかにした.さらに,その分子機構として,正常な細胞と極性崩壊細胞との境界面においてSasおよびPTP10Dの局在がそれぞれの側面膜へと変化し,これによりトランスに活性化されたPTP10Dが極性崩壊細胞のEGF受容体-Rasシグナル伝達系を抑制することによりEiger/TNF-JNKシグナルを細胞増殖シグナルから細胞死シグナルへと変換し,極性崩壊細胞の排除を駆動することが見い出された.

はじめに

 多細胞生物が個体としての生命機能を維持するためには,構成する個々の細胞の増殖や死,分化といったふるまいを厳密かつ協調的に制御する必要がある.この協調的な細胞制御の破綻の典型例ががん化であり,少数の細胞が際限なく増殖することにより組織や個体に重篤な影響を及ぼす.一方,正常な組織にはこのような非協調的な細胞を積極的に排除するしくみが備わっており,たとえば,イヌの腎臓尿細管の上皮細胞に由来するMDCK細胞やゼブラフィッシュの胚において,Ras遺伝子やSrc遺伝子などのがん遺伝子により形質転換された細胞は周囲を正常な細胞にかこまれると上皮組織から排除される1,2).つまり,正常な上皮組織には細胞間の相互作用を介したがんの抑制機構が内在すると考えられる.この組織に内在的ながんの抑制機構は細胞競合とよばれる現象により駆動されると考えられている.細胞競合とは,組織を構成する細胞のあいだで相対的に適応度の高い細胞が適応度の低い細胞を駆逐する現象であり,種々のがん遺伝子およびがん抑制遺伝子の変異によりひき起こされることが示されている3).ここ10年ほどの研究により,細胞競合の敗者となった細胞が組織から排除される分子機構については理解が進んできたが,勝者が敗者を認識する分子機構についてはまったくわかっていない.
 筆者らは,この研究において,ショウジョウバエの上皮細胞をモデルとして用い,細胞競合の勝者は敗者をどのように認識し排除するのか,その分子機構を遺伝学的に解析した.

1.細胞表面のリガンドSasは隣接する極性崩壊細胞の排除に必要である

 ヒトのがんのほとんどは上皮細胞に由来する.がんの進展と上皮細胞の頂底軸方向の極性の崩壊とは正に相関しており4),また,さまざまな実験系において極性の崩壊した上皮細胞は過剰な増殖能をもつことが示されている5).ショウジョウバエの上皮細胞においても同様に,進化的に保存された頂底軸方向の極性遺伝子であるscrib遺伝子やdlg遺伝子に変異が生じるとそれら極性崩壊細胞は過剰に増殖して腫瘍を形成する6).これら極性崩壊細胞は正常な上皮細胞に周囲をかこまれると,その高い増殖能を発揮することなく組織から積極的に排除される6,7).この現象は,細胞競合を介した上皮細胞に内在性のがんの抑制機構と考えられている.すなわち,正常な細胞と極性崩壊細胞とが同一の組織に共存すると,正常な細胞が細胞競合の勝者となり敗者となる極性崩壊細胞を組織から排除する.これまで,筆者らを含む複数の研究グループにより,極性崩壊細胞はショウジョウバエにおいてはEiger/TNF-JNKシグナルに依存的な細胞死により組織から排除されることが明らかにされている6-8)(文献8)新着論文レビュー でも掲載).しかし,周囲の正常な細胞がいかにして極性崩壊細胞を認識して排除するのか,その分子機構はまったく不明であった.
 そこで,ショウジョウバエを用いた大規模な遺伝学的なスクリーニングにより,極性崩壊細胞の認識および排除に必要となる正常な細胞の側のタンパク質の同定を試みた.具体的には,ショウジョウバエの上皮組織である複眼成虫原基に正常な細胞のクローンと極性崩壊細胞のクローンをモザイク状に誘導し,変異原化合物エチルメタンスルホン酸により正常な細胞のクローンにのみランダムな変異を導入した.約7500の変異系統を樹立してスクリーニングした結果,極性崩壊細胞を排除できなくなる変異系統を8つ取得することに成功した(図1).遺伝学的な手法およびDNA塩基配列の解析により,これらの変異系統のうち4系統の原因遺伝子はいずれもsas遺伝子であることがわかった.sas遺伝子は細胞の表面に存在する1回膜貫通型のリガンド様のタンパク質をコードしており,これまで,ショウジョウバエにおいて神経軸索の誘導に関与することが報告されていたが9),上皮細胞における役割は不明であった.

figure1

2.正常な細胞においてSasの局在は極性崩壊細胞との境界面の側面膜に変化する

 正常な細胞が隣接する極性崩壊細胞を排除するのに細胞表面のリガンドSasが必要であることがわかった.では,Sasはどのように隣接する極性崩壊細胞の排除に寄与するのだろうか? 細胞におけるSasの局在を解析した結果,正常な上皮組織においては細胞の頂端膜に局在するのに対し,正常な細胞と極性崩壊細胞との境界面においては側面膜へとその局在が変化することがわかった.さらなる解析により,このSasの側面膜への局在の変化が起こる原因は,極性崩壊細胞と接する正常な細胞の頂端膜が拡大して細胞の境界面の側面膜へと落ち込むためと考えられた.Sasを欠失させた極性崩壊細胞のクローンにおいても正常な細胞と極性崩壊細胞との境界面へのSasの局在の変化がみられたことから,この境界面へのSasの集積は極性崩壊細胞に隣接する正常な細胞において起こることがわかった.

3.極性崩壊細胞はSasの受容体であるPTP10Dを介して排除される

 Sasはその細胞外領域にFN3ドメインおよびVWCドメインという2つのタンパク質間相互作用ドメインをもつ.このことに着目して,極性崩壊細胞の側でSasの受容体として機能するタンパク質を探索した.ショウジョウバエのゲノムのデータベースから,FN3ドメインあるいはVWCドメインをもつ膜タンパク質をコードする遺伝子を候補として絞り込んだ.そして,極性崩壊細胞において32個の候補遺伝子をRNAi法を用いてノックダウンし,極性崩壊細胞の排除が抑制されるものを探索した.その結果,極性崩壊細胞において受容体型チロシンホスファターゼをコードするPtp10d遺伝子をノックダウンすると極性崩壊細胞の排除が顕著に抑制されることがわかった.Ptp10d遺伝子をノックダウンした極性崩壊細胞は排除をまぬがれるだけでなく,大過剰に増殖して組織に腫瘍を形成した.
 これまでに,ニューロンに存在するPTP10Dがグリア細胞に存在するSasとトランスに結合して神経軸索の誘導を制御することが報告されていた9).このことから,上皮組織においてもSasとPTP10Dがリガンドと受容体として相互作用し,細胞競合における細胞の認識および排除に寄与する可能性が強く示唆された.実際に,PTP10DもSasと同様に正常な細胞と極性崩壊細胞との境界面の側面膜へと局在が変化した.極性崩壊細胞においてPTP10Dをノックダウンすると境界面に局在するPTP10Dは顕著に減少したが,周囲の正常な細胞においてPTP10Dをノックダウンしても境界面に局在するPTP10Dは変化しなかった.これらのことから,境界面に局在するPTP10Dは極性崩壊細胞の側に由来すると考えられた.
 ここまでの結果から,正常な細胞のSasと極性崩壊細胞のPTP10Dとの境界面におけるトランスな相互作用が極性崩壊細胞の排除を担うと考えられた.

4.Sas-PTP10Dシグナルは極性崩壊細胞におけるJNKシグナルの活性化には影響しない

 SasとPTP10Dとのトランスな活性化を介して極性崩壊細胞はいかにして排除されるのか,そのシグナル伝達経路の同定を試みた.以前の研究により,極性崩壊細胞におけるEiger/TNF-JNKシグナル伝達経路の活性化がその排除に必須であることがわかっていた6-8).そこで,Sas-PTP10DシグナルとJNKシグナルの活性化との関係について調べた.その結果,PTP10Dのノックダウンにより排除の抑制された極性崩壊細胞においてもJNKシグナルは強く活性化されたままであることがわかった.つまり,Sas-PTP10DシグナルはJNKシグナルに依存的な細胞死を直接的に制御して極性崩壊細胞の排除に寄与するのではないことがわかった.

5.Sas-PTP10Dシグナルは極性崩壊細胞のEGF受容体-Rasシグナルを抑制することによりJNKシグナルを細胞死シグナルに変換する

 以前の研究により,PTP10DはEGF受容体の細胞内ドメインを直接に脱リン酸化することによりEGF受容体-Rasシグナルを抑制することが示されていた10).実際に,PTP10Dのノックダウンにより排除の抑制された極性崩壊細胞においてはEGF受容体-Rasシグナルの顕著な上昇が観察された.すなわち,正常な細胞と極性崩壊細胞との境界面においてSasにより活性化されたPTP10Dが,極性崩壊細胞においてEGF受容体を抑制している可能性が考えられた.筆者らは,以前の研究において,正常な細胞においては細胞死の誘導にはたらくJNKシグナルが,Rasシグナルの活性化により繊維状アクチンの集積を介してがんの抑制にはたらくHippoシグナル伝達経路を不活性化することにより,過剰な増殖および腫瘍の形成をひき起こすシグナルに変換されることを見い出していた11,12)(文献12)新着論文レビュー でも掲載).つまり,Sas-PTP10Dシグナルがはたらかず排除の抑制された極性崩壊細胞においては,抑制がはずれて活性化したEGF受容体-RasシグナルがJNKシグナルを細胞死シグナルから細胞増殖シグナルへと変換すると予想された.
 このことを裏づけるように,Sas-PTP10Dシグナルがはたらかず排除の抑制された極性崩壊細胞においては,細胞における繊維状アクチンの異常な集積およびHippoシグナル伝達経路の不活性化が観察された.また,EGF受容体のノックダウンやRasドミナントネガティブ変異体によるEGF受容体-Rasシグナルの抑制により,Sas-PTP10Dシグナルの不全による極性崩壊細胞の排除の抑制および過剰な増殖は顕著に抑制された.さらに,Hippoシグナル伝達経路を構成するキナーゼWtsによりHippoシグナル伝達経路を活性化させることによっても,Sas-PTP10Dシグナルの不全による極性崩壊細胞の排除の抑制および過剰な増殖は抑制された.
 以上の結果から,以下のようなモデルが考えられた.すなわち,上皮細胞における極性の崩壊はEiger/TNF-JNKシグナルおよびEGF受容体-Rasシグナルの活性化をひき起こし,細胞に高いがん原性を付与する.しかし,そのような極性崩壊細胞が出現すると隣接する正常な細胞においてSasの局在が境界面へと変化し,それに応じるように極性崩壊細胞においてもPTP10Dの局在が境界面へと変化するため,この境界面においてSas-PTP10Dシグナルのトランスな活性化が起こる.これにより,極性崩壊細胞においてはEGF受容体-Rasシグナルが抑制され,JNKシグナルが細胞死の誘導にはたらくことにより,極性崩壊細胞は組織から排除されると考えられる(図2).

figure2

おわりに

 この研究により,上皮組織に出現したがん原性の極性崩壊細胞を排除する,がんの抑制にはたらく細胞競合を担う細胞表面のリガンドSasと受容体PTP10Dが明らかにされた.Sas-PTP10Dシグナルは頂底軸極性の崩壊した細胞と正常な極性をもつ細胞とが隣接することによりはじめて活性化すると考えられる.すなわち,極性の崩壊したがん原性をもつ細胞が正常な組織に生じると,Sas-PTP10Dシグナルが局所的にはたらいて極性崩壊細胞のEGF受容体-Rasシグナルを抑制し,JNKシグナルを細胞死シグナルへと変換することにより極性崩壊細胞を排除する.このように,Sas-PTP10Dシグナルは上皮組織のがん化をふせぐ安全装置として機能すると考えられる.細胞競合による極性崩壊細胞の排除は哺乳類の培養細胞系においても示されており13),PTP10Dの哺乳類におけるホモログをコードするPTPRJ遺伝子もがん抑制遺伝子として機能することが報告されている14).今回,見い出されたSas-PTP10Dシグナルに相当するしくみが哺乳類においても保存されていれば,これに着目した新たながんの治療および予防の戦略への応用が期待できる.

文 献

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著者プロフィール

山本 真寿(Masatoshi Yamamoto)
略歴:京都大学大学院生命科学研究科博士後期課程 在学中.

研究テーマ:がんの抑制にはたらく細胞競合を駆動する分子機構.
関心事:がん細胞と正常な細胞との相互作用,細胞のがん化における生体膜の構造の変化の意義.

井垣 達吏(Tatsushi Igaki)
京都大学大学院生命科学研究科 教授.
研究室URL:http://www.lif.kyoto-u.ac.jp/genetics/

© 2017 山本真寿・井垣達吏 Licensed under CC 表示 2.1 日本

ペルオキシソームはミトコンドリアに由来する前駆小胞と小胞体に由来する前駆小胞とのハイブリッドとして新たに形成される

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杉浦 歩
(カナダMcGill大学Montreal Neurological Institute)
email:杉浦 歩
DOI: 10.7875/first.author.2017.020

Newly born peroxisomes are a hybrid of mitochondrial and ER-derived pre-peroxisomes.
Ayumu Sugiura, Sevan Mattie, Julien Prudent, Heidi M. McBride
Nature, 542, 251-254 (2017)

要 約

 ペルオキシソームは細胞における代謝において中心的なオルガネラのひとつであり,その代謝経路の多くをミトコンドリアと共有する.ペルオキシソームの数は既存のペルオキシソームからの分裂,あるいは,de novo合成により維持される.出芽酵母を用いた研究において小胞体がペルオキシソームのde novo合成における膜の供給源であるとするモデルが確立されつつあるが,哺乳類細胞においてはその理解は遅れている.この研究において,Zellweger症候群の患者に由来するペルオキシソームを欠損した線維芽細胞を用いてペルオキシソームのde novo合成の過程を解析した.顕微鏡によりペルオキシソームの前駆小胞はミトコンドリアの表面において形成されて細胞質に放出されることが観察され,この過程は小胞体に由来するペルオキシソームの前駆小胞を必要とした.この研究により,ペルオキシソームはミトコンドリアに由来する前駆小胞と小胞体に由来する前駆小胞のハイブリッドとして新たに形成されることが示され,哺乳類細胞におけるペルオキシソームのde novo合成について新規のモデルが提唱された.

はじめに

 ペルオキシソームは真核生物のほぼすべての細胞に存在する,脂質二重膜にかこまれたオルガネラである.その機能のうち脂肪酸のβ酸化および過酸化水素の分解についてはよく保存されているが,脂質やアミノ酸の合成および分解などの機能は生物種や組織により多様性をもつ.また,ペルオキシソームは細胞の内部を細胞骨格に依存して動きまわり,細胞の内外の環境に応じて数の変動する,非常にダイナミックなオルガネラでもある.ペルオキシソームの数は既存のペルオキシソームからの成長および分裂,あるいは,de novo合成により維持される1).ペルオキシソームの形成および維持にかかわる一連の遺伝子としてPEX遺伝子が知られており,その変異はペルオキシソームの機能や構造の欠損をひき起こす.このような異常が原因となる疾患はペルオキシソーム形成異常症とよばれ,とくに重篤なZellweger症候群においては複数の器官に異常をきたし乳児期の早期に死亡する.
 ペルオキシソームのde novo合成については酵母のペルオキシソーム欠損変異株を用いた研究がさかんである.出芽酵母(Saccharomyces cerevisiae)のペルオキシソーム欠損変異株においては小胞体にいくつかのペルオキシソーム膜タンパク質が局在し2),それらがペルオキシソームの前駆小胞として細胞質に放出されるという,小胞体がペルオキシソーム膜の起源であるとするモデルが確立されつつある3).一方,Hansenula polymorphaのペルオキシソーム欠損細胞株においてはペルオキシソームの前駆体となる膜構造が存在し,小胞体を介さずにペルオキシソームのde novo合成の起こることが報告されており4),ペルオキシソームのde novo合成における膜の起源の多様性も示唆されている.哺乳類細胞においては,一部のペルオキシソーム膜タンパク質が小胞体を経由してペルオキシソームへと輸送されるという報告もあり5),哺乳類においてもペルオキシソームは小胞体を起源とするとする説が広く受け入れられている.しかし,哺乳類のペルオキシソーム欠損培養細胞においては複数のペルオキシソーム膜タンパク質がミトコンドリアに局在することが報告されているにもかかわらず6),それはアーティファクトと解釈され,哺乳類細胞におけるペルオキシソームのde novo合成については未知の部分が多く残されている.この研究においては,哺乳類細胞におけるペルオキシソームのde novo合成経路について明らかにするため,Zellweger症候群の患者に由来するペルオキシソームを欠損した線維芽細胞を用いてペルオキシソームのde novo合成の過程を段階的に解析した.

1.アデノウイルス発現系によりペルオキシソームを欠損した線維芽細胞においてペルオキシソームのde novo合成が回復する

 ペルオキシソームのde novo合成は,膜構造の形成,膜タンパク質の取り込み.マトリックスタンパク質の取り込み,と段階的に起こる.Pex3,Pex16,Pex19はペルオキシソーム膜の形成および維持に必須のタンパク質であり,これらをコードする遺伝子のうちいずれかの欠損はペルオキシソームの欠損をひき起こす.そこで,Pex3遺伝子に変異をもつZellweger症候群の患者に由来する線維芽細胞に,アデノウイルス発現系を用いてPex3と蛍光タンパク質YFPとの融合タンパク質を発現させ,ペルオキシソームのde novo合成の過程を解析した.定量的な評価のため,Pex3-YFP融合タンパク質,膜タンパク質であるPMP70,マトリックスタンパク質であるカタラーゼを免疫蛍光染色し,蛍光顕微鏡により観察した.その結果,ペルオキシソームのde novo合成の過程が段階的に観察され,時間の経過とともに成熟したペルオキシソームの数が増加した.この結果により,アデノウイルス発現系を用いたPex3の発現によりPex3遺伝子に変異をもつ線維芽細胞においてペルオキシソームのde novo合成が回復することが確認された.

2.Pex3はミトコンドリアの表面において小胞様の構造を形成しペルオキシソームの前駆小胞として細胞質に放出される

 これまでの報告にあるように,ペルオキシソームを欠損した細胞においてPex3-YFP融合タンパク質の発現の初期における局在はミトコンドリア様の形態を示した.Pex3-YFP融合タンパク質の局在を確認するため,ミトコンドリアのマーカーである抗Tom20抗体および小胞体のマーカーである抗KDEL抗体を用いて免疫蛍光染色したところ,Pex3-YFP融合タンパク質はミトコンドリアと共局在を示し,小胞体への局在は確認されなかった.生化学的な解析により,Pex3-YFP融合タンパク質は翻訳ののちミトコンドリア外膜に挿入され,そのトポロジーは野生型におけるペルオキシソーム膜と同様に,N末端はオルガネラの内側,C末端は外側をむくことが明らかにされた.内在性のPex14もペルオキシソームを欠損した細胞においてはミトコンドリア外膜に挿入され,そのトポロジーは野生型におけるペルオキシソーム膜と同じであった.Pex3遺伝子に変異をもつ線維芽細胞にPex3-YFP融合タンパク質を発現させると,その局在は時間の経過とともにミトコンドリアからペルオキシソームへと移行し,ペルオキシソームのde novo合成の段階的な進行と一致した.このことから,Pex3はミトコンドリアからペルオキシソームの合成を直接的に制御することが示された.生細胞イメージング法によりPex3-YFP融合タンパク質のミトコンドリアからペルオキシソームへの局在の移行がひとつの細胞において起こることが確認され,さらに,高速の生細胞イメージング法によりミトコンドリアの表面においてPex3-YFP融合タンパク質が小胞様の構造を形成し放出されることが確認された.このときの小胞はミトコンドリアを染色する蛍光色素MitoTrackerに陰性であった.また,ミトコンドリアの表面に存在するペルオキシソームの前駆小胞は,免疫蛍光染色により,Pex3-YFP融合タンパク質および内在性のPex14については陽性,ミトコンドリア外膜タンパク質であるTom20については陰性であった.これらの結果より,ミトコンドリアに由来するペルオキシソームの前駆小胞はカーゴに選択的に形成され細胞質に放出されることが明らかにされた.

3.ミトコンドリアに由来するペルオキシソームの前駆小胞はこれまでに報告されてきたミトコンドリアに由来する小胞とは異なる特徴を示す

 これまでに,筆者らの研究グループは,いくつかのミトコンドリアタンパク質はカーゴに選択的に小胞としてミトコンドリアから放出されリソソームやペルオキシソームといったほかのオルガネラへと輸送されることを報告してきた7,8).この研究において観察されたPex3-YFP融合タンパク質陽性の小胞と,これまでに報告されたミトコンドリアに由来する小胞との関連性について調べるため,いくつかのタンパク質のノックダウンしその影響について調べた.ミトコンドリアは生理的な条件において分裂と融合とをくり返しており,分裂には高分子量GTPaseであるDrp1が必須である9).これまでに報告されたミトコンドリアに由来する小胞はDrp1に非依存的に形成されミトコンドリアから放出されることがわかっていたが,Drp1のノックダウンはPex3-YFP融合タンパク質のミトコンドリアからの放出に影響しなかった.ミトコンドリアに由来する小胞のミトコンドリアからペルオキシソームへの輸送はVps35を含むレトロマー複合体により制御されることが報告されていたが10),Vps35のノックダウンもPex3-YFP融合タンパク質のミトコンドリアからの放出に影響しなかった.Pex19は細胞質のシャペロンであり新規に合成されたペルオキシソーム膜タンパク質をペルオキシソーム膜へと輸送するが6),Pex19のノックダウンはペルオキシソーム前駆体へのPMP70の輸送を阻害したが,Pex3-YFP融合タンパク質のミトコンドリアへの局在およびミトコンドリアからの放出には影響しなかった.
 薬理学的なアプローチによりペルオキシソームのde novo合成の分子機構の解明を試みた.Pex3-YFP融合タンパク質はタンパク質合成阻害剤であるシクロヘキシミドの存在のもと3時間以内に半分以下になった.Pex3-YFP融合タンパク質のターンオーバーのde novo合成における必要性について調べるため,Pex3遺伝子に変異をもつ線維芽細胞にリソソームのATPaseポンプの阻害剤であるバフィロマイシンAあるいはプロテアソームの阻害剤であるMG132を処理し,Pex3-YFP融合タンパク質の量およびペルオキシソームのde novo合成への影響について調べた.バフィロマイシンAはPex3-YFP融合タンパク質の量およびペルオキシソームのde novo合成には影響しなかったことから,Pex3-YFP融合タンパク質は機能的な小胞としてミトコンドリアから放出されることの証拠になった.もしPex3-YFP融合タンパク質が不要なタンパク質としてミトコンドリアから放出されるなら,Pex3-YFP融合タンパク質陽性の小胞が細胞質に蓄積することが予想されるからである.一方,MG132の処理によりPex3-YFP融合タンパク質はミトコンドリアに過剰に蓄積しペルオキシソームのde novo合成は阻害されたことから,Pex3の関与するペルオキシソームのde novo合成にはPex3のユビキチン-プロテアソーム系による分解が必要であることが示唆された.このようにPex3-YFP融合タンパク質がミトコンドリアに過剰に蓄積する条件においても,Pex3-YFP融合タンパク質が小胞体に局在する証拠は得られなかった.
 ペルオキシソームのde novo合成における細胞骨格系の関与について調べた.膜輸送における小胞の放出にはアクチン骨格の重合が必要とされることがあるが,アクチン重合阻害剤であるサイトカラシンDの影響は観察されなかった.一方,微小管重合阻害剤であるノコダゾールの処理によりPex3-YFP融合タンパク質はミトコンドリアに蓄積しペルオキシソームのde novo合成は阻害された.しかし,ノコダゾールによる阻害はRhoキナーゼ阻害剤であるY-27632によりキャンセルされたことから,Rhoキナーゼの活性化による影響であると考えられた.一連の薬理学的な実験においてはペルオキシソームのde novo合成の分子機構の解明にはいたらなかったが,これらの結果から,ペルオキシソームのde novo合成においてはPex3がミトコンドリアから細胞質に放出される必要のあることが示され,ミトコンドリアがペルオキシソーム膜の供給源であることがさらに支持された.
 ミトコンドリアの表面において形成されるペルオキシソームの前駆小胞のより詳細な構造を透過型電子顕微鏡により観察した.Pex3遺伝子に変異をもつ線維芽細胞のクリステ構造に異常は観察されなかったが,ミトコンドリア外膜に小胞様の特徴的な構造が観察された.ミトコンドリアから出芽するような小胞様の構造はミトコンドリアマトリックスや細胞質と比べ電子密度が低く,Pex3-YFP融合タンパク質を発現させることにより有意に大きくなり,その直径は既知のミトコンドリアに由来する小胞よりも大きかった.金コロイドを用いた免疫電子顕微鏡による解析によりPex3-YFP融合タンパク質がこれらの構造に蓄積することも確認された.電子顕微鏡により観察されたミトコンドリアの表面の特徴的な小胞様の構造は,生細胞イメージング法により放出が確認されたミトコンドリアに由来するペルオキシソームの前駆小胞と同一の構造であると考えられた.
 これらの結果より,ミトコンドリアに由来するペルオキシソームの前駆小胞は,これまでに報告されてきたミトコンドリアに由来する小胞とは構造的にも分子機構においても異なる新規の膜構造であることが示された.

4.成熟したペルオキシソームの形成はミトコンドリアに由来する前駆小胞と小胞体に由来する前駆小胞を必要とする

 これまでの結果より,Pex3の関与するペルオキシソームのde novo合成はミトコンドリアを起点とすることが示された.ミトコンドリアに由来するペルオキシソームのde novo合成経路と小胞体との関係について調べるため,Pex16遺伝子に変異をもつZellweger症候群の患者に由来する線維芽細胞を用いた.Pex16はPex3の受容体と報告されており,Pex16の欠損はペルオキシソームの欠損をひき起こす.Pex16遺伝子に変異をもつ線維芽細胞にアデノウイルス発現系を用いてPex16とYFPとの融合タンパク質を発現させると,発現の初期には小胞体に観察されたが,時間の経過とともにカタラーゼ陽性の成熟したペルオキシソームに観察され,これまでに考えられていたように,Pex16の関与するペルオキシソームのde novo合成は小胞体を起源とすることが示された.さらに,内在性のPex14はPex3と同様にミトコンドリアから小胞様の構造として出芽すること,免疫電子顕微鏡によりPex16-YFP融合タンパク質陽性の小胞はミトコンドリアと接着もしくは融合するように観察されたことから,Pex3の関与するミトコンドリアからのペルオキシソームのde novo合成と,Pex16の関与する小胞体からのペルオキシソームのde novo合成は,それぞれ独立した経路ではなく同一の経路であることが示唆された.
 Pex3陽性のペルオキシソームの前駆小胞とPex16陽性のペルオキシソームの前駆小胞との関係について詳細に解析するため,Pex3遺伝子に変異をもつ線維芽細胞にPex3-YFP融合タンパク質とPex16-mRFP融合タンパク質とを共発現させた.すると,Pex3-YFP融合タンパク質はPex16-mRFP融合タンパク質と強い親和性を示して小胞体に局在した.小胞体に局在するPex3-YFP融合タンパク質はPex16-mRFP融合タンパク質とともに小胞様の構造を形成したが,Pex14やPMP70といった内在性のほかの膜タンパク質の取り込みはいちじるしく低下した.このことから,ペルオキシソームの前駆小胞が膜タンパク質を取り込むためにはPex3やPex16だけでは不十分であり,さらに,ミトコンドリアから放出されたPex3陽性のペルオキシソームの前駆小胞は膜タンパク質を取り込むことが示唆された.このPex3-YFP融合タンパク質の局在についての問題を解決するため,Pex3-YFP融合タンパク質をPex16遺伝子に変異をもつ線維芽細胞に,Pex16-mRFP融合タンパク質をPex3遺伝子に変異をもつ線維芽細胞に別々に発現させ,それらの細胞をポリエチレングリコールにより融合させ高速の生細胞イメージング法により解析した.その結果,細胞の融合から3時間ほど経過したところでPex16-mRFP融合タンパク質陽性の小胞様の構造が形成されはじめ,さらに,一部のPex16-mRFP融合タンパク質陽性の小胞がミトコンドリアの表面に形成されたPex3-YFP融合タンパク質陽性の小胞様の構造と融合しミトコンドリアから放出されたのが観察された.
 これらの結果より,哺乳類におけるペルオキシソームのde novo合成は,小胞体からPex16を含む前駆小胞が放出され,ミトコンドリアの表面において形成されたPex3およびPex14を含む前駆小胞と融合し細胞質に放出されるというハイブリッドモデルが提唱された.細胞質に放出されたのち,ペルオキシソームはほかの膜タンパク質やマトリックスタンパク質を取り込むことにより成熟し,成長および分裂により数を増加させる(図1).

figure1

おわりに

 ミトコンドリアおよびペルオキシソームは脂質のβ酸化や活性酸素種の除去などの代謝経路だけでなく,転写因子,形態制御タンパク質,シグナル伝達タンパク質など多くのタンパク質も共有する11).さらに,プロテオーム解析によりペルオキシソームに含まれる酵素の多くはミトコンドリアと同じくαプロテオバクテリオに由来することが明らかにされるなど12),非常に多くの共通点をもつにもかかわらず,その相互関係や制御機構についてはほとんどわかっていなかった.この研究により,ミトコンドリアがペルオキシソームの形成に直接的に関与することが明らかにされ,ミトコンドリアとペルオキシソームとのあいだの関係性の理解について,今後のさらなる発展が期待される.
 出芽酵母はこれまでのペルオキシソームのde novo合成の研究においてよく用いられているが,Pex16遺伝子はもたない.ペルオキシソームの機能は生物種のあいだでの多様性も高く,de novo合成経路の違いからも可塑性の高いオルガネラであるといえる.近年,真核生物のオルガネラの進化において,ミトコンドリアが種々の膜成分の起源であるという説が提唱されている13).この研究において実験的に明らかにされたハイブリッドモデルは,生物種のあいだのペルオキシソームの多様性について新たな説明をあたえるかもしれない.
 哺乳類細胞におけるペルオキシソームのde novo合成に関しては,ながらく,その存在も含め生理的な意義の解明などが遅れをとっていた.この研究において,哺乳類細胞においてはペルオキシソームの“de novo合成が起こるなら”小胞体とミトコンドリアとのハイブリッドとして形成されることが明らかにされた.しかし,なんの処理もしていない野生型の培養細胞においてペルオキシソームのde novo合成が起こるという証拠はいまだ得られていない.今後は,哺乳類を中心として個体レベルにおける解析を進め,ペルオキシソームのde novo合成の生理的な意義について明らかにしたい.

文 献

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著者プロフィール

杉浦 歩(Ayumu Sugiura)
略歴:2012年 東京薬科大学大学院生命科学研究科 修了,同年 カナダMcGill大学 ポストドクトラルフェローを経て,2016年より東京薬科大学生命科学部 プロジェクト研究員.
研究テーマ:オルガネラのダイナミクス,ミトコンドリア,ペルオキシソーム.
抱負:本質にせまりたい.

© 2017 杉浦 歩 Licensed under CC 表示 2.1 日本

X線自由電子レーザーにより明らかにされた光化学系II複合体の反応中間体の構造と水の分解および酸素の発生の反応機構

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菅 倫寛・秋田総理・沈 建仁
(岡山大学異分野基礎科学研究所 光合成・構造生物学研究コア構造解析研究分野)
email:沈 建仁
DOI: 10.7875/first.author.2017.023

Light-induced structural changes and the site of O=O bond formation in PSII caught by XFEL.
Michihiro Suga, Fusamichi Akita, Michihiro Sugahara, Minoru Kubo, Yoshiki Nakajima, Takanori Nakane, Keitaro Yamashita, Yasufumi Umena, Makoto Nakabayashi, Takahiro Yamane, Takamitsu Nakano, Mamoru Suzuki, Tetsuya Masuda, Shigeyuki Inoue, Tetsunari Kimura, Takashi Nomura, Shinichiro Yonekura, Long-Jiang Yu, Tomohiro Sakamoto, Taiki Motomura, Jing-Hua Chen, Yuki Kato, Takumi Noguchi, Kensuke Tono, Yasumasa Joti, Takashi Kameshima, Takaki Hatsui, Eriko Nango, Rie Tanaka, Hisashi Naitow, Yoshinori Matsuura, Ayumi Yamashita, Masaki Yamamoto, Osamu Nureki, Makina Yabashi, Tetsuya Ishikawa, So Iwata, Jian-Ren Shen
Nature, 543, 131-135 (2017)

要 約

 光化学系II複合体は酸素発生型の光合成において最初の反応を担い,光のエネルギーを利用して水分子を電子,プロトン,酸素に分解し分子状酸素を放出する.筆者らは,この水の分解および酸素の発生の反応機構を明らかにするため,X線自由電子レーザーおよび光化学系II複合体の微小結晶を用いて,2回の閃光の照射により光励起させた光化学系II複合体の反応中間体についてS3状態に相当する構造を2.35Å分解能で決定した.暗黒において安定なS1状態の構造との比較および同型差フーリエ電子密度図により,光励起により起こる構造の変化が電子供与側および電子授与側において確認された.とりわけ,酸素発生中心の周辺において,プロトンの放出,および,これまで基質の候補とされていたオキソ酸素のひとつO5の近辺への新しい水分子に相当するO6の挿入が確認された.これにより,Si状態が遷移するときのプロトンの放出の経路,および,O5とO6がO=O結合を形成する反応機構が提唱された.

はじめに

 酸素発生型の光合成においては,光化学系II複合体および光化学系I複合体が中心となり,光のエネルギーを利用して水を電子供与体とする一連の電子伝達反応およびプロトンの輸送により糖の合成に必要な還元力およびATPが得られる.光化学系II複合体の酸素発生中心においては,基質である水分子が酸素,プロトン,電子へと分解され分子状酸素が放出される水の分解がSi状態とよばれる5つの酸化状態をへて触媒される.Si状態のii = 0, 1, 2, 3, 4)は酸素発生中心に蓄積された酸化数を表わし,光化学系II複合体において光励起した反応中心クロロフィルの電子が,電子授与体であるQBキノンまで伝達されたことにより生じる正孔を,酸素発生中心がおぎなうことにより順に増加する.反応開始の状態であるS1状態から反応遷移の状態であるS4状態へと達すると,酸素発生中心に蓄積された酸化力は水分子の酸化および分子状酸素の発生を起こし,酸素発生中心をS0状態へともどす.
 酸素発生中心のS1状態に相当する構造は1.9Å分解能で決定され,その正体はMn4CaO5の組成をもつ“ゆがんだイス”のようなかたちであることが明らかにされた1).さらに,X線による損傷をうけていない1.95Å分解能の構造から,酸素発生中心の“ゆがんだイス”を構成するMn原子の価数およびおのおのの原子のあいだの正確な距離が明らかにされたが2)新着論文レビュー でも掲載),水の分解の反応機構への考察はこれら反応開始の状態の立体構造およびそれらに関連した理論計算や分光学的な知見などから導き出されたものにすぎなかった.とくに,酸素発生中心にあるO5とよばれるオキソ酸素はほかのオキソ酸素と比べ周囲のMn原子との結合距離が長く,ゆえに,反応性に富む環境にあると推定されたことから,O5が酸素の発生の基質のひとつとなる反応機構が提唱されていたが,そのような反応機構が実際に存在するかどうかは不明であった.かりに存在したとしても,O5の近くには酸素の発生に必要なもうひとつの基質である水分子を収容できるだけの空間がないため,S1状態の構造だけからは反応機構をうまく説明できない.このため,O5とは異なる部位において分子状酸素が発生する反応機構もいくつか提案され,多くの議論がなされている.さらに,水の分解の反応においては水分子から引き抜かれたプロトンを放出しなければならないが,その経路がどこであるか,また,どうして放出されたプロトンは逆流しないのか,といった疑問に対する実験的な証拠もほとんど存在しなかった.
 近年,いちじるしく発展したX線自由電子レーザーは,超高輝度のX線をフェムト秒のパルスとして発振するため,壊れるまえに回折するという原理にもとづくタンパク質の構造決定を実現させた3).時分割シリアルフェムト秒結晶学を用いれば,タンパク質を損傷させることなく駆動する酵素反応をフェムト秒の時間分解能でとらえることが可能になる.光化学系II複合体は光の照射によりSi状態が遷移するため,レーザーの照射による光励起と時分割シリアルフェムト秒結晶学とを組み合わせたポンプ-プローブ実験により反応中間体の回折データの取得が可能である.米国のX線自由電子レーザー施設LCLSが稼動をはじめて以来,その重要性から,米国の研究グループから光化学系II複合体の反応中間体の構造がつぎつぎと報告されていたが4,5),いずれも分解能は約4.5Åにとどまり,反応機構の核心にせまることはできなかった.このため,高分解能での光化学系II複合体の反応中間体の構造解析が待ち望まれていた.

1.光化学系II複合体の反応中間体の構造の捕捉を目的とした時分割シリアルフェムト秒結晶学

 好熱性シアノバクテリアThermosynechococcus vulcanusから単離した光化学系II複合体を結晶化し,わが国のX線自由電子レーザー施設であるSACLAにて時分割シリアルフェムト秒結晶学の実験を行った.光励起の効率をよくするため,100μm以下の大きさの微小結晶を用いた.微小結晶は溶液の組成や温度などの変化による品質の劣化が起こりやすく,結晶の大きさが小さくなることによりX線の回折に寄与する結晶の体積も減少するため,高い分解能の回折斑点をあたえる結晶を調製することに苦労した.結晶化の方法,結晶化ののちに用いる溶液の組成と処理の方法,時分割シリアルフェムト秒結晶学の実験に使用する結晶輸送媒体などを細かく検討して,2Å分解能まで回折し,かつ,レーザーの照射によりS3状態までの励起が十分に起こるような結晶を得る条件を見い出した.時分割シリアルフェムト秒結晶学の実験には大量の試料を必要とする.おおよそ浴槽3杯分に相当する600リットルの細胞培養から得られた1 gの光化学系II複合体を用い,光励起していないS1状態の光化学系II複合体,および,2回の閃光の照射により励起されたS3状態の光化学系II複合体から合計68万枚の回折イメージを得て,ともに2.35Å分解能で構造を解析した.

2.光励起およびS3状態への遷移にともなう光化学系II複合体の構造の変化

 2回の閃光の照射により励起した微小結晶はフーリエ変換赤外分光法により約半分の光化学系II複合体がS3状態をしめることが明らかにされたことなどから,観測された構造は水分子の分解の直前の状態を反映すると考えられた.ただし,光励起の効率は完全ではなくS2状態やS1状態の混入のあることをふまえ,ここでは,2回の閃光を照射した状態とよぶ.2回の閃光を照射した状態の光化学系II複合体の全体の構造はS1状態とほとんど同じであった.2回の閃光を照射した状態およびS1状態の回折データを用いて計算した同型差フーリエ電子密度図に注目したところ,Si状態の遷移による構造の変化は酸素発生中心の周辺およびQBキノンの周辺に局在することがわかった.すなわち,期待したとおりに光励起によるS3状態への遷移が起こり,その結果,電子供与側および電子授与側において起こった酸化還元反応およびプロトンの移動を構造の変化として観察することに成功したと考えられた.

3.電子授与体の周辺におけるS3状態への遷移による構造の変化

 光化学系II複合体の電子授与体であるQBキノンは,2つの電子とプロトンを受け取ったのちチラコイド膜にある酸化型のプラストキノンと置き換わることが知られている.QBキノンは光化学系II複合体の内部ではピンと伸びたオタマジャクシのような構造をとり,キノンの頭部はD1サブユニットのHis215およびSer264と水素結合を形成し,キノンの尾部に相当するイソプレノイド鎖はD1サブユニットのPhe211,Met214,Phe255,Phe265,Phe274,D2サブユニットのフェオフィチン,脂質の分子などにかこまれた疎水的な環境にあった.これまでに報告されたS1状態の結晶構造におけるQBキノンは熱振動の指標となる温度因子の値が高かったことから,プロトン化の状態の異なるものが存在する可能性やQBキノンが動きやすい環境にあることが推定されていた.今回の2回の閃光を照射した状態とS1状態の同型差フーリエ電子密度図およびそれぞれの結晶構造を比較したところ,電子授与体の周辺における光励起による構造の変化は,以下のように説明された(図1a).はじめにQBキノンが還元されたことにより,キノンの頭部はベンゼン環に垂直な軸の方向に約10度回転しHis215とSer264との水素結合が強化されて0.1~0.2Å短くなり,キノンの頭部は安定化して温度因子が低下する.この水素結合の強化によるキノンの頭部の安定化はイソプレノイド鎖をよじらせるという構造の変化をひき起こし,それに適応するためイソプレノイド鎖の周囲にある疎水的な環境はわずかに構造を変化する.そして,これらの疎水的な環境が変化することにより,S1状態ではQBキノンを周囲の溶媒の環境から遮蔽しているAsn266およびAsn267を含むループ領域の部分が約0.8Å動き,QBキノンが光化学系II複合体の外部に出ていくための経路が開かれる.くわえて,QBキノンをプロトン化するためのプロトンはTyr246,Glu244,D2サブユニットのLys264を含めた経路を通ること,QBキノンの近くに位置する重炭酸イオンもプロトンの移動に関与する可能性があることなどが構造の解析から明らかにされた.

figure1

4.酸素発生中心の周辺におけるS3状態への遷移による構造の変化

 2回の閃光を照射した状態とS1状態の同型差フーリエ電子密度図およびそれぞれの結晶構造を比較したところ,少なくとも以下の顕著な構造の変化が酸素発生中心の周辺にみられ,それらは水の分解の反応機構をうまく説明した(図1b).1)Mn4がわずかに酸素発生中心のキュバン部分から離れるよう外側に動きMn4とMn1との距離は0.1~0.2Å長くなる.2)キュバン部分を構成するCa2+がMn4から離れるように動く.3)新規の基質の水分子に相当するO6の強い電子密度がO5の近くに現われる.4)Glu189がキュバン部分から遠ざかりO5とMn1とのあいだにO6を収容できる空間が現われる.5)水665とよばれる水分子の移動性が増加することによりO4を基点とする15Åにもおよぶ長い水素結合ネットワークが遮断される.6)以上の5点の構造の変化にともない,酸素発生中心の配位子であるAsp61,Asp170,His332,Ala344がわずかに動く.

5.水の分解および酸素の発生の反応機構

 酸素発生中心の周辺における構造の変化のうち,とくに水665の移動性の増加およびO6の挿入について,水の分解の反応機構の観点から述べる(図2).水665の移動性の増加により水665と水567とのあいだの水素結合がなくなり,水567はもう一方で水素結合しているO4へ0.1~0.2Å近づく.このとき,水567とO4との距離は通常の水素結合よりもずっと短くなる.これは,O4が基質でありO=O結合のための準備の段階をみている可能性が考えられたが,結晶構造解析における距離の誤差を考慮し,S3状態への遷移にともなうプロトンの放出の過程をみていると考えている.そして,水665の移動性の増加による水素結合ネットワークの分断こそが,放出されたプロトンの逆流がふせがれる理由と考えられた.なお,このプロトンの放出の経路については理論計算からもアプローチされており6),今回の結果と大方で一致した.

figure2

 新しい水分子に相当するO6は基質の候補とされているO5との距離が1.5Åと,O=O結合を形成するのに適した位置に挿入された.これは,O5およびO6が酸素の発生する部位であることを強く印象づけた.S1状態から2回の閃光を照射した状態への遷移にともない,O6が挿入されて酸素発生中心はMn4CaO5クラスター構造からMn4CaO6クラスター構造へと変化し酸素が発生すると結論された.この反応機構のモデルは,S1状態の結晶の構造や損傷をうけていない結晶の構造において発見された“ゆがんだイス”におけるO5の特異な環境にもとづき提案された反応機構1,2) を実証しただけでなく,理論計算7) や電子スピン共鳴8) による提案とも大方で一致した.

おわりに

 この研究分野においては熾烈な競争がある.筆者らは,この論文を投稿する1カ月前に国際会議において今回の研究の内容を発表した.その時点においてはO5の反応機構に疑問をいだいており,“O5以外を基質とする反応機構があるかもしれない”と,今回の論文とは一部異なる内容を発表した.帰り急いで論文を投稿したが,査読中に競争相手の論文がNature誌に掲載されてしまった9).この論文は,国際会議での筆者らの発表の内容とよく一致していたため,ひどく落胆したものである.ところが,この話にはつづきがある.競争相手が発表した論文をよくみると,実験の結果はO5の反応機構を支持しないことがかなりはっきりと書かれていた.一方,筆者らは,国際会議での発表のあとも反応機構に自信がもてず,もういちど見直してみようと再実験を行った.その際,試料の調製の方法を再検討し励起の効率および回折データを改善した.得られたデータから電子密度図を計算したところ,反応機構の核心にせまる,O6に相当する強い正の電子密度がO5のとなりに観測されたのである.得られた電子密度にもとづきあらためて反応機構を見直すと,それまで解釈に悩んでいた構造の変化に対する納得のいく答がみつかった.競争相手にさきをこされて悔しい思いもしたが,正しい結論が導かれたことを満足している.再実験を行わずあのまま無理に解釈をつづけていても,まちがった結論しか得られなかったであろう.
 今回,筆者らにより明らかにされた光化学系II複合体による水の分解の反応機構は,可視光により水を分解する人工触媒をデザインするための基本原理を世界ではじめて実証したものといえる.この反応機構の原理が環境負荷のないエネルギー源を提供するための青写真となり人工光合成の研究へと展開されることを切に願う.

文 献

  1. Umena, Y., Kawakami, K., Shen, J. R. et al.: Crystal structure of oxygen-evolving photosystem II at a resolution of 1.9Å. Nature, 473, 55-60 (2011)[PubMed]
  2. Suga, M., Akita, F., Hirata, K. et al.: Native structure of photosystem II at 1.95Å resolution viewed by femtosecond X-ray pulses. Nature, 517, 99-103 (2015)[PubMed] [新着論文レビュー]
  3. Neutze, R., Wouts, R., van der Spoel, D. et al.: Potential for biomolecular imaging with femtosecond X-ray pulses. Nature, 406, 752-757 (2000)[PubMed]
  4. Kern, J., Tran, R., Alonso-Mori, R. et al.: Taking snapshots of photosynthetic water oxidation using femtosecond X-ray diffraction and spectroscopy. Nat. Commun., 5, 4371 (2014)[PubMed]
  5. Kupitz, C., Basu, S., Grotjohann, I. et al.: Serial time-resolved crystallography of photosystem II using a femtosecond X-ray laser. Nature, 513, 261-265 (2014)[PubMed]
  6. Saito, K., Rutherford, A. W. & Ishikita, H.: Energetics of proton release on the first oxidation step in the water-oxidizing enzyme. Nat. Commun., 6, 9488 (2015)[PubMed]
  7. Siegbahn, P. E.: Water oxidation mechanism in photosystem II, including oxidations, proton release pathways, O-O bond formation and O2 release. Biochim. Biophys. Acta, 1827, 1003-1019 (2013)[PubMed]
  8. Cox, N., Retegan, M., Neese, F. et al.: Electronic structure of the oxygen-evolving complex in photosystem II prior to O-O bond formation. Science, 345, 804-808 (2014)[PubMed]
  9. Young, I. D., Ibrahim, M., Chatterjee, R. et al.: Structure of photosystem II and substrate binding at room temperature. Nature, 540, 453-457 (2016)[PubMed]

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著者プロフィール

菅 倫寛(Michihiro Suga)
略歴:2009年 大阪大学大学院理学研究科 修了,大阪大学蛋白質研究所 研究員,米国Oregon Health & Science大学 博士研究員,岡山大学大学院自然科学研究科 特任助教を経て,岡山大学異分野基礎科学研究所 助教.
研究テーマ:膜タンパク質の構造生物学.

秋田 総理(Fusamichi Akita)
岡山大学異分野基礎科学研究所 助教.

沈 建仁(Jian-Ren Shen)
岡山大学異分野基礎科学研究所 教授.

© 2017 菅 倫寛・秋田総理・沈 建仁 Licensed under CC 表示 2.1 日本

抗HIV-1中和抗体による早期の治療におけるウイルスに対する長期にわたる免疫応答の誘導

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西村 佳哲
(米国NIH National Institute of Allergy and Infectious Diseases,Laboratory of Molecular Microbiology)
email:西村佳哲
DOI: 10.7875/first.author.2017.032

Early antibody therapy can induce long-lasting immunity to SHIV.
Yoshiaki Nishimura, Rajeev Gautam, Tae-Wook Chun, Reza Sadjadpour, Kathryn E. Foulds, Masashi Shingai, Florian Klein, Anna Gazumyan, Jovana Golijanin, Mitzi Donaldson, Olivia K. Donau, Ronald J. Plishka, Alicia Buckler-White, Michael S. Seaman, Jeffrey D. Lifson, Richard A. Koup, Anthony S. Fauci, Michel C. Nussenzweig, Malcolm A. Martin
Nature, 543, 559-563 (2017)

要 約

 今回の研究において,抗HIV-1中和抗体による早期の治療により感染の初期のウイルス量を抑制し長期にわたるT細胞による免疫応答を誘導することにより,サルにおいて長期間にわたりウイルスの感染を制御することに成功した.感染の早期に2種の抗HIV-1中和抗体により治療をうけたサルは,56日~117日ものあいだ血中のウイルス量が抑制され,血中の抗HIV-1中和抗体の濃度の低下にともないウイルスのリバウンドが認められたが,13頭のうち6頭においては血中のウイルス量が検出限界以下にまで抑制された.それにくわえ,4頭のサルにおいても感染から2年以上ものあいだ末梢血においてCD4陽性T細胞の数が減少せず,血中のウイルス量も治療をうけていないサルに比べ非常に低い状態が保たれた.ウイルスが完全に抑制された6頭のサルにおいては,複製能のあるウイルスをもつ感染細胞の数はCD4陽性T細胞の百万個に1個以下と非常に低い値であった.これらのサルにCD8陽性T細胞を選択的に除去する抗体を投与したところ,CD8陽性T細胞の減少とともに血中のウイルス量がいちじるしく増加した.それに対し,抗レトロウイルス剤による早期の治療をうけたサルにおいてウイルスの抑制は認められなかった.今回の研究により,抗HIV-1中和抗体による早期の治療は,抗レトロウイルス剤による治療とは異なり,長期にわたりT細胞による免疫応答を誘導しウイルスを抑制しうることが示唆された.

はじめに

 一連の幅広いHIV-1株に対し高い中和活性を示す抗HIV-1中和抗体がウイルスの感染の防御および治療に高い効果をもつことがサルおよびヒト化マウスにおいて示されており,ヒトにおける臨床試験においてもその有用性が認められている1-5)(文献3)新着論文レビュー でも掲載).以前に,筆者らは,HIV-1とSIVとのキメラウイルスであるSHIVを用いた長期にわたりウイルスに感染したサルにおいて,抗HIV-1中和抗体の投与により血中のウイルス量が顕著に減少したことを報告した1).しかし,これらのサルにおいては,血中の抗HIV-1中和抗体の濃度の低下にともない血中のウイルスは治療するまえの量にまで増加し,将来的にAIDSを発症した.
 感染の最初期におけるHIV-1の爆発的な増加にひきつづき,それにより誘導されたCD8陽性T細胞による免疫応答によるウイルスの抑制は部分的なものにとどまり,慢性感染が成立してウイルスが体内から完全に除去されることはない.ウイルスはそれ自体のDNAを宿主のゲノムに組み込み,それがウイルスの複製のもととなり長期間にわたる抗レトロウイルス剤による治療の際にも細胞にとどまり,投薬を中断するとウイルスの感染は顕著に進行する.このウイルスリザーバーは生涯にわたり患者に存在しつづける.
 感染ののち6カ月以内に抗レトロウイルス剤の併用による治療を開始することにより,免疫系の損傷およびウイルスリザーバーの規模は抑制されることが示唆されている.感染の最初期に抗レトロウイルス剤の併用による治療をうけた際には,治療を中断したのちにもまれに血中のウイルス量が持続的に減少することが報告されている6).サルのSIV感染モデルにおいては,感染ののち24時間から72時間に抗レトロウイルス剤による治療を開始した場合,同様のウイルス量の減少が認められている7)
 抗HIV-1中和抗体は血中のウイルス量を減少させるとともに血中のウイルス粒子の除去を促進して患者の免疫系を保存することから,患者におけるウイルスの害を軽減し長期にわたり臨床の経過を改善する可能性が示唆されている.この仮説と一致して,ヒト化マウスを用いた実験において,抗HIV-1中和抗体による早期の治療が,抗レトロウイルス剤による治療よりもウイルスリザーバーの確立を防止するうえでより効果的であることを示されているが,ヒト化マウスは完全な免疫系をもたず,3~4カ月をこえて感染は維持されない.
 これまでに,筆者らは,抗HIV-1中和抗体の単剤による治療をウイルスの接種ののち12週間において開始すると,ウイルス血症は1~2週間にわたり抑制されるが,そののち,抵抗性のウイルス変異体が出現することを報告した2).しかし,複数の抗HIV-1中和抗体による早期の治療によりウイルス血症が持続的に抑制されるかどうかは不明である.今回,ウイルスの感染が確認される最初期に,異なるウイルスのEnv部位を標的とする3BNC117および10-1074の2種の抗HIV-1中和抗体1) より治療し,ウイルスの感染の抑制について解析した.

1.抗HIV-1中和抗体による早期の治療によりウイルスを腸管に接種されたサルの血中のウイルスは持続的に抑制される

 実験に用いた高病原性のウイルスSHIVAD8EOはHIVAD8株に由来するEnvをSIVに組み込んだキメラウイルスで,このウイルスに感染したサルにおいてはHIV-1の患者と同様の持続性のウイルス血症およびCD4陽性T細胞の不可逆的な減少がみられ,抗HIV-1中和抗体の単体あるいは抗レトロウイルス剤を投与されたサルにおいては抵抗性のウイルス変異体が生じ,そののち,2~3年以内に日和見感染をはじめとしてAIDSを発症する8-10)
 急性感染期における抗HIV-1中和抗体の効力について評価するため,高量のSHIVAD8EOを6匹のサルの腸管に接種し,感染ののち3日目,10日目,17日目に2種の抗HIV-1中和抗体を静脈に投与した.感染ののち30日間において,2頭には治療をうけていない対照のサルと比較して血中にきわめて低い量のウイルスが検出されたが,ほかの4匹において血中のウイルス量は通常のRT-PCR法を用いた解析では検出限界以下であった.すべてのサルは56~177日のあいだウイルス血症が抑制されたが,そののち,5頭においてウイルスのリバウンドが認められた.残る1頭のサルにおいては感染ののち150日間にわたりウイルスのリバウンドはみられなかった.ウイルスのリバウンドまでの期間は血中の抗HIV-1中和抗体の濃度と相関し,ある一定の量より減少した時期にウイルスのリバウンドが認められた.血中のウイルス量を超高感度なRT-PCR法により定量したところ,血液1 ml中に約2~10コピーのウイルスRNAが検出された.これにより,抗HIV-1中和抗体を投与されたサルは,治療の際にも低レベルのウイルスが持続的に産生されていることが明らかにされた.6頭のサルを長期にわたり観察したところ,ウイルスのリバウンドののちの血中のウイルス量をもとに2群に分けられた.コントローラー群においては,ウイルスのリバウンドののち血中のウイルス量は最長で20週間のちに検出限界以下の量にもどり,ウイルスの抑制はそののちも持続した.非コントローラー群においては,ウイルスのリバウンドののちもウイルスの増殖は継続して観察され,ウイルスの完全な抑制は認められなかった.

2.抗HIV-1中和抗体による早期の治療によりウイルスを静脈に接種されたサルにおいてウイルスは抑制される

 抗HIV-1中和抗体による早期の治療が異なる経路から感染したサルにおいても効果を示すかどうかを確認するため,同量あるいは1/10量のSHIVAD8EOを静脈に接種し,そののち3日目から抗HIV-1中和抗体の投与を開始した.その結果,高量のウイルスの接種をうけたサルは抗HIV-1中和抗体の投与ののち2週間でウイルス血症を示したが,1/10量のウイルスを接種されたサル3頭のうち1頭にはウイルスの増殖は検出されなかった.すべてのサルにおいて,血中のウイルス量は抗HIV-1中和抗体の投与ののち30日以内に検出限界以下に低下し,感染ののち48~110日間にわたりウイルスは抑制された.また,ウイルスを静脈に接種されたサルにおけるウイルスのリバウンドも,血中の抗HIV-1中和抗体の濃度の低下と相関した.しかし,2頭においてはウイルスのリバウンドの際に抗HIV-1中和抗体のうちの一方10-1074の血中の濃度は依然として高値を示していたため,血中のウイルスを遺伝子解析したところ10-1074に対し抵抗性をひき起こす遺伝子変異が認められた.また,一部においてウイルスのリバウンドののちに持続的なウイルスの抑制が認められた.7頭のうち3頭のコントローラー群においては,ウイルスのリバウンドののち42~90週間にわたり血中のウイルス量は検出限界以下にまで抑制され,CD4陽性T細胞のいちじるしい減少も認められなかった.残る4頭の非コントローラー群においては,ウイルスのリバウンドののちにウイルス血症は完全に抑制されず,それにともなうCD4陽性T細胞の減少が認められ,1頭においてはAIDSを発症した.

3.抗HIV-1中和抗体による早期の治療により誘導されるCD8陽性T細胞による免疫応答は血中のウイルスを効率的に抑制する

 抗HIV-1中和抗体による早期の治療ののち認められる持続性のウイルスの抑制の機序について明らかにするため,ウイルスのリバウンドの前後において体液性および細胞性の免疫応答とそのウイルスの抑制との関連について解析した.その結果,コントローラー群のサルにおいては非常に低量の抗ウイルス結合抗体のみが検出され,その抗体価とウイルスの抑制との相関は認められなかった.抗ウイルスCD8陽性T細胞による免疫応答はウイルスのリバウンドの前後において検出されたが,コントローラー群と非コントローラー群とのあいだに大きな違いは認められなかった.CD8陽性T細胞による免疫応答とウイルスの増殖の持続的な抑制との関連について明らかにするため,血中のCD8陽性細胞を除去する抗CD8α抗体をコントローラー群のサルに投与した.その結果,すべてのサルにおいて血中のCD8陽性細胞が減少するとともに,ウイルスが爆発的に増加した.そののち,1頭を除くすべてのサルにおいて血中のCD8陽性細胞の増加とおよびそれにともなうウイルスの減少が認められ,抗CD8α抗体を投与するよりまえのウイルスの抑制された状態を回復した.これらのサルにおいて,感染性のウイルスを保有するCD4陽性T細胞の割合は,抗CD8α抗体を投与するまえには百万個のCD4陽性T細胞のうち1個未満と非常に低い状態であったが,投与ののちウイルスの抑制された状態を回復したサルにおいてもその比率は同様に百万分の1個にまで低下した.
 抗CD8α抗体はCD8陽性T細胞のみならず,NK細胞,NKT細胞,γδT細胞といったすべてのCD8α陽性細胞を枯渇させるため,CD8陽性T細胞を特異的に標的にする抗CD8β抗体をコントローラー群に投与したところ,CD8陽性T細胞は選択的に減少し,NK細胞をはじめとするCD3陰性CD8陽性細胞の数に変化は認められなかった.それにともない,血中のウイルス量がいちじるしく増加した.これらの結果より,コントローラー群のサルにおけるウイルスの持続的な抑制とCD8陽性T細胞による免疫応答との関連が示唆された.
 非コントローラー群のサルにおいて血中のウイルス量は検出限界以下までは抑制されなかったが,7頭のうち4頭においては有意に低い血中のウイルス量が持続して観察され,感染から2~3年のちの末梢血中のCD4陽性T細胞の数のいちじるしい減少も認められなかった.これらの結果をまとめると,総数13頭のサルのうち10頭,コントローラー群6頭および非コントローラー群4頭に抗HIV-1中和抗体による早期の治療により効果が認められた.
 抗HIV-1中和抗体による早期の治療をうけたサルの対照として,3頭のサルに対しSHIVAD8EOを直腸に接種したのち3日目から15週間にわたり3種の抗レトロウイルス剤により治療した.15週間の治療の期間は,抗HIV-1中和抗体による早期の治療をうけたサルにおいてウイルスのリバウンドが認められるまえの,ウイルスの増殖が抑制された平均の期間に相当する.抗レトロウイルス剤により治療されたサルは検出限界以下の血中のウイルス量を維持したが,すべてのサルにおいて治療を中断したのち持続的なウイルス血症が認められ,抗HIV-1中和抗体を投与したサルにみられたコントローラー群に相当するものは認められなかった.

おわりに

 この研究より導かれる仮説として,抗HIV-1中和抗体による早期の治療をうけたサルにおいて,ウイルスのリバウンドよりまえの期間に認められる低量のウイルス粒子の連続的な産生が免疫複合体の形成を促進し,活性化Fc受容体を発現する抗原提示樹状細胞がこれらの免疫複合体と結合することにより,CD4陽性T細胞およびCD8陽性T細胞へと抗原が効率的に提示される可能性が推測された.対照的に,抗レトロウイルス剤による治療は,ウイルスをほぼ完全に阻害して免疫応答の誘導に利用の可能なウイルス抗原の量を制限すると考えられた(図1).

figure1

 ウイルスの抑制には,CD4陽性T細胞の保存,ウイルスリザーバーの大きさおよび安定性,CD8陽性T細胞による免疫応答の誘導のための抗原の持続的な産生など,さまざまな要因のあいだの微妙な均衡が存在すると考えられる.サルのSHIV感染モデルは,ヒトにおけるHIV-1の感染とはいくつか異なる点があるが,抗HIV-1中和抗体による早期の治療法はウイルスの全身的な増殖を抑制しCD4陽性T細胞への損傷を制御するだけでなく強力な免疫応答を誘導することにより,ヒトにおいてもHIV-1の感染を制御する可能性のあることが示唆された.

文 献

  1. Shingai, M., Donau, O. K., Plishka, R. J. et al.: Passive transfer of modest titers of potent and broadly neutralizing anti-HIV monoclonal antibodies block SHIV infection in macaques. J. Exp. Med., 211, 2061-2074 (2014)[PubMed]
  2. Shingai, M., Nishimura, Y., Klein, F. et al.: Antibody-mediated immunotherapy of macaques chronically infected with SHIV suppresses viraemia. Nature, 503, 277-280 (2013)[PubMed]
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著者プロフィール

西村 佳哲(Yoshiaki Nishimura)
略歴:1999年 東京大学大学院農学生命科学研究科にて博士号取得,米国NIH National Institute of Allergy and Infectious DiseasesにてVisiting Fellowを経て,2006年より同Staff Scientist.
研究テーマ:サルを用いたHIV-1の感染の治療法の確立およびワクチンの開発.

© 2017 西村 佳哲 Licensed under CC 表示 2.1 日本

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